第三十七話 望みの代償
「あら、お帰り。メールしてって言ったじゃない。おせち弁当、どう?
私的には、渋みと苦みと酸味が足りないと思ったんだけど…ちょっと、優真?」
ドアを開けると、丁度由香子さんが立っていた。
にこにこというよりは、意地悪の様な知的な笑みで、お弁当の感想を求めて来る。
僕は、開けたドアを再び閉める。
深呼吸をして、ぼそりと真顔で言った。
「…誰、あれ」
いや、由香子さんなんだけど。
僕の知ってる由香子さんは、食事?ゴミでも拾って食べれば?な人のはず…。
しかし、松下優真の記憶の中には由香子さんは何処にでもいる唯の母親だ。
「優真、如何したの?」
ドアが開き、由香子さんが顔を覗かせる。
愛想笑いを浮かべると、逃げるようにして自分の部屋へと駆けこんだ。
久しぶりに戻って来た自分の部屋は相変わらずである。
本棚にはゲームソフトのパッケージが隙間なく並び、窓側の壁にはベッド。
部屋の中心には小型テレビが置いてあり、ゲーム機がセットされていた。
「懐かしー!あぁ…この手触り、この程良い重さ…!本物のゲーム機だ。
やべぇ、血がたぎる…。絶対興奮して寝れないな、今日…」
背負っていたリュックをベッドに放り、テレビとゲーム機の電源を付けると、コントローラーを握る。
その時、ふと疑問が浮かぶ。
いつぞやかに、岸辺が陽一郎さんがゲーム機を売りに来たとか何とか言ってなかったか?
そもそも、僕は田中優真であって松下優真ではない。それに、ミケガサキにいたはずだ。
テレビ画面は僕の意思とは関係なくオープニングを流し、タイトルを表示する。
BGMが大音量で僕の頭に響く。それはまるで笑い声の様に、僕を嘲笑っている様だった。
『勇者撲滅』
問題の答えの様に。
その文字を見た途端、頭の中に電撃が走る。
不意に、部屋の明かりが点滅を繰り返しす。
画面が白黒の砂嵐を起こし、ほんの一瞬、画面が変わる。
黒い水溜り。真っ白なYシャツは、黒く染まっている。
血の失せた蒼白の肌は黒い血を浴び、華奢な身体には二本の剣が突き刺さっていた。
雨の様に、ザァァー…と砂嵐は悲鳴を上げる。
その雑音に混じって、ちらほらと声が聞こえて来た。
誰か特定出来ないほどの、たくさんの声がしきりに僕の名前を呼ぶ。
画面へ手を伸ばす。
途端、ブツリッ…と呆気なく電源は切れ、一夜の夢の様に、素知らぬ顔で『勇者撲滅』のタイトルが表示された。照明が復活し、また部屋は光に満ちる。
「…っ大総統!」
思わず大声で叫び、辺りを見回す。
だが、辺りには誰もいない。唯、窓の外で溜息の様な木枯しが通り過ぎて行った。
「…優真、どうかしたのか?」
ばたばたと足音が聞こえ、兄が上がって来たかと思うと、ノックも無しにドアが開く。
「えっ…いや、あの…、別に、何でも…」
「そうか。なら、良いが。お前が怒鳴るなんて…そんなこともあるんだな。…相談になら、いつでも乗るから、辛くなった時は頼れよ」
兄は、と大人びているが優しさに満ちた笑みを浮かべて、部屋を後にする。
直ぐ隣からパタン…とドアの閉まる音が聞こえた。隣が兄の部屋らしい。
ただ、ぽかーんと間抜けた顔を浮かべた僕は一人呟いた。
「…誰、あれ」
僕の知ってる兄は、何か、もっとこう…由香子さんの子ですねっていうのを惜しみなく受け継いだ生意気の域を超えたどうしようもなく、強制不可能な性格の持ち主じゃなかったっけ?
ベッドに突っ伏して目をつぶる。
意識は深淵へと堕ちた。
身体が死んだように冷くなっていく。
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「…ろ、起きろって。さっさと起きろ!馬鹿っ」
「痛…!カイン、何か用…?って、あれ?元に戻ってる…」
その呟きに、カインは呆れた様に溜息を着いた。
布団の中では、猫モドキが小さな寝息を立てて寝ている。
「優真様、今日はデートの約束したじゃないですかっ!忘れたんですか?」
「ででで、デートォォォォっ!?こんな奴とっ?姫様、お考えを改め下さいっ!それだったら、このノーイめがお供致しますっ!」
「えぇ。ノーイは荷物持ちよ」
くすくすと楽しそうにノワールが笑い、ノーイは戸惑い半分、嬉しさ半分と言った感じに笑っていた。
いつの間にか、良い匂いが部屋に漂って来る。
お腹空いただのと皆で口々に言い合いながら、階段を下りると、吉田魔王様が厨房で調理していて、オズさんが皿を運んでいる。
教官は庭で、剣の素振りをしていた。
カインが駆け寄って、教官に声を掛ける。それをノワールとはやし立てて、教官は顔を真っ赤にして怒り、ノーイさんはやれやれと言った様子で傍観して、吉田魔王様は苦笑を浮かべながら食事を運んでくる。
自分勝手で個性豊かな仲間達。
その姿が、徐々に薄れ、ぼやけていく。
「…っ!!」
手を伸ばし、掴もうとしても、ただ空を掻くだけだった。
身を起こす。
冷や汗が流れた。
いつもの、僕の部屋。
まだ、僕は『みけがさき』に留まっていた。
「…影の王(仮)は、そんなに『ミケガサキ』に戻りたいんですね…?」
聞き慣れたけだるそうな声が降ってくる。ほんの僅かに、怒気の籠った。
そう高くない天井を見上げれば、フレディが面白くなさそうに見下していた。
「(仮)って何だよ、仮って…」
「全く、我が儘な主を持つと大変です…。あなたにその覚悟があるなら、お教えしましょう…。実行するも、しないも好きにしなさい」はぁ…とフレディは明後日の方を向いて溜息を吐く。
何かやけに不機嫌だな。
僕、何かした?
「…で、その方法は?」
僕の問いに、フレディは真顔になる。
小さな唇から言葉が発せられた。
その言葉に頭が真っ白になる。
「…え?」
僕のその態度に、フレディは少しイラついた様にぶっきらぼうに言う。
自嘲の様に歪んだ笑みを浮かべて。
「今のあなたが松下優真なら、『田中優真』になれば良い。
松下優真の人生をぶち壊して、出来る限り『田中優真』の人生に近付けて、あの時と同じようにするんです。…運が良ければ、『ミケガサキ』に還れますよ?失敗すればそれっきり、母親に冷たい目で見られ、兄には蔑まれる人生に逆戻りです。それが嫌なら、大人しく松下優真として生きれば良い…」
憐れむ様な視線を僕に向けて、フレディはぼそりと呟く。
僕はただ黙っていた。
「代償無しに、願いは叶えられませんよ…。どんなことにも、不正を行えば、それなりの代償ってものを払う。それが世界の理なんですから…。
だから、あなたは、『松下優真』の人生を代償にして、自分の望みを叶えるのです。あなたにその覚悟があるのなら、私達はいつでもあなたを王として迎え、その願いを叶えましょう。我々の願いと引き換えに…。
では、あなたが自分に有意義な選択を選ぶことを願って…by大総統」by大総統をやけに強調して、フレディはそれだけ言うと、夕靄の様に溶ける様にして消えた。
残された僕は、一人ぼやく。
「…大総統、自分で言いに来いよ」




