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第十二話 亡き王国の姫君


闇市に、正義はない。


「変態、痴漢、ロリコン、幼女触り魔っ!」


ただし、偏見はある。


「えっ、ちょっ…違うって…」


かつて受けたことのない、言葉の機関銃攻撃と、周りからの妙に冷めた目。


雪ちゃんが側にいないのをこれ程安堵したことは、恐らくないだろう。


まぁ、毎度のことながら、僕は迷子になった。

お正月の卸売場の如く、混雑した闇市で逸れない術など僕には皆無である。


有機物が発する独特の悪臭が漂い、耳を覆いたくなる様な卑猥な言葉や罵詈雑言が飛び交う。

聞く度に、雪ちゃんの安否が心配になるが、勇者が痴漢に倒されるといったことは天地がひっくり返っても起こり得ない事だろう。

第一、彼女は武器を持っている。


そう、自分に言い聞かせていた時だ。


根本的に言えば、前方不注意だった僕が悪いのだが、そこで前から走って来た少女をぶつかったのである。裸足のため、足音が地面に吸収されたのだろう。ぶつかるまで、全く気付かなかった。


こっちに責任がある以上、相手に手を差し延べるのは当然と言えば当然であり、単に、中々起き上がらない少女が心配だったからで、こんな予想外の展開を引き起こすとは考えもしなかった。


こんな展開になる事を微塵も考えなかった浅はかな自分を嘆けばいいのか、自分より遥かに年下である、この少女にまで罵られたことを嘆けば良いのか、そんな現状と全く関係の無い事を頭の片隅で考える。

俗に言う、現実逃避が脳内で繰り広げられていた。


「……これ、もーらいっ!」


今だ手を差し延べたまま微動だにしない僕をよそに、少女は猫の様な無駄のない俊敏な動作で僕から指輪を抜き取ると、元来たであろう汚水の溜まった狭い路地の水を蹴り飛ばしながら駆けて行く。


「影の王も、遂に幼女を襲うという軽犯罪を犯しましたか…」


いつの間にか、フレディが哀れみと嘲笑を浮かべて、僕の肩に手を置く。


「僕は、無罪だって!」

「…そうですね。残念ながら、未遂に終わってしまいました…」

「さも、人がやろうとしていた様に言わないでくれ!ほら、さっさと追うよ」


大体、変態、痴漢、ロリコン、幼女触り魔等と言ったら岸辺の所業であり、僕ではない。

少なくとも僕は、現段階において、多分、人畜無害であり、有害になるのはゲームの世界だけだと分かっている。

…あれ?そういや、ゲームの世界だったな、此処。


「何をおっしゃいますか…召喚術を用いて我々を馬車馬の如く働かせているでしょう…?」

「確かに駆使したかもだけど、フレディは怠けてるから当て嵌まらないよ」


フレディが押し黙る。

ただ、水を跳ね飛ばす音だけが響いた。


狭く、薄暗い路地を左へ右へと曲がって、トンネルの様な場所を駆け抜ける。

既に姿を見失った為、フレディに道案内を頼みながら後を追う。

元居た場所から随分離れた所で、ついに少女の姿を捉えたのだ。


「み〜つけたっ!」


少女が、しまったと言うような面持ちで後ずさる。


ふはははっ!

この僕から逃げようなんて考えが甘い!


少女の元へ駆け寄る。

あと一歩と言うところで、視界が黒く染まった。


ガンッ…!


と鈍い音が響き、鈍い痛みが顔を襲う。

あまりの衝撃に体が宙に浮いて、地面に落ちた。

畳み掛けるかのようにタライが落ちて来る。


「あっ…やべ」


いや、僕は田中であり、矢部ではない。

まぁ、名前を呼んだのではないと知っているけど。


そんな誰かの呟きが路地に響くなか。


ゴォーンッ…!!


闇市を浄化するような除夜の鐘の様な音が響いた。


****


「…痛っ!」


気絶していた僕を起こしたのは、鈍い痛み。

急いで身体を起こせば、紙の様に薄い布団がずり落ちた。辺りを見回せば、十にも満たない子供達が駆け回っている。

先程の鈍い痛みは、足を踏まれたからだろう。


床は傷み、動く度に頼りない音を立てる。中には今にも抜け落ちそうな場所もあった。天井にはいくつもの隙間が空いており、灰色の空が覗く。その下には雨漏り用のバケツが置いてあるが、このバケツも所々に穴が空いている為、あまり役には立たなさそうだ。

間がいくつも抜けた木の梯子を下り、辺りを見回す。下は先程の部屋より少し広いが、腐敗具合は同じの様で、床が抜けている所も多々見受けられる。

脚が折れ、傾いた机には、小さな木の器が置いてあった。どうやら、これは新品の様だ。


「…あら。目が覚めたのですね?良かった…。

お兄様、お友達がお気づきになられましたよ」


さっきの性悪少女と同じ顔の少女が何処からともなく出て来て、安堵の息を吐いた。

白い肌に不釣り合いな灰色の髪と瞳。

髪は後ろで器用に編み込まれている。


ミシリッ…と不安げな音を立てながら、呼ばれた人物が姿を現す。


「…出たな、海苔辺!海苔辺ロリコン太!」

「岸辺だ、岸辺。人を海の怪物みたいに言うな」


岸辺太郎。猫モドキの時以来の登場である。

僕はあの時、後輩と説明したが、実は同学年である。同じ留年生という立場上、岸辺は後輩に当たるという意味だ。


「やはりお前だったか。幼児が集まる所に岸辺あり。しかも、幼女にお兄様だなんて…早苗ちゃんが泣くぞ?シスコン太」

「人をロリコンみたいに言うなって…。つか、シスコンでもねぇし」

「成程。略してシリコンだな。岸辺シリコン太。

うーん、イマイチ。前置きみたいなのが必要だ。泣く子も黙る岸辺シリコン太。ははっ、案外いいな」

「…何と無く、卑猥だから止めろ」


溜息を吐きながら、岸辺は顔に掛かった白髪を退かした。


「つか、早苗ちゃんの世話はどうしたんだ?」

「あぁ。早苗な、死んだんだ。親父のことを許したわけじゃねぇが、葬儀も済ませたし、借金も全部返済した。

…それを伝えようと久々に出向いたら、お前、行方不明って…」


呆れた様な何とも言えない表情で岸辺は言う。

岸辺には、年離れた早苗という妹が居た。調度、この子ぐらいの年頃だ。重い病気を患っていて、そう長くはないと申告された。

親は離婚し、母方についた岸辺であるが、母親は精神を病んで翌年亡くなったのだそうだ。

お互い、あまり家族について語った事は無く、これが岸辺一家について知る情報の全てである。


「…で、葬式終わったら、お前の父親がこの話を持ち掛けてきてな。どうせ、やることが無くなったんだ。だから乗った」


淡々と語る岸辺に、僕は頭を抱えた。そして溜息を吐く。

お前は僕以上の馬鹿だと言っても仕方のないことなので、溜息と共に外へ吐き出した。


「岸辺は何の職業をやってるんだ?」

「…あぁ。一応、『商人』だ」

「ははっ、適職じゃないか」

「そういうお前は、何の職業だ?」

「『魔王』」

「成程、最敵だ。雪は『勇者』だったっけ」

「あれ?雪ちゃんと会ったの?」


岸辺は、ドアと呼ぶにはあまりにも脆く、狭い木の板を指差して言う。


「外で、ガキ共と遊んでるぞ。…雪から金を掠め取ろうとしたら逆襲に遭ってだな、此処まで案内させられたらしい。流石は吉田さんの娘だ」


僕も岸辺も三嘉ヶ崎の近所周辺では悪童として通っていた為、吉田さんには何度か説教や、盗んだパン屋、また、交番等の謝罪に行かされた。そして、毎週日曜日に必ず地域貢献イベントに狩り出されたのだった。僕や岸辺にとって、吉田さんは鬼門である。


此処に来た用件を思い出したので、遠い目をして木の板を眺めている岸辺に尋ねた。


「…そうだ。岸辺、この子と同じ顔の奴に大切な指輪を盗まれたんだが、知ってるか?」

「…キーナ姉様の仕業ですわ。待ってて下さい。直ぐに連れてまいります」


古びたドレスを翻して、少女は木の板を退かすと外へ出て行った。


「今の子が双子の妹、リーナで、お前から指輪を盗んだのが、姉のキーナだな。性格が一目瞭然だから、見分けやすくて助かる」

「…他の孤児に比べて服装が豪華だな。訳あり令嬢?」

「あの魔力の波長は、今は無き『マフィネス王国』のものですね…。どちらが王女で影武者かは分かりませんが、訳ありは確かなことでしょう…」


フレディが出て来て、興味深そうに木の板を見た。

それを見た岸辺が一歩後ずさる。

どうやら、岸辺には見えるらしい。


「…幽霊か?」

「死霊のフレディ。危害は加えないから大丈夫。

フレディ、友人の岸辺太郎だ」

「影の王のご友人…。影の王にも友と呼べる人物が居たんですね…」


そうこう話している内に、木の板が退かされる。

どうやら、二人が戻って来た様だ。


「お兄様のご友人様。姉がご迷惑をおかけしました。指輪、お返しします」


リーナがそっと手を差し出し、指輪を僕に返す。

それまで黙っていたキーナがそれを見て激怒した。


「…ちょっと!何やってるの!?勝手なことしないで!これを売れば、チビちゃん達を養える!新しい毛布だって買えるし…」

「人から盗んだ物で、裕福になろうとは思いません。ただ、飢えと渇きを凌げれば十分のはずです。

私達にも私達なりの生活があり、彼等にも彼等の生活がある。それをむやみに犯してはなりません。

…そう、学んだでしょう?キーナ姉様」


マフィネス王国は、新資源『魔力魂』を武力を用いて奪おうとした。

『新資源戦争』の火種国とも呼ばれており、魔軍…つまり、ミリュニス王国によって滅ぼされたと聞いているが、吉田魔王様がそんな人畜非道な行いをするだろうか?


「…君達、マフィネス王国のお姫様方だよね?ミリュニス王国に滅ぼされたって聞いているけど、本当に…」


最後まで言い切らない内に何かが空を切る音がした。足に深い切れ込みが入り、黒い血が流れ出す。


「暴虐よっ!」


何処から取り出したのか知らないが、ナイフを構えたキーナが敵意剥き出しに吠える。


「…ですが、最初に襲ったのはこちらです。あれは、向こうの正当防衛で…」

「影武者は黙れぇぇっ!!アンタに何が分かるの!?アンタが…、影武者であるアンタが何で居るのよっ!あの時死ぬのは、母様でも父様でもないっ!アンタであるべきなのに、何でなのよ!何で、何で…」


髪を振り乱して叫ぶキーナに、二階に居た子供や外で遊んでいた子供達、そして雪ちゃんが駆け付ける。

子供達は怯えた様に身を竦めた。


しかし、妹のリーナは錯乱したキーナの言葉一つ一つを受け止める様に、目に涙を浮かべながらもしっかりと立っている。


「アンタなんかっ…!」


怒りの矛先が妹へ向けられた。しかし、彼女は身動き一つしない。


刺さる音はしなかった。

手から生暖かい液体がナイフを伝って、落ちる。

床に零れて黒い水溜まりが出来た。


「…じゃあ、お前は『存在するな』と言われた者の苦悩が分かるのか?」


返事は無い。

ナイフを握ったまま、小さな身体を僕に預けている少女の肩は震えている。


「…嘘。僕が悪かった」


嗚咽は聞こえない。

それが、彼女なりのプライドの表れだった。


「おい。自傷心の塊、リストカッター優真」

「…どうせなら、切り裂き魔みたいなカッコイイのが良いんだけど。岸辺ノリノリ太。いや、海苔海苔太?」

「…どっちも悪りぃよ、俺から見れば。その、ミリュ何とか国に知り合いでも居んのか?」

「あぁ。吉田魔王様が居るし、雪ちゃんに似た姫もいる。…あと、岸辺と同じロリコンの変態が一人。

今、訳あって城を借りてる」

「…恐ろしく不安だな。俗に略奪と言うんじゃないのか?それは」

「………いや、ちゃんと許可取った。皆、個性的だけど良い人だから、ちょっと聞きたかっただけ」


溜め息を一つ。


「…あの、ありがとうございました」


控え目に声が掛かる。

見れば、リーナが立っていた。


「優しいお兄様のご友人様方。貴方方を見込んで頼みがあるのです。

私は、ミリュニスを恨んではおりません。しかし、中にはキーナ姉様の様に深く憎む者も居ます。

確かに私達は新資源戦争の火種国であり、逆襲に遭い滅んだ国。攻め入った我等も、必要以上に我等を屠った向こうも非があるでしょう。

私は、もう、終わりにしたい…。もう、恨むのも恨まれるのも、全て終わりにしたい…。

だから、どうか…、どうか止めてほしいのです…。

我がマフィネス王国の復讐を、止めてほしいのです…」


目に涙を浮かべ、リーナは僕等に頭を下げた。

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