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1 スバル

ありがとうございます。

 登校前、自宅の玄関でのことだ。


――拝啓、あけましておめでとうございます。


 新しい年度を迎えてから既に四ヶ月程経つ朝に、新年の挨拶をする俺は申し分なく困惑の最中にあるようだ。

 見慣れたビターブラウン色の扉を押し開けたら、目の前に白い肌に淡いピンク色の下着を着ける半裸の少女がいた。

 健全な男子高校生なら高確率でにやけ顔になり喜んでしまいそうな場面であるからして、開けましておめでとうな状況とも言えなくはない。

 しかしである。

 この玄関開けたら可愛い女の子、しかも下着姿で遭遇しました、以上のものが俺の目を丸くさせていた。

 何しろ、普段ならあるはずの土だけの哀れな鉢植えやら、薄い割れ目がある門柱、果ては先週舗装されて新しくなった道路……。

 つまり、日頃目にしている光景そのものがない――いいや、”違うものがある”が正しいのか。

 とにかく、


――異常事態なんだよ。


 ドアノブを掴んだまま離せないでいる俺の向こうには、水色のアンティーク調のクローゼットがあり、それがよく似合う西洋風の部屋が広がっている。

 他にもクマのぬいぐるみや、丸っこくふわわとしたソファを視界の隅に捉えた。

 そんな部屋の真ん中辺りに中学生くらいの小柄な少女が半身で佇んでおり、先程から吸い込まれそうな黒い瞳で、真っ直ぐにこちらを見ている。ものすんごい見ていらっしゃる。

 少女は肩からバスタオルを羽織り、毛先が肩に届く長さだろうか。その少し濡れている様子の黒髪を白い肌に絡みつかせていた。

 このようなお姿ですから、風呂にでも入っていたのだと容易に想像できる、できるが――他が理解不能だ。


「こういう時は、悲鳴を上げるのがセオリーというものだろうか」


 少女の小さな口が開いたと思えば、必死に平然を保とうとする俺を尻目に落ち着いた口調でこんなことを言う。が、血気盛んな年頃の男子とこれまた恥じらいを知る年頃の乙女が対峙してる構図である。

 俺がどんなに清廉潔白、聖人君子だろうとしても、非難されるのは明らかだろうからして。


「セ、セオリーというか……当然でしょうね、ハハハ」


 引きつる乾いた笑顔を向けた先では、少女がこれ見よがしに大きく息を吸っていた。

 どうやら、人生終了のカウントダウンがスタートしたようである。

 動揺しまくっていても半裸の少女から悲鳴を上げられてしまうことが、どれ程危機的なものかはわかっているつもりだ。

 だから、速やかに対処しなければならない。

 けれど、先程から俺の視線と体は固まったまま。

 決して大きめのバスタオルから、ちらりと垣間見える少女の可憐な肢体に釘付けだからではない。

 やはり俺は紛うごとなき混乱真っ盛りのようで、思考の伝達が酷く鈍い体は動く気配を見せてくれないのである。


「だ、だああっ。ちょちょちょ待って、とにかく待ってっ。違うんだっ、違うんだっ、誤解だってっ」


 咄嗟とっさに出た叫び。

 大きな声で喉を震わせたことが幸いしたのか、硬直状態が解ける。

 今しかない――と思った瞬間には、ばんと閉じられた玄関の扉を安堵の息を漏らしながらじっと眺め立ち尽くす俺がいた。


「あ、危なかった……」


「お兄ちゃんっ。何、朝から玄関で大きな声出して遊んでるの。遅刻するよっ」


 聞き覚えのある声音にもかかわらず唐突な叱咤だったので、心臓が飛び出しそうになる。

 跳ねた心臓のある胸をグっと手で押さえ振り返った俺は、制服を纏う声の主へと真剣な眼差しを向け、ごくりと生唾を飲み込んだ口を開く。


「あのさ、シズク。玄関開けたら……女の子がいた。てか下着姿の女子がいたっ」


「もう……朝からバカアピールしないでくれますか。あと、エロいの最悪う~」


 俺の真摯な告白に、今年の春から中学生になったばかりの我が妹シズクが、ため息を混ぜた非難の声ばかりではなく、冷ややかな視線で俺を射抜こうとしてきた。


「それより、そこ邪魔なんですけれど。早くどいてよ。シズクも学校行くんだからっ」


 話をまったく聞こうともしないシズクは小さな体で力いっぱい俺を押し退けると、最近では品のある造形とは裏腹に、開扉すると不快な音を鳴らすようになった池上家の玄関から飛び出して行った。

 俺はコンコンと鳴くらしい狐とやらにつままれた心地で、妹の後ろ姿を見送った。

 少し前までは兄である俺の言うことを素直に聞く、良き妹だった気もするが。


「アレだな……」


 我が妹君は、難しい年頃というヤツなのである。






                 ※






 校門をくぐれば、顔がカエル胴体が人間の銅像が待つ我が学校。

 誇らしげな顔で東の空を指差す可愛らしさの欠片もないこの銅像のモデルになっているのは、俺が暮らす街のマスコットキャラクターらしいと、同級生の鮫川君に教えてもらったのであるが、とんと学校以外で見たことがない。

 それでも毎日目にする物だし、生徒達の間ではカエル次郎の名でそこそこの知名度を博している。


 他所と違って風変わりなのか、我が校はカエル次郎の他にも校舎屋上にドーム状の丸い物体を備える。

 なんでも晴れた日の夜空には、天井にあたる球状の部分を開閉したりもできるプラネタリウムだそうで、天体観測部なる部活が利用しているとのこと。

 帰宅部の俺からあれこれ言われる筋合いもないだろうが、本当に必要かコレ、って思える代物である。

 特に開閉装置など、『さあ皆、お外で星を眺めようぜ』で済む機能ではなかろうか。

 ただ、天体観測部というすこぶる地味な部活が学内で一番人気なのは、このプラネタリウムのお陰だろう。

 目の前の、星じゃなく白球を追うクラスメイトも話題にしてしまうのだから、その魅力は絶大である。


「なあスバルっ。俺もプラネタリウムでイチャイチャしてえよ~」


 昼休みの教室。早々に弁当箱を空にした向島が相変わらずかる~い感じの、無駄にデカい声で戯言をほざいていた。


「いやいや、イチャイチャするための場所じゃないからさ。お前は大人しく、星空じゃなくて甲子園に夢を見てろよ」


 などと、一応返してみるも、向島の言わんとすることはよくわかる。

 少なからず、いいや大半の天体観測部部員達の入部動機は、不純な想いで間違いない。

 俺ももしかしたら可愛い女子とロマンチックなプラネタリウムの下で――と思い、一年の夏頃に入部届を出したが、定員超過で入れなかったんだよ、コンチキショウめ。

 俺は教室の窓際にある机の下で拳を握る。


「そりゃよ~、甲子園とか行くもんなら女子達がキャーキャーだろうけどよっ、うちの野球部、地区予選で一勝できるかどうかの弱小チームだぜ。夢見ようがないって~。だからプラネタリウムに夢見ようとしてんだよこの向島さんはっ。なあなあ、一緒に天体観測部へ入部届け出しに行こうぜ」


 無断で前の席の椅子を借りて股がっていた向島が、血色の良い顔を近づけて来る。

 少し茶色がかっている真っ直ぐな毛質の短い髪が元気に空を仰いでいた。

 野球部で汗を流す様だけ見れば本日の天気のように爽やか好青年だが、中身は女子との触れ合いに貪欲な思春期の高ニ男子である。


 俺だってこの貴重な高校生活を彼女もできないまま過ごしたくはないので、中学からの腐れ縁でもある友の申し出はやぶさかではない。

 だが、一年の夏で無理だったんだ、二年の春じゃもう遅過ぎるんだよ。


「諦めろ向島。それが嫌ならタイムマシンを作れ。もしくは時をかける少年になれ」


「なんだよ時をかける少年って。また映画かなんかのたとえか」


 向島の薄い反応を見て、車で時を超える映画の方がわかり易かっただろうかと、後悔した時だった。

 談笑で賑やかな教室がすう、と変な静けさに包まれると、また異なったガヤガヤでざわつき始める。

 何かあったのかと周りを見渡せば、俺はあっさり理由を特定することができた。

 

「申し訳ございません。人探しをしておりまして、お邪魔させて頂きますね」


 明るい晴れやかな声で言って、スケッチブックらしき物を片手に教室内をうろうろする女子生徒。

 胸元の学年で色分けされているリボンは赤色なので、先輩となる三年生の女子ってことになるが。


「可愛いなっ。しかもお~デカいっ」


「ああ、確かに……そして、可愛い」


 向島も先輩の女子生徒を見ていたようで、もらした感想に肯定の言葉で応える。

 たぶん、彼のデカいは身長を指してのことではないだろう。でも、あえて確認するような野暮なことはしない。

 しかし、均整のとれたスタイルなのに――、豊満な胸にかかる軽くウェーブした栗色の長い髪。全体的に整った容貌の中にどこか純朴さを感じさせる清楚な雰囲気がすこぶる魅力的だ。

 

「君かな……。君のような気がしますね」


 教室にいる生徒達の注目を集めまくっている圧倒的に可愛い以外の何者でもない訪問者は、その魅了する視線で俺を捕捉――目が合うと、こっちに歩み寄って来るではないか。

 そうして、自然と立ち上がっていた俺の真ん前にいい匂いがする先輩の女子がいて、手に持って開いているスケッチブックと俺の顔を幾度か見返す。


「ふふ、探しましたよ」


「探し……あの、えっと、俺をですか?」


「はい。桜子ちゃんの裸をのぞいた君を探していました」


「――は、はいい!?」


 いかん。にこやかに言われてしまったが、裸をのぞいたとかいきなりな内容の驚きから思わず声がうわずってしまった。

 余計な誤解を招いたりしていないだろうかと周りを意識する。


「あっ、そうですよね、ごめんなさい。名前を言われてもわからないですよね。ふふ、桜子ちゃんはさらさらとした黒髪の可愛い女の子です。一週間程前になりますけれども、その桜子ちゃんの裸をのぞいた方をお探ししていたのです」


 二度に渡る告発を何度か頭の中で確かめてみるも、やはりこの人は『あなたは女の子の裸をのぞいた変態さんです』と告げに参られた、どこぞの女神で違いないと理解する。

 本当は悪魔と比喩したいところだが、男のさがだろうな、彼女の可愛らしさが許してくれなかった。

 あと、昼休み時間の教室ってのはこんなに静かなものだったろうか。

 自意識過剰だけれど、クラスメイト達が俺の返答を心待ちにしているように思えてならない。

 詰め襟の制服の下でシャツがじわり汗ばむ。


「き、君ですよねって言われましても、ええと……ですね、その……」

 

 ここは断固、違います人違いです、冤罪だっ――で、否定を示さなくてはならない。

 女神の声を聞き入れてしまっては、俺のまだまだ残されているスクールライフに明るい未来を望めないからだ。

 けれどもさっき、忘れかけていた一週間前の記憶が脳裏に過ってしまった。

 白昼夢だったと無理矢理片付け納得した、池上家玄関半裸美少女事件を思い出してしまうと、なんだか桜子ちゃんとやらが、あの時目にした子を指しているような気もしなくない。

 確かに艶のある黒髪が印象的で、彼女も可愛らしい子だった……いやいや、現実的にあり得ないから、玄関の向こうに下着姿の女子なんているわけないから。それに黒髪の可愛い女子なんてクラスにもいるし。

 奇遇だ奇遇。たまたま俺の見た幻の時期が合致していただけだ。


「あ、ごめんなさい。私、その大変失礼でしたよね」


 俺が長い思考の中言葉を濁していると、自分の発言がどれだけ相手を貶めるものか気づいたようで、女神が詫びの言葉を述べてきた。

 

「三年の登城とじょうユイと申します。お声掛けする前に言わないといけませんよね、申し訳ありません」


「ちがああうっ、自己紹介じゃなくて、別のおかしなトコ気付いてくださいっ」


 思わず、声に出してしまった。

 教室が一段と騒がしくなったが、別に俺の言動が波紋を呼んだのではないから。名乗りを上げた”登城”ユイさんが原因だ。

 もとよりこんな状況になっているのも、この方のお陰ではあるのだが、この更なるざわつきは別の意味でだ。


『へえ……この人があの登城ユイさんなんだ』


 誰の声か判らないくらいあちこちから似たような囁きが聞こえる。俺も同じ気持ちなので、登城ユイさんを好奇の眼差しで見てしまう。


 登城――。

 俺でも知る、この街にいて一つの一族に限られた特別な苗字で、『みこと』市で知らぬ者などいない有名かつ、影響力のある名家の名だ。

 お会いしたら失礼のないように、と散々親父から聞かされていた登城家は、なんでも古くからこの辺りを納めていた領主の家系であり、現代でも市政の顔役であるとともに多額の寄付金を収めたりと、街の経済面にも大きく貢献しているらしい。

 この学校もその恩恵を受けていたはず。


 そして、なぜか相対してしまっているこのかたは、本校に在籍していると囁かれていた登城家のご令嬢様のようで、 同級生の鮫川君の話を元にすれば、登校していることが稀らしく出会えて話せたら願いが叶ったりするなんて噂が立つ程の、レア度満載のお方でもある。


「あ~俺っ、向島ナオトっす。野球部っす、絶賛彼女募集中っす」


 相手に尋ねられたわけでもなく、俺の前へ躍り出て自己紹介するこの声がきっかけだった。


「あの僕は、び、美術部で、名前は、藤木ト、トモオオオオ押さないで」


「どいてっ。どうか五月の連中までに彼氏ができますように」


「由佳、せめて夏休みまでにしなって。私、西村ユカリでーす。趣味は――」


 ガヤガヤ、ざわざわ。

 各々、自己紹介をする現象が起こる。次第にそれは教室全体に広がってちょっとしたパニック状態になった。

 そこそこミーハーな俺も、校内一の有名人に興味津々ではあるが、このチャンスを逃したくはない。

 人は時として、困難に背を向ける英断も大切なのである。

 俺は騒がしさに紛れ、良き結果は生まれないと判断したこの場から姿を消すのであった。






 ひそひそ話をするクラスメイトからの陰湿な視線に耐え、隙あらば昼休みのことを問いただしてくる向島を、こっちが聞きたいくらいだコンニャロめ、と逆に質問したりでやり過ごして迎えた放課後。

 帰宅部の本領発揮とばかりに速攻で鞄を肩に掛け、階段を駆け下り、下駄箱からスニーカーを放るようにして取り出す。

 それで、せかせか足を運んでいると校門付近にて人集りを目にした。

 なんだろうなあ、と通りすがりついでにのぞき込めば、黒塗りの高級車の側で微笑み佇む女性と視線が交わった。

 ふわふわとした栗色の髪がとてもお似合いである。


「池上スバルさん、お待ちしていました。さあ、こちらへどうぞ」


 登城ユイさんからの有無も言わせないお誘いを合図に、運転手らしき黒服の男性が後部座席のドアをご親切にも開けてくれた。

 『どうぞお乗り下さいませ』と言わんばかりの場の空気に抗えず、敗北した俺は為すがまま、為されるがままに、車内へと乗り込むのだった。






今後もお付き合いして頂けましたら嬉しいです。

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