第四十二話 真の標的
「いやー、急に大人に戻ったから驚いた…。せめて予告が欲しいよね」
「にしても、我が主。いつ、書の力をお使いに?書の眷属を召喚したところで、その姿には戻らないでしょう?」
長い黒髪を風が揺らす。
ヴァルベルが気を利かせて後ろで一つ結びにしてくれた。
「話すにしても、あの雷は邪魔でしょ?それに素直に行って『魔力魂の意志』が攻撃してこないとは限らないし。だから、少しだけ話し合いの場を作ってあげただけ。猫モドキ、僕が合図したら『魔力魂の意志』の元まで運んでくれ」
少し低くなった声に、猫モドキは困惑しながらも一鳴きした。
少しもたれかかるようにして座る。その背をヴァルベルが支えてくれた。
既に額には弾の様な汗が浮かんでいた。ヴァルベルはそっと手を当てる。母親を見つけた時の様な安心しきった笑みを浮かべて、僕は目を閉じる。
「けど、変装とか正体がバレなかった主人公はいないからな~。きっと早々にバレるよね」
「要するに、それが心配なんですね」
「期待と心配…半分半分かな?」
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「…にしても、雷が落ちて来ませんわね?向こうの意志によるものかしら?
いえ、違うみたいね。攻撃したいのに出来ない様だわ。一体、何故…」
ノワールは『魔力魂の意志』を見て言う。
『魔力魂の意志』は一つしかない大きな目を色んな所へ動かしていた。どうやら困惑している様だ。
「姫様には見えていないでしょうが…、恐ろしく巨大な魔力が『魔力魂の意志』そのものの動きを抑え、辺りの雷は『時間停止の陣』でせき止めているようです。証拠に、『魔力魂の意志』が全く落ちて来ないでしょう?」
「けど、そんな膨大な魔力をこれ程までに完璧に隠せるなんて…」
困惑したようにノワールが言い、ノーイは溜息を吐く。
「まさに、『火事場の馬鹿力』この事ですね…。もう、人の域を越してます。我々竜でさえ、不可能ではありませんが、若輩者には無理です。是非とも大説教会を開くべきですね。賛同します。
何にせよ、急ぎましょう。これはリスクが大き過ぎる…」
「魔力の消耗が激しいから命に関わるのですか?」
「いえ、根本的に雷を止めている陣の力と『魔力魂の意志』を抑える力…どちらかが無くなった時点で、意志の傍にいる我々より、攻撃を邪魔したアレの方が目障りとされるでしょうね。即魔力魂の仲間入りとなりますよ。全く…、変なプレッシャーの掛け方をする。
…嫌な奴ですね、恐らく友人は少ないでしょうね」
「時間内に説得できないのなら諦めて戻ってこいと言うことですか…。とにかく急ぎましょう」
ノーイが黒い翼を大きく羽ばたかせ、一気に『魔力魂の意志』の元へと詰め寄った。
ノワールは立ち上がって、手を伸ばす。
バチンッ…と大きな音がして、手が弾かれた。
それが『魔力魂の意志』によるものなのか、意志の動きを抑える為の魔力による妨害なのかは分からない。ただ、『魔力魂の意志』は零れそうなくらい大きな目をさらに見開いて、ノワールを見た。
その目にはしっかりとノワールが映っている。
次の瞬間、ドプンッ…と手が沼に嵌ったかのように『魔力魂の意志』の元へ呑みこまれて行く。
「わっ…」
「姫様っ!!」
抵抗も虚しく徐々に呑みこまれて行き、ノワールの身体はノーイの背から少しずつ浮いていた。
ノーイは成す術なく見ていたが、ふと思い出したように辺りを見渡す。
空気を大きく吸い込むと、あの馬鹿を呼ぼうとした。
「待って、ノーイ…。大丈夫、何もされてないわ…。こうしていると、『魔力魂の意志』のね、想いが伝わって来るの…。そう、寂しかったのね。気付いてもらえないのが、苦しかったのね…」
ノワールの漆黒の瞳は何処か虚ろで、寝ぼけた様な口調だ。どう考えてもおかしい。
そう思っているうちに、呑みこむ力が強まりノワールの身体が完全に『魔力魂の意志』の元へと吸収された。
「あら、一歩遅かったかしら…。困ったわね~、これからどう来るか…」
「…タイムリミットは後、どれ位です?」
「無茶な事言わないで。我が主だって、無限の魔力を持っている訳じゃないわ。もう限界よ」
少し苛立ったようにヴァルベルがノーイを見た。ノーイも負けじと見つめ返す。
「あと、五分」
目の前に、困った様に笑う青年が一人。
長い黒髪を後ろで束ね、赤い目が不気味に光っている。
「あと、五分だけ。待ってあげる。後はもう、待てない。いや、待たない。
皆の元に帰るんでしょ?なら、出来るよね。ほら、行った行った。ヴァルベルもお供お願い」
いつもと変わらぬ笑みを浮かべて優真は言った。
仕方なさそうにヴァルベルがノーイの隣に浮かぶ。優真はそれを確認すると、片腕を前へ突き出すと横に広げた。
不意に突風が吹き、目を閉じる。
空気が一瞬にして変わった。暗く、重く、呼吸が苦しくなる。
「ちょっとぉ~しっかりしなさいよ。時間が限られてるのよ?助けたくないの~?」
「煩いっ!…何処です?此処は」
目を開けると、人の姿になっていた。
目の前には巨大な心臓の様な魔力の塊がドクンッドクンッ…と鼓動をしている。
その魔力の塊の中に、ノワールが膝を抱えて眠っている。
「『魔力魂の意志』の中心核かしら。分かりやすく言うならコンピューターのメインコントロール室ってところね。要するに心臓で、要」
「一つ、聞きたい事がある。さっきのは、やはり…」
「えぇ。彼方たちのよく知る人よ?同時に書を統べる王。我が主」
「無理に契約させたのか?卑劣な…」
吐き捨てる様にノーイが言うと、ヴァルベルは呆れたように溜息を吐く。
「あら、人聞きが悪いわね。今回は違うわ、唯の契約じゃない。お互い望んだ事よ。…まぁ、良いわ。さっさと何とかしなさいよ。早くしないと完全に同化して『魔力魂の意志』の一部よ~?触れると問答無用で『魔力魂』に成るからね~」
「…成りません」
少し強張った声色でノーイは言って、『魔力魂の意志』の傍に近寄った。
ヴァルベルは驚いたように目を見張っていたが、目を細めると小悪魔的な微笑みを浮かべ手を振る。
「あっそ。頑張ってねぇ~?」
ノーイは、そっと鼓動を繰り返す魔力の塊に触れる。
そして静かに目を閉じた。
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「フレディ、ちょっと下に降りて皆に『魔力魂の意志』に向けての攻撃準備お願いして来て。
猫モドキは、危ないから皆の所に戻ってて」
猫モドキの背の上で棒の様に突っ立っている僕は、傍らでふよふよと浮いているフレディに頼む。
フレディは少し意外そうな表情を浮かべて言った。
ふらつきながらも空中に魔力を固め足場を作ると、そこに立つ。
「…そんなことしたら、当たりますよ?」
「それも仕方ないよ。どちらにせよ、無傷では帰れなさそうだし。紫の光が空を覆ったら、それが合図だと思って。猫モドキも、お疲れ。無理してその姿で頑張ってくれたんだ。帰ったら鮭の燻製たくさんあげるよ」
「二ア…」
ぽんっ…と白い煙が猫モドキを包み、元の姿へと戻った。
それを抱きかかえると、フレディに持たせる。
直ぐ上では赤い光が点滅を繰り返していた。
『時間停止の陣』もそろそろ限界の様だ。さて、どちらが早いかな?
何時の間にかフレディは消えている。どうやら伝言を伝えに行ってくれた様だ。
「一人になるとさ、中々迫力あるよね。この目。…何で僕ガン見なのかな?他の所見ようよ?瞬きしようよ…?ドライアイになっちゃうよ…?
………せめて、叫んでも良いから何かしらの反応が欲しいんだけど…。
…結論から言うと、怖いんだよー。一人にしないでー」
『…彼方も、独り?』
誰かの声が聞こえた。直ぐ、後ろから。
正確には斜め上かな。
さて、どうしたものか。
大総統からの指示を仰ぎたいけど、何も言って来ないし。
『私と一緒…』
くすくすと可愛らしい笑い声が耳元で囁かれる。
困ったな。動けない。
ひやりと、後ろから伸びた手が頬に触れた。
背筋が凍る。
『お友達、捕まーえた』
うん。キャッチアンドリリースの良心に基づいて放そうか。
頭上では、一つの大きな目が三日月に歪み、笑みを浮かべていた。




