第六話 朝食はダークマター
「―聞いたわよ、鉱山地帯の一角を爆破させたんだってね?」
僕が目の下に隈を浮かべて孤児院に帰るなり、紅葉さんは『お帰りなさい』より先に何故か誇らしげに腕を組みながらそう言った。
朝食の支度の途中だったのだろうか。
右手にはお玉を持ち、ピンクになり損なったどっちつかずの赤色がさらに劣化した様な色のエプロンをしている。
…とても言葉じゃ言い表せない色だ。
エプロンには広範囲に真っ赤な液体が斑点状に飛び散っている。
血か、はたまたタバスコなのか。僕としては後者であることを願いたい。
朝から一体どんな調理をしたか知らないが、もしこれが単なる柄だというなら、僕は作った奴の正気の沙汰を疑うところだ。
そんなどうでもいいことを思いながら、欠伸を交えて返答する。
「…僕じゃない誰かだけどね。全く、徹夜だよ…。ふわぁぁ〜」
「部下の失態は上司の責任ですよ、影の王…」
「いや、そんな時だけ都合よく僕を利用しないでほしいんだけど…」
しかも、フレディの上司は僕じゃなくて大総統なる知恵の悪魔だろうに。
まぁ、悪魔に責任を取れなんて無理な話か。
「…というか、爆破の主犯はお前か」
「まさか…。主犯は私ではなく、東勇者氏の彼女志望である狙撃手ですよ…。発端は私ですが…。
―彼女、貴方を殺して、かの勇者に振り向いてもらおうと燃えに燃えておりました…」
「おかげで僕等も、燃えに燃えるところだったよ」
その答えに紅葉さんがぷっと吹き出す。次にはお腹を抱えて笑い出した。
「あはははっ!貴方って、本当、ダークホースよね。…まぁ、良いわ。お帰りなさい。貴方にお客さんよ」
「…客?」
訝しむ僕をよそに、紅葉さんは居間へ戻っていく。
一番高い可能性とすれば、騎士であるカインと教官だが、まだ鉱山地帯を一部更地に還してから二時間程しか立っていない。…いや、十分か。しかも入り口。つまり目と鼻の先。爆発音も相当なものだっただろう。願わくば、騎士団がまだこの事態を知らないと思いたい。
幸い、教官の勤務先はミケガサキ城だし、カインはAランク領土の勤務。
いくら伝達が早かろうと、魔術を使おうと、彼等の立場上そう簡単に勤務先を離れられるものではない。
「…よしっ!」
思わずガッツポーズを決めてしまった。
フレディが影の中から呆れた様に溜め息を吐く。
「怒られるのが嫌なら、出て行かなければ良いじゃありませんか…」
「温いよ、フレディ。そういうレベルで済まされないから嫌なんじゃないか」
靴を脱いでスリッパに履き替えると、居間へ続く廊下を進んで行く。
ガチャリ。
「―飛んで火に入る…」
「ん?」
「夏の馬鹿っ!」
―虫だろ。
…なんて冷静に突っ込む暇もなく、ドゴッと重い右ストレートが頬に決まる。
―全く、昨日から録な事が無い。一体、僕が何をしたと言うのか。
…そんなことは例え口が裂けても絶対に言えない。
「き、岸辺…?」
素っ頓狂な声を上げて、殴られた頬を押さえながら言う僕に岸辺は鼻を鳴らす。その両隣にカインと教官が立ちはだかっていた。
教官が早足で僕の前まで歩みより、胸倉を掴む。
「―この馬鹿者がっ!事情も何も説明しないで勝手に居なくなるな!」
「いやー…、何て言うか、ごめんなさい」
色々な意味で。
「はぁ…。―ったく、本来ならフルボッコだが、今回は説教で許してやる」
『まぁ、説教は後でにしなさい。朝食が出来たから、まずは腹ごしらえだな』
溜め息を吐くカインに、苦笑しながら吉田魔王様が銀色のカートに朝食を載せて運んできた。それを所狭しとばかりに並ぶ皿にそれぞれを盛り付けていく。
『今日はグリアンとカリスづくしだ。心して食べなさい』
三大珍味の一つと、いつぞやのエビ。
―ささやかな嫌がらせのつもりだろうか。…ならば、結構的を射ている。
「…でも、皆。よく、僕の居場所が分かったね。オズさんにでも聞いたの?」
「居場所はオズ様に、居所は陽一郎様が…GPS、でしたかしら?それで」
「肝心の陽一郎さんの姿が見えないけど…?」
「此処に来る途中、見回りに当たっていた騎士隊に見付かって追い回されてましたよ。ダグラス総指令の隊でしたから、撒くのに苦労してるのでは?」
淡々とした口調でノーイさんは語る。
つまり、置いて来たのか。
「…というか、優真君で合ってるよね?」
「確かに、デカくなってるな。俺くらいっつーか、俺よりデカいか?
チクショー、立派に成長しやがって」
雪ちゃんが小首を傾げながらそう言って、釣られた様に岸辺も僕を見る。
そういや、二人にこの姿で会うのは初めての様なそうでないような…。
カイン達は普通に受容してたけど。
「別人だったら、殴られ損だよ」
「何で急成長したんだ?」「魔法の副作用…かな。その内戻るよ」
席に着くよう吉田魔王様に催促され、近くの椅子に座った。
目の前には中華の様な華々しい料理の数々が並ぶ。エビチリの様なカリスの一部をふんだんに使った一品や、チンジャオロースの様なグリアンと肉の炒め物。
―そして、お椀に蔓延る暗黒物質ダークマター。
「スミマセン、紅葉さん。この味噌汁は一体…?
生きとし生ける者の飲む味噌汁じゃないですよ」
お椀を傾け、湯気と泡立つ小宇宙を見つめる。
これぞ和の食!と言わんばかりの顔で並ぶ味噌汁というより、麺つゆの色を更に濃くした様な、ダークマター液体バージョンと呼ぶに相応しい代物。その暗黒色の海には、投入された具が浮かぶはずもない物も含めて全て浮かんでいる。
…最早、死海と言っても過言ではない。
由香子さんもダークマターを生成する天才だったが、ダークマターを含む小宇宙を形成する人が存在したとは…。上には上がいる。
「あらそう?別に良いじゃない、お椀の中に小宇宙が形成されてたって。見た目はダークマターでも、味は保証するわ。今回は腕によりをかけて作ったの。会心の出来よ」
何処から沸き上がる自信なのか知らないが、勝ち誇ったような顔で味噌汁を啜る紅葉さんを訝しげに猫モドキは見ていたが、やがて天国と地獄が入り混じった様な『おじや』なる米とダークマターの奇跡というよりは奇怪な混合物を、恐る恐る一口舐めた。
「に゛ァ…」
まるで、毒物を摂取してしまった被害者が上げる様な喉の置くから絞り出した声を猫モドキは発した。尻尾がピンッと立つ。
まるで石にされてしまったかの様にそのままの姿勢でぱたりと倒れてしまった。
―成程、『改心』の出来のようだ。
「スミマセン、紅葉さん。僕の愛猫の意識がブラックホールに吸い込まれたんですけど、ホワイトホールなる胃薬は存在しますか?」
「優真兄ちゃん、ボスの料理は如何なる薬も凌駕してしまうんだ。無駄だよ。
…でも、ボスの料理を毎日食べているせいか、病気になったことは一度も無いんだ。きっと、ボスの料理が悪い菌を全て殺してくれてるんだね!」
ルーイ少年は虚ろな目をしながらそう無理に明るく振る舞い、ご飯を口に運ぶ。
その様はもう『健気』としか言いようが無い。
―流石、ダークマターと言ったところか。
現代医学では太刀打ち出来そうにないようだ。
「…特効薬というよりは速攻薬ですよね。ある意味」
『ふむ…。是非とも分析したいな。まさに、毒にも薬にもなる素晴らしい料理だ』
その言葉に、僕等は黙る。ノーイさんと紅葉さんを除く全員が吉田魔王様を見、互いに視線を交わし頷く。そして実行に移した。
「…じゃあ、俺の味噌汁を使ってくれ」
「わ、私も」
「俺も」
「ニアッ!」
皆、一抜けたと言わんばかりに各々の食べ終えた食器を積み重ねると椅子から立ち上がる。
『ちょっ…、何を…』
「君達ね、作ってくれた人の前でそれはないでしょ。ちゃんと残さずに食べなさい。
―なに、心配することは無いよ。まだ鍋にたくさん残ってたから。さぁ、席に着いて」
青ざめた顔で動揺する吉田魔王様に、青筋を浮かべた陽一郎さんが台所の前で仁王立ちしていた。
中々ご立腹の様だ。見捨てられたのを根に持っての仕返しと言ったところか。
泣く泣く席に着き味噌汁を啜る皆に、陽一郎さんは呆れた様子で溜め息を吐く。
「さて、君達。呑気に食べてる場合じゃないだろう。何のために此処に来たんだい?」
その言葉にカインが柏手をつく。
「何か、用事でもあったの?」
「何を呑気な…。―ゼリアが本格的に動くつもりらしい」
「別に良いじゃん…」
「良くない。ゼリアは何故か知らないが、お前を目の敵にしてるだろ?
そのゼリアが本格的に動くってことはな、お前を潰しに掛かるってことだよ」
「…まぁ、それに因んでの奇襲、のようなものにも遭ってるし、確かみたいだね」
「遭ってるのかよ…。そんな悠長なこと言ってる場合じゃないだろ。命を狙われてんだぞ?」
「殺す気、無いみたいだし気が変わらない内は別に。けど、そうも言ってられなくなるよなぁ。ああいう性格の奴が一番何仕出かすか分からない…」ふわぁぁ〜と欠伸を一つ。眠気で重くなった瞼は自制が聞かなくなってきた。欠伸によって滲んだ涙を拭い取る。
それを見たノワールが、優しく声を掛ける。
「…優真様、少しお休みになった方が良いのでは?
後片付け等は私達がやっておきますわ」
「うん…。ありがとう…。何か、凄く疲れた気がする…。なんでだろう…?」
椅子から立ち上がり、側に設置されたソファーに横になると深い深い眠りの世界に堕ちて行った。
―幸い、誰からの奇襲も受ける事なく平穏に一日を終えた。
嵐の前の静けさ。
そんな静かな胸のざわめきを密かに感じながら。
****
さりげなく木々が並ぶ涼しげな住宅街。
深夜なだけあって、辺りは静まり返っていた。
「―それじゃ、始めようか」
設置された蛍光灯が仄かに手元を照らす。
高揚した気持ちを静める為に、ひんやりとした夜の空気を肺一杯にを吸い込む。傍らでじっと佇む従者に視線を向けた。
「………………。」
「何か不満でもある?」
僕の問いに対し、別にありません…と素っ気ない答えが返ってる。
艶やかな長い黒髪に、解けかけた包帯。手には一冊の古びた黒い表紙の古書。
慈しむ様に表面をそっと撫でると、貢をめくった。どの貢にも複雑怪奇な魔法陣が描かれており、舐める様な眼差しでそれを一瞥すると、半ばあたりで手を止める。
「コレにしようかな…」
貢に描かれた魔法陣に手を乗せる。
小さな唇から紡がれた詠唱は夜風に乗って遠くへと静かに響いた。
詠唱が終わるやいなや、足元に貢と同じ…しかし、それより二回り程大きな魔法陣が形成される。
やがて大蛇の姿を成した黒い炎の渦が陣から飛び出した。
するすると寝静まった住宅街を風の様に駆け抜ける。黒い大蛇が通り抜けた住宅は、たちまち黒い炎に包まれ紫色の煙を上げていた。耳をつんざく様な悲鳴が聞こえて来る。
「…えげつないことをするんですね。朝まで消えはしませんよ」
「簡単に消えてもらっちゃ困るからね。此処も、それなりの上流階級っぽいし、これだけ煙が上がってればいくら暗闇だろうと騎士も気付く。そこそこ城も近いし、暫くすれば来るんじゃないかな?」
ガサリと草を踏み締める音がして振り向けば、数人の騎士が愕然とした表情を浮かべて黒い炎に包まれ燃え盛る住宅街を見ていた。
「…ほら、来た」
不敵な笑みを浮かべて騎士達を見下す。
「―貴様がやったのか…?」
「愚問だなぁ。元々それが仕事なのに」
声を掛けた騎士が静かに唇を噛む。
しかし、次に放たれた言葉は意外なものだった。
「…同志だと、思っていた」
「は?」
思わぬ発言に、目が点になる。
「貴様は確かに、我々とは相容れぬ身の上だろう。
だが、国を良くしようという姿勢、その志は容易に見て取れた。英雄とまではいかないが、確かに貴様は我が国を窮地から救った。だが…何を血迷ったか」
騎士は一旦言葉を切り、鞘から白銀に光る剣を抜く。
「―魔王、田中優真」
僕は薄く微笑んだ。




