お兄ちゃんとドライブ 下
「運転しながらしゃべるのって難しいよね。みんなふつうにやってるけどさー。慣れるとかんたんなのかな」
「そんなこと俺に聞かれても」
そういえば兄は運転免許を持っていなかった。
自動車学校へ通うのは、合格通知を手にした春か、大学一年の夏だという独自のルールがあるらしい。どちらの季節も兄にはまだ訪れていない。だから免許は取りに行けないんだって。あほだ。
「難しいんだよ。しゃべってるとハンドル操作がおろそかになっちゃう」
「じゃあ黙ってればいいだろ」
「なんかしゃべってないと不安なんだけどー」
「乗ってるこっちのほうが不安だよ!」
助手席でシートベルトを握り締める兄。
後部座席に並んで座ったことは何度もあるけれど、この並びは新鮮。
「生け贄の気持ちがよくわかるわ」
「そこまでへたじゃないってば」
「そういや、運転へたなやつほど前ばっか見ててほとんどミラーを見てないって聞いたことあるな。とくにサイドミラー」
「あー、うん見ない見ない」
「見ろよ!」
「えーいつ見るの?」
「おまえほんとに免許取ったの?」
「取った取った。見る?」
「いいから、前見て前!」
妙に怯える兄と会話しながら、北へ向かって運転すること約一時間半。
夜景の美しさで有名な山に着いた。まだ夕方にもなってないけど。
母にお昼ごはんを用意してもらえなかったらしい兄が、急にカツ丼を食べたいとか言い出す。
駐車場に車を駐めて飲食店を探してみたけれど、寂れたかんじのうなぎ屋さんしか見つからなかった。
お店に入るとだれもいない。
奥のほうからだれか来たと思ったら、近所に住むという常連のおじさん(パジャマ姿)だった。おじさんに呼ばれてやっとお店の人が登場。
ここ入って良かったんだよね?
うなぎ屋さんのメニューにはうな丼とうな重しかない。さすがうなぎ屋さん。
徹底的にうなぎにこだわる姿勢はいいと思う。ひつまぶしがあるともっとよかった。
とりあえずうな丼を二つ注文する。
兄が一・五人前、私が半人前の割り当てだ。
運ばれてきたうな丼はなかなかおいしかったけれど、学食でオムライスを食べてからそれほど時間が経っていないので半分でも胃がきつい。
兄はそこそこ満足そうだ。よかったよかった。
夕食にしてはずいぶんはやい時刻に食べてしまった。まあいっか。
途中、お店の人にカップルだと勘違いされた。
二人で出かけるとたまにこういうことがある。兄妹のわりに顔立ちが似ていないせいだ。
彼女と間違えられるのは不本意だけど、きれいなお嬢さんだとも言ってもらえたのでよしとする。
うちは親子でも顔が似ていない。
以前、家族で買いものをしていて、店員さんから「どういうご関係ですか」と聞かれている父と兄を発見したときには思わず笑ってしまった。
おまけに血液型も四人全員見事にばらばらだ。だからなにってわけでもないけど。
お会計を済ませ、ぶらぶらと駐車場の近辺を散策する。
展望台のような場所で何枚か兄の写真を撮った。携帯のカメラを向けるといやな顔もせず適当にポーズを取ってくれるので助かる。
本人にはないしょだけど、一部ではこの写真が高値で売れるんだ。
お兄ちゃんいつもありがとう。
それから三十分ほど山の景色を楽しんで車へもどった。
「どう? 気分転換できた?」
尋ねる私に、兄が不審そうな目を向けてくる。
「ずっと気になってたんだけどさ」
「うん?」
「おまえ朝母さんにいくらかもらったんだろ?」
「うん」
「いくらもらったか知らないけど、仮に一万もらったとして、さっきのうなぎ代引いても六千円以上余るだろ?」
「うん」
「それはだれのものになるんでしょうか」
「私の」
「ぜんぶ?」
「うん」
「半分くらい俺にくれたりとかは?」
「借金」
「借金?」
「お兄ちゃん私に借金あるでしょ」
「おまえそれチャラにするって」
「だから-、それはお母さんからもらった分で補填するってこと。残りの借金、三千円じゃ足りないよね? そこをゼロにしてあげるってことは結局お兄ちゃんのほうが得してるんだから、文句言わないの」
兄は納得いかないというような表情で私を見つめる。けど口ではなにも言ってこない。私の勝ちだ。
頭悪いくせにこういうときだけは計算しようとするんだから、油断できない。がめついのはだめだよね。
勝利の余韻に浸りつつ、意気揚々と車を発進させる。
帰りの道でも兄はやっぱり両手でシートベルトを握り締めていた。
ちなみに私が母から渡されたのは諭吉さん二枚だった。