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第十四.五話 喪失の心中

あってもなくてもいいような、そんな話です。


温泉旅行から何事もなく月日は流れ、卒業式を二週間と一日後に控えた今日。

芯の無くなった冬の寒さに若干の切なさを感じながらある場所へと向かう。

今の自宅から一時間ほど歩き向かった先は閑静な住宅街だった。此処は僕等が住んでいる三嘉ヶ崎市北区とは反対側の南区で、ごく普通のサラリーマンなどが住んでいる。北区は成金などの金持ち、南区は一般市民の区域エリアという暗黙のルールを律儀に従い、三嘉ヶ崎人口における一般市民約八十パーセントの内、四割がこの西区に集まり住んでいる。三嘉ヶ崎市内で最も人口密度が高い地区だ。

なのにこんなにも寂しく感じるのは、この灰色の空と建物の色のせいだろうか?


「……此処かな」


明日はゲーム会社アポクリフォスの見学会。表向きは見学会だが、内情は違う。何が起こるか全く予想が出来ない。とはいえ、リンクシステムを停止させる千載一遇のチャンス。絶対にフイにするようなことだけはしたくない。

明日、どんな結末を迎えようと心残りのないように、今の内にやっておくべきことがある。今日はそのために此処に来たのだ。

足を止め、見上げた先には古びた二階建てのアパート。水色の塗装は所々はげ、コンクリートが剥き出しになっていた。

錆びて腐食が進んだ階段を慎重に上がっていき、一番奥の部屋の前で止まる。表札に書かれた名前を確認したあと、深呼吸を一回。汗ばんだ手をズボンに擦りつけて拭い、インターホンを押す。返事はない。代わりに足音が近付き、ドアが悲鳴を上げながらゆっくりと開いた。


「…よく、来たね。どうぞ上がって」


現れたのは自分とよく似た長身痩躯の男。頬は痩せこけ、顔色も優れない。目の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。痩せているからなのか、みずぼらしいという印象が強いせいか分からないが若く見える。しかしその口調は老人のようにゆっくりだ。


男の名は神宮寺司。

僕の生みの親であり、東裕也の父親である男。そしてあの忌まわしき連続婦女暴行事件の犯人。

それでも何故かこの人を憎いと思ったことは昔も今もない。昔はあまりよく分かっていなかった。今は…、同情や哀れみの念が強いからだろうか?


「お邪魔します」


―世の中には、知らない方が良いこともある。これはその最たるものだ。知らない方が幸せでいられる。


「君が此処を訪ねてくるなんて驚いたよ」

「突然押しかけてすみません」


でも、それは違う。藁にも縋る思いで希望に縋ったところで現実は何一つ変わらない。誰も報われない。


「外、寒かったでしょう?まぁ、前みたいな寒さじゃないけど。春もそう遠くないってことかな。就職先、決まった?それとも進学するのかな?」

「進路はまだ…。とりあえず明日、ゲーム会社アポクリフォスの見学会に行く予定です」


―僕は伝えなければならない。例え、それで憎まれることになったとしても。これが僕の義務であり、罪であるのだから。


東裕也の母の仏壇を前に手を合わせる。線香の匂いが部屋に立ち込めた。しばらくして机に向き直ると話を切り出す。


「今日は、その、裕也のことで…。裕也、裕也は…」


口が渇いて上手く言葉にならない。声が震える。しっかりしろ、田中優真。一番辛いのはお前じゃない。お前の目の前にいる男だ。

そんな僕に黙って司さんはお茶を差し出し、向かいに座って僕を見た。彼の虚ろな目は僕を見てはいない。あの目を僕は知っている。全てを諦めた目だ。


「裕也は――」

「死んだんだよね?」


仏のような穏やかな笑みを浮かべ、司さんは確認するように僕を見る。


「なっ、何でそれを…」

「通知が来たんだ。裕也が加入していた生命保険金と慰安料…、もしくは黙秘料って言ったらいいのかな?そんな感じの金が口座に振り込まれててね。何にせよ、罪人の訴えなんて信じてもらえないだろうが、念のための措置ってところだろう。

…今日は、わざわざ伝えに来てくれてありがとう」


司さんはそう言うなり、その場で土下座した。慌てて駆け寄り止めさせると、司さんは顔を上げ、遠い目をしながら自らの過去を僕に語った。


「そんなっ、彼に手を下したのは僕です!責められこそすれ、謝られる資格なんか…」

「違う。これは僕への報いだ。天罰が下ったんだ。それだけの事を僕はしたのだから。神様はよくお分かりになっているんだよ。僕を傷付けるより、その周りの者を傷付ける方が効果的だと。

母と父はあまり誉められた人間ではなかったらしい。そんな二人が死んで、兄と僕だけになった。今までの行いが余程悪かったらしく引き取り手がいなくてね。しばらくは施設で過ごした。僕もそんな両親の血を濃く受け継いでね、若い頃は麻薬とか色々やったよ…。その後遺症なのか、今もたまに記憶が飛ぶ。君を含め、被害に遭った方全てに悪かったと思ってるけど、あの時の記憶もすっぽり抜け落ちてるんだ…。あの事件のせいで多くの人が傷付き、妻もそのせいで死んだというのに笑っちゃうよ…。兄がいなくなって、そして妻が死んで、今度は裕也だ。何だか僕はね、失うことに慣れてしまった気がする」


一度咳き込んでから、虚ろな目が僕を捉らえる。その目とは裏腹に、表情は相変わらず微笑んだままだ。

きっとこの人は自分が今どんな表情をしているのか分からないだろう。


「君はあの子を助けようとしてくれていた。そして今日、あの子の死を伝えに来てくれた。だから僕も感謝こそすれ、恨みや憎みなんてない。…君は死なないでね。次は僕の番だから」

「え…」

「肺炎、なんだって。医療費ないから、そう長くはない。あぁ、大丈夫。うつらないから、安心して」

「いや、そういう問題じゃ…。お金、貰ったんでしょう?」

「息子の命を値踏みした金で生きながらえることはしたくないから…、その場で燃やしたよ」


乾いた笑い声をしばらく上げていたが、急に打って変わって真顔になり、自らを呪うように低い声で呟いた。


「僕は、もっと早く死ぬべきだった」

「…そうしたら裕也は独りになってしまう。きっと、貴方と同じ道を歩んでいた」


僕の言葉に司さんはうなだれる。


「どっちも地獄だ…」


何がいけなかったんだろう。何処からが間違いだったんだろう。

狂ったように同じことを呟く司さんに掛ける言葉はなかった。どんな言葉も彼を救うには至らない。救われることを本人が望まなければ意味がないのだ。

寿命以前に、最後の拠り所である東裕也の死を知った時点であの人は死んだも同然だ。


「お邪魔しました」


後味の悪いまま、アパートを後にした。帰路につく足取りは重い。空を見上げても今の暗澹たる天気は僕に欝しかもたらさない。


僕はあの人の瀕死の心にトドメを刺した。たちの悪い冗談を、目を背けてはいけない現実を、あの人を巻き添えにして直視した。憎しみなどないと言っておいて、復讐以上に残酷なことを僕はしたのだ。


「…業が深いな、この一族は」


あの人はこれからどうするだろう。あのまま、残り僅かな寿命が尽きるのを待つのだろうか?

それはないと小さく頭を振る。不思議と確信があった。もう何も失うものがない故に彼はどんな事も平気で仕出かすだろう。


あの人は僕に似ている。いや、逆か。僕があの人に似ているのだ。血が半分とはいえ繋がっているのだからまぁ無理もない話しだが。


「…いよいよ明日か」


明日、仮にリンクシステムを停止してカイン達を送還させることが出来たとしても、それで全て解決しはしない。解決への第一歩を歩んだというだけだ。


思えば、どいつもこいつも大切な人を失って。それを受け止められずに周りに当たり散らしているだけではないか。そんなお門違いな解釈のせいで世界が滅ぶなどと世界を巻き込んだ迷惑この上ない心中行為は本当に止めてほしい。


ゲーム会社アポクリフォスの社長も事故で家族を失った。その死を受け入れられなかった彼は異世界を三嘉ヶ崎と同一のものにさせ、家族の死ななかった世界…パラレルワールドのように自らの都合の良いように創り変えてしまった。

きっと、最初は満たされただろう。しかし、所詮は他人事だ。幸せなのはその世界の中の自分であって三嘉ヶ崎にいる彼ではない。

そしてまた現実を直視せざる負えなくなる。今度は誰も救いの手を差し延べない。結局、振りだしに戻る。

彼は此処で家族の死を受け入れるべきだった。受け入れ、前へ進むべきだった。


彼はどのような心境で、今なお現実という壁の前に佇んでいるのだろうか。自分が味わった悲劇を他人に味あわせる気持ちは如何ほどか。


「―他人の不幸は蜜の味、か…。僕には一生理解できないな」


願わくば、彼に良心の呵責というものが少しでも残っているように。

前書きに書いた通り、十五話に至るにあたりあった方がいいかな、でも、なくても差し障りないかもって感じです。

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