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6 雨

               ※



 春は別れがあり、出会いがある季節。

 クラス替えが行われた新学期当初の教室はどこかよそよそしいものであった。しかし四月の下旬ともなると、他人行儀な面影を探す方が大変なくらい皆一様に打ち解け合っていた。

 そんなクラスで俺は一時期、時の人となる。


 昼休みの教室に登城先輩が現れた日の翌日だった。登校した俺はクラスの、いいや学校全体の生徒達から圧倒的な噂の的として狙われていた。

 俺を標的として、所構わず放たれる矢という囁きの中身を要約すれば――登城先輩が学校の女子更衣室を使用中にのぞかれた。先輩はその時、のぞき魔を見たので犯人を探していた。どうやら犯人は見つかったようで二年の冴えない顔の男子生徒らしい、とのことだ。


 顔は放っとけってなもんだが、あの日俺が登城先輩との関係をうやむやにした結果、根も葉もない噂が立ったようである。

 ただし、学校中に広まってしまったのは先輩の持つ影響力と、スケッチブック片手に散々生徒達に聞きまくっていたらしい捜査のお陰だろうから、まったく困った人である。

 その、直接会えばきっとクレームを言えなくなる先輩はと言えば、俺がアテラレを知った日以来、音沙汰がない。

 同級生の鮫川君の話だと、三日前は登校していらしゃったみたいである。

 でも、午前中の授業だけ受けて早退したようだ。

 なんでも、登城家が母体となっている銀行に強盗が押し入ったかららしい。

 同級生の鮫川君が言うのだから強盗の件は間違いないのだろうとして、それ先輩に関係あるのだろうかと思ったその日、帰宅してテレビをつけたら銀行強盗事件があったとして我が街の名がニュースで流れる。

 だからこの日の桜子との電話は、先輩の話題で持ちきりになった。

 次の日は、向島の馬鹿さ加減の話題で盛り上がった。


 そうやって桜子とは学校が終われば毎日電話していたよなあ……なんて、

ここ一週間を回想中だった俺は、下駄箱から湿ったスニーカーを取り出しいつものように放る。

 今朝からの雨は下校時間になっても止む気配はなく、昇降口を出れば雨の音が耳を、その匂いが鼻を突いた。

 憂鬱な俺の心の中を表すかのような空模様の下、傘をさしてザーザー降る雨粒を返しながらトボトボ歩けば、彫像が乗る四角い台座が行く手を阻む。

 逞しいボディは人類だが、首から上が両生類のカエル次郎。

 雨に羽織る着物を洗われているが、カエルなんだし、どことなくニヤけた面に見えるこいつには喜ばしい天気なのかも知れん。けど俺としてちゃ、お気に入りのスニーカーをびしょ濡れにされる、不愉快以外のなんでもない。


「いいよなお前は。気楽そうで」


 俺は物言わぬ相手へ自分の憂鬱な気持ちをぶつけてから帰路に就く。

 雨の鬱陶しさ。そして、能力を使えないやるせなさ。

 開かない宝箱を貰っても虚しいだけだ。

 一向に発現しない力に、苛立ちを通し越して悲しくて仕方がない。


「せっかく名前までつけたのにさ……」


 繋がる世界と書いて『ゲートリンク』。

 このままでは朝方まで悩み抜いて決めた至高の名が無駄になってしまう。

 そうならないためにも 桜子からアテラレ情報を教えて貰うのだが、はっきりとした要素が乏しい。

 発現条件というか制約に関して言えば、なんとなく自ずと感じてわかるものだそうで、アテラレを知りかれこれ一週間近くになる俺には、そのなんとなくがまだ訪れていない。


「訪れていないというか、もしかしたら一年に一回だけの能力なのかも……と昨日からやたら考えるこの思考がそうなんかなあ」


 うぬぬ、嫌だ、却下だ。そんな誕生日みたいな定期性やおめでとうなんていらねーし、それだとますます使えない能力になってしまう。

 ただでさえ、みこと街の範囲しか使えないとか、扉限定だから人んに繋がる可能性が高いとかのリスクも背負ってんのにさ。


「……なんだかなあ」


 俺の吐く溜息は強くなる雨脚に掻き消される。

 ホントなんだかなあ、である。







 家から一番近いバス停で降りる頃にはすっかり体が冷えていた。

 雨雲で陽射しが届かない薄暗さの中、早く温まりたい一心で家路に急ぐと我が家の門柱前に、


「番傘か、珍しい」


 艶やかな朱色の傘とくすんだ白い傘。

 見える下半身から女性と男性と判断できる。

 俺は訪問販売や変な勧誘とかだったら面倒だと、手に持つ傘を前へ倒し小走りで自宅へと駆け込む。


不躾ぶしつけで申し訳ないが、話を良いだろうか」


 玄関を前にして、後ろから雨音にも負けない女性の声。


「やっぱ、声掛けてきましたか」


 ぼそり言って、さてさてなんの勧誘だろうと無愛想な顔を作り振り返った。

 俺と相対するのは女性の方で、顔は朱色の番傘が邪魔で口元までしか見えない。

 格好はスレンダー体の線を形取るようなパンツルック。

 視線を足元から再び顔の方へ上げていくと、上着の七分袖から手の甲にかけ包帯が巻かれているのに気付く。

 さっきの一声で静止させられたからか、はたまたまとっている雰囲気がそう思わせるのか。

 俺のファーストインプレッションは『凛としている』だった。


「私は貴方が池上スバル殿であるかどうか確かめたい。どうか名を教えてはくれまいか」


「殿で、くれまいか……すか」


 自分の名前を口にする古風な喋りの女性を不審がった瞬間――はっと息を飲む。

 すう、と仰むいだ番傘の向こうにあった顔がそうさせたのだ。

 美人さんだった。

 少しきつ目な感じだけど、絶賛麗しき女子。

 俺とあまり変わらなそうな年齢……いや、年上……か。ううん、桜子の件もあるしな。


「はい、俺、池上スバルっす」


 女子の年齢当てには自信がないので、自信のあることを笑顔で答えた。


「うむ、かたじけない。では池上スバル殿、貴方に伝えるとしよう。今後、我等とは関わらぬ事だ。ユイ姉――んっうんっ。失礼」


 相手が口元に握りこぶしを当て、咳き込むように喉を鳴らす。


「登城の者から何を言われたか知らぬが、私の目にはそうはえぬのでな。貴方の為の忠告だ。心して頂こう」


 俺の呆けているさまにお構いなく、番傘がくるりと回る。

 番傘女子は、頭の後ろで束ねているだろう腰まで垂れる長い髪を揺らし、大柄な男性とともに雨降る景色の中へと溶けてゆく。

 艶やかさな朱色も見えなくなった。


「登城先輩が……なんなんだろう。うう、さぶっ。とにかく考えるの後回し後回し。先に着替えねーと」


 ぶるっと冷えた体を震わせた俺は、玄関を開けると振り返った。


「残念な美人さんだったな」







 脱衣場で制服を脱ぎ捨て上にTシャツ、下にパンツ一枚の身軽な格好となった俺は廊下へと飛び出してすぐ、急ぎ脱衣場へ戻る。


「やべえやべえ。スマホ洗濯されるトコだった」


 ズボンのポケットから大事なアイテムを取り出す。

 再び廊下へ出たところで、タイミングがいいのか悪いのか、桜子から着信ありだ。


『もしもし』


「わりー桜子。ちょっと待ってくれよ」


 ドタドタと階段を駆け上がる。

 上がった先、手前にある自分の部屋へ入――るら、るら、らない。入らない。てか入れない。てかっ。


「な、なんだよっ!? こりゃっ」


 さすがに二回目だし正常な思考は手放さない。しかし、戸惑いが半端ない。

 引き開いたドアの向こう側。デジャブーとは呼べないにしても、その言葉でも遜色ない光景が目の前に、俺の部屋にありやがる。

 アンティーク調クローゼット、クマのぬいぐるみ、ふかふかしそうなソファ、西洋風の部屋。そこからこっちへ眼差しを向ける下着姿の少女。

 違いと言えば、携帯電話らしき物を耳に添えていることと、身に着けている下着の色がピン、下着!?


「待て待て待ってくれ桜子っ。わざとじゃないんだ、いきなり発動したんだっ。不可抗力だっ」


「スバルっ。動くなっ」


 落ち着けとスマホを持つ手と空く方の手の平で制し扉を閉めようとしたら、鋭く発せられた声。

 んで、そんで――桜子がこっちに突っ込んでっ。


「ちょ、何!? うぐっ」


 俺は桜子の体当たりで、部屋の前の廊下へ倒された。

 まさかの行動に踏ん張りが利かなかった。

 ぬおおお、廊下で打った背中が痛い。


「おいっ。いきなり何すんだよっ」


 腹部に重みを感じたので、そっちへ首を起こして強めの口調で抗議すると、そこに見えたのは下着姿の馬乗りになっている。うん? 馬乗りにされているが正しいのか、どちらでも良いが、いや悪いが、いろいろと問題が発生しそうな状況になっている。


「おお、おお。おお、おおっ」


 息を荒々しくして、ただただ興奮気味に『おお』を繰り返す桜子。


「『おお、おお』じゃねーよ。とにかく離れろよっ」


「スバル。玄関はどこだ!? どこなのだ」


「はあ? ここは玄関じゃねえよ。なんか知らんが今回は俺の部屋の扉――があっ、てか俺だけじゃなくてそっちも移動できんのか!?」


 腹部が軽くなる。

 俺から飛び退く桜子が、階段を下りようとしている。


「だああっ、桜子待て待てっ」


 一階には家族が居るんだぞっ。

 家に女の子を連れ込んだと思われるのは百歩譲ってセーフだとしても、その格好は完全アウトだろーがっ。


「お兄ちゃん、さっきからうるさいよっ」


 動揺する俺に、聞き覚えのある声が呼びかけてきた。

 いつかの日同様、またしても心臓が体を突き抜けそうになる。

 上体を起こし、お尻は廊下に付けたままの状態で、妹の部屋がある廊下の奥へ顔を向けた。

 部屋の入り口から体を乗り出し、こっちをじーと見るシズク。


「何してんのそんなとこで? 大きな音したし」


 Tシャツにパーカー姿のいつものラフな出で立ちで、シズクは喋りながら俺の方へ近づいてくる。

 どうしよう、本当にどうしよう。

 素早く階段の方へ視線をやり、次に自分の部屋を見た。一階には下着姿の桜子がちらり。俺の部屋は部屋で、そう呼べない物になっている。うぐぐ、なんか吐きそうだ。


「えええと、アレだ、そうアレだ。ちょっと転んじゃってさ。ハハ。怪我とかもしてないし、全然大したことないから、心配しなくてもいいぞ」


 俺は笑顔を貼り付け立ち上がる。


「ふーん。別にシズク、お兄ちゃんの心配なんかしてないんですけれど。それで、なんで服着てないの」


「服は今から着るんだよ。制服、雨で濡れたからさ」


 そう言いながらも、中途半端に開き廊下へしゃしゃり出ている自室のドアを足を使い閉めたので、言動がチグハグになってしまった。

 マズった。


「そ、それよりシズク、なんか俺に用か」


 シズクの歩みが止まらない。

 部屋をのぞかれるとややこしくなりそうだし、妹を一階へ降ろさせるわけにもいかないし。

 

「ねえお兄ちゃん、桜子さんって名前が聞こえたんですけれど、誰ですか」


「さあ、誰だろうね……俺、そんなこと言った覚えねえし」


 シズクに桜子を見られいたのか気になっていたが、この反応だと俺の叫んだ名前しか聞いていないようだな。

 ならどうにか誤魔化すしかない。


「ふーん……ふーん」


 訝しげな表情のまま、シズクがもう目の前まで来てしまった。

 どうする俺、どうするよ俺っ。

 胃を痛くしていると、両手を後ろ手にまじまじ俺を見ていた妹がにやり。


「あ、お兄ちゃん後ろ」


「何!?」


 振り返ったが桜子の姿はどこにもない。


「えいっ」


 シズクの掛け声に呼び戻されると閉じられていた部屋のドアが開け放たれているっ。


「なあああ、勝手に開けんなっ」


「な~んだ、誰もいないじゃん。てっきりお兄ちゃんが彼女でも連れてきたのかな~って思ってたのに……。つまんない」


 シズクが部屋を見回しぼやく。


「……んなもんいねーよ。いいからもう自分の部屋に戻れよ」


「言われなくたって戻りますう~」


 期待していた結果が得られなかったからだろう。不満気な様子のシズクはくるりと身を返し、元居た部屋へ戻って行く。その後ろ姿を見つめながら、ほっと胸をで下ろす。

 部屋が”俺の部屋”で本当に良かった。

 桜子のことも気づかれて、あ。


「あいつ下で何してんだっ」


 一階へ言葉を投げて、気取られなかったかと、またシズクの方へ向き直った。時だった。


「おふう――っ」


 驚きのを声を飲み込む。


――おいおい、なんで、どうしてお前がそんなところから出てくんだよっ。


 シズクが自分の部屋に入ると、廊下に飛び出していたドアが元の位置へ収まっていく。

 それと入れ代わる形で、一階へ下りて行ったはずの桜子が現れたのだ。

 意味がわからん。わかるのはとにかく桜子が下着の姿のままってことだ。


「お。……おい、なんでお前そっちから来てんだよ。てか、そんな格好で俺んうろうろすんなよな」


 桜子の突拍子もない行動で、どれだけ俺の胃が痛くなっているか。本当は声を荒げて物申したい。

 だが妹のこともある。

 精一杯小声で言って、こっち来いと高速で手招きする。

 コンニャロめ……目のやり場に困る。


「人のこと言えないけどさ。とりあえずお互い服着ようぜ」


「……駄目だったのだ」


 桜子は張りのない声をこぼせば、うなだれてとてと歩く。

 急かす気も失せてしまうくらい、世界の終焉でも見てきたのかのような有り様だ。


「な、なあ。お前大丈夫か」


「はうっ」


 俺の部屋の前まで来ると、桜子が何やら一声発して廊下で座り込むというリアクションを見せた。

 俺はこの時初めて、膝から崩れ落ちる人間を見たような気がする。

 だから、確実に大丈夫じゃないのは理解できた。



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