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追想写真  作者: 那智
一枚目
3/10

02

「過労だそうよ」


葬儀を終え、更に小さくなってしまった父が帰ってきた頃、廊下を通り過ぎた誰かがポツリと呟いた。

聞き流せた筈なのに深く沈み込むのはきっと、憎悪に似た感情が含まれていたからだろう。どろっとした感情が消化される事なく纏わり付く。

広々とした応接間を通り過ぎ、二つ飛んだ八畳程の部屋に近しい親族が集まっていた。近しいといってもその顔を見たのはもう随分と昔の話で、建前だけで集められたと子供ながらに理解した。

僅かに開いた障子の隙間から中を眺めるだけで一杯で、一つ足を踏み出せない。足裏から伝わるヒンヤリとした廊下の感触をよく覚えている。


「まったく八積やつみ兄さんには困ったものよ」


初めに口を開いたのは、父の妹、末っ子の広永十嘉ひろなが とうかだった。

長い髪を頭の後ろで一つに纏め、薄い化粧ではあったが元がはっきりとした吊り目の顔立ちが、全身を黒く包んだで事で一層の威圧感を漂わせていた。


「嫡男だっていうのに葬儀写真に現を抜かすから、こんなしなくてもいい苦労をするのよ。大体、私は反対だったのよ家を出るのだって」

「やめなさい、大きな声でみっともない」


咳払いに混じり、やんわりと制した白髪混じりの男が次男の舟渡五哉ふなと いつやだ。

父より三つも若いというのにその肩にのし掛かった圧力のせいか、顔には深い彫りが出来、父よりも幾分にも老けて見えた。

貫禄があるといえば体は良いものの、元は期待のされていない次男坊、良く出来た兄と口煩い妹に挟まれ肩身の狭い思いをしてきたせいか、今一つ発言に乏しい所がある。

故に、嫁に嫁いだ十嘉に、未だに口を挟まれる原因を作っているのだろう。


「まぁ、五哉兄さんにとっては好都合だったんでしょうけど、お父様はどうかしらね?」

「どういう意味だ」

「常々言ってたわよ?五哉には写真家の才能が無いって。まだ私の方が秀でてるって。そもそも次男のくせに出しゃばりすぎなのよ、八艶やつやなんて名前まで、厚かましいったら無いわ」

「それを言うならお前もそうだろう!嫁に嫁いだ後も何かにつけて舟渡に口を挟んで、お前はもう舟渡の人間じゃ無い!」


薄い障子だという事を失念してしまっている二人の声は、言葉を交わすごとに競う様に大きくなっていき、鼓膜を大きく震わせては頭の中が震えのせいぼんやりとする。

互いの不平不満のやり取りの中でも、話の論点ズレる事はなく、変わらず此処での父は嫌われ者。

仕方がないと言えば納得できない程ではなかったが、やはり敬愛していた父を悪く言われるのは幼心には大きな傷には違い無い。


「どうして…父さんは、」


写真家業と一言に言ってもその内部は多岐に渡り、当時はまだ、古くから作り上げられた階級制が色濃く残っていた。

冠婚葬祭別に専門の写真家が居り、言わずとも冠婚を主に扱う写真館が優で葬祭を仕切るの

が劣だ。そこには絶対的な貧富の差さえある。

父、舟渡八積ふなと やつみは、その中でも婚礼写真を長年専門的に撮影をする舟渡家の長男だった。

舟渡写真館と言えば、その名を知らぬ者はいないと言われ、予約は1年先の見通しがつかないと専らの評判。お得意様は名家、華族と華々しい世界の人間が占めたが、その中にどれ程写真の価値を重んじる人間がいただろう。

要は、“舟渡で撮影した”という事だけが重宝されていた。

そんな家に長男として生まれた父は、何不自由ない将来を約束されていたのにも関わらず、十九歳の頃、家を捨て、婚礼写真とは全逆の葬儀写真館へ修行に出てしまった。

その昔、葬儀写真と言えば、最下層の人間に与えられる仕事だったという。故に、葬儀一度葬儀写真を撮影してしまえば、もう婚礼の写真館を撮れないというのが暗黙の了解だった。

古いだけの風習が廃止されたとしても、己の権力誇示にしか興味を持たない人間が上に立つ以上、見下せるものというのは何時の時代も必要とされ、階級社会では立場が弱いままだった。

そしてまた、時代は虚ろぎ、葬儀写真は死人を愚弄する。などと言う輩が出始めているのも原因の一つ。

実際、故人を送り出すのに祭壇を後ろに遺骨を持っての集合写真。頭の硬い人間は故人を冒涜していると思っても致し方ないのかもしれない。

他人は口々に父を馬鹿な男だと罵った。家の言う通りにしていれば約束された将来があったのにと、こんな苦労をしなくても良かったのにと。

確かにそうかもしれない。家は誰もが知る名店、実力も人となりも申し分無かっただろう。けれど、父は決して馬鹿な人ではなかった。自分の信じた道をただひたすらに真っ直ぐ歩いてきただけだ。

思い出に喜怒哀楽があったとしても優劣など何処にも無い。なんてこと無い日々が遠くなればなるほどに愛おしくなるそれを思い出すのが写真だ。そう父が教えてくれた。そんな綺麗事では大人の世界は生き難くく。事実、あの日、祖父は居なかった。

顔すら知らない人だったが、親戚達が鼻にかけて笑っていたからきっと本当に来ていなかったのだろう。勘当とはそういうものなのか、息子の死に目にも会いに来ない程のものなのか。

どんなに父の言葉が勇気付けてくれたとしても、今、目の前にいる生きた人間には敵わない気がして、その言葉が簡単に薄れいで行く。


「いつか、潤葉が大きくなったら」何かに困ると父は決まってそれを口にした。結局、最後までその口から理由は聞けなかった。

それでも、尊敬する父なりに何か思うところがあったのだう。口を挟む必要は無かったのだが、こうなってしまえば話は別だった。


「勝手な事をするから罰が当たってお母様が言ってたわ」


廊下の奥からそんな声が聞こえた。丁度壁が光を遮っていて薄暗いそこから姿を伺う事が出来ないで居ると、鈍い床板の音を立てて現したのは一人の少女、紺色のワンピースには名高い女学院の校章があしらわれていた。

彼女はの名は深零みれい。歳は確か四つ程上だったか、外出先である事も忘れて金切り声を上げる十嘉の娘だ。

黙っていても親子と分かる程にそっくりで、その吊り上がった瞳がとても冷たく傲慢な態度だが実に良く似ている。


「うちじゃ、お前は引き取らないって」


大人も子供一緒だ。まるで写し鏡様。

廊下を走る足音が二つずつ、深零の後ろで停まり、顔を覗かせた。彼女の弟の七緒ななおと五弥の息子、八艶やつやが居た。

彼らとの関係にも、あまりいい思い出はない。実際、顔を合わせたのは今日で三度目だが、それでも十分に嫌な奴等という事は分かっている。

どれもこれも、親が吹き込んだ事を九官鳥の様に話すだけであるが、面倒には違いない。

名前に取ってみてもそうだ。舟渡での習わしには二通り、嫡男には末広がりの「八」の文字が代々使用され、その他に生まれた子供には皆、名前に数字が入っている。

ただの年代だけを重ねた習わしではあったが、自分だけ名前の何処にも数字が入っていない事について馬鹿にされた。

本来であれば、長男であった父の八積が跡目を継ぐのだろうが、生憎勘当された身。叔父も叔母も、自分の子供に舟渡を継がせたいのだろう。

名前に数字がないのは、そこから一脱したい父の思いがあったと思う。


「別に初めからそんなつもりはない」

「だって、いらない子だもんな!」

「なんだよそれ」

「お父様が何時も言っている。八積叔父さんがちゃんと舟渡に従っていればお前は居なかった」


嗚呼、どうしてそんな事をこいつらに言われないといけないのか。

反論の言葉は思い浮かぶのに、すぅっとどこかに消えてしまったのは胸の痛みのせいだろう。

例え、反論が出来たとしても、悪いのは自分一人だけ。もう誰も庇ってはくれない。抉る様な言葉は心臓に突き刺さったままで、胸の前で拳を作ると白くなって震えた。

黙って視線を落とせば、硝子戸を叩く音がした。

そこは、廊下に面した中庭。砂利が引かれ、奥に整えられた森林が見え、戸を叩いたのは、全身黒く覆った男だった。

頭にツバの付いた帽子を被り、傘の様なマントを着ていた。図書館で見かけた名探偵が着ていたあのコートに良く似ている。

突然現れた男に驚き、深澪が高い声を上げ、それまで此方に意識など向いていなかった大人達が障子を開け、また叫び声が飛ぶ。


「何事だ!?」

「潤葉、あなたうちの子達に意地悪でもしてるんじゃないでしょうね?」


鼓膜を裂かんとする声を受け流しながら、変わらず硝子戸を叩き鍵を指差す男。

鍵を回して開ければ、その奇妙な風貌からは程遠い穏やかな声が落ちた。


「余りに広かったものですから、此方から失礼します」


そう言うと男は、帽子のツバを抑え脱帽して、深々と一礼した。

全身の黒からは似つかわしくない、色素の薄い髪色でとても柔らかそうだと思えた。

しかし、他の人間達は、覗かせた顔に、強張りを見せた。


「誰、あんず堂さん呼んだの」


小声で言ったつもりだろうが、上ずった声は大きな音となって聞こえた。

その声に、ボンヤリしていた頭の中で霧が晴れていく様で、つま先から頭の天辺まで見回した。

これが葬儀写真を専門に扱う、写真館あんず堂、小鳥遊緑たかなし りょくとの最初の出会いだった。

生前、父はよく彼の事を話してくれた。誇らしげに「私の大切な小さな友人だ」と。

話の中の彼は、どこか影を秘め不思議な存在だった。そして父が友人と認めた人間として尊敬位置に座っていたのだが、実物と想像はかけ離れていた。

ずっと、若く見え、線が細く不思議には違いないだろうが、彼自身そこにいない様な掴めぬ印象だった。


「お久しぶりね、あんず堂さん。悪いけど貴方にお写真頼んでいたかしら?」

「生前、八積さんには自分が亡くなった際の追想写真は私にとのご依頼が。先にお支払い分も頂いております」

「随分と準備がいいのね」

「人は皆、等しく死へと歩いていくものです。永遠なんてありません。いつか必ず訪れる事に準備には随分と時間があります。うちには生まれた時に予約を入れられる方も少なくはありません」

「相変わらず…うちとは合間見れないわね」

「そうですね。冠婚はあくまで中間で皆、等しいわけじゃありませんもんね」


ヘラリと笑った緑の顔に、十嘉の顔のシワが増えた。嫌味を言われたと感じたのだろう。

穏やかな口調ではあるが、その中に含まれた感情は些か穏やかとは言い難い。


「生憎葬儀に間に合わずに申し訳ありません。外に準備ができております、雨もまだ持ちそうですので、どうぞ。並びはお分かり頂いてるかと思います」


皆、何か言いたげな表情を浮かべていたが、渋々腰を上げたのは、お手並み拝見という上から目線だったのかもしれない。

営業写真と呼ばれるお客様を相手にする商いではあるもの、やはりその腕と感性が問われる職種、技術職に区分される人間達は己に絶対の自信がある奴が多い扱いにくいものだ。

ぞろぞろと大人の群れに続く一番後ろで、緑と一瞬交わった目線から逃れる様に背を向けた。

背中に粟立つ感覚を感じたからかもしれない。

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