第二十五話 蝕害
「たーなぁかー!寝てる場合じゃねぇだろー」
「………」
応答無し。
このやり取りを何十と繰り返したことか。
「はぁ…。フィート、そっちはどうだ?」
「怪我は大した事は無いので大丈夫です。今は気を失っているだけで、直々目を覚ますと思いますっ」
「そりゃ良かった。どうしようか、陽一郎さんが来るまで待つか?」
赤毛さんに問うと、首を横に振られた。
「そう悠長にしている時間は多分ないと思って良いんじゃないか?
二ヵ国が攻め入っているんだ。仮に、フェラが本心じゃないとしても脅されている以上攻め入るしかないだろう。そうなると此処も安全では無くなる。
俺としては、国民を何処か別の安全場所に避難したいが、優真がこれでは移動不可能だ」
「何で、田中がコレだと移動不可能?」
「あぁ、知らないのも無理ないか。この城の地下に都市…まぁ、国民の生活施設が軒を揃えているんだ。言わば、この城自体が一つの国。名を『ミリュニス』と言うんだ。国王は吉田魔王様。詳しい話は後に説明しよう。
この城はな、魔力が燃料みたいなもので、吉田魔王様のところのノワールが取り仕切っている。言わば、彼女がメインコントローラーみないなものだ。
…で、この城は魔力によっと移動が出来る。しかし、動かすには膨大な魔力を要するんだ。
ノワールは、訳あって城を急ピッチで移動させることは出来ないが、ノワールと契約した優真にはその主導権も供給する魔力もある」
もう、人間を止めて発電所か何かになれば良いんじゃないだろうか?
「しかし、何故大元であるマフィネスが攻めて来ないのが謎だな。
カイン、私は先に上に行って国内の様子を見てくる」
「アンナ、気をつけてな。俺達も後から行く」
アンナさんは、長い金髪をたなびかせながら振り返ることなく静かに頷くと、奥へと駆けて行った。
「何だか、外国の警察官みたいでカッコイイな」
「ですね〜。私も、将来はあの人や姉様の様に凛々しく、そして雄々しく育ちたいですっ!」
「あぁ。無理だな」
「即答ですかっ!?美人じゃないですが、性格上の可能性ならっ…」
「ない」
「きゅううぅ……」
小動物の様に瞳を潤ませながらフィートは俺を見る。その様が、お菓子をねだる早苗に似ててちょっと困った。
癒されなかったかと問われれば、十分に癒されたと迷いなく答えれるだろうが。
「…そうか」
「ん、どうした?何か閃いたか?」
柏手を打ち、一人納得する俺に、赤毛さんは期待を含んだ物言いで問う。
「今、田中は精神的に深いショックを受けてるんだよな」
「まぁ、そうらしいな」
「つまり、『癒し』があれば良いんじゃ?」
暫く、沈黙がこの場を覆った。
赤毛さんは、異国の言葉を聞いたかの様に眉を潜め考え込んでいる。思考中という文字が頭から浮かんでいるのが見えそうだ。
「そんなので解決するような問題なのか?これは」
「いやいや、アニマルセラピーを侮るべからず。
俺達の世界ではまだ医療として正式に公認されていないが、動物の持つ力…正式にはそれを受け取る側の人間の心理的状況効果みたいなもんなんだろうな。病は気からってことわざもあるくらいだし。実際、効果が無いわけじゃないらしい。実例があるが、それによる効果で治療が成功したという確かな証明が無いわけ。試す価値はあるんじゃね?田中の奴、ペットか何か飼ってる?」
「猫っぽいのと…、ああ、そうだ。赤子に似た黒っぽいのがいたな」
「前者は百歩譲って大目に見るが、後者は!?」
「…まぁ、気にするな。おっ、どうやら猫モドキ達が来たみたいだぞ」
気にならない方が無理がある様な気がするが、いちいち気にしていては長生き出来ない世界なんだろう。
赤子さんの吹っ切れたと言わんばかりの表情で、そう悟る。
赤毛さんも、相当の苦労したに違いない。色々な意味で。
赤毛さんの言う通り、確かにいくつかの足音がこちらへ向かって来ている。
ズドンッ…!
扉から角が生えた。
くぐもった鳴き声が扉越しから聞こえた。
その音を聞き付け、後から足音が早くなった。焦った様な声が聞こえて来る。
「あぁ、やってくれましたね。ミリュニスの城の扉は突き破れませんよ、猫モドキ」
「ノーイ、説教は後に。可哀相ですから早く抜いてあげなくては。少し痛いかもしれませんが、我慢して下さいね?」
「ニア…」
「手伝いに行った方が良いのか…?」
「はぁ………」
「プラチニオンの竜の姿はさっき見ましたが、今度は幼体が見れるんですねっ!うわぁ〜、見るのが楽しみですっ」
それぞれ思い思いの感情でその光景を見守る。
暫くして角は無事抜けた。そして扉が開く。
「ニアッ!!」
白い物体が開いた扉から勢い良く駆けてきた。
そして。
ズブッ…!
「あ」
「…………」
「きゃあああっ!」
勢い余って田中の背中に角が突き刺さった。
シャツから黒い血が染み出る。
猫モドキとかいう白猫に羽と角が生えた謎の生物は、赤と黄色の瞳をオロオロと世話しなく動かしながら背中の羽根を羽ばたかせ、田中からゆっくりと離れた。
「ぅん……?どしたの、皆…」
ゆっくりと田中が顔を上げ、辺りを見回す。
「おぉっ、復活したか」
「ニ、ニアっ!」
「カインと猫モドキ…。何か久しぶりだね…。
ところで、僕はどうやって砂漠から抜け出してきた…?」
田中は不思議そうに目をしばたかせ、首を傾げる。
その声はカラカラに乾いていて、耳を澄まして聞かなければ、掠れた音としか認識出来ないほどだ。
「…お前、覚えて無いのか?」
「隊長が…、エビに刺されて、僕は触手に足を取られて散々な目にあったところまでは覚えてるけど…。そういえば、隊長は…?」
「とりあえず無事だ。怪我も見た目ほど深刻ではないらしい。
というか、酷い声じゃないか。ノワール、水を頼む!」
「はい、少々お待ち下さいませっ!…あの、出来れば手伝って下さると助かりますわ」
赤毛さんの声に、ノワールという雪そっくりのゴスロリを来た少女が、魔王様の側近の人に肩を貸しながら歩いて来る。
服や髪がやや乱れ、透き通る様な白い肌には田中と同じ黒い血が流れていた。
後から、潰れそうになりながらも雪を背負った金髪の少年もやって来た。
赤毛さんはそれを見るなり慌てて手伝いに走る。
暫くして魔王様の側近や、雪を床に寝かせると、ノワールは何処から出したのか水の入った硝子の器を田中に渡した。
田中は一気に水を飲み干すと、ノワールに礼を言って器を返す。
「後遺症、残るんだったよね。大丈夫かな」
「あのな、優真。仮にも、お前の命を狙ってた奴に情けまでかける気か?」
「そんなんだからカインは友達が出来ないんだよ。もっと臨機応変にいこう」
「…それ、人付き合いにおいて最も失礼な方法じゃないか?」
「八方美人とも言うね」
そんな二人のやり取りを、どうするべきかと分かりあぐねている俺に、ノワールが誰に言うまでもなく、楽しそうに微笑んだ。
「…ふふっ、いつもの光景ですわね」
「こんな時に…。全く、懲りない奴らです」
成程、これが日常茶飯事な訳か。赤毛さんが無心の境地に行き着いたのも頷ける気がする。
二人から少し視線をはずし後ろを振り向けば、フィートが何やら考え込んでいる様子で立たずんでいた。
「フィート、どうした?」
「いえ…、あの、本当にどうやって破ったのかと思って…」
そう言って、少し怯えた様に俺…いや、俺の後ろで談話を繰り広げている田中を見た。
「私、空間変異の能力者だから空間や結界の事には詳しいんです。
此処に張られた固有結界は私でも解除するのは一筋縄ではいきません。
魔術無しでは力付くで破る事は不可能のはずだし、私だって結界内ならきっと何も出来ません」
「…つまり、何が言いたいのです?」
ノワールの支えを借りて起き上がった魔王様の側近さんが訝しげな表情でフィートに問う。
「えっと、その、ですね…痕跡が無いんです…。全く無いんです」
フィート曰く、どんな魔術師や能力者でもこんな高度な固有結界を何の痕跡も無く完全に破壊するのは不可能とのこと。
言わば、俺達の世界で言う高性能コンピュータにウィルスを紛れ込ませて破壊し尽くすにも、ちゃんと足跡が残るはずが、足跡すら見付けられないくらい木っ端みじんに破壊しつくされているらしい。
「ちょっと待て。つまり、結界の再構成は不可能って事なのか?」
フィートの話を聞き付け、赤毛さんが血相を変えてフィートに問う。
「何も残ってませんから、再構成以前の問題です」
「おいおい、優真…。この損失はデカイぞ?
固有結界一つを構成するのにどれだけコストが掛かると思っているんだ?」
「あははは…。いやぁ、僕だって知らないよ。覚えてない」
「お前、もしかして知ってて態とシラを切ってないだろうな?」
赤毛さんの必死の表情に気圧されたのか、田中は渋々といった様子で言う。
「分かったよ、そこまで言うなら僕が弁償すれば良いんでしょ?あぁ、『魔眼』があって良かった…」
「む、無理ですっ!私でさえ作るには一日は掛かるんですよっ!?
例え、『魔眼』持ちでも、陣で結界を構成することは不可能ですっ」
「え、そうなの?皆、どうやって結界の構成してるわけ?」
「私も詳しい事は知りませんが、私の様な空間に詳しい者数人で構成に当たっているとか。私も能力者ですが、結界構成はまだ携わったことないんです。
少なくとも、一人では無理ですよ。空間変異もかなりの魔力を消費しますが、結界の構成に消費する魔力はそれの比ではありません。一人では到底まかなえないくらいの量を必要としますから」
ふーんと半ば納得した様な曖昧な返事を返す田中に対し、赤毛さんは平然と田中に言った。
「優真。お前、その点なら問題無いだろ」
「えっ、今の話聞いてた?僕としては俺達も手伝うくらいの言葉を期待してたんだけど」
「元はと言えば、お前が原因だろうが。別に誰も今直ぐに直せとは言ってない。だが、必ず直せよ」
「後でも前でも同じだと思うけど…。というか、何で今じゃ駄目なの?」
田中は不思議そうに首を傾げる。
あぁ、そうか。国内の状況をまだ知らないのか。
まぁ、先程まで砂漠に居たのだ。無理もない。
「実はな…って、お前、首っ!」
皆も一様に目を見張る中、当の本人は、どうしたのとでも言いたそうに怪訝な顔を浮かべ、片手で自身の首に触れる。
「何か変かな?確かに少し熱いし痛いけど…」
「いや、やっぱ何でもねぇから気にすんな。ほら、さっさと歩け、馬鹿。
今、フェラやラグドが攻めてきて一大事なんだよ国内が。上にアンナさんがいるから一旦、合流するぞ」
赤毛さんに背中を押されながら、田中は大広間の奥へと進んで行く。
「ナイスフォローですわ」
ぽんっと肩を叩かれ振り向けば、ノワールがやや疲れ表情を浮かべながら、安堵の息を吐いていた。
「えっと、ノワール、だったか?」
いきなり雪に似た少女が声を掛けてきたものだから、内心、飛び上がりそうな勢いだ。声は裏返っていないだろうか。
「えぇ、申し遅れましたわね。私は『死の夜』と書いてノワールと読みますの。普通にノワールと呼んで頂いて構いませんわ。こちらはノーイ。ノーイ・ヌル・フランクリン」
「そうか。俺は岸辺太郎。よろしく頼む」
「えぇ、存じていますわ。優真様のご友人さん。そうですわね…、何とお呼びしたらよろしいかしら?」
「別に何でも。ノワールの好きに呼んでくれ」
「…では、太郎様で」
「あー、その、何でも言いと言っておいて何だが、下の名前は極力避けたい」
「あら。素敵な名前ですのに。それでは、岸辺様と呼ぶことに致しましょう」
しどろもどろに言う俺に、ノワールは口に手を当てて驚きの声を上げる。
と言っても、口調が穏やかな為か、全然腹立たしくなかった。
「さっそく質問で悪いが、田中の首のあの痣は?」
恐らく、巨大エビ、カリスとやらの触手に絞められて出来たのは分かる。
「だが、何で手形で、あんなにくっきりと跡が残ってるんだ?」
田中の首にある入れ墨の様に残った痣。
触手に絞められた割には、版を押した様にくっきりと手形の跡になっていた。
まるで、人に首を絞められたかの様に。
実際にカリスとやらを見た訳ではないから、仮説として、触手は人の手の様に枝分かれしていたとも考えられる。
「カリスの巨大な鋏の中には、『蝕害』をもたらす触手がありますの」
「『蝕害』って、虫とか鳥とかが植物とかを食い荒らすことだろ?」
ノワールは頷き、物憂げに視線を逸らす。
「えぇ。しかし、カリスのもたらす『蝕害』は対象が違いますわ。
…人の心を蝕みますの」
「心を、蝕む…?」
ピンと来ない単語に、俺は首を捻る。
「あの砂漠に人が訪れないのは、確かに熱害のせいもありますわ。
しかし、貴方の様な商人はそうも言ってられませんでしたの。魔術の使えない彼等にとって、両国を隔てるあの砂漠こそが唯一の移動ルートでしたから」
しかし、そんな彼等の行く手を阻んだのが、カリスという訳か。
「カリスに食われて死ぬ商人も数多く、また、カリス逃げ延びた商人は熱害により命を落としたり…。
いつの頃だったか、我がミリュニスがカリスの生態を調べるべく、あの砂漠に移転した時のこと、カリスから逃げ延びた商人の一行を保護しましたの」
当時の商人は同盟を組むことによって独自の情報を流通したり、共に行動することも多々あったらしい。
「カリスは、獲物を捕食する際に、鋏の内側に潜ませた触手で相手に印を施しますわ」
「それが、『蝕害』をもたらす…」
「はい。万が一、獲物が逃げ出した時に分かる様、マーキングの意と、完全に逃げ切れない様にするための意があるようで、保護した商人は我々が最善を尽くして看病しましたが、大半は程なくして衰弱死されました。
…先程、マーキングと言いましたが、それが優真様の様にはっきりと形をもって残るのは稀な事…いいえ、異例なんですの。
ねぇ、岸辺様。大変聞きづらい事ですが…、優真様は昔…」
僕はね。
何時だったか、田中は言った。
「首を絞められたことが…」
あるんだよ。
「…お有りですか?」
「田中にあの痣が残ったのは、昔の跡だからってことか?」
「恐らくは…」
ただ、そうかと呟く。
昔と同じ様に。
「あのままだと、衰弱死する?」
「優真様の場合、それは無いかと…。それは、岸辺様の方がよくご存知では…?」
控え目にノワールは俺を見た。
「しかし、あの痣を起点にフラッシュバックが生じると思いますわ。
唯一の救いは、カリスのマーキングは、優真様がストレスを感じた時にしか表れませんの。
でも、過度なストレスを感じた時は別です。寧ろ、危険ですわ」
「危険…?」
「カリスによる蝕害被害で衰弱死した者は大半。全てではありませんでした。
しかし、残りの数名を死に至らしめた原因もまたマーキングによるもの」
「何が、あったんだ?」
「優真様がおっしゃりましたよね。少し熱くて痛いけどと。これもまたストレスによるものですが、過度のストレスを感じた場合、あの痣は高熱と痛みを発症しますの。場合によって、皮膚が焼け爛れるほど酷いものになりますわ。
我々は、このマーキングを『呪』と呼んでいます。治療法は、まだ…」
ノワールの話を呆然と聞きながら、小さな爆弾を抱えた友人を思う。
「とにかく、今は目先の争いを片付けるぞ。話はその後にしよう」
平凡とは程遠い友人。
恐らく、『呪』とやらがあろうが持ち前のゴキブリじみた生命力で何とかなるに違いない。
…じゃないと張り合いがないだろうが。
「二人で見付けるぞ。治療法」
振り向かずに、ただ言い放つ。
挫けている暇も、嘆く暇も多分無い。
田中優真という男は、不幸クジを引き当てる天才だから次から次へと厄介事を引き起こすに違いないから。
「なっ、そうだろ。雪」
驚くノワールの後ろで、ゆらりと蠢く影が一つ。
「ごめん、岸辺君。迷惑、掛けちゃったね」
えへへ…と申し訳なさそうに、吉田雪は子供の様にはにかんだ。




