第十二話 この上なくマズい上にヤバい事
「あれ、ミカちゃんだ。最近見なかったけど、何処か行ってたの?」
ミケガサキ城の謁見室へ至る長い廊下。向かいから見慣れぬ誰かを引き連れ颯爽と歩いて来た少年は小脇に辞書の様な分厚い本を抱え何も持っていない右のポケットに突っ込んでいた手をひらりと挙げると歩みを止める。
―東裕也。近頃『召喚』された六番…いや、五番目の『勇者』だ。
何故なら、前回召喚られた五番目の勇者の正体は魔王だったのだから。―全く、とんだ茶番劇である。
私が掴んだ情報によれば、裕也は『女神』が行う儀式により召喚されたか定かではないらしい。
しかし、彼が『勇者』であることは間違い無いとこの国は自負している。
―今は亡き『女神』が『勇者』ではなく『魔王』を排出した癖に、その自信は一体何処から来るのだろうかと不思議でならない。
本を抱えているところを見ると、図書室に寄ってから謁見室に向かい、出て来た帰りなのだと勝手に解釈する。
思考を一時中断すると、私も静かに歩みを止め一礼した。
「ミカちゃんではなく、ミカ・エバンです。…暇な貴方と違って、私は雇用されたので此処に身を留めているだけ。我が国では月に一度自国へ帰り、現状を報告することが義務付けられています」
「あははは。月に一度も、ミケガサキの情勢とかを報告するのか。スパイも色々と大変だね?」
この男は嫌みをさらなる嫌みで返す。相手の虚を突くこういうところは正直、苦手だ。無言で睨み返すと裕也は小さく肩を竦めた。
これ以上の言葉を交わす行為は火に油を注ぐのと同じだと判断し、再度一礼すると歩み出す。
てっきり、何か言ってくるかと思ったが、予想に反し背に掛けられる言葉は何一つ無かった。
傍らに立つ連れの女性…だろうか?中性的な顔立ちの人だ。その人と何やら言葉を交わしているのが聞こえる。
知らず唇を噛み締め、肩に斜め掛けたライフルを再度背負い直すと謁見室の扉を二度叩く。
―返事は無い。別に珍しくもないし、いつもの事だ。
静かに溜め息を吐くと、取っ手に手を掛けた。例え敵に押し入られても直ぐには開かないように城の扉は重く、そして銃弾を通さない様に分厚く作られている。ご丁寧にも、魔術を無効化させる金属に似た特殊な鉱石を採用しているらしいので、かなりの重量だ。
鍛えている私でさえ、これらの城の扉を開くのには一苦労する。どういう経緯で略奪したかは知らないが、流石は魔族の城だ。
扉を開き、息を整えるべく深呼吸を繰り返す。それからもう一度息を深く吸い、凛と腹から声を出した。
「…ゼリア国王。只今戻りました。ミカ・エバンです」
****
ミケガサキ国立総合病院。
女神様や騎士隊長、富裕層等の位の高い人専用の病院で、各科目ごとに名だたる名医が揃っている。
一般市民も莫大な金を払えば診察や手術が受けられるのだが、半生分の給料が掛かるらしい。
富裕層や騎士隊長達は診察券の代わりに、メンバーズカードを持っていて、それを見せると通常の半額にまで割り引きされる。そのかわり、会員費として月に支払う額は途方もないが、騎士隊長の場合、それは国名義で登録・発行されたものなので国が支払うのだから実際は無料に等しい。
「―やっぱり、魔王じゃ門前払いされても仕方ないか…」
只今、初めてのお見舞いを実行中なのだが、許可証をお持ちでないために追い返された。全身黒いし、一時間近く病院の前をウロウロしていたから不審者だと思われたせいかもしれない。
大体、見舞うという親切極まりない行為に対して、許可証って必要なのか?
まぁ、一応国立病院だし、お偉いさん方が利用する病院だから必要なのかもしれない。
この世界に来て、見舞われることは多数あったけど、見舞うことは無かったからなぁ。
「…困った」
持って来た見舞いの品を抱き抱え、病院の出入口の側にある茂みの前にうずくまる。
病院に出入りする人を羨ましげに見る僕に対して、場所が場所のくせに無駄に豪華に着飾った彼等は不審者を見る様な目つきで僕を一瞥し、病院の中へと消えていく。
餌が貰えなかったひもじい野良犬の様に怨みがましく唸ってみたくなったが、精神科に搬送されそうなので止めておく。
「―何だ、わざわざ見舞いに来たのか」
驚きと呆れが混ざった、そんな調子の声色。鼓膜を震わすハスキーボイスが頭上から降ってきた。
電動の車椅子が僕の真後ろで止まる。
「敵に背を向けるとは、まだまだだな」
「きょーかん…」
悪戯っぽく微笑む教官に、僕はぽかーんと間抜け面を晒す。教官はエメラルド色の目を細めて、どうかしたか?と首を傾げた。
金糸の様な細い髪が肩先で揺れる。
「髪、切ったんだね…」
「邪魔だからな。ノワールに頼んで切ってもらった。個人的にはもう少し切って欲しかったんだが、雪やノワールが髪は女の命ですわと言って聞かなくてな。…変か?」
「ううん。似合ってる」
何と言うか、スタイリッシュだねと言おうとしたが、意味が通じるか分からないし、そもそもの意味を知らないので止めた。
教官の車椅子を押しながら病院の無駄に立派な庭を散策する。中央に置かれた噴水の、何だかよく分からない生物の石像の口から流れ出す水を眺めながら会話を進めた。
「…たまたま近くを通りかかってね。負傷させておいて、見舞いに行かないのは失礼かと思って」
「全くだ」
あっさり肯定されてしまった。ちょっとバツが悪くなりそっぽを向く。
「これ、高かっただろう?」
教官は色とりどりの果物が詰め合わされたバスケットを見つめながら呟く。
「この病院の診察料よりは安いよ」
「…だろうな。資源枯渇に伴い、木材確保の為に木々が伐採され、果物の実る木々さえ対象にされ減少傾向にある。完全に絶えるのも時間の問題だろうな。だからこれも、ちょっとした高級品になりつつある訳だ。
何でも、つい最近、南の木材専用の森林の大半が燃えたという話を聞いた。これによってさらに拍車がかかり、値段が高騰することは間違いないだろう」
冷や汗がだらだらとながれおちる。そんな僕の様子に気付いた教官が静かに溜め息を吐く。
「…お前か」
そうさ、僕が噂のミスター環境破壊だなんて殊勝な気持ちにはとてもなれない。僕は肩を落としてがっくりとうなだれた。
「火災は吉田魔王様とノーイさんが、伐採はフレディかな」
「復帰したら貴様等全員直ぐさましょっぴこう」
「…お手柔らかにお願いします」
手を挙げ、降参のポーズを取る。するとすかさずと言わんばかりに頭に衝撃が走った。
「言質取ったり、だな」
「いってぇ…」
「―カイン。遅かったな」
会議が長引いてな、とカインは困った様に頭を掻く。そのまま三人で昼食ということになり、病院に内装された食堂に向かう。
「病院が病院なだけに食堂も豪華だね…」
「おかげで全く落ち着かん」
「今日は週末だから結構美味い日だぞ」
シャンデリアの吊下げてある食堂は、豪華客船を彷彿とさせた。適当に空いている席に腰を下ろすと、向かって来た店員に手っ取り早く注文する。
曜日毎に料理人が変わるからその日その日で味や値段が異なるらしい。昼時とあって、中は随分賑わっていた。
「此処、内装がこんなんじゃ馬鹿高いんじゃないの?」
「高いのから安いのまで一通り揃ってるぜ。この曜日の料理長は庶民寄りだ。本当はそれじゃ採算が取れないとかで経営者が反対したが、この曜日の料理長が破格の値段にブチ切れたらしく、この曜日だけは俺等でも安心して飯が食える。
昼になりゃ、此処も一般解放するからな。この曜日の日は結構賑わうんだ」
キレてどうにかなるものなんだと感心しながら料理を待つ。
「優真、お前ちゃんと食事取ってるのか?」
「独り立ちするのは良い事だが、自炊が出来なければ話にならんぞ」
大丈夫。心配しなくとも朝起きてちゃんと水と空気を摂取しましたとはとても言えない。つーか、こいつらはお母さんか。
「自炊出来なくとも、僕なら一週間水で生きられるんだけどな」
「「だから背が伸びないんだ」」
真顔で嗜められると、それなりにへこむ。その後、料理が運ばれてきた。
真黒のカレーだった。
しかも、赤いソースか何かで『呪』とこちらの世界の言葉でデカデカと書いてある。
「………………。」
一同、スプーンを構え、黙る。
カインが頼んだのはスープ付きのカレーセットだったらしく、スープも運ばれて来た。
運ばれてきたのは、青汁に青の塗料を混ぜた様な深みと光沢ある青緑のスープで、ちゃんと調理したのか定かではない見た目ヌメヌメのやたらと目がでかい薄紫の小魚が浮かんでいる。…最早、ちょっとしたホラーだ。
「…カイン、何頼んだの?」
「期間限定の、当店オススメメニュー…のはずだ」
「ふむ…。結構美味いぞ」
「「食ってた!」」
戦慄し、わなわなと震える僕等に対し、教官はギプスの外れていない手でスプーンを巧に操り、カレーを口に運んで行く。
「―騒がしいと思ったら、貴方達でしたか…」トレーを小脇に抱えたノーイさんが呆れた様に僕等を見る。従業員と同じスーツを着ているということは、彼もまた店員らしい。
「ノーイさんが此処にいるってことは…。あー成程。吉田魔王様がブチ切れた訳か」
「あははは。…やっぱり、噂になってます?」
はぁ…とノーイさんは小さく溜め息を吐いた。この人の苦労性が無くなる日は果たして来るのかと少し同情してしまう。
「―吉田魔王様、無事だった?」
「大した事ありませんよ。例の物が無くなって、少しへこんではいましたが…。フレディが忘れて行った足の研究に没頭しています」
グッドなのかバッドなのか良く分からない報告に、僕はただただ苦笑する。食力が一気に引いたのは間違いない。
久々の食事と格闘し、見た目はグロいが味は中々のカレーを何とか胃に納める。スープは流石にお腹いっぱいで無理だったので教官にあげた。
そんな最中、カインが慌てた様に席を立つ。
「…悪い。ちょっと連絡が入った。此処に居てくれ」
「む、分かった」
「気をつけてねー」
何にだ?と思いながらも、カインを見送る。
今の連絡と何かあるのか知らないが、病院内が少しざわついているのは確かだ。食堂を出て直ぐの廊下を医者やナースが行ったり来たりしているから、本当に何かあったのかもしれない。
「何だろ…」
ガラガラと誰かが搬送されている音が近付くと共にじっとりとした視線を感じ、何となく僕はそちらに目を向ける。
担架に乗せられたまま、ぴくりと微動だにしない男。呼吸があるのか、そもそも生きているのか定かでは無い程白くなった肌に、深みのある青い髪が映える。
やがて、というか直ぐにその担架は目の前を通りすぎて行った。
「うーーーーーん」
いやいや、まさかねぇ。ないない。絶対ない。有り得ない。
「…どう思う?教官」
「ゼリアだな」
「やっぱり、そうだよね…」
ストレスで胃潰瘍でも起こしたのかな。それにしては血の気が無いくらいに真っ白だったけど。
それから数分して、席を立ったカインが戻って来た。カインもゼリーさんに負けず劣らず顔が青白くなっている。
「…非常にマズい事になった」
「ゼリーさんの事?」
僕の問いに対し、カインは首を横に振って否定する。
「いや、それもマズい事ではあるが…。今回はそれ以上だ。ヤバい」
「じゃあ、マズい事じゃなくてヤバい事じゃん」
「そうだぞ、カイン。ヤバい事なのか、マズい事なのかはっきりしろ」
「あーもうっ!お前等は一旦黙れ!マズいだのヤバいでもどっちでも良いだろうが!強いて言うなら両方だよ!マズい上にヤバい事だ!」
『…何?私の料理はそんな不味い上にヤバかったのか?』
「アンタの事じゃないっ!料理は美味かったし、見た目も楽しかったよ!ご馳走さん!…ったく、こいつ等色々と面倒だな!?」
悪態をつきながらカインは頭を掻きむしる。
『…で、何があった?』
「ゼリアが突然意識不明になったと、直にニュースで放送されるだろう」
「ということは、違うのか?」
「実際は仮死状態だ。原因はまだ分かってない。そして、ゼリアが目覚めるまで空いた王座に誰が座るかという問題が残るが、それが解決してしまったんだ」
「けど、普通に考えれば、参謀と同格の騎士長総指令官であるダグラス隊長が着くはずだから何の問題もないんじゃないの?」
皆は少し驚いた様に目を見張る。
…いや、皆。僕だって、馬鹿は馬鹿でも常識ある馬鹿だからね?これくらい、予想出来るよ。
「そうも上手く行く話じゃないさ。言いにくいが…、まぁあれだ。ダグラス隊長は、脳筋だから、な…。政治は無理だろう?」
「あの人なら笑って書類を引きちぎるだろうな」
納得した様に教官が頷く。カインも困った様に頬を掻いた。
流石に、馬鹿に政権を握らせる程この国は馬鹿じゃないか。
「…じゃあ、誰が国王になったんです?」
ノーイさんが小さく挙手をして尤もな疑問をカインにぶつける。
「それがだな…」
やや視線を逸らし、歯切れ悪くカインは答える。
「立候補と、自己申請があったんだ」
―立候補。つまり、国王、もしくは騎士長総指令官や参謀に並ぶ実力者からの推薦を受けたという事だ。それに加え、自己申告ということは本人も王座に着く気でいる。
そこまでされては、誰だって異論など唱えられるはずがない。
「上層部が独断を下しちまった以上、俺等が口を挟む余地なんて無い。現ミケガサキ王国国王ゼリアに代わり―」
一旦言葉を切ってカインは二の句を継ぐ。
「―勇者、東裕也が臨時国王になった」




