第七話 魔王による誰かの為のクーデター
「―…優真。貴様、一体何を企んでいる!?」
教官の怒声に、意識が少し覚醒する。
晴天の午後。肌を撫でる風が少し冷たい。日差しが暖かいから、然程気にならないけど。
ミケガサキ城の芝生の生い茂る中庭。そこで僕は教官と剣を交えていた。
……何しに来たんだっけ?
教官の問いに、ゆっくりと鈍った思考を働かせる。
あぁ、そうだ。
「取り敢えず、城を占拠しに来たんだった」
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緊急警報がけたたましい音を立てて鳴り響く。
「か、会議中、失礼しますっ!」
「…何事だ?」
ミケガサキ城内部第一会議室。国内に何らかの非常事態が起きた時、各騎士隊長並びに騎士長、騎士隊長総指令官、参謀など国政の中枢を担う各指揮官が国王の命により緊急召集される。
本来、この第一会議室の錠が解かれることはほとんど無い。故に、『開かずの間』として下級兵士達の間では階段話の様に語られてきた。
―しかし、その『開かずの間』の錠は昨夜の謎の襲撃によって解かれ、こうして緊急会議が開かれたのである。
議題は上記の通り昨夜のミケガサキ第十三区襲撃についてである。その論議を交わしている最中の出来事だった。
血相を変えて飛び込んで来た見張りの下級兵の顔は緊張の為か青ざめている。
此処はけして下級兵士等が足を踏み入れていい場所ではなく、ましてや緊急会議の最中に水を差す様な行為は原則禁忌に当たる。本来ならば厳しい処罰を受けるところだ。
彼は気の毒なくらい震えながら、ゼリア国王の厳格な問いに対して恐縮した様に答えた。
「しゅ、襲撃…。田中優真…『魔王』率いる死霊による襲撃です!
物凄い数でして、我々兵士が何とか中庭までで食い止めていますが、城内部侵入も時間の問題かと…」
「―だそうだ、カイン・ベリアル騎士隊長並びにアンナ・ベルディウス騎士長候補官。
昨夜の襲撃についても『魔王』を見たと目撃情報が出ている。そして今回の襲撃が何よりの証拠だ。これ以上奴を庇うと言うのなら、お前等の懲戒処分を考えねばなるまいが…異論は無いな?」
黙り込む二人を、ゼリアは鼻で笑うと粛々と命じる。
「――以上を以って回議を終了する。各自決められた場所の警護に当たれ。解散」
王が纏うに相応しくない紺碧のマントをなびかせ、ゼリア国王は会議室を後にする。
それぞれ敬礼や頭を垂れてそれを見送ると共に、各自定められた自分の持ち場へと駆けて行った。
未だ会議室に佇む二人に、ダグラス・ボコ騎士隊長総指令官が声を掛ける。
「…意外だな。ワシは、てっきりあそこでゼリアに異議を唱えるものだと思っていたぞ」
「いや、ゼリアなら懲戒処分として俺等に降格命令を下してもおかしくないので止めました。流石にそうなると無理です」
カインの答えに、ダグラスは髭を蓄えた顎を撫でる。
「確かに、今の奴ならやりかねん。変わってしまうものだな、人は。昔はゼリアもお前等の様に正義に燃える若造だったが…。今では見る影もない。―お前等はそうはなるなよ?お前等の様な婚約間際のカップルが一番危うい」
「な、何を言ってるのですか、ダグラス隊長!か、カイン!とっとと優真をしょっぴきに行くぞ!」
「お、おおおうっ!」
二人は赤面しながらダグラスに敬礼すると、逃げる様に会議室を出て行った。
その様子を一人ダグラスはしたり顔で見送る。
誰かを守る。その純粋な想いは強さになる。されどその心はとても脆い。
故に、失った時の悲しみ、相手を憎悪する気持ちは強まる。皮肉なことに、それもまた強さになるのだ。
ダグラスはそれを知っている。そういう人間を幾人も見てきた。―だからこそ。
「…道を、踏み外すな、若人よ」
何を言っても無駄だと分かっていた。
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カインは城の緊急配備時において城郊外担当だ。つまりは城周辺にある町の警護が今回においての彼の役割である。しかし、元から城の警護を任されているアンナは違い、一番表門に近い中庭の担当だった。
白く高い城壁に囲まれている上、侵入者撃退用の大砲が壁に埋め込まれている他、同じく中庭を見張る狙撃班が常に見張っているため侵入者が此処へ来ることは滅多に無い。
城内は既に死霊が跋扈し、騎士隊との激戦が繰り広げられていた。中庭を見張る狙撃班も今は死霊との戦いに明け暮れている様で気配を感じない。
確かに、中庭には死霊など一人も居ず、心地好い風に草木が揺れるばかりだ。
死霊の襲撃さえなければ、平穏で過ごしやすい日和だっただろう。
「何故だ、優真ッ…」
サクッ…と静かに草が踏み締められる乾いた音が鳴った。アンナの目の前に彼が降り立つ。
腰に下げた長身の細い剣を引き抜くと、一気に斬りかかった。
キンッと高い金属音が響く。アンナの一撃を優真は漆黒の杖で受け止める。
「―…優真。貴様、一体何を企んでいる!?」
優真は長い黒髪の間から、虚ろな視線をアンナに向けた。
心既に此処にあらずという風にぽつりと呟く。
「取り敢えず、城を占拠しに来たんだった」
まるで今思いだしたと言わんばかりの覇気の無い口調だ。一体、どうしたというのか。いつもの優真ではない。
「―昨夜の一件、アレは…」
アンナがそれについて口にすると優真の目の色が変わった。虚ろな目に少し光が差したようにアンナには思えた。
「僕がやった」
たった一言だけ。しかし、その口調はやけにはっきりとしている。
そう思ったのも、つかの間。すぐにまた覇気の無い虚ろな目に戻ってしまった。
まるで催眠にでも掛かった様だ。いや、その可能性もある。朝から優真の姿が見えなかった。何処か散歩にでも出掛けて…それ以前に既にそう仕組まれていた?
新しく召喚されたあの東裕也という召喚。あの勇者が来てからというもの、優真の行動は何処か不可解だ。
一昨日も優真は故意ではないにしろ、あの勇者と行動を共にしていたと聞く。それとも、先の大規模な領土争いで優真が昏睡状態に陥った時、病院で治療を受けていたとゼリアは聞くが、実は何らかの暗示を掛けていたのではないか?その可能性もなくはない。第一、あの領土争い後にゼリアが王座に居座っているのだ。あの騒動とて、奴が最初から目論んでいたのかもしれない。
あの大規模な領土争いで故意にでは無いにしろ、優真…いや、『魔王』の脅威が明るみに出てしまった。
だからかそ、優真はミケガサキから離れようとしたのだろう。彼は確かに『魔王』だが、世界征服など企んではいないし、無意味に他の誰かを害さない。
…ならば、何故優真は城を襲撃するのか?
もし、それが心境の変化だというなら、どうして今更。しかも何故ミケガサキ城なのか。
此処は優真にとって最も手が出しにくい場所だろう。
吉田魔王様、ノワール、ノーイ。カインや彼の顔なじみが集う場所であり、騎士隊…軍の本拠地。そんな危険を冒してまで此処を狙う理由は一体何だ?
「…昨夜のミケガサキ第十三区襲撃に、今回のミケガサキ城襲撃。誰もがこの襲撃を昨夜の襲撃と一連付けて考えている。昨夜の襲撃も、誰もがお前を犯人だと決め付けて疑わない。ゼリアなど我々の言葉に耳を傾けようともしない程だ。…それが狙いか?」
アンナの問いに、優真は何も答えずに黙したままだ。表情も乏しいため真偽がまるで読み取れない。
―今回の襲撃がもし、誰かを庇っての犯行だというなら納得がいく。
そしてそれは優真の知り合いであり、我々の知る人物でなければ危険を冒してまで此処を占拠しになど来ない。第十三区の襲撃犯の存在を眩ませ、自身にすり替えることが今回の襲撃の目的なのだ。
ふぅ…と優真は溜め息を吐く。先程の覇気のない表情が嘘だったかのように元に戻った。それでもまだやつれている様に思える。
「…大分手間取ってるみたいだなぁ。騎士隊長も加勢に入ってるみたいだし、昼間だから仕方がないんだけどさ」
そう唐突に喋り出した。
「それなら、夜に襲撃した方が良かったんじゃないのか?」
「昨夜の事もあるし、城の警備は絶対強化されるでしょ?夜なら第十三区の捜索も一時的に打ち切るだろうし。その点、昼間なら万が一に備えて比較的戦力になる兵士を第十三区に向かわせたと思ったんだけど…」
自信なさそうに答える優真に、アンナは密かに感嘆していた。
確かに、ミケガサキ屈指の戦闘部隊である騎士隊の兵は朝早くから第十三区の捜索に当たっている。優真の予想通り、恐らく日が沈む頃には引き上げるだろう。
いくら腕が利き、高度な魔術が使えると言っても、我々は夜目が利かない。それに、夜になれば人の臭いを嗅ぎ付け、獣が現れる恐れもある。
「中々の読みだな。…確かに、その予想は当たっている。―では、先程の私の仮説は当たっているか?」
「正直なところ、それもあるよ。まぁ、それが今回の襲撃理由の大半を占めるだろうね。―占拠って言っても、そんな乗っ取るつもりはないんだけど…でも、それだけの理由でこんな危険を冒してまで此処に来ないかな」
「ほぅ…。つまり、他にも理由があるということか」
そうなるね…と優真は少し言葉を濁し、視線をさ迷わせてから、新しい悪戯でも思い付いたかのように意地悪な笑みを浮かべてアンナを見た。
「教官が僕に勝ったら教えてあげよう」
「大馬鹿者に灸を据えるにいい機会だ。この私が、貴様に敗れるとでも?」
「さぁ、どうだろうね」
そう言って優真は持っていた漆黒の杖を地面に打ち鳴らす。
カンッと短い音が木霊すると共に、杖の先端から優真の魔力が城を包むように広がった。
「…固有結界か。こうして貴様と剣を交えるのは二年振りか?」
二年かぁ…と優真は杖を構えながら感慨深そうに呟いた。
そう、二年がの歳月が経った。アンナも、優真も差ほど外見は変わっていない。
アンナは、静かに目の前に立ちはだかる強敵を見据えた。今の優真には全く隙がない。それどころか、最初の頃とは比べものにならないほど魔力が強まり、数多の魔術を使い熟すようになった。たった二年でこれ程の成長を遂げたのだ。
いくら『魔眼』を持っているとはいえ、目を見張る成長ぶりである。
彼は『魔眼』が、一度見た魔術を暗記し、自分のものとして使用出来ると思っているようだが、そんな扱いの良い代物ではない。
魔眼は持ち主の記憶を媒体として陣を構成する。つまり、持ち主がその魔術の陣を覚えていることが発動の第一条件。
その点において、優真の記憶力は常人より遥かに優れていることは確かと言えよう。
「―今一度問おう。本当に私と剣を交えるつもりか?」
「男に他言はない」
「それはそれで頼もしい限りだが、…残念ながら、二言だ。まぁいい。そちらがその気なら、こちらも本気で潰すまで。―来い、優真ッ!」
アンナは持っていた剣に魔力を込める。すると、剣の刃は光のベールに包まれ、形が変わったかと思いきや一対二刀の曲刀になった。刀身は今だに目も眩むような黄色がかった白の光が輝いている。
「―魔武器…。しかもその色、単なる光じゃなくて、高圧の電気を帯びているのか」
「一度見ただけで、そこまで見抜いた者は貴様が初めてだ。…あまり戦場に持ち出す事はない。これが私の愛刀だ」
警戒を強めながら、優真は驚きに目を見張った。
「来ないのなら、こちらからいくぞッ!」
怒号に限りなく近い掛け声が中庭に響く。
アンナは一気に距離を詰めた。傍から見れば、瞬間移動した様に見えたかもしれない。足の甲に刻まれた陣が尋常ならざる駿足を可能にしているのだ。
一秒たりとも形成時間を与えなかった。既に二の腕と一体になった曲刀を振りかざす。風の唸りにも似た音が鳴った。
「くっ…!」
首目掛けて振り下ろされた一撃を優真は杖で防いだ。しかし、もう一振りの刃が彼の脇腹をえぐる。
さらに、刃が纏う高圧の電気が加わり、肉を焼き切る様な鋭い痛みと痺れが襲った。
優真は何とか杖で払い退け、アンナから距離を取る。肉の焼ける臭いが鼻に付いた。傷口から僅かに白い煙が上がっている。
「…駄目だな。一撃を防ぐのが精一杯だ。それに、今ので少し麻痺したみたい」
「どうした、優真。貴様の実力はそんなものか?あれだけ豪語しておきながら、その様とは片腹痛い」
優真は震える手で杖を構える。普通なら、一撃食らっただけでも一時的に感覚が無くなり、物など持つことは疎か掴むことさえ出来ないのだが。
―仕方ない、と優真は何かを決心した様にアンナを見た。
すると、彼の纏う雰囲気、魔力の質がいきなり変わった。何かこう、禍々しいものに変化したのだ。
書の…いや、悪魔の力。それとも、これが優真の魔力の本質なのだろうか。
優真は杖から手を離し足元に転がすと、着ていた外套を脱ぐ。
下にはどうやら黒のジャケットを着ていたらしく、その姿を見るのは初めてだった。ジャケットの袖口からはワイシャツの袖が覗いていた。優真はそれらをすべて肘まで捲り上げる。彼の病的なまでに細く白い二の腕が露わになった。
今だ傷口から流れ出る自身の黒い血に肘下までの両腕が完全に黒く染まるまで押さえていた。さらに膝から下、足元にまで血を滴らせる。
「…こんなもんかな」
「―何をするつもりだ?」「いや、僕も魔武器が欲しいなと思って。教官は魔武器も速度を強化する魔法陣も刻んである。だから条件だけでも対等にしようかな。教官、陣を形成する時間も与えてくれないみたいだし」
「つまり、私と武術のみで勝負すると?ならば、この一撃を防いでから言えッ!」
再度、足に力を入れ、ロケットの様な速さで優真に切り掛かる。一瞬にして優真の懐に滑り込み、喉元を狙う。
優真と目が合う。彼は淡々とアンナを見ていた。
大量に出血した為か、顔色は既に青白い。元々肌が白いせいもあり、より一層そう見える。だから、彼の淡々とした眼差しが突き放す様な冷やかなイメージをアンナに与えた。
「――…っ!」
鋭い痛みが腹部を襲う。
の喉元に届くか届かないかのすんでの所で、優真は片膝でアンナの腹部を蹴ったのだ。
怯んだのはほんの一瞬。
アンナは構わず曲刀を振りかざす。重低音がすぐ近くで鳴った。
アンナの一太刀を、電流を帯びたその刃を、片腕だけで受け止めたのだ。あの細い腕一本で。
間合いを取る。優真は向かって来なかった。
砂利の混じった風が悪戯に金糸の様なアンナの髪を弄ぶ。
「…それが、お前の魔武器か?」
確かめる様に、アンナは問う。
目の前に佇む青年。その両腕は肘下から黒く変色し、その皮膚は竜の様な大きな鱗と化している。
不自然に長く伸びた爪は、鋼鉄の様に鋭く、立派な鉤爪になっていた。
「…これで対等だ。さぁ、来い」
なんか描写ばかりになりましたね、今回。次回も専ら戦闘ですが、出来るだけ会話を入れたいと思います。




