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第三十話 破壊ノ始動


「うぅ、う…ヴヴヴ、ヴヴァァァッ…!!」


徐々に崩れていく義子の狂態を陽一郎は淡々と観察していた。


強い殺気を感じ、全てを見通した眼で悠然と振り返って片手を上げると、社交辞令の様に薄く微笑んだ。


「やぁ、ダグラス。相変わらず、早いお出ましで」

「…さっきの巨大な黒い影は何だ?一体、何がどうなっている?」


ヒビの入った甲冑からは、良く鍛え抜かれた屈強な体が覗く。やつれた表情ではあるが、瞳から放たれる殺気がそれを感じさせなかった。


「あれが『影の王』だよ」

「それは何だ。魔王の呼称か?」


苛立たしげな、怒気を交えたダグラスの問い掛けに、陽一郎はゆるゆると首を横に振る。


ダグラスはどうやら、陽一郎がこの事態を引き起こしたものと勘違いしている様だ。


「あれが、知恵の悪魔の真の姿さ。契約した人間の体を借りることによって具現しているんだ。

だから、あの巨大な影は優真君でもあり、知恵の悪魔でもあるわけ」


そう答えながらも、陽一郎の頭の中では別の思考が渦を巻いていた。


―優真君が作った結界が何処まで自身の攻撃に堪えられるか。


そんな思考が全てを占めていた。つまり、その他の事はどうでもいいわけで、眼中に無いと言ってもいいだろう。かと言って、それが義子が崩れ行く様から目を背ける為の逃避思考という訳では無い。それら全てを含めて考えているのだ。彼は自分でも驚く程に、冷静を保っていた。

それは単に彼が血も涙も無い薄情な人間と言う訳ではなく、誰よりも義子を信じていたからである。


田中陽一郎という人間は愛妻家ならぬ愛子家だった。


だからと言って、妻を愛さぬ訳では無い。妻がいたなら同様に愛すだろう。

妻の気心次第だが、それこそ、絵に描いた様な理想の家族像が実現したかもしれない。

いや、二度はそれを夢見、実現しようと思った事がある。


一度目は彼自身がその可能性を無くし、二度目は妻がその可能性を捨てた。

どちらも仕方の無いことであり、そのことについて言及するつもりはない。


「…さて、どうしようか?」


そう困った様に呟き、腕を組む。


優真君…いや、『影の王』がアレを完全に飲み込んでから一時間近く経つ。

その後は、知恵の悪魔は自身が統べる影の世界へ還り、残った優真君に主立った変化が現れたのが、それから約五分後。

本来、『影の王』がいなくなったのならば、世界に色は還るはずなのだ。

それが無いということは、感情エネルギーに意識を蝕まれて『影の王』の名残が上手く制御出来ていないに他らならない。


感情エネルギーがあまりにも膨大だったのだ。


パソコンで言うなら、残量不足。人体で言うなら、消化不良による胃もたれと言ったところか。


既に優真君の意識は半分呑まれかけている。このまま放置すれば、優真君の精神は完全に殺されてしまうだろう。そして制御を失った世界を蝕む歪みは大きくなり、内側から世界を壊す。


僕も優真君も、多少の暴走は覚悟していたが、まさか此処までとは。

もしマフィネスがこの事態さえも予定調和というなら驚嘆の一言に尽きる。

まぁ、それは無いと断言出来るが。


「どうするつもりだ?この事態を。仮に、お前の息子が元に戻ったとしよう。だが、争いは無くならんぞ。まだ敵国は我が国に滞在しているのでな」

「大丈夫。ちゃんと優真君が考えてくれたからね。僕はその監視役さ。

…最も、敵兵を討ち取るのは君達騎士の役目だろうけど。負け戦は出陣しないのが君の騎士道なのかな?それならすまない。先程のことは余計な戯言だと聞き流してくれ」


ダグラスがこの挑発に乗ろうとした時、後方から足音が聞こえてきた。


「なっ…、これは一体…。陽一郎、貴様が何かしたのか?」

「アンナ、気持ちは分かるが、憶測で物を言うな」


噛み付かんばかりの勢いで陽一郎の襟首を掴むアンナをカインが宥める。

陽一郎は気を害した風でもなく、平然と否定した。


「勿論違うよ。流石の僕もそんな非道な事はしない。…あぁ、そこに隠れてるフェラ皇子も別に出て来て大丈夫ですよ」


物陰からフェラ皇子が顔を出す。そして平然を装ってゆっくりと歩いてきた。

しかし、緊張の為かおもちゃの兵隊が行進するようなぎくしゃくした足取りだ。


「ふんっ、私の隠れ所を見破るとは中々だな…」


余程緊張しているのか、それとも恐怖の為か完全に声が裏返っていた。

それに対し、陽一郎は安心させるような優しい笑みを浮かべて、恭しく頭を垂れる。


「私の様な小市民がお褒めに預かり光栄です。

カイン君、悪いが城の放送室まで皇子の護衛を頼みたい。…良いかい?」


陽一郎の言わんとする事を理解し、カインは頷く。

アンナもその意図を汲んだ様で、不服そうではあったが異論は唱えない。

不安げに二人を交互に見るフェラ皇子の手を引くと、カインは城内へと入って行った。


「…今のは、何か意味があるのか?」

「勿論。無意味なら行動は起こさないよ。こっちも無駄に戦力を割く余裕はないんだ。

君達も手伝ってくれると有り難い」


ダグラスとアンナは二人揃って重々しく頷くと、陽一郎の隣に並んだ。全員が同じ場所を仰ぐ。


「優真君が張った結界も限界が来た様だ。例え彼があそこから出たとしても、彼が城を攻撃しない限りは野放しで構わないよ」

「では、我々は何をすれば良い?」


アンナの問い掛けに、陽一郎は二人を見た。

同時に硝子の様な、透明な欠片が降ってきた。結界が限界を迎え、壊れたのだ。

中から、ラグドに似た漆黒の鎧を着た影の様な長身の青年が覚束ない足取りで姿を現す。自身から溢れる魔力により長い黒髪はたなびき、漆黒のマントはゆらゆらと揺れている。

片手には、同じ漆黒の長剣ロングソードが握られており、彼はそれを天に向かって突き上げた。剣先に黒い光が球体となって収縮する。それをだらりと腕を下げる様にして、弱々しく降った。


途端に黒い光線が、地を駆けた。破壊の軌跡が一瞬にして出来上がる。


言葉を失う二人とは別に、陽一郎はその様を淡々と見ていた。


「僕が指示を出したら」


その一言で二人は我に返った様に再度陽一郎を見た。陽一郎は弱々しく微笑むと本当に参ったような悲痛な面持ちで、喉の奥から絞り出す様に呟いた。


「優真君を殺してほしい」

****


「主様曰く、ラグドは少し痛い目に遭わなきゃ早々退かないだろうっていうことらしくてね?

まぁ、要はラグドのみを攻撃しようっていうわけよ。圧倒的な力を見せ付ければラグドだって退散するでしょう?でも、爆弾を抱えた今の主様が力を使えば完全に呑まれる可能性大なの。結構、危ない橋を渡ろうとしてるのよ」

「…なぁ、その田中が呑み込んだ感情エネルギーの集合体は、言わば高エネルギーの気体なんだろう?でもその、『魔力魂』っていうのは物体だよな?

感情エネルギーの結晶体が魔力魂なら、何で今回は気体…つまり、結晶化しなかったんだ?条件は満たしてんのに」「坊やの言う通り、魔力魂になる条件はほぼ満たしているわ。

魔力と生命の結晶体…。だけどね、その素材が複数となるとそうもいかないのよ」

「それは、技量というか、器の問題ですか?」


それもあるわねとヴァルベルは頷く。


「要因は様々だけれど、魔力魂とあるように、言わば魂よね?だから、意思が関係してるんじゃないかと私は思うのよ」

「つまり、意思の不一致ってことか?」


多分ね…とヴァルベルは曖昧に肯定した。

俺的にも、それは確かに有力な説ではないだろうかと思う。


「逆に…、気体から固体へ凝固させて消化させるのは不可能なのか?」

「結晶化するには、意思の不一致を解消させるしかないわね。最も、体内に入った水が氷に転じるなんてミラクル、主様でも無理よ。最初から結晶化してくれたなら、精神を蝕まれることなく壊せたし、食べれたのにね。お陰で手間が掛かることになったわ〜。食べたは良いけど、毒素が強すぎて主様の精神が乗っ取られたとあっちゃ、本気でラグドを潰しかねないもの」

「…だが、それ以前に、ラグドだけを一網打尽にって出来るなのか?」

「勿論、無理よ。だから…」ヴァルベルがそう言った時、空から声が降ってきた。

それに、にやりとヴァルベルが微笑む。


「他は退場してもらわなくっちゃね」


空から降ってきた一言は、耳を疑うとか、その次元を遥かに超えたものだった。


「フェラの愚民諸君っ!フェラ第一皇子の直々のお言葉だ。言わば、神からのお告げと思って粛々たる心持ちで聞くが良いっ!」


「雪、何をどう間違えればあぁ育つんだ?生意気ってレベルじゃねぇぞ」

「うーん…。ほら、小さい子が粛々って言葉を知ってたことだけでも、過大評価して良いんじゃないかな?」


頭を抱えながら言う俺に、雪は皇子を庇うようにフォローする。

しかし、この度肝を抜く演説はまだ続くのだ。


「さて、諸君。諸君は私の身柄を保護するべく、卑劣なる蛮国に従い、この国に攻め入るという愚挙を冒しているのなら、これは大変由々しき事だ。

聞いての通り、私は無事である。まぁ、この事態は私が発端となって引き起こったものでもあるから、諸君等を責めるつもりはない。では、今後諸君等がすべき事は何か?直ちに国へ帰還することだ。良いか、これは私直々の命令だ!

即刻、直ちに、速やかに帰還せよ!以上!」


言いたい放題言って、放送は切れた。もう突っ込む気力も尽きてしまい、脱力感と疲労感がどっと押し寄せてくる。

水と油だ。常識は非常識に関わってはいけない。

そんな教訓を学び、骨の髄に染み渡らせる。


「なぁ…」

「何かしら?」

「アレで、その、あの国の兵達は帰ってくれるのか?」


俺の問いに、ヴァルベルも疲れた様に言う。


「そういう国なのよ」

「世の中って…怖いな」

「ま、まぁ、潔いってことで良いんじゃないかな?」


そんな雪のフォローに、優しいわね〜とヴァルベルは感心していた。そして、溜め息を吐く。


「…でも、確かにその方が助かるわ。ラグドは頭が固くて嫌ね。血に飢えた戦闘狂も困り者だわ」


ヴァルベルの視線の先には数十の漆黒の兵が迫っている。


「うげっ…」

「岸辺君は下がって。此処は私が…」


俺の前に出る雪を、ヴァルベルが制した。


「坊や達は下がってなさい。此処は私一人で十分よ」

「で、でも!」


しかし、雪も負けじと食い下がる。それをヴァルベルは睨んで黙らせた。


「…この私が、人間風情に遅れを取るとでも?」


ドスの利いたヴァルベルの声に雪はたじろぐ。ヴァルベルはそんな雪の頭を撫でるとにっこりと微笑んだ。冷たい笑みだった。


戦えないでしょ?今の貴女は。


そう表情が物語っている。

ヴァルベルは、もしかしたら虚勢を張る雪を怒っているのかもしれない。

そんな状態で戦えば、命を落としかねない。そうなれば、田中が悲しむと分かっているから。

いや、そうでなくとも怒っていたかもしれない。


「大丈夫よ。この程度の雑魚は一分もかからないわね」


そう言ったヴァルベルの頬を銃弾が掠める。銀の髪が一房散った。


「…あら。そう言えば、音が無かったんだっけ。いきなり乙女に銃弾浴びせようなんて無粋な連中ね」


頬に手を当て、流れた血を拭って舐めると、長い銀の髪を後ろに払いヴァルベルは忌ま忌ましそうによく手入れされた爪を噛む。


髪や顔は女の命と言うが、どうやら今の奇襲はヴァルベルを本気にさせてしまった様だ。

いや、もしくは雑魚に手傷を負わされたのが原因…またはそのどちらもか。


長い睫毛に覆われた紅い血を思わせる瞳を怒りにたぎらせ、吸血鬼は艶やかに微笑む。


俺は、この時ほど女性に畏怖の感情を抱いたことはないだろう。


「貴方達の血は不味そうだけれど…、最後の一滴まで愛でてあげるわ」


……………………………。

…………………………。


あぁ、頭がぼぅっとする。息苦しい。痺れがピークに達して、痛みを伴う様になってきた。考えることが億劫になってくる。


脳髄を囲う脳漿のうしょうの海…。

暗い意識の水底に、精神体の僕が漂っている。

水は生温かく、赤黒い。海水の様に塩辛いそれが傷痕に染みて痛痒かった。その上、しつこく肌に纏わり付く。塩水の癖に、体はどんどん沈むのだ。

身体から流れる黒い血が、赤黒い海の一部と化す。奥へ行く程景色は黒から赤へ染まっていく。

精神体でも血は流れるのかと感心した。

その最深部は血溜まりの様に濃い赤で、よく目を凝らして見れば核の様な曖昧な輪郭の球体を成した黒い塊があった。

消化されて随分小さくなったが、アレが一国を更地へ変えんとした感情エネルギーであり、ぎっしりと詰まったマフィネス国民そのものだ。


どうやら僕は、引力で導かれる様にそこへ沈んでいるらしい。つまり、あそこへ完全に到達した時、田中優真ぼくの意思は感情エネルギーと同化して消えるわけだ。


完全消化と、完全同化。


―さて、どちらが先か。


意識が水底からすぅっと浮き上がる。これは一時的に意識が身体に還る、その予兆だ。


…それは決まって。


意識が戻る。そこは更地と化していた。辺りには数え切れない程の死体が転がっている。手には血を吸った無駄に細かい装飾が施された長剣ロングソードが握られていた。髪が血の付いた頬に張り付いて鬱陶しい。

前方後方国籍問わず、色々な国の兵に取り囲まれていた。誰もかれも目が血走って、如何にも発狂寸前と言わんばかりだ。

まぁ、いくら殺してもまた動き出すゾンビの様な奴を相手にしているんだ。気持ちが分からなくもない。しかも放って置けば、大量殺戮を行うのだから必死にもなる。


銃口が向けられる。

その様子を見て安堵の息を漏らした。どうやら、ヴァルベル達は上手くやってくれた様だ。


「構えッ!」


安定しない視界の中、姿は見えずとも聞き慣れた陽一郎さん声がして、銃口の焦点が標的に定まる。死んでは生き返り、生き返っては死ぬ。そんなことを繰り返す内にすっかり服は自身の血やら他人の血やらで黒く染まってしまった。に血を吸った服は少し重いし、当然ながら血生臭い。その臭いに軽くむせながら思いを馳せる。


こんな形で世界を滅ぼす事になろうとは。

血走った兵達の眼、荒れ果てた大地、一面の死体を見て確信する。

…今の僕は、魔王そのものだ。


―前みたいには、もう戻れないなぁ。


しみじみとそんなことを思い、苦笑しながら、誰に向ける訳でもなくただ一言だけ呟く。


「…宜しく頼むよ」


意識が身体に還る時。

…それは決まって、僕が死ぬ直前だ。


銃口が火を噴く。甲高い銃声の悲鳴が聞こえた様な気がした。四方八方から銃弾が飛び交い、一つの標的を穿つ。血が斑点の様にそこらに飛び散った。乾ききっていない血溜まりにまた崩れ落ちる。


…………………………。

………………………。


意識はまた、水底へと沈んでいく。


濃度はぐっと濃くなった。あまりの濃さに息が吸えない。景色は真っ赤で、身体のあちこちが酷く痛む。意識は朦朧としているが、頭痛だけは警鐘を鳴らすかの様にはっきりとした痛みと熱を持って続いていた。


沈んでいく僕の後ろには、一回り程小さくなった、毬ぐらいの大きさの曖昧な輪郭を帯びた球体が勝ち誇った様に今か今かと待っている。


―おいで…。一緒に終わらせヨウ…?


ぐにゃりぐにゃりと形を変えて、幼子の様な小さい黒い手が伸びてきた。

僕の頬やら額やらに触れてくる。死人の様な冷たい手だ。


あぁ、何だか酷く悲しい。酷く悔しくて、辛くて、寂しい。


何だか無性にそう思うのは意識が乗っ取られつつあるからなのかな。これは、マフィネスの感情なのに。

もうそんなことさえ、どうでも良い気がした。


―壊せば全部終わるカラ。


あぁ、そうか。全部終わるのか。じゃあ全部跡形もなく壊してしまおう。そうだ、それが良い。


もう、全て億劫だった。安息が欲しかった。


だから、これで良いんだ。


……………………………。


「ぅうウヴァァァァッ!!」


獣の様な咆哮が上がる。

ビリビリと空気が震えた。

あぁ、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。苛々する、腹立たしい。


だから


もう、


終わらせよう。

次回で本編最終話となります!でも本作はまだまだ続きます。次回はもしかしたら長くなるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

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