4 アテラレ
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不思議な現象を引き起こす『アテラレ』。
きっと世の中の物理学者がこぞって頭を痛めてしまうそれは、人が百捌石なる石の珠から発せられる力にあてられることで顕在化するとのことだった。
なるほどだからアテラレかあ、との俺の感心は特に重要でもなく、みことで暮らす者誰しもがアテラレにあてられてしまう可能性がある――つまり、異能の力が後天的なものであることに意味があったようだ。
生まれ持っての能力じゃないからこそ、俺は夢と現実が溶けあうような意識の中で心をざわめかせながらに踊らせる奇妙な興奮を手にすることができた。
けれども、どうやら登城先輩にとって、俺のように予期しない異能のちからを宿すアテラレが生まれてしまうのは、そう歓迎もできないことのようである。
絶対そうかと言われれば自信はないけど、俺には先輩が時より顔を曇らせていたような気がした。
だから今して思えば、少しばかり配慮に欠けていたな、と嘆息を漏らして自分の顔と鼻先にある車の窓を曇らせるのであるが、説明を受けた時の異常なテンションの俺にそんなゆとりはなく、前のめりでアテラレの能力を知ろうとした。
その甲斐あってかどうか、現在運転中である後藤さんの”相手の意識へ声を送る”以外の異能を聞くことができた。
なんでも百種類くらいあるらしいその中には、発火や肉体強化など、いかにも異能の力だぜひゃっほーい的なものがあった。
隣の芝生は青く見えるようで、先輩曰く”扉を通してどこか別の扉とを繋ぐ”の俺からすると、なんだかそれらの能力が羨ましく思えた。
それで、である。
桜子が先輩に負けじと教えてくれたアテラレには、たぶん地面に足がつかないからと添えられた”自力で移動できない浮遊現象”の役に立ちそうもないものや、”くしゃみをすると腹痛に見舞われる”風邪か何かの症状紛いの悲惨なものまであった。
ハズれを知ってしまうとアテラレることに、未知の病原菌による感染のような恐さがある。
でも今や、そんな危惧を抱く必要もないな。
アテラレは一人の人間に一つしか宿らないもののようだからだ。
そうして、槇邸での話を思い返していた俺は、後部座席の車窓から見る――流れていく夜の住宅街を映していた瞳を隣へ向けた。
膝の上で手を重ねる、綺麗な姿勢で座る登城先輩。
「しっかし俺、運が良かったなあ、て今更ながらに思いますよ」
ふわりとした微笑みは、裏側に『はてな』を隠している。
ですよね。自分でもいきなり過ぎたと思います。
俺としては、先輩とお近づきになれた喜びが第一にあったりもするけれど――、
「もしウチの玄関が桜子ん家と繋がらなかったら、先輩もこうして俺を探してくれなかったわけで。そうなると俺は、もしかしたらアテラレを知らないままだったわけで。この辺一帯にどれだけの家があるのかなんて検討もつかないですけれど、その数分の三の確立で俺、引き当てたんだなあ、てですね」
みことの街には、アテラレを知りアテラレに精通した名家が三つある。
先輩の登城家と本日訪ねた槇家、それとこの界隈では一番歴史のある神社を営む御子守家だ。
聞いた話を鵜呑みにすれば、この三家が各々の一族で定められた役割を担い、陰ながらにアテラレを管理しつつ街の平穏を保ってきたそうな。
驚くなかれ、その歴史は千年を越える。
そんなわけで、異能の力ってだけで浮かれた俺と違い、登城家である先輩はいろんな視野を持っていた。
アテラレの異常性に精神を病む者。常人ならざる力を犯罪へ利用する者。特異であるがゆえに世間から排除される者など、決して野放しにはできないものだということだ。
「運がよろしかった……はい、そうなのかも知れませんね。本来アテラレを探し出すのは御子守家が担うところですので、スバルさんが私と同じ学校へ通われていらっしゃったことは本当に都合が良かったです、とお答えしたいのですけれども……」
「ですけれども?」
俺が言葉尻をなぞれば先輩の考えるような面持ちが一転、その表情を満面の笑顔へ変わり、膝の上に置かれていた手が膨よかな胸の前でぽん、と合わさる。
「きっとスバルさんと桜子ちゃんは運命の赤い糸で結ばれているのですっ。そうとしか考えられません。スバルさんのお言葉を借りるなら、この辺り一帯のお住まい分の一つだけの確立ですよ」
「そのお……盛り上がっているところ悪いんスけれど、俺あんまそういう話には乗れないっていうか、苦手っていうか――」
薄暗い車内だから余計にわかる光量を増した瞳に、一段と肌艶を良くしたお顔。
女子ってのは何かと男女の出会いを運命の出逢いにして、ロマンチックなものへ誘おうとする。
どうにも恣意的なそれに馴染めない、馴染みたくもないが……俺も俺で、先輩のことは言えないか。
『あの子お前に気があるんじゃね?』なんて言われようものなら、俺はそこにロマンを追い求めて生きて行くだろう。
てか、実際に追い求めて玉砕した経験がある。
ロマンってのは男女関係なく、人をおかしな方向へ持って行こうとするから注意が必要だな。
向島からそそのかされた高一の夏を脳裏に、俺は続く言葉を紡ぐ。
「いくら先輩がそんなことを言っても、俺はあいつをそういう目で見たりしませんから」
「ふふ、すみません。スバルさんをかからうようなつもりで言ったのではありませんよ。では、類は友を呼ぶ。そのようなとことでよろしいでしょうか」
「次は類友っすか……」
うーむ。結局、からかおうとしているじゃありませんか。
あの妙ちくりんなヤツと類にされてもなあ。
何かしら登城先輩は、俺と桜子との間に関係性があるとしたいらしい。
「俺としては、桜子をきっかけに先輩と会え――」
「どうやら、到着したようですね。桜子ちゃんがどうかなさいました?」
「ああとっ、なんでもないです。ハハ、もう着いちゃいましたか、俺ん家」
停車する車の窓をのぞけば、『IKEGAMI』のプレートが掛かる見慣れたの門柱。
可愛い女子との素晴らしきドライブの時間が終わりを迎えた。
ズリズリとお尻を革張りの座席でこすりながら、足元に置いていた学校の鞄を掴み渋々ドアの方へスライドする。
「あ、お待ちになってください。これをお渡ししておきます」
車のドアへ手をかけようとしたら、登城先輩が俺を呼び止めた。
向き直れば、メモ紙のような物が差し出されていた。
はて、なんだろう? と受け取り、紙は折られていたので少し開いてチラリと見てから――大いに確認する。
一、ニ、三……十一桁の数字が並ぶ。
俺の魂が車の天井を突き抜け、ぐごおおお、と急上昇するっ。
「これは、も、もしやケイタイの番号なのでは」
「はい。桜子ちゃんの電話番号になります」
があああ、とフリーフォールで戻ってきた俺の魂が車の座席を突き抜け、地中奥深くへ潜り込んで行く。
「せ、先輩の番号じゃないんですね……」
「はい、私のではありません。登録していない相手からですと、不審がられるのではと思いまして。是非、ご登録をお願いします」
ハキハキと仰る先輩のそれは、私のは教えませんからって言われているようで……、しかも。
「なんか、俺のケイタイにあいつから電話が掛かってくるような感じになってますよね?」
「今日は私ばかり話していたので、桜子ちゃんはあまりお話ができませんでした。でしたら電話でお話するのが良いのではとスバルさんをご自宅へお送りする前に、桜子ちゃんと相談して決めました。後ほど桜子ちゃんの方から連絡があると思います」
「そ……なんですね。そちらの方ではそういう話になっているんですね……」
別に困ることでもないし、わざわざ拒否して嬉しそうな先輩を困らせる必要もないけど、なんだかなあである――ん?
「あれ、俺って先輩にケイタイの番号教えましたっけ?」
「いいえ、直接はうかがっていません。スバルさんのお友達と仰る元気な方から教えて頂きました」
ああ、はいはい、向島だな。
良かれと思ってやったんだろうから、我が友の無断で番号を教えた罪は不問としてやろう。
「わかりました。電話の件は了解です。じゃあ、その……お疲れ様でした」
「……スバルさん」
名残惜しく車から降りると、登城先輩が再度呼び止めるように俺の名を口にする。
車のドアを開けたまま、屈むようにして車内へ向け顔を出す。
俺を見上げる登城先輩に、さっきまでの笑顔はない。
「これは桜子ちゃんに頼まれたとかではなく、私のお節介なのですが聞いて頂けるでしょうか」
「なんでしょう」
「スバルさんには桜子ちゃんとお友達になって頂きたいのです。どうかお願いします」
そうか、なるほど……ね、であった。
容姿はともかくあのぶっきらぼうな物言いと、空気を読めなさそうな感じじゃ友達が少なそうだ。
だから先輩は、やたらと俺に桜子を推していたのか、と。
ただ、俺は――、
「登城先輩からの頼みなら。てことで本当は快くオッケーしたかったんすけど、すみません。俺、そのお願いは聞けないです。生意気なこと言いますけれど、友達ってなってやったりとかお願いされてなるとか、なんか契約地味た友達みたくて俺嫌なんすよ」
俺には向島からよく面倒臭いとダメ出しをくらうオレモラルなる、こだわりの一言で片付く自分で決めた守るべきルールがある。
そのルールに則ると、ムカつくことに先輩のお願いを蹴らないといけない。
できればいい顔したい。
でもこの価値観だけは譲れない。
「いいヤツだなって思えたら自然と友達になるし、嫌なヤツだったら友達として認めたくないですし、桜子次第だと俺思うんで、その、やっぱりなんかすんませんっす」
「スバルさん、私に謝るようなことではないですよ。こちらこそ、頭を下げさせてしまうような頼みをしてしまい申し訳ありませんでした」
「ちょっ、先輩の方こそ頭下げないでくださいよっ。アレですよアレ。桜子の友達として先輩が俺に言うのは、当たり前つーか、優しさつーか、俺がちょっとおかしくて。なんつーか先輩は全然悪くないですから」
「ふふ、ありがとうございます。スバルさんはお優しい方ですね。だから、私はどこか安心しました」
「安心? ですか」
「はい。二つの安心です。一つはスバルさんへの安心。もう一つは桜子ちゃんへの安心です。きっと桜子ちゃんはスバルさんとお友達になれます」
登城先輩からいつもの笑顔でそう返されてみるも、意味がイマイチわからん。
俺はぎこちない『お疲れ様でした』をもう一度車内へ置くと、車のドアをそっと締めた。
自分の読解力の無さから逃げたかったわけではない。
これ以上、住宅街の道を我が物顔で使用するのもどうかと思ったからである。
すると途端に、ウイーンと車のウインドウが下がる。
「あれ俺……なんか忘れ物でもしてましたか?」
鞄は手に持っているし、ズボンのポケットを弄ぐればスマフォともらったメモ紙の感触はある。
「そうではなくて、確証はないのですけれども……。いえ、すみません。なんでもありません。春とは言えまだまだ夜は肌寒いです。本日は遅くなってしまい申し訳ありませんでした。それではスバルさん。ごきげんよう」
軽く手を振った登城先輩を黒塗りの高級車が連れ去る。
自宅の門柱前では、暗がりに手を振る男が佇むばかり。
「登城先輩って、またにわけわかないところがあるよな……。でも、ごきげんよう……か」
普段と比べると、とんでもなく濃い時間を過ごして我が家へと帰還したが、疲労はなく気分はすこぶるご機嫌だったりする。
理由は、可愛い女子とのドライブも否定できなくもないけれど――話を聞いてからずっと試したくてウズウズしている俺のアテラレだ。
桜子と出遭ってから一週間。
日々開け閉めしたビターブランの扉がどこか別の場所へと繋がることはなかった。
しかしそれは、ひとえに俺に自覚がなかったことが原因だと思う。いやきっとそうだ、そうに違いない。
なぜなら今、俺は根拠もなく自信に満ち溢れているからだ。
かの偉大なるカンフーマスターは言っていた。
考えるな感じろ――と。
想いがパワーだ、トリガーだ。感情が高ぶると覚醒するとか定番だろうよ。
なので。
――アテラレを認識した今ならやれるっ。
俺は理解している。
運転手の後藤さんが肉声を聞かれた相手へ能力を発揮できないように、俺のアテラレにも間違いなく発動の条件があるはず。
アテラレとは、そういうものと感じている。
そして、その条件は”ウチの玄関扉”の可能性が大だ。
いざゆかんとばかりに、俺は意気揚々と我が家へ歩み出す。