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追想写真  作者: 那智
一枚目
2/10

01

どんな場所で生まれ、どんな人生だったとしても、生まれた限り皆、等しく決まって死に向かって歩いていく。

悲しい事だが、誰にも変えられぬ事実で、必ず訪れる理。ただ、一人一人の理由や時間が違うだけで。

それは、時に指折り数えて、時に穏やかに身を任せ、時に激しく痛々しく、そして、時に突然に。

いつか、いつかと永遠を数えるかの様に過ごしていた日々に訪れたその〝いつか〟がやって来たのは冬が漸く終わろうとしていた頃だった。

浅く積もった雪も溶けてしまい、並木道の木々には新芽に混じって桜色の蕾が芽吹き始めている。

もう、春の日を告げるまでそう遠くない様で、甘い香りがする並木道を抜け、家の戸を開け放った。


「ただいま」


その日は、やけに家の中が静かで、窓を軽く叩く風の音が大袈裟に聞こえた事を覚えている。

返答の無いままの問い掛けは、壁にぶつかって、拾われる事なく床に落ちたまま。


「ただいまー父さん?」


鞄を居間の片隅に寄せ、姿の見えない父の背中を探した。

お世辞にも広いとは言えない家、すぐその姿は見つかる筈だった。

台所と居間を回り、寝室と風呂場の戸を開け、便所の戸を叩いては見たが返答はない。


「上、か?」


音のしない天井を見上げて、居間を出た。

家は小さな写真館を営んでいた。一階の南向きの日当たりのよい場所を店先に、そこから階段が壁伝いに這っていて二階の写真スタジオへと続いている。

店と隣接している為、一階が狭いのはそのせいだ。階段に手を置き、直ぐに見えるスタジオ天井に視線をぶつけた。シャッター音も声も何もしない。

暗室に篭ってしまえば声は届かず、返事がないのは日常的であったが、この日は、一段、階段を上ると、窓も開いていないのに冷たい空気が吹いた気がした。


手摺りに手を掛け、一段一段踏みしめる様に上った。階段先は隔てるものもなく、もうスタジオだ。父が部屋の壁を取っ払い一部屋に作り直した小さな城。

そっと覗き込むとやはり誰も居ない。ここも違ったかと、不思議と安堵の溜め息が出て階段を引き返そうとしたが、足が止まった。

スタジオの片隅、解放厳禁の扉が僅かに開いているのが見えた。

今、思えばあの日、どうして真っ先に階段を上らなかったのだろう。

普段ならば、鞄を置いたら直ぐに向かっていた筈なのに。

もしかすると、本能的に分かっていたのかもしれない。現実を直視出来ず、わざと遠ざけて、それでも見ないといけない現実に落胆した。

そろりと近付く、まるで他人の家に忍び込むような足取りで、作業部屋の暗室前に立った。

普段は使用中意外でもピタリと扉は閉められているのに、僅かに開いたそこからは酢酸の匂いが漂って、薄暗いその床に倒れ込んだ父の姿を見た。

テレビドラマとは違う、あんなに大きな悲鳴も身体を揺さぶる呼びかけも、何も出来やしない。

実際は、呆然と掛けたい声が喉の奥で引っかかって言葉にならなかった。

ただただ、床に散らばり、感光してしまったネガには一体何が写っていたのだろうとそればかりを考えていた。


地面に撒かれた軌跡の欠片が、全てを奪った様に見えたんだ。

それからの記憶は、瞬きする毎に様変わりをする様に慌ただしく、まるで自分だけが止まっている様で、本当は死んだのは自分だったのではないだろうかとさえ思えた。

夜になっても電気の点かない我が家を心配して来てくれた隣人のおばさんが、救急車を呼んでくれ、続いてやって来た警察官に肩を抱かれた。

一人きりで死んだ父には、形ばかりの現場検証が必要だという。争った形跡も外傷もない。急速なものだったらしい。

記憶を幾ら紡いでも虫食いの様に断片的で、哀しいとか辛いだのと感情が追い付いては来ない。

夢なら覚めてくれと強く瞑った目を開いてみるが、その度に嫌なものばかり沢山見えて、大好きだった父は変わらず箱の中で眠っている。

大きく感じた父であったが、箱の中に納まっている姿を見ると幾分にも小さく見えた。

警察か誰かが連絡してくれたのだろう、家に飛び込んできたのは久しく見ていなかった父の弟と妹。

名ばかりの親戚ではあったが、眉を吊り上げ迷惑そうに右往左往しながら葬儀の全てを仕切ってくれたのだけは感謝してもしきれない。


父の知り合いは誰一人もいなかったけれど。

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