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第二十話 立てば歩めの親心


―所変わって、三嘉ヶ崎。


残暑の名残がようやく無くなり、葉が色付き、蝉の鳴き声が気付けば鈴虫に変わったりと、すっかり三嘉ヶ崎も衣更えの様が顕著に表れ始めた。


スポーツの秋、読書の秋、食力の秋…。

町や校内に貼られるポスターはどれもそんな事ばかりだ。

あと数ヶ月もすれば、クリスマスやらお正月やらで更に浮足立つに違いない。

誰もが、そう遠くない未来に訪れる理不尽な惨事を知るよしもなく、平々凡々と過ごしている。

かく言う俺こと紀井野義鷹も、その平々凡々と過ごしている一員なのだから、余所様のことを言えた義理じゃない。


「…まっ、知ったところでどうしようもないっつーことか」


都合の良い解釈を一人呟き納得する。

早朝の気温は思いの外低く、薄地のベージュ色のコートに身を包み、ポケットに両手を突っ込むと、マフラーに顔を埋めた。

俺は寒いのが苦手だ。やっぱり手袋もしてくるべきだったと少し後悔する。

今は通勤の途中であり、まだ明け切らぬ薄暗い道をひたすら歩く。時折、新聞配達のバイクが傍を通り抜けて行った。


通勤先である三嘉ヶ崎高校(地名を取った何の捻りもない学校名だ)まで徒歩一時間。最近は早朝四時に目が覚めるので、五時には家を出る。

いつも途中にある枯れ木の如き爺さんの経営する本屋に立ち寄るため、高校へは大体六時半頃に到着し、同じく朝練で登校して来た運動系の部員達と挨拶を交わすのがこの頃の日課だ。


「この時間に目が覚めるなんて、あんたも老けたねぇ」

「うっせぇ。口の減らねーしぶてぇ爺さんだな」


ほけほけと柔和な笑みを浮かべる爺さんに、憎まれ口を叩きながら適当に近くにあった雑誌を手に取る。


『神隠し!?消える住民』


というタイトルがでかでかと印刷してあり、『勇者撲滅』のソフトを購入した消費者達が神隠しに遭っていることから、ゲーム会社『Apocalypse』への陰謀だの何だのと書かれていた。

しかし、所詮はゴシップ記事である。


「…記事にするまでもねぇ」

「買わんのかい?」

「買わねぇよ。…ったく、買わねぇからってごねんなよ?今度手土産に饅頭でも持って来てやる」


じゃあなーと手を振って店を後にする。

わしは、こしあんが好みじゃ〜という言葉が背後から投げ掛けられたが敢えて無視した。


―ゲーム『勇者撲滅』をプレイしたプレイヤーが行方不明になるといった事は、このゲームの発売当初から起こっていた。

しかし、そうしたプレイヤーの大半は無事に戻ってきているので大した問題にはならなかったのだ。

彼等は皆、ゲームの世界へ行き、常識では考えられない体験をしたのだと口を揃えて言う。

当時、まだ学生だった俺はそんな眉唾ものの話を集団催眠等の効果で口裏を合わせているのだと高を括っていたが、友人が行方不明になったのをきっかけにその考えは一変した。


―向こうで、人を殺した。


―『勇者撲滅』ね…。そういう意味か。


世間でいう神隠しから解放された田中陽一郎の第一声はそれだった。


反抗期だったせいもあり、筋金入りの不良だった陽一郎はそれからというものの態度を改めた。

人が変わったかのように、休みがちだった授業を真面目に受け、成績は常に上位をキープ。たちまち先生に一目置かれる様な優等生になったのだ。


―…『勇者』なんて、何処にもいない。


虚ろな瞳でそう呟いた友人の姿は今でも脳裏に焼き付いている。


「……い、紀井野先生っ!」

「ん?」


気付けば、職員用の玄関に立っていた。

随分長い間思索に耽っていたものだと我ながら感心する。

突然の呼び掛けに惚けた様子の俺に、山里直美を書かれた名札をぶら下げた購買のおばちゃんが苦笑しながら足元を指した。


「土足、厳禁ね」

「…さーせん。ところで、何か食い物売ってない?」

「やーねぇ。今日は土曜日よ、きーちゃん。購買は、お・や・す・み」


ハートマークが付きそうな胸やけを起こしてもおかしくない程の甘ったるい声で購買のおばちゃんは笑う。

キー先だの、きーちゃんだの、皆好きな様に呼ぶのは構わないが、キー先はまぁいいとして、もうちょっと歳を考慮した呼び名はないのだろうか。

つーか、おばちゃんよ。紀井野先生なら紀井野先生。きーちゃんならきーちゃんと統一してほしいんだが。


「にしても、きーちゃんが休日出勤しに来るなんて珍しいわね〜。ちょっと、きーちゃん。あんた、すごいクマじゃない。徹夜?」


高校教師が夜通しでハッキングに勤しんでいましたとは口が裂けても言えない。


「まぁな。今日は入り用があってよ。校長来てるか?」

「…来るも何も、此処に勤めて早二十年。おばちゃん、あの人が学校から出て行く姿を見たことがないよ」

「…俺もねぇわ」


話題の校長は、王道のトイレの花子さんを押し退け、この三嘉ヶ崎高校の怪談入りを果たしたある意味凄い人物である。


―成人しても卒業出来ない留年生。

(これは田中優真のこと)


―婚期を逃した学校に引きこもる女校長。

(酷い言われようだが、事実なのだから仕方ない)


まぁ、どちらかと言えば、怪談というよりは笑談だろう。

しかし、校長の怪談には一つ間違いがある。

彼女は婚期を逃す前、この高校に入学した時から校長室を根城にしている。

そんな奴らの巣窟と化したこの高校で働くのは少し気が引けるが、何と無く居心地が良いのだ。


田中優真は確かに何年も留年し続ける馬鹿だが、記憶力が常人より遥かに優れていて、馬鹿だがムカつくことに頭の回転が早い。ただ馬鹿なだけだ。

校長は確かに婚期を逃しているし、校長室に引きこもり、毎日ケーキを貪っているが、あれでも頭は良いし、絶大な権力もある。


「…ただ、性格に難があるだけっだあ!」


校長室のドアを開けると、突如飛来してきたスリッパが顔面にヒットした。


「うっさいわね!クビにすっぞ!」


これで日本経済を気分一つでに左右させる程の権力を持つ何処ぞの大富豪なる大手財閥のご令嬢だというのだから驚きだ。いや、驚きを通り越して最早詐欺である。

ケーキを乗せた小皿を片手に持ち、フォークの先で俺を指差しながら、校長藤原菫は猫の様に髪の毛を逆立てて威嚇した。

遂に人間から獣に退化したらしい。此処まで来ると、ある種、同情するというか哀れみしか湧かない。


「おいおい、職権の乱用はセコいんじゃねーのか?そんなんだから、いつまで経っても嫁ぎ先が決まらねぇんだよ」

「か、関係無いわよっ!」


…の割には動揺してんじゃねーかと内心ツッコミを入れながら本題に入る。


「校長」

「お断りよ」

「…いや、結婚の申し入れじゃないから安心してくれ」

「ざっけんじゃないわよ、色々な意味で!んな事じゃないくらい分かってるわよ!」


人間離れした鋭い眼光に射竦められ、口を閉ざすと、校長はケーキをフォークで乱暴にぶっ刺した。そのまま大口を開けて一口でケーキを食らい尽くす。

…やはり、令嬢というよりはチンピラだ。少なくとも女がする動作ではないし、婚期を逃すのも頷ける。

とにかく、その視線を避ける様にして校長室を見回した。

―相変わらず、酷い散らかり様だ。床は書類やファイルで埋め尽くされ、ごみ箱にはごみが溢れている。


校長はブローの掛かった茶色の髪を払いしながら、ケーキを咀嚼し終えると口を開く。


「ほら、アレ。要は、容量のデカいパソコン使いたいんでしょ?」

「だから情報室のパソコン全部借り…」

「こ・と・わ・る!」

「別に良いじゃねぇか。壊れたら補充するだけなんだし」

「はい、そこ、即黙るっ!…あのね、紀井野先生」


口端にクリームの付けたまま、校長はニッコリと微笑んだ。空になった皿とフォークを床が見えない程に山積みされた書籍やファイルの上に乗せて俺の手を包む様に握る。


「苦情来てるの、ゲーム会社アポクリフォスから」

「…うげ」


うふっと可愛くもない笑い声を上げ、校長は握った手に力を込める。

メリメリメリッ…!と有り得ない力が骨を軋ませ、漫画とかでしか使われない音が鳴った。


「いででででででっ!」

「アンタのせいで、何にも関係ないはずの私が謝って、向こうに鼻で笑われなきゃいけないのよぉぉぉぉ!」


悲痛に泣き叫んで床に崩れ落ちる校長の背中を摩りながら、取り敢えず理由を聞く。


「な、何言われたんだよ?」

「此処の学校の怪談…」

「自業自得だろうがぁぁぁ!」


スリッパでゴキブリを潰すかの如き勢いで頭を叩く。スパーンッと良い音が鳴った。


「あの会社潰そうかしら?今から電話一本繋げれば、あんな子会社簡単に…。

何でかしらね〜、山里さんも紀井野先生も既婚してて私だけ未婚なの。あの鼻で笑ったゲーム会社の社長も既婚者だし、子宝も儲けてる。あの体育教師のゴリオだって奥さんが居るわ…。猿人に負けたのね、私…」

「ご愁傷中のところ悪いんだが、パソコンの件に戻ってくれ」

「…何度も言うけど学校のは無理。生徒達に万が一の事があったら困るし、貴方のハッキングが警察沙汰になればこっちにも迷惑が掛かる。生徒達の精神面に大きな打撃を与える事になりかねないわ。だから、私の大型パソコンを貸してあげる。まぁ、いざ捕まるとなったら私に電話して。揉み消すから」


不敵な笑みを浮かべて、校長は白いスーツのポケットから鍵を引っ張り出すと渡した。


「情報室の奥の部屋の鍵よ。パソコンだけど、別にパスワードは設定してないから安心して」

「…ありがとよ。今度ケーキ買ってくるな。あと、ついででわりーけど、超圧縮変換ソフトって作れるか?」

「どのくらいの?」

「一国分の情報データを携帯のSDに納められるくらいの」

「滅べ」

「例えだ、例え」


校長は暫く唸っていたが、やがて観念した様に溜め息を吐いた。


「送りたいデータが纏まったら呼んで。それまでには作っておく」


頷いて了解の意を表すと、踵を返す。


「…私の生徒達こどもたちをよろしく頼んだわよ」

「馬鹿言え。もう立派な大人だ」

「早いわね、もうそんな歳になったか…。あの子達、どんな風に成長しているのかしらね?」

「さぁな。結果が何にしろ、親としては誇らしくもあり、寂しくもあるだろうからちょっと複雑だ。でも、やっぱり嬉しいんだろうな」

「ふふっ。しっかし、酷いクマじゃない。少し休めば?」

「そうもいかねぇ。何でも一週間以内…あと三日で何とかしないとこっちも無傷じゃ済まないとか何とかで」

「今のアンタじゃ無理ね。そういう事なら、私達教員が力を貸すわ」校長は先に情報室に行ってなさいと背を押し、俺を校長室から追い出すと、自らも廊下へ飛び出す。

言動から鑑みるに恐らく、向かった先は放送室か。本当に教員全員を巻き込む気に違いない。


「生徒達に迷惑掛けたくないんじゃなかったのか」


そんな呟きを余所に校内アナウンスが流れ出す。


『教員は三分以内に情報教室に集合せよっ!間に合わない奴は校長権限を遺憾無く発動して全員クビにすっから、命懸けで来ぉぉぉいっ!』


頭が良い癖に、他人の迷惑を顧みるという思考は存在しないのだろうか。存在しないんだろうな。

そして、校長という立場以前に絶大な権力者の令嬢、また、良くも悪くも破天荒というか、猪突猛進な性格が仇となって、仮に彼女にその気が無くとも、たちの悪い冗談として流す勇気はこちらにはない。

分かってはいるが、何とも気が滅入る宣言なのだ。


先に情報室の奥の部屋の鍵を開けて待っていると、ズドドドッ…と凄まじい音を響かせ、教員達がなだれ込んで来た。数学教師の山巽が息を切らしながらヒステリックに叫ぶ。


「だ、誰ですか!導火線に着火した奴は!?」


因みに導火線とは校長の行動力を指す。

中々良い例えだと感心しながら、ぺこりと頭を下げると謝罪を述べた。


「…何か、さーせん。本当に」

「悪いと思うなら、頼みますから、もっと穏便な方法で…」

「何だ、何だっ!?ゲームでもするのか?ガッハハハッ!」


山先生の呟きを掻き消す勢いで体育教師の郷田武雄が豪快に笑う。

彼が先程話題に上がったゴリオである。外見が動作がゴリラっぽいからという失礼極まりない理由から命名されたが、本人が気にする様子はない。

今だ死屍累々と積み重なる教員達の山を踏み越えながら校長は辺りを見回すと満足げに頷いた。


「集まったみたいね。私語は慎んで各自パソコンの前に着ーく!」何の為に必要なのか知らないが、大型パソコンが所狭しとばかりと並んでいる。これらは全て校長の『私物』なのだろうか。

校長の声に惚けていた俺を含める教員達は、鞭を打たれた馬の様に俊敏に動きはじめた。


「ゲーム会社アポクリフォスが生産した『勇者撲滅』の製作データを何としてでも手に入れてほしいの。

…という訳で出来るだけ足が着かない様にデータを転送してちょうだい。足が着かないのなら方法は問わないわ。

生徒の為に最善を尽くす。それが、私達教師の使命よ!」

「…万が一、バレた場合は?」


お得意の権力ですかという山先生の問いに対し、ふっふっふっと校長は悪党さながらの笑みを浮かべ、良い質問ねと腕を組む。


「まずは私の受けた屈辱を名誉棄損で訴える。後はまあ、調べていれば何かしろ出て来るでしょ。

…さて、紀井野先生。皆を巻き込むからには、そろそろ理由を聞かせてもらおうかしら。まぁ、大体想像はつくけど」


好きで巻き込んだ訳ではないし、どちらかと言えば、皆は校長に巻き込まされたのだ。

だが、成り行きとはいえ、手伝ってもらっている立場であるが故に、教員達にも事の重大さを知る権力がある。

ゲームの非経験者である奴が此処に何人集まったかは知らないが、例え全員が事情を知っていたとしても、こんな突拍子もない話、鼻で笑われるのがオチだ。


…それでも構わない。


「―これから話す事は、いきなり何を言い出すんだってくらい、突拍子もない非現実的な『事実』なんだ。真否の論議はひとまず置いといて、まずは話を聞いてほしい」


****


薄暗い洞窟に足音と子守唄の様にゆったりとした鼻歌が木霊する。

洞窟の奥は変に明るく、白い光が漏れている。

今まで歯の根が合わぬ程に寒かったが、そこに近付くにつれ、徐々に暖かくなっていった。

一見、明るさからするに巨大な照明があるかの様だ。または小さな太陽か。

しかし、けしてそれは暴虐無尽な太陽のギラギラした輝かしい光ではなく、月の光の如く静かで穏やかなものだった。

足音は迷うことなく、その光の方へ向かって行く。「……………。」


そして、目の前に存在するそれを目の当たりにし、静かに息を呑んだ。

その口許に笑みが広がる。ゆっくりと側に歩み寄り、恐る恐る触れてみる。


「…暖かい」


ゼリーの様な弾力があり、尚且つ人肌と同じ温もりがあった。まるで母親の腕の中にいる様だ。

目を閉じ、そっと身を預ける。心音にも似た音が聞こえた気がした。

しばらくその温もりに浸ると再び離れる。


「何か想像してたのと違うけど、まぁ良いか。…さて、どう運ぼうかな?」


名残惜しいと言わんばかりに、もう一度それに触れると、彼は静かに涙を流す。


小さな嗚咽が洞窟内に木霊する。しかし、それは誰の耳にも届くことはない。

何故なら、此処には誰もいないのだから。

人知れず涙を流す彼を、優しい光だけが、ただただ見守っていた。


―領土戦争まで、あと二日

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