第三十八話 ゲームに仕組まれた罠
僕が『みけがさき』に留まって、早三年。
桃栗共に実る年月を、何の実りも無く、朽ちる若者の青春があった。
まぁ、二十五になった大人に青春は不要か。
別に何の収穫も無く三年間過ごした訳じゃない。
だが、三年という年月は、良くも悪くも、重しに過ぎなかった。
誰かに『ミケガサキ』の話をした事は一度も無い。
三人程、勝手に勘づいて愚痴染みた説教を受けた事はしばしばあったが。
いや、説教染みた愚痴なのかもしれない。
現在、『みけがさき』。
季節は夏。時刻は夜七時。
家へと続く急な坂道をゆっくりと歩いて行く。
空を仰げば、満天の星空と白い月。
時に風が髪を揺らし、木の葉と砂埃が舞う。
何処からか、風鈴の音と蝉時雨が夏を奏でていた。
昼間でも無いのに、汗が滴り落ちて、コンクリートに吸収される。
「あれ、いつの間にこんな暗くなったんだ?あっ、夏だからか。冬は明るいよな、この時間帯。
…懐かしいな、この台詞。実に三年ぶりだ」
三年と半年。
帰路僅か五分が、今では一時間と長引く。
他に変わった事と言えば、会社員になった。
陽一郎さんが務める田中カンパニーの平社員として。
そうこう思いを馳せている間に、家の前に到着した。
松下という苗字の表札は剥がれ落ち、田中の表札が掛かっている。
あれから三年が経った。
季節は巡って、夏。
今日、僕は『みけがさき』に戻る。
正真正銘、『田中優真』になったから。
詳しい仔細は、後々機会がある時に話そうと思う。
今、主観となるべき舞台は此処『みけがさき』ではなく、『ミケガサキ』なのだから。
…単に、説明が面倒なだけだが。
しかし、手向けの花束代わりに少し話でもするとしよう。
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フレディというか、大総統から忠告を受け、途方に暮れる僕とは正反対に、軽快なメロディーが鳴る。
画面を確認せず、ボタンを押した。
「ハロー。僕、マイケル。ジェニーは行方不明だ。他当たれ」
ブツンッ…と一方的に電話を切る。
しかし向こうも諦めが悪く、何度も掛けて来る。
そんなやり取りが十回ほど続き、僕が折れた。
「…もしもし?どちら様?生憎、松下優真なら行方不明だ」
「優真君、やっと話せたね。僕だよ、僕」
ほぅ。これが巷で噂の『僕僕詐欺』か…。
ネーム、いまいちだな。
「確かに優真だけど…で、誰?返答次第では切る」
「僕だよ。田中優真の義父。田中陽一郎」
電話越しから苦笑が聞こえてきた。
「ふーん、生憎だけど…って、えええええええ!?よ、陽一郎さん!?な、何で…?いや、ミケガサキに繋がるくらいだ。不思議じゃない…のか?」
「今、『みけがさき』の駅前に居るんだけど…。今、出れる?」
「…何処に?」
「家の外。もう下に居るんだけど…」
「…の前。って、今、何て言った?ワンモア」
「もう下に居るんだけど…?」
そっとカーテンを開けて、家の外を窺う。
成程、人影確認。ストーカーだと勘違いされないか?だが、僕の目は誤魔化されないぞ。
「メリーさん、成仏せよ」
「うふふ…、僕、陽一郎さん。今、彼方の後ろに居るの」
ぽんっと肩に手が置かれる。
振り向くと、陽一郎さんが立っていた。
「…せめて、ノックはしよう?」
「突っ込みどころ、間違ってないかい?優真君」
「不法侵入?」
「…に変わりはないけど、普通は何処から入って来たとかが無難じゃない?」
成程。ツッコミとは難しい。
つまりは、こういう事か?
「メリーさん、成仏できない?」
「随分と根本的なところに戻るんだね」
「さっきから全部疑問形?」
「ギブアンドテイクを試みても、もう何も提供しないよ」
ちっ、思惑が外れたかっ…!冗談だが。
「久しぶり。何も出せないけどゆっくりして、行って。何か用があるんでしょ?用件話してさっさと帰れば?」
「矛盾を感じずにはいられないんだけど?というか、遠巻きに帰れって言ってるでしょ。
折角『ミケガサキ』について教えてあげようと思ったのに…」
その言葉に少なからず反応を見せると、陽一郎さんは困った様な、曖昧な笑みを浮かべた。
「…余程、気に行ったんだね。『ミケガサキ』が。
別に、止めようとかそういう訳じゃないから。その選択が君とって有意義なものか…。
これから話すのはね、ちょっとした僕の体験談。それを聞いて尚、何に変えても、行くという覚悟があるなら、僕は何も言わない。
…今から、何年くらい前かな。僕等が中学生の頃、あるゲームが流行った」
そう言って、陽一郎さんは近くのベッドに腰掛けた。ちらりとゲームを一瞥する。
そして昔を懐かしむ老人の様な目で、静かに語りだした。
今、君がハマっている運命変換型革命RPG『勇者撲滅』。
有名なゲーム会社の大作って派手に宣伝されてたから、大人子供構わず皆が買った。
僕も、その一人。
「けど、唯のゲームじゃなかったんだ」
「確かに、唯のゲームじゃないよね。クリア出来ない。超難しい」
「…そういう問題じゃないんだけどね。そもそも、クリアなんて想定されて作られてないんだよ」
そう。誰もが攻略出来なかった。
だが、誰も不平を言う者はいない。何故なら、プレイヤーの殆どが、三嘉ヶ崎から姿を消した。
「社会現象じゃん」
「そうだよね。普通、そう思うだろう?だが、誰一人として気にする者はいなかった。
まるで、その人が直ぐそこに居るかの様に振舞っているんだ。いや、本気でそう思っている。
けど、時間が経つと魔法の様に行方不明だったプレイヤーが帰ってきたりした」
「何だ、戻って来たんだ。良かったじゃん」
僕のその答えに、陽一郎さんは先程と同じような笑みを浮かべた。
そうでも無かったんだよと小さく呟く。
「僕も、その行方不明者の中の一人。僕も、一度は『ミケガサキ』に行った事があるんだ。二番目の『勇者』としてね。此処まで言えば、君でも分かるはずだ。
君が吉田雪にそうさせた様に、このゲームの一部…つまり、『魔王』と『勇者』に選ばれた特殊プレイヤーと呼ばれるプレイヤーだけは、ゲームの意思により目的を達成しなければ還る事を許されなかった」
『特殊プレイヤー』。
ある程度の時差こそあれ、必ず、二人『召喚』される。
一人は、ゲームの世界を救う『勇者』。残る一人は、この世を我が物にせんと企み、目障りな勇者を滅ぼさんと企む『魔王』。
『勇者』プレイヤーは魔王を倒せば、元の世界へ還る事が出来る。
『魔王』プレイヤーは、元の世界に還ることは出来ない。つまり、ゲームを盛り上げる為の捨て駒。
…或は、人柱と言ったところだろう。
「それは分かってるんだけど、特殊プレイヤーと、普通のプレイヤーはどちらも『召喚』されてくるものじゃないの?」
「鶏が卵を産むのが先か、卵が鶏を生むのが先か…よく覚えてないけど、そんな例えがあるじゃない。
だからさ、こうは考えられない?プレイヤーがゲームを選ぶんじゃなくてさ、ゲームがプレイヤーを選ぶんだ。ゲームにとっては特殊プレイヤーさえ手に入れば良い。だから、他のプレイヤーはついでなんじゃないかって。実際、僕も何人かに訊ねてはみたけど、『刷り込み』の可能性が高い」
「刷り込みって事は、いつの間にかゲームのプレイヤーとして『ミケガサキ』で暮らしてたっけ訳?じゃあ、何で還ってこれたの?そのままゲームに取りこまれる可能性だって無くはないでしょ」
僕の問いに、陽一郎さんは小さく頷いた。
「それについても、一応は答えられるんだ。『勇者』が『魔王』を倒せば還ることが出来るように、プレイヤーも条件さえ満たせば還る事が出来たんだよ。商人なら金持ちに。村人なら結婚と言う風にね。
だから、本当に必要なのは『特殊プレイヤー』と呼ばれる二人だけなんだ。
それが一体何の目的で必要なのかは分からないけど」
「…陽一郎さん、二代目『勇者』なんでしょ?こう言っちゃ失礼だけど、誰を殺したの」
陽一郎さんは一瞬、息を詰まらせる。
しかし、直ぐに話を続けた。
「その前に、『魔王』プレイヤーについて話しておこう。
『魔王』プレイヤーは、元の世界に還ることは出来ないことは君も薄々感じてたと思う。
なら、魔王プレイヤーにはデメリットしかないのかと言うと、そういうわけでもないらしい。
魔王プレイヤーになった者には必ず特殊能力が授けられた。切り札とも言うべき、一度だけの能力が。
それはプレイヤーによって違うんだけど、それがあることは僕が一番よく分かってる。
ねぇ、優真君。レベルアップと道具とか武器以外でプレイヤーを強くするとしたら、どうする?」
「『クラスチェンジ』とか、最悪…『転生』かな?」
その答えに、陽一郎さんは満足した様に微笑んだ。
わしゃわしゃと頭を撫でられる。
「よく出来ました。…じゃあ、さっきの問いに答えよう。僕が二代目『勇者』として…、『勇者』プレイヤーとして誰を殺したのか?…他でもない。僕は、君を殺したんだ」
「生きてますけど?」
陽一郎さんは弱弱しく微笑んだ。今にも泣きそうで、触れると崩れてしまいそうな脆さを滲ませて。
「そりゃ、転生したんだから、覚えてないのも無理ないよ。寧ろ当たり前だ。
けどね、僕は確かに君を殺した。そして君は、そうなるよう業と仕向けた。お互い、ウンザリしていたのかもしれない。少なくとも、僕はこの世界に留まっていること自体が嫌だった。…君は、何が嫌だったんだろうね?けど、君は言ったんだ。『殺してくれ』って」
「…もしかして、罪悪感感じてる?」
窺う様に僕が陽一郎さんを見ると、陽一郎さんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
そして憎々しげに吐き捨てる。
この人でも、そんな感情を抱く事があったんだと少し感心した。
「だって、君がそう望んでいようと望んでいまいと、例え異世界だとしても、僕のやったことは人殺しに過ぎない。君を殺して元の世界に還って来た僕はね、あまりの理不尽さに思わず死にたくなっちゃったよ。何故かって?…何でだと思う?誰一人として気にする者はいなかったって、さっき言ったよね。
それはね、プレイヤーが還って来たからこその結果論に過ぎない。
還って来たからこそ、誰も気にしなかった。なら、還って来れなかった…例えば、死んでしまったとか。
そんなプレイヤーはどうなるのか?どうなったと思う?」
「…問題になってないって事は、誰も気にしてないってことじゃないの」
「半分正解、かな。気にしないか…確かにそうだね。したくても、出来ないんだよ。その人の記憶、存在そのものが消されているのだから。償いたくても、誰も覚えていないんだ…一部を除いてね」
陽一郎さんが頭を抱えて蹲る。
ガタガタと窓が揺れる。ふと、窓を見れば、雪が雨の様に激しく降り続いていた。
まるで、陽一郎さんの静かな激情を表すかのように。
ツッコミ係とボケ要素がない『みけがさき』から早く抜け出したい一心で書いてます。ちょくちょく話が飛ぶかもしれませんが、後々書けたらいいかと思ってます。
此処まで読んで下さり、ありがとうございます!まだまだ続きます。




