第二十二話 嘘つきの戯言
「邪魔を…、するなぁぁぁぁっ!!」
雪崩を打つ魔獣の群集を前に、『魔眼』で瞬時に魔法陣を形成し発動する。
闇の中に星を思わせるほど無数の魔法陣が形成、展開され、発動すると共に鳥の形をした炎が魔獣に襲い掛かっていく。
対して闇に浮かぶ炎の鳥を前に、前衛を駆ける魔獣は艶やかな体毛を徐々に湿らせていき、やがて水を纏うに至る。水の鎧を着た前衛はそのまま炎と衝突し、大規模な水素爆発を起こし倒れていった。
しかし、如何に前衛を突破したところで直ぐさま後ろに列を成していた後衛が同胞の屍を盾にし踏み越えて向かって来るのでせっかく切り開いた突破口が塞がるどころか入る隙もない。
攻められる一方で、こちらの攻撃もほぼ魔力・体力の空費に等しいというのは一番最悪の事態である。
一糸乱れぬ隊列、いや陣形か。これには感服せざるおえない。
これを打破するには多勢で以って迎え撃つか、魔力を大量に消耗して巨大魔法陣を形成し一掃するしかないだろう。
「はぁっ…、はぁっ…」
「影の王…。あの瓦礫まで退きますよ…。一旦、体勢を立て直しましょう…」
フレディが指差す先には、元は船であったであろう残骸が辛うじて身を潜められる程度に形を留めていた。
肩を息をしつつも頷き、近付いてくる魔獣を魔法陣で炎の壁を作り焼き払うと船の残骸を目指し駆ける。縺れる足で何とか中へ倒れ込むとごくわずかに残っていた魔力で素早く固有結界を張った。
―現在、ミケガサキ第三十一区。かつて、市で賑わう活気盛んな港町ならぬ港区であったが今となってはその影も形もない。
海は干上がり、家は全て崩壊し魔獣に踏み荒らされている。
此処に来るまで何千との魔獣を殲滅し活路を切り開いてきたが、地区を上がるほどに魔獣は強さを増すばかりだ。まるで訓練された軍隊の如くあらゆる戦術を駆使し、なおかつ此処までくると既に魔術の知識を有した個体も一般化してきている。
今までの魔獣は多少の連携は見せてきたが、それでも猪突猛進の一言に尽きた。故に叩くのはたやすかったが、徐々に強さを増していく魔獣との度重なる連戦により流石に魔力・体力共に限界を迎えている。
精神的にもかなりきつく、延々と繰り返される殺戮劇に醒めぬ悪夢の中にいるようだとぼんやりと思う。
「残り、何体くらいになったかな?此処まで来るのに随分殲滅したと思うけど…」
「おおよそ数百体といったところでしょうか…。流石にしんどいですね…。一時間ほど休んだら行きましょう…」
互いに疲労困憊であり、そんな状態で仮に城に辿り着けたとしても負戦を挑みにかかるようなもの。なるべく早く行きたいのは山々だが、この時ばかりはその案に妥協する。
瓦礫の壁にもたれ掛かりながらフレディは自らの武器を抱えるようにしてうずくまっていた。
服はおろか髪まで返り血で赤く染まり、彼の愛用の鎌は絶えず血が滴っている。きっと自身の姿もこれと同様なのだろうと思うと流石にゾッとした。
横たわると、ひんやりとした地面の感触がとても心地好い。危うく意識を手放しそうになった。此処で寝てしまったら、仮に叩かれようが首を刈られようが確実に一時間以上爆睡してしまう。
世界が闇に呑まれている影響なのか知らないが、回復がそれなりに早い。一時間もあればある程度回復するだろう。
緊張の糸が解れてきたらしく、瞼が鉛のように重い。疲れているのもあるのだろうが、魔術を駆使してきた為、魔力が底を尽きかけているのか意識が低迷してきている。
魔力はよく分からないが、心や精神に深い関わりがあるらしく、使い過ぎると最悪の場合、植物状態…廃人同様になるのだそうだ。
それに至るまでには四つの警告症状が表れる。
初期症状は魔法陣の形成が上手くいかないなどの集中力の低下。第二段階は猛烈な眠魔に襲われるらしい。第三段階が最終ボーダーラインであり、意識の混濁が起こり始めるという。
まどろみつつある意識を覚醒させるべく、会話に徹することにした。
「魔獣が魔術を使った時には驚いたよ。あいつら、魔術使えたんだな」
「失ったのは理性であり、知性ではありません…。とは言え、今までの個体は魔術を使わなかった…。つまり、そこまで知性が退化していたのでしょう…。ただし、本能といいましょうか…。いくら知性が退化しても群れて行動するのは問題ないようでしたね…。それに比べ、此処ら辺の奴はまだ辛うじて覚えている、もしくは単なる癖…。やはり明確な意志を持っている奴はそれなりということでしょうか…。となると、この先…。厄介ですね…」
途中から何やら思索に耽り始めたようで、ぶつぶつと呟くフレディをよそに勝手に話を進めていく。
「一応、僕も魔王の端くれだし、魔獣を生み出せる力を有してる訳だけど、此処にある瓦礫であの魔獣達に対抗できるだけの戦力になりえるかな?」
「石クズで生み出した魔獣などたかが知れています…。魔術を使えないどころか奴らの足元にも及びませんよ…」
「何だ、使えないのか」
「石クズに知性がありますか…?魔術の知識を有している…?精々、ちょっと魔力を秘めていて、ちょっと頑丈なだけの魔獣でしかありませんよ…」
「なら、今いる魔獣は…」
何なんだと問いかけようとすれば、フレディはそれを見越したように態とらしく溜め息を吐きながら、やんわりとそれを制した。
「全く…、いくら私がもう魔王でないとはいえ、かつての上司に刃向かうとは失礼な奴らですよ…」
「ん?ってことは、あの魔獣達は光の救済前の奴らか。フレディ、仮にも元魔王なら何とか出来ないの?」
「馬鹿ですね、出来たら苦労しませんよ…。力さえ戻ればかつての同胞である何体かは私の命令に従うでしょう…。生きていればの話しですが…。しかし、従わない個体もいます…」
「あぁ、分かるよ。頂点に君臨しているという威厳がまるで感じられないからな」
沈黙が降りた。てっきり手足を刈られる、罵倒の限りを尽くされる、見下される、見放されるといったこれまで受けてきた数々の仕打ちのどれかを想像していたが、予想に反し、深い溜め息を吐かれるだけに留まった。
「違いますよ…。あれら全てがかつての同胞なら私の命に従いますが、奴らは繁殖しますからね…。その変わり死にます…。その孫だの曾孫だのが会ったこともない私の偉大さが分かりますか…?」
「分からないだろうね。凄い程度には思うけど。歴史上の偉い人みたいな」
「つまりは、そういうことです…」
壁にもたれ掛かかったままフレディは口を開くのも億劫だと言わんばかりに簡素な返答を述べる。
「皆は無事かな。まだ一人も会ってないだけに少し心配だ」
「……………。多勢に無勢は目に見えていますし、もしかしたら何処かに身を潜めているんじゃないですか…?もしくは先に城に殴り込みに行っていたとしてもおかしくありません…」
「ああ、そっか。そうだね。教官やカインは騎士だから国の人の避難を最優先にして、無茶な戦闘は控えるはずだろうし、ノーイさん達は、やっぱり吉田魔王様に会いに、城へ行くんだろうな。もしかしたら教官達も避難場所に城を選んでいるかもしれない。
…ありがとう、フレディ。少し元気出た」
「いえ、別に…。影の王…」
「ん?」
彼にしては珍しく躊躇するような素振りを見せた後、諦めたのか小さく首を振った。
「―時間です…。行きましょう…」
「え?あ、あぁ…」
何か深刻な話題でも振るのかという思いがあった故に肩透かしを食らったことに僅かながらに戸惑いを覚えるが、それを気にする風もなくフレディはよっこらせ…と鎌を杖がわりに爺臭い掛け声と共に立ち上がる。
「さて…。問題はこの先如何に力を温存して先に進むかですが…」
「それなら、ちょっと試したいことがあるんだけど…」
****
「おー、早い早い」
豆粒ほどの大きさになった魔獣を蹴散らし、瓦礫で作った巨大な魔獣は地を蹴り進んでゆく。大きさとしては前に会った堕竜をゆうに越している。
ただの瓦礫と言えど、元は船。強度としては悪くない。後は物理攻撃や魔術を何とかすればいいだけだ。物理攻撃は大した脅威ではないが、向こうの魔術はけして弱くない。高度ではないが、水を纏うことなど基礎魔術の応用は軽く熟しているし、どれもそれなりに殺傷能力のある魔術だ。
どちらも臨機応変に対応するために先程前衛の魔獣がやっていたのを採用して、全体を『跳ね返しの陣』でコーティングして相手の自滅を促してやる。
「あー…楽ですね…。これで表面がゴツゴツしていなければ快適なんですが…」
「……………。」
「影の王…?」
「え…?あぁ、ごめん…。ちょっと意識飛んだ。思いの外魔力を消耗し過ぎたみたいで、意識が低迷してるみたい…」
「その症状だと、警告症状の第三段階ということになりますね…。魔法陣の形成が思うようにいかないと思ったことは…?」
「それはない…。魔眼のお陰かもしれないけど。ただ、第二段階の睡魔なら心当たりあるよ」
そう答えるとフレディは眉をひそめた。しかしそれも直ぐに氷解する。
「そうですか…。影の王、貴方の名前は何ですか…?」
「何だよ、薮から棒に」
「いいから答えなさい…。心配せずともどれだけ意識の低迷が進んでいるかの確認ですよ…。で、貴方の名前は…?」
「田中優真」
「貴方の目的は…?」
「崩壊を阻止し、世界を救うこと」
「そこがはっきりしているなら大丈夫でしょう…」
安堵の息を吐きながら、やれやれとフレディは脱力する。
「やはり少し疲れているのでしょうね…。影の王はどうぞお休み下さい…。どうせ起きていてもあまり役には立たないでしょうに、肝心なときにも役立たずというは困りますからね…」
「何処かに嫌味を混ぜなきゃ気が済まないのか!?まぁいいや。こうなったらお言葉に甘えて爆睡してやる」
そんな負け犬の遠吠えに等しい言葉を吐きながら、俗にいうふて寝に入った。
いつ寝たのかまるで覚えていないが、恐らく宣言をしてから三秒も経たない内に有言を実行したと思う。
……………………………………………………………。
「……………。」
『ちょっと、いつまで黙ってるつもりよ〜?』
背後から聞こえてくるどこか拗ねたような声にフレディは内心溜め息を吐く。
「それはこちらの台詞ですよ、ヴァルベル様…。いつまで影の世界にいるつもりなんですか…。目覚めたならさっさと加勢してもらえると助かるんですけど…」
『それをアンタに言われる日が来るとは驚きというかある種、感動よね〜。加勢したいのは山々だけど、生憎『器』が壊れてて無理ね』
素っ気なく言われ、フレディは深い溜め息を吐いた。闇はそれを面白がるように笑い続ける。
絶え間ない笑い声に、フレディの表情は苦虫を噛み潰したような渋面を浮かべながら指で耳詮をした。
『あれ、いい感じの美女だったから結構気に入ってたのに、残念』
「貴女、『器』なら沢山持ってたでしょう…」
『古くなったから捨てたわ』
「古いって…。『器』に古いも新しいもないでしょうよ…」
やれやれと溜め息を吐くフレディに、闇は嘆息する。
『分かってないわね〜。これだから男は困るわ。けど、今はそんなことどうでもいいの。アンタの口車に乗るつもりはないわ。そうやってすぐ本筋から逸らそうとするんだから。
真実を知る覚悟がありますかなんて聞いておきながら、アンタがそれを話すわけでもない。ただ主様が答えに至るのを待ってるだけなんて、覚悟がないのはアンタの方よ。あの時点ならまだ主様も情状酌量の余地くらい与えてくれたと思うけど〜?それとも、まだ何か良からぬことでも企んでるのかしら?』
「別に…。本当に意地の悪い人ですね…。貴女のそういうところが嫌いなんですよ…。私が何をしようと私の勝手じゃありませんか…」
『あ〜ら、嫌われたものね。私は好きよ?手間の掛かる弟って感じで。
まっ、それはさて置き、主様の判断に任せるなんて甘え、主様があまりに可哀相じゃない』
「ヴァルベル様の言うことも分かりますがね、もう後が引けないところまで来てしまっているんです…。
確かに可哀相なことをしているという思いはありますが、まぁ慣れとは恐ろしいもので、日頃イジメているせいか罪悪感というものが非常に希薄で、むしろ上塗りしたところで既に堕ちるところまで堕ちているのですから良いかなと思い始めてきました…」
闇はしばらくの間黙していた。呆れを通り越して最早絶句である。
『アンタね…』
「別に、甘えと言われても仕方がないのは分かっていますとも…。しかしヴァルベル様、貴女なら少しは分かるでしょう…?我々の悲願達成が当初の目的でしたから、私も手段を選びませんでした…。ですが今は少し複雑な心持ちです…。
だから、今の私には真実を告げる勇気もなければ覚悟もない…。どうぞ、臆病者と笑っていただいて構いませんよ…」
『アンタって本当に嘘つきね。可愛くない坊や』
闇は深い溜め息を吐く。そして独りごちた。