第四十三話 動き出した時間と、失われた機会
「君が、『魔力魂の意志』そのものか…。まさか、会いに来てくれるとは思わなかったな」
じんわり…と頬が熱を帯びる。
程無くして、温かな液体が頬を伝い服に染み込んだ。
『皆、アレが私だと思ってるから困っちゃった。どう、可愛いでしょ?皆ね、どうしても復讐したいって言うから『器』をあげたの』
「あれが、『器』ね…。悪趣味だ。それとも芸術センスの問題なのか?…生憎、僕は素人なんで理解出来そうにない」
くすくすと『魔力魂の意志』は笑う。
だが、がっちりと頬を二つの手で挟まれているので振り返れそうになかった。
「にしても、今更現れるなんて。さっきまではあの『器』に居ただろう?」
『だって、あそこに居たら食べられちゃうわ。だから、抜け出して来ちゃった。だから、あれを食べたいならどうぞ?』
「僕に言われてもなぁ。…で、何の用なんだ?単に食われる心配をして出てきた訳じゃないだろう?」
薄く微笑むのが分かった。
頬に触れていた手は、抱きつくように前に組まれる。
案の定、背中に吐息の様な熱を感じた。
『私達、似た者同士だと思わない?誰からも愛されず、またそうしてもらう事に畏怖し、自らの殻に籠り、心を閉ざす…そうして何もかもを忘れ、忘却の日々を過ごしては嘆き悲しみ、自らを傷つける』
「……否定はしない」
溜息に似た吐息を吐きだす。
空を仰ぐ。まだ目立った動きはない。
『だから、お友達に成りましょう?』
「…僕は既に『沈黙の書』の主とお友達なんだ。むやみに友達を作るなとの内気な命令が下ってる」
『別に良いでしょ?彼が友達を作りたがらないのは『器』を壊さない様為の配慮。彼方が私を認めるなら、私達はお友達に成れる。
書は燃やされ、代わりに彼方が彼等の『器』になった。それが、彼の『沈黙の書』を統べる古き知恵の悪魔の唯一の願い。彼方は、もう人ではない。朽ちて死ぬことも、美しく散り果てる最後も無縁となってしまった。彼方は本当に独りぼっち。それは私も同じ。けど、どちらもそれを代償に出来る覚悟と願いがあった。…ね?だから私達は同じ。だから、お友達になれる』
「もし、断ると行ったら…?」
『私が彼方を食べちゃう』
声がワントーン低くなる。
…あぁ、本気だ。諦めに似た感情が溜息となり吐き出される。
我が儘な妹をもった兄の気持ちってこういうものなのかな?…違う?
「…けど、安心した。君は友が欲しい、手に入らなければ食う。
僕は仲間が側に居てくれれば十分だ。…今はね。だから今僕がすべき事は、あの魔力の塊を食らうのみ。
…本当は君だったんだけどね。お互い、食う事を目的としてるんだ。協力し合うのが得策だと思わない?」
『どうしてそう思うの?』
きゅっと回された手に力が篭る。まるで蛇に締められいる様だ。
だが声色からして楽しむかのような、からかうような意地悪な口調である。
「君は先程あそこにいた。なのに今は、こうして僕の隣にいる。
食われるのが怖くて、逃げ出すような性格じゃないだろう、君は。口ぶりからして、真っ向から挑むタイプだな。何故、そうならないか?答えは君が言ってる。『独り』だと。
君は『魔力魂の意志』。ある感情が集まって、固まって、生まれた感情の集合体。
もし、あれが母胎とするなら、君はつい先程生まれ落ち、目覚めたわけだ。
しかし、どれ程の力を持とうと巨大な感情が渦巻く塊の中に唯一確定した意志を持つ異端児でしかない。
だから追い出された。…違うかい?」
『うふふっ、正解。例え、どれ程巨大な力を持つ者が居ようと、多数の人の前では、いづれ力尽きる。
…そんなの、私は嫌。折角手に入れた自分だけのものなのよ。取り上げ、抑え付けるなんて許さない。
そんな時、貴方が道を作ってくれた。だから私は抜け出したのよ。私は『魔力魂の意志』。それは間違いじゃない』
「なら、一瞬で良い。内部の動きを止められる?」
くすりっと可愛らしい笑みが聞こえた。
『良いわ。けど、そうしたら確実に殺されるわよ、あなた。
頭良いのね。探偵みたいだったわ。演技なんて必要無いと思うけど?』
拘束が解かれる。
頬に触れると、どろりとした生温い液体が付着した。シャツを見ると黒い染みが出来ている。
溜息を吐く。
「…生きやすい。
人間はね、自分より下位の者には警戒しないんだ。…ほら、よろしくの握手。友達になるんだろ?」
『…えっ?』
懺悔の様にぼそりと言う。
何故、彼女にそんな事を打ち明ける気になったのかはよく分からない。似た者同士だからか?
振り返り、手を差し出す。後には真っ白な少女がほうけた顔で立っている。
ノワールとは対照的な真っ白な少女だ。
髪は短く、くせっ毛なのか所々跳ねている。女の子と言うよりは中性的な顔立ちだ。
まさしく、教会とか、絵画で見る天使そのものだった。
僕が意地悪な笑みを浮かべると、彼女は現実に引き戻されたのように目をしばたかせる。そして微笑んだ。天使の様な清らかでまばゆい笑顔だった。
ぐいっと差し出した腕を引っ張られる。
元々疲労により言うことの聞かない身体は、あっけなく前へ倒れた。
受け止める様にして抱き抱えられる。
そのまま、見つめ合う。
奇妙な時間だ。
その時だけは疲れと無縁でいられた。
頬に両手が添えられ、動けない様にしっかりと挟まれる。
彼女の顔が近付いてきて、唇が重なり合う。
うーん、似たような事が昔にもあったような…?
僅かな痛みを感じ、眉を潜める。
唇が離れ、僕は手の甲で唇を拭う。
どうやら唇の端を噛み切られたらしい。血が滲んでいた。
しかし彼女は悪びれもせずに笑う。
相変わらず、無垢な笑みを浮かべて。
『よろしくね、優真?』
「あぁ、よろしく。ソルト。けど、君は『魔力魂の意志』と呼ぶにはあまりにもちっぽけな存在だ。
だから違うよ」
苦笑しつつも、唇を舐めてみる。
新たな契約は、血の味がした。
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一方、魔力魂内部。
「ずっとああだけど、大丈夫なのかしらね?まっ、私には関係ないけど~」
赤い魔力の塊の中に居る少女を抱きかかえる様にして固まったままのノーイをぼんやりと見つめていた。
ふと、真っ暗な空を仰ぐ。そして溜息を吐いた。
「相変わらず、女の子に弱いみたいね~?あーあ…、帰ったら大総統をどう宥めようかしら~?
早々に契約しちゃって…。怒られるわよ~、我が主?彼方の人気は物凄いんだから~。カリスマなのよね。闇のカリスマ。昔から噂とかで聞いていたからどんな子かしらって思ってたけど、人っぽくない人間ってもう…ドストライクなのよ~!!あら…?」
鼓動が止まる。
死んだの?いや、そんなはずはない。それなら動きを止めただけかしら?長くは持たないわね。
辺りは静まり返り、何だか気味が悪かった。
『死の夜』を抱きかかえたままのノーイを引っ張り出す。
『死の夜』を抱きかかえたままのノーイは、やっと意識が戻って来たらしく、辺りを見回した。
突如、『魔力魂の塊』の要である心臓の鼓動が早まった。
「うぅ…。おや?一体、どうなっているんですか?」
「説明する時間はくれないみたいだから、さっさと逃げるわよ」
パキンっと指を鳴らすと、空間が歪み、ブラックホールの様な穴が出来る。
何処からか蝙蝠の大群が飛び交い、穴に入っていく。
すると、一気に穴が広がり、黒い扉が現れた。ギィィィィ…という錆びた音を出しながら扉は開く。
「出るわよっ」
腕を掴まれ、引っ張られる。
複数の意志がこちらを睨んでいる。そいつは、自分の真後ろに居て、未練がましく自分を見ている。
きっと錯覚ではない。
扉が閉まる、ほんの一瞬だけ。
ノーイは、今し方自分達の居た場所を振り返る。
沢山の目がこちらを見ていた。血の涙を流しながら。
ギョロリギョロリと目玉を動かす事なく、ただ自分達だけを睨んでいる。
もし、彼等に口があったなら。
発する言葉は一体何であっただろうか?…ふと、そんな事を考える。
それをヴァルベルは見抜いたかのように呟いた。
「あれは、自らの意志がない。ただの未練感情の集まり。口があったってただ呻くだけよ…」
「…けど、仮にそうだとしても、私は彼等に謝るべきなんです…」
「口があっても無くても、意志があろうとなかろうと、それはするべきだったわね。もう、その機会は失われた。二度とないわ」
淡々と言うヴァルベルに、ノーイはただ絶望に似た喪失感に囚われながら、遠ざかっていく暗闇を見つめた。
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「…よし、無事に出たみたいだな」
脱出の有無は、上で血相を変えてギョロギョロと瞳を動かす『魔力魂の意志』を見て分かった。
結果はどうであれ、抜け出したことに変わりない。
魔力で作った火の玉を上へ放る。
見事、『魔力魂の意志』の瞳孔へと命中した。
「よっしゃっ、満点ゲッツ!」
空が一瞬、紫の光に覆われる。
横で拍手を送っていたソルトはにやりと笑う。
『何点狙いで来るかしらね?顔面は満点。腕、足は十点。心臓は千点。胴体は五点…と言ったところかしら?』
「あははっ…笑えない現実だな」
げっそりとしながら僕が言い終わる。空を仰ぐと、『魔力魂の意志』は僕を睨みつける様に見下していた。目は最大にまで見開かれ、今にも飛び出して来そうである。暁の様な、不気味な光を周りに飛び散らせながら。
同時に上からは赤い稲妻、下からは魔力弾の猛攻が襲って来た。
数からして、外す確率の方が低いかなって量。
雪合戦で言う、敵の少なさに対して玉数千個みたいな?
お前に逃げ場ないからーって感じ?
そもそも、僕の事考慮されてるのかな、頼んだの僕だけど。別に、いたぶって欲しい訳じゃないんだけど
な。分かってるのかな?それとも、どさくさに紛れて殺れみたいな?後で事故処理で済ますみたいな?
とにかく、映画で見る様な壮大なスケールの攻撃が、今良くも悪くも僕の目の前で繰り広げられていると言う事だ。
「…喜ぶべきところなのか?」
『身の不幸を嘆くべきね』




