第十八話 潜めく悪意
ミケガサキ第三十二区。
ごく普通の一般的な市民が住まう地区である。この地区は常に活気があり、かなりの賑わいを見せている。
…はずなのだが。
「うっわ、少ねっ!」
「…来たか。ご覧の通り、この様だ。まぁ、結界を張る手間と金が省けるのだから、こちらとしては万々歳だが」
町は閑散として、人通りが皆無に等しい。此処に来るまでにすれ違った人全て、指で数え切れる程だ。
先輩と情報交換場に指定した『バーチェ商会』も、先輩以外の人は見受けられない。
これも町の人同様、五日後に迫る領土戦争を見越して各自の判断に基づいた結果だろう。
流石にそれが身の安全の為か、商売目的が理由かは分からないが。
植え込みで死角となった壁際の席にマルチェ先輩は座っていた。机には報告書と思われる数枚のレポート用紙が一面に置かれている。
東裕也によって負傷した右足は治癒の魔術を施した今も執念深く疼く。
俺が向かいの椅子に腰掛けるのを待ってから、マルチェ先輩は話を切り出した。
「―ゼリア・リンク。年齢三十二歳。出身はスラム。どうやら捨て子だったみたいだな。どんな経緯があったか知らないが、十六の時に富裕層のリンク家の養子になっている。
その時に位は下だが、同じ富裕層の令嬢アリア・ルークと婚約しているが、子供はいないようだ。アリアも既に病魔に侵され他界し、アリア亡き後、ゼリアはミケガサキ王国の参謀として華々しい出世を遂げている」
「普通に考えて、いきなり出世するわけないよな…。そのアリアって奥さん、城の重役でも担ってたんすか?」
マルチェ先輩は湯気立つブラックコーヒーを一口啜ると一言。
「あぁ、アリアは『女神』だった」
「へぇー…ぇえええっ!?マジで?」
「マジで。しかし、ゼリアと結婚するに当たって、前女神にその座を継承している。だから、彼女が女神を勤めていた期間は極めて短い。私がゼリアに関して集められた情報は以上だ。
―お前から提供された機密物はある種大変有益だが、同時に無価値でもある。莫大な額にはならんが、個人的に興味深いものだった。これはその釣銭だ。受け取れ」
マルチェ先輩はコートのポケットから小包を取り出すと、机に広がる用紙の上に置く。
チャリ…と明らかに金貨の類の音が鳴った。ごくりと唾を飲み込んで小包を凝視する。
―俺はそれに手を伸ばし、小包をマルチェ先輩の方へ差し戻す。先輩は片眉を跳ね上げ、怪訝な顔をした。
「受け取らないのか?」
「…あの、後で受け取ります。これも一種の商売だから、先輩が今から俺に払おうとしている額は帰還条件を満たすに十分過ぎる。
俺、まだ向こうに還る気はないんで…、だから、後で受け取ります」
そうか、とマルチェは静かに頷き、再び小包をポケットの中にしまう。
「―相変わらず、お前の敬語は気持ち悪いな」
「悪かったっすね。先輩の方は、商売はどうっすか?」
半ば話を逸らす様にお互いに話題を変える。
先輩は口を付けたカップの縁を指で拭き取ると、ハンカチで指を拭く。それから肘を立て手を組むと、淡々と語る。
「『特需景気』の真っ最中だ。今は城に拳銃を届けている」
「拳銃?」
「何でも、城に避難して来た国民に配るらしい」
先輩の言葉に成程と柏手を打つ。先輩は飄々とコーヒーを啜っては先程の動作を繰り返していた。
「城に攻め入れられたら、いくら魔術が使えても丸腰同然っすよね。護身用の拳銃も無いよりはマシか」
「護身用じゃない。自害用だ」
「…へ?」
「万が一、ラグドに城を攻め入れられたら死ぬしかないからな。自分の始末は自分で着けるか、それとも虐殺されるかの二択ってことだ」
俺は思わず机を叩き、乱暴に立ち上がる。その勢いで椅子がひっくり返った。
先輩は何も言わないまま、冷たい瞳で俺を射竦める。
―それは決して牽制ではない。大人の余裕というか、全てを見通した様に物静かに先輩は俺が二の句を次ぐのを待っていた。
「アンタ、自分が売った物がどう使われるか分かってて売ったのか!?それで人が死ぬかも知れねぇんだぞ!?」
「『商人』は物を売るのが仕事だ。どう使われようと需要があれば供給する。
我々が使い方まで指南する必要はない。それは金を支払い、購入した消費者の自由だ」
「そうだけどよッ…」
「―お前の友は何のために奔走している?魔王として領土を奪う為か?」
「違うっ!」
いきなり話が逸れた。
友とは田中の事だろうか。何で今の話に田中が関係するんだ。
噛み付かんばかりに返すとマルチェ先輩は少しだけ口角を吊り上げで『笑み』らしき表情を浮かべた。
「そうだろうな。…今回、領土戦争を征する最大の勢力。私は『魔王』に賭けている」
「は…?賭け?一体、何の話を…」
「今回の賭けは、どの国がこの領土戦争を征するか。勝ち負けを含めてな。
恐らく、お前の友が五ヶ国の中で一番強い。そいつは勝ち負け関係なく、この戦線に終止符を打つのが目的だ。まぁ、事がどう転ぶかは分からないが」
「…それってつまり、田中がこの戦争に終止符を打ってくれるから、城に避難している国民は銃を使わないってことか?」
「少なくとも、私はそれに賭けている。だが、私達がそう思うくらいだ、あの代理の国王も予想しているだろう。態とそれを演じる可能性がある」
「仮に自作自演で人が死んだとして、アイツに何のメリットがあるんだよっ!」
刺された右足が熱を帯び、ズキズキと痛む。
痛みに顔をしかめながら吐き捨てるが、心当たりがない訳では無かった。
―復讐。
全て、その為なのだろう。東裕也は執拗に三嘉ヶ崎を恨んでいる。
それには田中も一枚噛んでいる様だ。後は田中に聞いた方が早い。
「マルチェ先輩、色々ありがとうございました。怒鳴ってすみません」
先輩は無言でコーヒーを啜ろうとするが、カップの中は既に空だった。
溜め息を一つ吐いて、先輩は八つ当たりにしか聞こえない台詞を言い放つ。
「…お前の敬語は本当に気持ちが悪い」
俺は苦笑しながら、思いついたことを口にした。
「―先輩って、いつも無糖のブラックコーヒー飲んでるっすよね」
話のお礼にでも今度会う時用に良いコーヒー豆でも仕入れて来ようかと思いつつ尋ねると、マルチェ先輩は無表情で頬杖をつく。
「はっきり言って、コーヒーは苦手だ。そもそも、苦い物自体好きではない」
なら、何で飲んでんだよと内心ツッコミを入れるが、それを見透かした様に先輩は言葉を続ける。
「コーヒーは苦い。特に、此処のコーヒーは一二を争うくらい苦いコーヒーだ。…商談などの際、嫌いな相手を目の前にした時、万が一顔をしかめてしまっても言い訳が出来るだろう?
」
マルチェ先輩は、私が商談等の際に此処を好んで利用するのはそれが理由だ、とさも当たり前の様に言ってのけるであった。
「つーか、俺の顔はコーヒーでしかめっ面を隠すほど不快っすか?」
「安心しろ、商談に来る大半が苦手な奴らだ」
「何で商人やってんだよ、アンタ…」
しかも、これで商人の最上級『大商』なのだから、世の中の理不尽さを感じざるおえない。
半ば呆れて脱力しながら言うと、マルチェ先輩は少しだけ微笑んだ。
「その情報は高く付くぞ?」
「あんたに婚約を申し込む人は一体いくら払えば承認してもらえんだろうな。そんなんだと、一生独身だぜ?」
「大きなお世話だ」
それじゃあ、と席を立ち、『バーチェ商会』を後にする。
目の前には、閑散とした風景が広がっている。夜になればゴーストタウンさながらの景色に変わるだろう。
少しずつ肌寒くなってきた秋空の下、白く染まりつつある吐息を吐きながら、携帯を取り出すと呼び出しボタンを押し、耳に当てる。
―数回のコール音の後。
「…もしもし。ゼリアの件について調べてやったぞ」
****
「…お父様!どういうおつもりですの!?いきなり、戦争に参加するだなんて!」
薄暗い研究室に私の声が響く。
『ノワール、もう決まった事なのだ。五ヶ国全てが、この領土戦争に参加する。それは我々ミリュニスも例外ではないだろう?
私達の領土は、この城のみだ。そして、この城はミケガサキの城でもある。
ならば、今回の戦争で私達も領土を奪い、万が一に備えるべきだとは思わないか?』
城に戻り、国民に全てを伝えて研究室に帰ってきたお父様は突如、戦争に参加すると言い出した。
あの新しい勇者に何か唆されたのかと、今更ながらに同行しなかったことを悔いる。
人一倍ヘタレなお父様が参戦の意を示すはずがないですわ。城で一体何が…?
ノーイも一緒に同行したはずだが、姿が見えない。
何もかも分からない事だらけだ。
「お父様、ノーイは何処ですの?」
『心配せずとも、直に来るだろう』
「直に来るって…。何故、一緒に来ないのですか?やはり、何かあったんじゃ…」
私が踵を返し、扉に駆け寄ると、丁度扉が開いた。
扉を開けた人物は、私を見るなり破顔する。私も安堵の息を吐くと、静かに駆け寄った。
「ノーイっ…!全く、遅いじゃありませんの!」
「すみません、姫様。ちょっとぼんやりしてまして…」
「ぼんやり?…あぁ、そうですわっ!お父様が領土戦争に参戦すると申しましてよ。私が何を言っても無駄なのです!貴方からも何か言ってください!」
「えぇ!?そうなんですか?しかし、国王がお決めになられた事なら仕方がないんじゃ…」
驚きに目を見開きつつ、ノーイは困った様に頭を掻き苦笑する。
『ほら、ノーイもそう言ってるだろう?何度も言うが、これは決定事項だ』
やれやれと言わんばかりにぽんっと私の頭を叩くと、お父様は一方的にそう告げ、研究室の奥の『立入禁止区域』と書かれたプレートの下げられた部屋に引っ込んでしまう。
「…もうっ!ノーイ!戦争に参加するということは、貴方まで戦わなきゃいけないんですよ!?嫌だって言っていたのは何処の誰ですか!」
半ば八つ当たり気味にノーイに投げ掛けると、ノーイは疲れた様に微笑んだまま曖昧な返事を返す。
「はぁ…。でも、それは姫様も同じじゃないですか」
「わ、私は、もう慣れたんです」
「俺も、慣れましたよ」
珍しく、ノーイが自分のことを俺と呼んだ。…本人は気付いていないようだが。
「『化物』と呼ばれて、それが嫌で俺も貴女もひた隠しにしてきた。でも、何か最近はこれで良かったと思う事が結構あるんです」
回顧に浸る様にぼんやりとノーイは感慨深げに呟く。
「腹立たしいですが、あの馬鹿のお陰なんですかね?」
「えぇ。きっと、優真様のお陰ですわね。…そう言えば。ノーイ、帰りが遅かった様ですが、城で何かありまして?」
ノーイは、はて、と首を傾げて虚空を見つめる。それから小さく頭を振った。
「特に何も無かったと思いますよ。何か気になる事でもございましたか?」
「…いえ、何も無いなら良いんですの。きっと私の思い過ごしですわ。情勢が不安なだけに、少し神経質になってるのかしら」
「無理もない話です。姫様も、あまり根を詰めすぎない様にお願いしますよ」
「その言葉は是非ともお父様にお願いしたいですわ…」
奥の『立入禁止区域』と書かれたプレートが下げられた鉛色のドアを眺めながら呟く私に、ノーイも苦笑を浮かべて頷く。
「ははっ、それもそうですね。―最近は、礼の…『アダム』の研究に没頭している様です。何か進展があったのでしょうね」
「アダムと言うと…。優真様が連れてきたあの、真っ黒い胎児のことですの?」
「えぇ。魔王の死体を盗まれてからというものの、最近は研究室に篭りっきりでして。
まぁ、あの胎児も魔王の中から出て来たという話ですし、盗まれたのがショックで脳に刺激がいって、案外、何か分かったのかもしれません」
「褒めているのか馬鹿にしているのかどっち着かずの発言ですわね。貴方のそういうところ、軽蔑しますわ」
「そんなっ!姫様!褒めてます、これでも褒めてるんですっ!最上級の褒め言葉なんです!だから何とぞ軽蔑だけはご勘弁をっ!」
ノーイは悲痛な面持ちでそう叫ぶと、埃の募った床にはいつくばる様にして土下座をする。
さりげなく、言わなくても良いような失礼な事を言っているが、その失言に当人が気付いた様子はない。
自然と微笑みが浮かぶ。
―世間がどんなに変わろうと、このたわいもないやり取りは何年経った今でも変わらない。
いつもなら、そんなやり取りに優真様達が茶々を入れ、お父様が便乗し、私達はそれを見て笑っていることだろう。
今度の領土戦争が終わったら、またそんな日常が帰ってくるだろうか。
「…そうだと良いですわね」
「え?」
「いいえ、こっちの話ですわ。私はちょっと城内を散歩して来ますわね。お父様を頼みましたよ」
「え、えぇ…。お気をつけて…」
くすりと笑いながら、今だに惚けた表情のノーイを見る。
扉を開け、地上へ至る階段を駆け上がる。
久しぶりに、アンナさんや雪と話したかった。
鼻歌混じりに光差す方へ向かって行く。
そして、目の前に広がる景色を目にして…。
「え…?」
―領土戦争まであと四日。
今になって気付きました。この章、シリアス過ぎてギャクを挟む余地が無いと…!




