十三 女子大で散策
「隆宏ー、ごはん食べたらそれなっちゃんのとこ届けに行ってくれるー? 忘れてっちゃったみたい」
フレックス出勤だとかなんとか言って、いつもよりだらだらと朝を過ごしていたしていた母が、だらだらしながらそう言ってきた。
厚焼きタマゴを口に運びつつ、母が指さしたほうに目をやる。と、リビングのテーブルに置きっぱなしにされた妹の携帯が見えた。
「女子大生の必須アイテムを忘れてくなんて、あいつは大学になにしに行ってんだ」
「勉強に決まってるでしょ。あんたこそなに言ってんの」
「俺も図書館で勉強があるんだけど」
「届けるくらいいいじゃないの。同じ方向なんだから。帰りに連絡ないとお母さんも心配だし」
さらっと言うけど女子大だぞ。
女子大生しかいないんだぞ。
男が行ったら目立ってしまうじゃないか。
女子大生から注目されるのはかまわないが、守衛やら警備員やらに捕まるのは困る。
そんな俺の懸念を、「スーツ着て眼鏡かけて講師のふりでもしてけば?」と母は素っ気なくいなした。
眼鏡なんて持ってないよ。
もしやこれはあれか。節約のためにあきらめていたファッション眼鏡を買うときがついにきたってことか。
ワクワクしながら眼鏡代の交渉をしたら呆気なく却下された。
この前洋服代あげたばっかじゃない、と。いやいや。もらってないよ俺。
「あ、そうそう、お父さんが、模試受けるなら受験料渡すからちゃんと言いなさいって言ってたわよ」
模試! なんかあったなそんなやつ。
久しく遭遇してないんで、存在を忘れていた。
どうしようか。
今月は当然パスするとして。申し込みとか、へたすると模試自体終わってるしな。
次回からどうしよう。
受けとくべきか。迷うな。
よし、あとでゆっくり考えよう。
「ところでその椅子って効果あんの?」
「うーん、なんか効いてる気はする。やってみる?」
「いい。俺は心にも身体にも歪みはないから」
「あ、そう」
母は骨盤矯正椅子とやらに腰まわりをすっぽりと収めてだらだらしている。リビングで朝の情報番組を見ながら。
いかにも主婦ってかんじですね。
そのいかにもな主婦が、ふと思い出したようにこっちを向いた。
「そういえば昨夜は遅かったわね」
「気のせいだと思う」
「お母さん二時ごろに一回目が覚めたんだけど、そのときあんたまだ帰ってなかったでしょ」
「気のせいだと思う」
「また堀川くんたちと遊んでたの? べつに遊ぶのはいいけど、ごはんいらないならはやめに言いなさいよ」
ごまかしてもむだだと悟った俺は、妹の忘れものをつかんで逃げた。
俺は断じて、妹のように無断で人の部屋や財布や携帯を隅々までのぞくような失礼な人間ではない。ので、妹のアドレス帳だけちらっと確認しておいた。
だれが登録されてるかなんてことはどうでもいい。
知りたいのは自分の情報だ。どんな登録名なのか。前にやたら隠そうとしていたのでずっと気になっていたのだ。
ちらっ。
アニィ☆ 読み:あああほ
あ行から順に探していこうとしたら、いきなり一番上にあった。
他人だと思いたかったが、どう見ても俺の番号だった。心の中で泣いた。
というわけで、俺は現在とある女子大の正門前にいる。
時刻は十時過ぎ。
たまに門をくぐっていく女子大生たちの視線をひしひしと感じながら、俺はある人を待っていた。
正門について五分ほど経ってから待ち人が登場した。
「ごめん、お待たせ」
キャンパスから現れたのは、一昨日河原で世の中のあれこれを語り合った仲であり、意外と童顔な女子大生の見崎里菜さんだ。
携帯を届けるにしても、妹の居場所がわからないことには届けようがない。
ていうかまず女子大の中に入るのがむり。
どうしようかと悩み、ダメ元で同じ大学の見崎さんに助けを求めたところ、快く協力を申し出てくれた。
ダメだったら妹には一日不便な思いをさせようと思ったのだが、見崎さんは講義がはじまる午後までは手空きだそうで、ひまつぶしも兼ねて妹捜しにつきあってくれるという。いい人だ。
「悪いね」
「ぜんぜんいいよ。スーツで来たんだ」
「それっぽいカッコのほうがいいかと思って」
「それっぽい?」
見崎さんは俺の頭のてっぺんからつまさきまで視線をすべらせ、「へえ」とうなずいた。
まずは納得してくれたようだ。
「妹さん何学部だっけ」
「なんだっけ、法とかだったような」
「法学部だと、たぶんJ棟のほうかな」
彼女は一度キャンパスの奥を振りかえって言った。
女子大に単身で乗りこむほどの勇気がない俺に、見崎さんはかんたんに大学へ侵入する方法を教えてくれた。
彼女いわく、なにを思ったのか、ごくまれに彼氏連れで大学へやってくる学生がいるという。
しかも、大半のカップルはいちゃつきながらキャンパス内を散歩するらしい。
その場合、白い目で見られることはあっても通報されるようなことはないのだとか。
つまり、俺がこの女子大に通う学生のだれかとカップルのふりをすれば、キャンパス内を歩いていても不審人物と見なされないというわけだ。
問題の彼女役は見崎さんが引き受けてくれるというので、ありがたくお願いした。
ただし、いくらバカップルといえど、さすがに二人で校舎の中までは入らないそうだ。妹に会うためには、妹が講義を受けていそうな校舎の周辺で出待ちするしかない。
「行こっか」
正門の外で足が止まっている俺に、見崎さんが手招きした。
もう少しで一限目が終了する。あまり悠長にしてもいられない。
緊張しながら女子大の門をくぐる。月面に降り立つような気分で最初の一歩を踏み出す。
どうかどうか通報されませんように。
なんとなく頭の片隅で般若心経を唱えていると、見崎さんが隣に並んだ。彼女にうながされるまま、J棟とやらに向かって歩き出す。
せっかくだしカップルらしく手をつなごうとしたら、恥ずかしいからと拒否された。心の中で泣いた。
「あのあと大丈夫だった?」
「うん。チアキとはすごい仲いいってわけでもないから、これからはなにか誘われてもぜんぶ断ることにするよ。教えてくれてありがとね。嶋本くんのほうはなんかあった?」
「いまんとこ、とくになにもないよ」
「そっか、よかったね。あ、あれがG棟。主に語学の講義で使うとこ」
見崎さんはまるで観光ガイドのように、教室棟や購買、グリーンエリア等、丁寧にキャンパス内を案内してくれる。
ただ並んで歩いているだけだったので、カップルに見えたかどうかは不明だ。が、衆目は充分集めていたと思う。
女子大生を観察するつもりが、むしろ彼女たちから観察されているようだった。
単純に見られるだけならいい。しかし、女子大生たちが視界に入るたびに、通報されやしないかとひやひやさせられるのはいただけない。
気疲れするとでもいうのだろうか。やっぱり眼鏡かけて講師のふりしたほうがよかったのか。
こんな状況下でも堂々といちゃつけるバカップルの偉大さが身に染みてよくわかった。恋は盲目でないといけないらしい。周りが見えているうちはきっと恋じゃない。
そうこうしているうちに、無事J棟の出入り口にたどりついた。
はやく妹を見つけて、はやくこの魔境から出よう。