03
催事場を後ろ手に、丸椅子と、二段の雛壇が並んだ。
縁遠い順から、一番上の段に登る。アルミの音がよく響き、ぽっかり開けられた真ん中に自分が座るのかと思うと気が重い。
誰も自分を歓迎などしていない。まるで触れたくないと言われいる様だった。
重い足を引きずって、不自然に開けられた真ん中の席に腰かける。真っ直ぐ見つめた視線先にカメラのレンズだけが此方を見ていた。
ふと、近付いて来た緑は、こちらを一瞥したかと思えば十嘉の膝の上にあった父を持ち上げた。
「ちょっと何をするの?」
「八積さんは、君が持つべきだ」
そう言うと、十嘉の金切り声もお構いなしに俺の膝の上に置いた。中身なんて入っていないのではないかと思わせる程に、父はとても、軽かった。
その重さを感じるのも束の間、隣からの十嘉の鋭い眼差し此方に移り全身を針で突かれている様で、あまりの迫力にその視線を合わせる事は出来ず、膝の上の父にしがみついて痛みを紛らわせる。
流石に声を荒げなかったのは、緑に対しての見栄か。
髪に手をやり、何事も無かった様に前を向いた。ざわついた雛壇上も、緑がカメラ位置で暗幕を被ると水を打った様に静かになる。
何がそうさせるのかは分からないが、他に目線をやる事もなく、真っ直ぐにカメラを見つめていると、暫くして調節を終え暗幕から顔を覗かせた。
一斉に背筋が伸びる周りに吊られて、背筋を引き伸ばすと柔らかい声が飛んだ。
「最後に、故人を偲び、皆様には暫し瞼を閉じて頂きたく思います。次に目を開けるのはカチっという合図音でお願いします」
いくら下に見ていたとしても、そこにはそれなりの作法がある。それすら無視をする様では今度は自分自身が良識の無い人と笑われるのだ。
それに習い、目を閉じると、根も葉もない噂話に集まった他人の顔が浮かび上がった。
自分以外の人間が父に対して何を思うのだろう。また馬鹿だと笑うのだろうか。お前は必要ないと俺を指指すのだろうか。
次々に沸き上がる映像に、到底目なんて瞑っている事など出来ず、目を開けてしまうと、まるでそれが分かっていた様に緑と目が合った。
何かとても悪い事をした様な気さえして、だからか目が逸らせなかった。
そんな俺を見て、ふわりと微笑んだ緑は静かに口を開いた。
「亡き、舟渡八積氏はとても優れた写真家でありました」
何を言うのだろ。
「方向性は違えども、その腕も心も確かに写真家だったに違いありません」
何を知っている。
「私の人生においても、彼と出会えた事がとても幸福だったと思われます」
誰のせいでこうなったと…。
「皆様にとっても、きっと彼はそういう人だったのでしょう」
もう、分かっていたがそれを認めてしまえば、自分が一番何も知らないと言われている様な気がして。
「今日のこの日に、新たな旅立ちに幸し」
カチッと鳴ったのは機械音というより、何か折れた様なそんな音。
きつくカメラのレンズを睨みつけた。シャッターが切れる瞬間、何かが押され出た感じがした。
砂利の弾く音に、参列者の見送りを済ませる。
何度か、葬儀場の職員に宥めの言葉を掛けられたがそれが逆に鬱陶しく感じた。
随分可哀想な子供に見えた事だろう。唯一の肉親を失い、参列者も親族もこぞって噂話に花を咲かせる。その中のどれ程が本当だなんて誰も気にも止めないのだ。
立っているだけでも十二分にも疲れた気がして、一刻も早く休みたかった。
それでも、勝手に頭は回転する。これからの自分を考えてみたところでまだ十歳になったばかり、到底考えれる範囲は決まっていた。
段々とすり足になって行くその重さに、叔父達の背中を見つけ一層重くなった。
「兄さんの遺骨は舟渡でいいのよね?」
「そりゃそうだろ」
「まって、母さんの墓がある」
思わず声を上げると、あの冷たい眼差しが此方を向いた。
上から見下ろす目線に、面倒だと口にせずとも分かるほどに吐かれたため息。今、反らすと逃げた様な気がして見上げ返した。
面倒な子供だと思っただろう。言わずとしても分かるその眼差しに、十嘉が吐き捨てる様に言葉を落とした。
「どこの馬の骨とも知らない女と一緒には入れれないの」
父が嫌われ者なら、必然的に母も同じだったのだろう。
名家と言われる家に嫁ぐ人間は同等の人間ではいけない。口煩く気の強い十嘉も舟渡とと劣らぬ程の写真館に嫁いでいるのが良い例だ。
例え、どんな相手でも家柄が良ければ多少性格に難があったとしても許されるのだろう。
「父さんは母さんが好きで結婚したんだ」
「子供には分からないだろうけれど、そんな夢物語で済む程大人の世界は甘くないんだ」
「でも、勘当したんだろ!?どうして今更、そんな事を言いだすんだよ!」
「そうね…でも、兄さんは舟渡の人間なの。せめて結婚さえしてなければ何時だって迎え入れられたのに」
そうやってまた、俺自身を否定する。
父は確かに嫌われていた。けれど、それはあくまで修行に出てしまってからの話で、彼らにとっては優しく良き兄だったのだろう。
とても仲の良かった兄弟だったと聞いた。それを壊してしまったのは自分だと酷く後悔していたのも知っている。
彼らはきっと、裏切られたと感じたのだろう。小さな歪みが自分でも手に負えないくらいに大きくなって、そうすれば愛していた日々さえも忘れさせてしまった。
きっと母の事だって、誑かされたぐらいにしか思ってはいない。
心が冷えて行くのを感じた。
「貴方も下らない事で食って掛かってくる暇があるなら、兄さんに媚び売っておかないと知らないわよ」
「おい、どういう意味だよ」
「潤葉を引き取るって話よ」
「どうしてうちなんだよ」
「だって、あの子は舟渡の人間でしょう?それに八艶しか居ないんだから丁度良いじゃない」
「良い訳ないだろう!舟渡に男は二人も要らん!」
誰とも違う事をするのは容易い事じゃない。こうやって簡単に弾き飛ばされてしまうのだから。
そしてまた、俺自身も。白熱を見せる兄弟喧嘩に一歩後ろに足を引き、その場から離れた。それすら気付けない程に彼等に自分の姿を見ていない。