遠いセカイ
『呑みたい』
五限の講義が終了し、帰り支度を始めたときに届いた、たった一言のメールで晶の今夜の予定が決まる。早々に帰り支度を整え、晶は講義室を後にした。
酎ハイやビールの入ったコンビニ袋をぶら下げ、康介の部屋のインターフォンを押す。ああ重かった、と晶は小さく息を吐いた。
返事がないのはいつものことなのでそのまま扉を開けて中に入ると、泣きそうな顔をした康介が待っていた。
「どうしたの、こーすけ君」
もう呑んでるの、という問いかけは最後まで言わせてもらえなかった。
「寂しいよ、比呂さんに会いたいよ」
晶を抱きしめた康介は、肩を震わせながら声を絞り出す。その肩を優しく叩きながら晶はうん、うん、と小さく頷いていた。
「とりあえず、部屋に行こうよ。これ、こーすけ君が呑む分。買ってきたよ」
「…俺ウイスキー呑みたかったの、晶さん知ってて意地悪してるでしょ」
「当たり前だよ。買い与えたらこーすけ君は一晩で空けちゃうもん。あたしは急性アル中患者のお世話までは出来ないよ」
落ち着いたかと思えば拗ねてみせる康介を窘め、晶は康介の部屋へと入っていった。
部屋の様子は昨夜と何も変わっていない。
ここも雰囲気が変わったなあと思いながら、晶が薄暗い部屋を見渡すと、散らかるお菓子や酒の残骸、灰皿一杯の吸い殻が昨夜と同じようにそこに在った。
そして、ベッドサイドには寄り添って笑いあう康介と比呂士の写真があった。
「一人で呑んでたの?」
「だって晶さん来るの遅いんだもん。昨日の残り、呑んじゃった」
「遅いって言ってもまだ八時だよ。そんなわがまま言うならもう来ないからね」
強めに言うと、康介があからさまに困惑しているのが解って晶は小さく笑った。
勿論晶に「康介の部屋に行くのを止める」という選択肢は無いのだけれど。
「冗談だよ、こーすけ君。そんな顔しないで」
頭を撫でてやると康介は安心したのか晶をしっかりと抱きしめた。
康介の腕の中で「何だか子犬を躾けてるみたいだなあ」と晶は小さく笑った。酔った康介は普段のクールさを忘れたように甘えただ。
いつものように晶が作った料理と共に酒類が小さな丸テーブル一杯に並ぶ。
二人は後ろにあるベッドを背もたれにしてそれらと酒を口にするのが常だった。
康介は行儀悪くだらりと脚を伸ばし、ビールをどんどんあおっていく。「こーすけくん、行儀悪いよ」と窘める晶も梅酒をあおるペースがどんどん早くなっていた。
グラスの氷がカランと音を立てる。
「あのね晶さん、今日は夢に比呂さんが出てきたよ」
「ほんとに?比呂さん何か言ってた?」
「何も。でも頭撫でてくれたよ。でも、奥さん連れてた」
晶の肩に重みがかかる。
緩くパーマのかかった髪が触れてくすぐったいのを我慢して、晶が康介に話の先を促す。
「あの人相変わらずだったよ。わがままだし、俺の言うこと聞きやしないし。でもね、でもね」
「それでも俺、あの人のこと、好きだなあって思ったよ」
そう康介は小さく、でもはっきりと告げた。
「俺…今でも比呂さんのことが好きなんだ」
再度絞り出した言葉は、最後の方は嗚咽が混じって殆ど聞こえはしなかった。しかし、子供のように泣きじゃくる康介の頭を撫でながら、晶はひたすらうん、うんと相槌を打っていた。