四 図書館で供給
食後のベンチで午後の眠気に敗北しかけていると、かけ算(の筆算)が苦手な女子小学生が図書館から出てきた。
「さっきはありがと! 彼女かわいいねー」
にやにやしながら小走りでベンチの前を通り過ぎていく。
石井さんが顔を赤らめてあたふたしはじめた。たしかにかわいい。
彼女はなにか言いたそうに小学生の後ろ姿を目で追いかけ、それから困ったように俺を見た。
「誤解されちゃいましたね」
案ずるな、行きずりの女児に誤解されたくらいで死にはしない。とかなんとかかっこよく言ってみようかと思ったけれど、石井さんが他人に誤解されたら死んでしまうレベルの神経質な女の子である可能性も捨てきれなかったため、俺は空気を読んで無難な答えを選んだ。
「今度会ったらちがうって言っとくよ」
もう会うこともないだろうが。
小学生が宿題のためにわざわざ一人で図書館に来ること自体めずらしい気もする。
とりあえずそれで安心したのか、石井さんはゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ中にもどらないといけないですよね」
「ああ、うん」
「あの、私明日はバイトの面接があるので」
俺の前にまわりこみ、やや伏し目がちにそう告げてくる。
石井さんならうまくいくよ、と励ますと、彼女はあいまいな笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
あれ、俺かける言葉間違えた?
考える間もなく、彼女は図書館の建物とは反対の方向へと走り去って行った。あの女子小学生と同じように。
面接があるので……なんだろう。
学習室に戻りがてら、石井さんの言いかけた言葉について考える。
てっきり、「応援してください」だと思ったのだが、違ったらしい。
昼は景気づけにカツ丼なんてどうでしょう? うん、違うな。これは俺の願望だ。
面接があるので、明日は来ません?
いや、「もう来ません」のほうが正しいか。面接があるってことは近々職が決まるってことだからな。
さすがに俺も、妹より年下の女の子からそう何度も飯をいただくのは気が引ける。が、性格上断れないタイプで、くれると言われたらなんでも素直にもらってしまう。
だからこれはこれでよかったとしよう。
なにより美人局じゃなくてよかった!
翌日曜日。起床後、徒歩でおなじみの市立図書館へ。
学習室であれやこれやと時間をつぶし、昼はラウンジのソファで休憩をとる。
今日の昼飯は、館内ですれ違ったおあちゃんからいただいた芋ようかんだ。
やさしいおばあちゃんありがとう。このご恩はしばらく忘れません。心の底からおばあちゃんに感謝の念を捧げていると、近くで聞き覚えのある声がした。
「あ、筆算の人だ」
見ると、昨日の女子小学生がラウンジに入ってくるところだった。
昨日はポニーテイルにショートパンツスタイルというスポーティーな格好だったが、今日はひらひらのワンピースを着てセミロングの髪をそのまま下ろしている。
服装と髪型でかなり雰囲気が変わるもんだ。などと感心していると、彼女が俺の慎ましい純和風ランチに興味を示した。
「なに食べてるの?」
「芋ようかん」
「へえ。おいしそうだねー」
「悪いな、これは俺の貴重な食料だから分けてやるわけにはいかないんだ。そこの水なら好きなだけ飲んでいいぞ」
「ほしいなんて言ってないし。あたしお弁当あるもん」
隣に座ってネコのキャラクターが描かれた弁当箱を見せびらかす。小学生のくせに弁当持参とは生意気な。実にうらやましい。
ネコとにらめっこでもするように弁当箱を凝視していると、小学生が下から顔をのぞきこんできた。
「お腹空いてるの?」
「……べつに」
「おにぎり二個あるから一個あげよっか」
「ぜひ」
ありがとう小学生。生意気とかいってごめん。
図書館でも生きていける気がした二十歳の春。