十五 図書館で告白 上
あっという間に週末になった。具体的にいうと黄金週間に突入した。
模範的受験生の俺は、ゴールデンウィーク初日の土曜日も図書館で過ごす。
先週と同じく、かけ算(の筆算)が苦手な女子小学生と並んで学習室の机に向かっている。
前回ラウンジで名前を聞いたような気もするが、一週間のうちに忘れてしまった。
彼女は家庭の事情で土日だけ図書館で宿題をするらしい。
宿題を終えたら出かける予定でも入っているのか、今日はヘアアクセサリやらネックレスやらをつけて一人前に着飾っている。
計算違いを指摘してやるつもりで算数の問題を解く様子を横から眺めていると、ふいに彼女が顔を上げた。
「シマさんは自分の勉強しなくていいの?」
「昨日と一昨日やりすぎたから今日はちょっと休憩。あんまりやると脳が痛くなるだろ?」
「えーあたしはそんなことないけどなあ」
「勉強量が足りないんだよ」
「うちのお姉ちゃん受験生だから毎日すっごいいっぱい勉強してるけど、平気そうだよ?」
「それはあれだ、根本的に頭の構造が違うんだ」
「そうかなあ。あ、お姉ちゃんいつもテストで一番だから、そうなのかも」
「まじか。姉ちゃん天才だな」
「うん。あたしはだめなんだけどねー」
「けどさ、ほんとに賢くてしたたかな女はテストで一番は取らないってうちの妹が言ってたぞ」
「えーなんで?」
「かわいげがなくてモテないからだって。真の実力は自分だけがわかってりゃいいんだと。一応姉ちゃんに言っとけ」
「うん、お姉ちゃんぜんぜんモテないから言っとくー」
その後も他愛のない会話を交えてゆっくりと宿題をこなしていった。
どの教科もテキストの文字が大きくて行間が広い。うらやましい。俺も小学生に戻りたい。
漢字の書き取りを半ページ分済ませた小学生が、大きく息を吐いて時刻を確認する。
つられて時計を見る。あと三十分で正午だ。
宿題を脇によけ、小学生がまた小声で話しかけてきた。
「ねえねえ何時までいる?」
「閉館までだけど」
「今日もお昼は彼女と食べるの?」
「彼女?」
「このあいだ外のベンチに座ってた人」
石井さんのことか。
そういえば彼女ではないと訂正しそびれていた。まあいいか。
「そういう約束はしてない」
「じゃあお店に食べに行くの?」
「いや。水で済ませるかコンビニに行くか迷ってる」
「迷ってるならコンビニにしようよ。あたしも行くから。今日はお弁当持ってないんだ」
バッグを手にした小学生が袖を引っ張ってくる。
コンビニか。
金銭的な余裕は多少あるが、ゴールデンウィークのことを考えるとむだ遣いは控えたい。
宿泊旅行の予定が動物園行きに変わったとしても、堀川たちと行動をともにするとなにかと出費がかさむからな。いまは財布のひもを締めておいたほうが無難だ。
無料のウォータークーラーに天秤が傾きかけたとき、小学生が憐れむような視線を向けてきた。
「そっか、お金ないんだっけ。おにぎり買ってあげよっか?」
「わかったよ。行くよ。おにぎりくらい自分で買うからそんな目で見ないでくれ」
「わーい」
気遣いは非常にありがたい。ありがたいが、この歳で貢ぎ体質なんて十年後が心配になる。
「あ、彼女だ!」
コンビニからの帰り道、小学生が正面を指して言った。
図書館の前の歩道に石井さんの姿がある。
いままさに図書館の敷地に入ろうとしていた石井さんが、声に反応して振り返った。
「こんにちは」
晴れやかな笑みを向けてくる。
なにかいいことがありました、とはっきり顔に書いてあるかんじの。
「バイト決まった?」
「なんでわかるんですか?」
「なんとなく雰囲気で」
「ほっぺがたるんでるよねー」
小学生の誤った表現を真に受け、石井さんが慌てて両手で頬を押さえる。
それでも口の端が緩んでいる。
バイトに採用されたことがよっぽどうれしかったようだ。
「旅行へはまだ出発してなかったんですね」
「旅行は来月の予定だから」
旅行っていっても日帰りだけど。目と鼻の先にある動物園だけど。
「私も来月からバイトなんです。はじまる前に会えてよかったです」
にっこり笑う彼女の頭には、今日もつやつやした天使の輪っかが乗っかっている。まるで平和の象徴のように。
小学生の強い希望により、なぜか三人で昼食を取ることになった。天気が良いため外で。
最年少者を真ん中に挟み、並んでベンチに腰掛ける。
ごそごそとコンビニ袋を探っていると、さっそく石井さんが小学生に話しかけていた。
「お名前は? 私は石井ももこっていうの」
「高山透花。とうちゃんって呼ぶのはやめてね。とんちゃんならいいよ」
豚みたいだな、と言ったらかかとで脛を蹴られた。痛い。
思い返せば先週も同じやりとりがあった。進歩ないな俺。
石井さんが俺との関係について小学生の誤解を解こうとしている。
誤解はすぐに解けたが、彼女でないなら友達なのかと問われてうろたえる石井さん。
友達とは違うよな。
先輩と後輩でもない。
双方なんらかの下心に基づき飲食物の受け渡しを行う関係? わけがわからんな。
ガールズトークはガールズに任せて、買ってきたコンビニ弁当を食べることにした。この弁当で動物園に一回入園できるかと思うと微妙な気分になる。
これが貧乏性ってやつか。
よし、ここは発想を変えて前向きになろう。
あと四日でこづかい日!
「なんかうれしそうだね」
「財布が豊かだと心も豊かになるんだよ」
「ふうん?」
透花もホットドッグのようなものを頬張りはじめた。
石井さんはバッグからマイ水筒を取り出している。
今日はたこ焼きをつくってこようとしたらしいが、寝坊したせいであきらめたそうだ。
明日リベンジする予定らしい。できることなら独創性のないたこ焼きがいい。
食事中、透花は妹気質を発揮して石井さんを質問攻めにしていた。
ひとつひとつの問いにまじめに答えている石井さんは、さながら面倒見の良いお姉さんのようだ。
二人は服のテイストも似ているし、遠目に見たら実の姉妹に映るかもしれない。
改めて冷静に自分の置かれた状況を把握してみる。
自転車に乗ったら危険なミニスカートが横に二人。
スカート丈はともかく、片方は十代半ばで、もう片方はおそらく十歳未満。で、こっちはれっきとした成人。
道行く人にあらぬ誤解を受けないよう、ここは三人兄妹の兄っぽく振る舞うべきか。
しかし、十八年以上兄をやっているが、いまだに兄っぽい振る舞いというのがどんなものなのかよくわからない。ろくに兄扱いされてこなかったせいだろう。
わからないときはかえってむやみに動かないほうがいいかもしれない。
弁当に集中しよう。うん。集中。
「ねえ、ももちゃんはシマさんのこと好きなの?」
お茶を飲んでいた石井さんが思い切りむせた。
小さなタオルを口もとに当ててげほげほやっている。
よくむせる子だと思いながら見ていたら、涙ぐんだ彼女と目が合った。
「……うん。大好き」
照れ隠しの笑みを浮かべて言う。
透花への返答なのか、俺に向けた言葉なのか。
わからないから弁当に集中。
「食べてないでなんか言いなよ!」
透花に小突かれてふたたび箸を止める。
石井さんは恥ずかしそうにうつむいている。
あー俺のほうだったのかー。ってなにこの展開。
自慢じゃないけど、二十歳過ぎてから十六歳の(元)女子高生に告られたのなんかはじめてで、正直なにを言ったらいいのか見当もつかない。
へたなことを言おうものなら犯罪につながってしまうわけだし。
俺の内心の焦りも知らず、透花はつんつんと腕を突いてくる。
「ねえほかに彼女いるの?」
「いるわけないだろ」
「じゃあももちゃんとつきあえばいいじゃん」
「いいじゃんって」
いいわけないし。
人一倍流されやすい俺を焚きつけるなよ。
流れ流れて「つきあっちゃおうか」なんて口走ってしまった日には、住処を失うだけでなく、警のつく職業の人々が出てくる夢に毎晩うなされるかもしれないんだぞ。
妹より年下の女の子には夢もロマンもないんだよ。現実が厳しいことくらい理解してるんだよ。頭では。
固まっている俺の隣で、透花が突然ぱちんと両手をたたいた。
「あたしがいるとじゃまだよね? 先行ってるー」
言うがはやいか、そそくさと図書館に戻っていく。
とんでもない難問、というか巨大な爆弾を放置したまま。
ほんとどうするんだよこれ。




