第十二話人の皮を被った化け物
「あちゃー、荷物多すぎて全員押し込めそうにねぇな…。六人が限界だわ。それ以上は間違いなく圧死を余儀なくされる」
早朝、軽自動車でやってやって来た岸辺親子は手際よく荷物を後部座席に詰め終えると腕を組みながら冷静にとんでもない分析結果を告げた。
そんな馬鹿なと後部座席の後ろの荷物置きスペースを覗くと、救急箱やら非常食やらと既に彼等の神経質な荷物で埋まっている。
「そもそも、五人乗りの車に八人詰め込もうって考えが甘いんだよ。何で八人乗りのレンタカー借りねぇんだ?」
「ニアッ!」
「はいはい、八人と一匹な」
抗議の声を上げる猫モドキの頭を撫でながら岸辺はやれやれと言わんばかりに訂正する。
「常々思いますけど…、流石は親子ですわね。ああして二人並んでいると、外見から性格まで本当にそっくりですわ」
「それ、岸辺の前では言わない方が良いよ。物凄く怒る」
通っている高校に親が勤めていること自体、からかいの種になりやすい。それに加え、名字は違えど顔立ちが似ているとなれば二人が親子であると気付く者は少なからずおり、心ない噂が飛び交ったためトラウマになったのだろう。キー先に何かと食ってかかるのがその表れだ。
未だ定員オーバーの乗車云々について論議を交わす二人の背をしみじみ眺めながら感慨に耽っていた。
高校の時の岸辺はまだ母親の面影が強く表れていたため、さほどそう感じさせることはなかったが、成長とは恐ろしいもので今では母親の面影の方がすっかり鳴りを潜めてしまっている。―とはいえ、如何にトラウマであろうが本人が怒ろうが事実は事実なのだからいい加減腹を据えろよとも思う。
僕等の視線に気付いた岸辺が鬼のような形相でこちらを睨んで来たので、悪かったと肩を竦めてみせた。
「仕方ないだろ。他はともかく、三嘉ヶ崎にはそうは無いんだよ、八人乗り。こうなったらプランBだな。アンナさん、本当に大丈夫か…?」
「うむ、問題ない。出来れば、体重が軽い方が助かるな。この中で体重が一番軽い者は誰だ?」
「………?よく分からないけど、そう考えると男性陣は対象外だね」
教官は何故か準備運動をしながらそう尋ねる。事情を知らない僕は小首を傾げながらも自らの発言に同意を求めるべく岸辺を見るが、奴はつまらなさそうに欠伸を噛み殺す素振りをしながら淡々と即答した。
先程のことを根に持っているのは一目瞭然である。何と大人げない奴なのだろうか。
「いや、お前は余裕で対象範囲内」
「失礼な。成長したのは身長だけと思うなよ、体重の方もちゃんと比例して…」
ムッとして言い返す僕を教官が後ろから片手で抱き上げた。
「軽いな」
「そりゃあ…、この二日三日は何も口にしてないからね」
「体調はもう大丈夫なのか?」
「心労だから大丈夫」
「…そうか。なら、優真を乗せるとしよう」
そう言って教官は踵を返し、その場にしゃがみ込んだ。ひたすら困惑する僕を余所に皆はさっさと車に乗り込んでしまう。
「えーと…」
「どうした?遠慮は要らんぞ」
「いや、何と言うか…。羞恥プレイの枠組みを遥かに越えた公開処刑に等しい行為に戸惑いを隠せないと申しましょうか…。そうだ、猫モドキかノーイさんに乗せてってもらうというのは…」
「上空は寒い故、断固拒否らしい」
「僕よりノワールの方が…」
「ドレスがシワになるのが嫌なのだそうだ」
「さいですか」
どちらにせよシートベルトで駄目になるじゃないかと独りごちるが、自分でも負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
「ただ背負われるだけなのだから気にすることはない。もう少し肩幅があったなら俵担ぎも出来たのだが…嫌か?」
嫌云々の問題ではなく、適性年齢と性別をもう少し考慮していただきたいところではあるが、何を言っても無駄なのは明白だ。仕方なく負ぶさると教官は軽々と立ち上がる。
しかし、そこでふと我に返る。こうしたところで車に乗せてもらえる訳ではないだろう。まさかとは思うが、車にしがみつく気ではないだろうな。
そんなことを考える僕を余所に車はゆっくりと徐々にそのスピードを上げ、目的地へとを走り出す。その背を追うように教官も駆け出した。
まさか、時速何キロの車に走ってついて行く気か?いや、しかし…。いくら何でも有り得ないだろう。そう自分に言い聞かせ、思い付いた発想を否定する。徒競走とは訳が違うのだ。
「まずは嗜み程度に四十キロと言ったところか」
頭痛がした。どうやら本気でそのつもりらしい。つか、嗜み程度に四十キロって何?何処の星の嗜みだよ。
「ははっ…。カメとウサギも真っ青だ」
乾いた笑い声を上げながら横を向き、彼方へと流れ行く景色に見入った。…などと言えば聞こえはいいのだろうが、実際は教官の長い金色の髪が向かい風を受けて意とせずこちらに猛威を振るって来るので横を向かざるおえないのだ。景色も走っているためその振動は大きく、まともにピントが合わない。
何はともあれ、今はただひたすらに、この姿を誰にも見られていないことを祈るばかりである。こうなることを見越しての五時集合だったのだろうがあまりにも心許ない措置だ。
「…因みに、到着はいつ頃になるご予定で?」
「二時間少々と言ったところだな。七時を目安に行く」
「疲れない?」
「折角の温泉なんだ、疲れずにいてどうする」
しばらく走っていると家も疎らになり、やがては一軒も見当たらなくなった。郊外にある山に近付くにつれて道端は徐々に狭まり、刃物ですっぱりと切られたような切り立った岩肌とガードレールに囲まれた道が延々と続いている。
乗り物酔いというわけではないのだが、乗馬よろしくそれなりに体力を消耗するようで体が鉛のように重く気怠くなってきた。教官の方も疲れが出て来たのか、車との距離が徐々に開いて来ている。
「魔術の効きがイマイチだな。…優真、大丈夫か?」
「ちょっと、疲れたのかな?ほんの少し気分が優れないだけだから…。ごめん、教官の方が疲れてるだろうに」
「気に病む必要はない。私も女とはいえ騎士だ。魔術に頼ろうがなかろうがこれくらいで根を上げるような鍛え方はしていない」
頼もしい限りだと苦笑し、ガードレールを越えた先に鬱蒼と広がる樹海を見た。その気配を察知したのか、つられて教官も横を向く。
「海だったら良かったとも思うが、これはこれで美しい…。緑の海だ」
「そりゃ…、樹の海と書くくらいだからね」
そんな月並みの回答を投げて寄越すと、教官はそうだなと苦笑する。
「もしかしたら、お前の世界もいつかこの当たり前の自然が拝めなくなるかもしれない。その時はお前も少しは自然に対する感性も芽生えるだろう。木でこれ程の迫力なら、海はどんな感じなのだろうな?」
「そんなに見たいなら連れて行ってもらえば良いじゃないか」
「生憎だが、そこまで居座るつもりはない。我々の居場所は向こうの世界だ。戻れるのなら一秒でも早く戻りたい。―だが、そうも行かないのが現実だ。仮に戻ったとして、我々に何が出来る?それが出来たなら我々は勇者も魔王も必要としなかったはずだ。
魔王という強大かつ絶対的支配者から逃れる術と言い訳を並べ立て、醜い領土争いや資源争いに明け暮れ、勇者が平和をもたらせばそれに倣った。何故、資源を食い潰す前に何か策を取らなかったのか?…浮かれていたのだ、私達は。戦争とそれがもたらす恩恵に、自分の首を絞めていることにも気付かずに争っていた。尚且つ、一旦始めた戦争を自分達の手で始末を着けるのかと思えば、それも勇者任せ。…明真にせよ、お前にせよ、我々は十分に助けて貰った。それに甘んじ続けたことも一連の事の発端に繋がるだろう。お前は、事の発端はシステムとやらを開発したこちらの三嘉ヶ崎の者にあると言うが、それは我々も同罪だ」
教官が言うまでもなく、双方に問題ありというのは既に結論に至っている。
想像主でもないくせに勝手に世界を譲渡した何処ぞの馬鹿と、手渡されて調子に乗った馬鹿がやらかした付けが巡り巡って不運にも僕等に回ってきたというだけだ。
「…………。そうそう、ゲームで思い出した。教官、何でゲームがあるか分かる?」
いきなりの話題の転換とその内容に教官は怪訝な顔をしたが、いいやと首を振った。
「例えば、今とても腹が立っていたとする。どう解消するか人によって様々だろうけど、大抵は人に当たって気分をすっきりさせるのが定石かな。いわゆる八つ当たり。これは人の攻撃性に基づく」
「攻撃性…?」
「そう。確かに、向こうのミケガサキでは争いが度々起こるね。その代わり、あまり起こらないものもある。…殺人事件だ」
「そもそも、滅多に起こるものではないだろう」
国と市、その環境じゃ頻度も違ってくると諭せば、やや不服そうに黙ったので構わず話を続けた。
「確かに滅多に起こるものじゃないけどね、国全体を見渡してみればそれなりだよ。こちらの三嘉ヶ崎は市だ、国じゃない。でもそっちは違う。まぁ、『リンク』の影響も多少はあるのかもしれないし、国の規模にもよるだろう。しかしそれなりの国土を誇る国の殺人事件発症率が数十年に一度というのは中々無いんじゃないかな」
「戦争が人の攻撃性とやらを発散させているから事件が発生しないとでも言いたいのか」
「あくまで向こうのミケガサキの場合ね。追い詰められない程度の争いが定期的…ではないにしろ、ほどほどに起きている。もし、本当にこれらが相対関係にあるのなら中々興味深い」
そんな僕の発言に教官は一瞬毛を逆立てたが、嘆息すると荒々しい、しかしそれでいて諭すような口調で言い募った。
「確かに、お前の言う通りなのかもしれん。だがな、戦争を経験したからこそ、我々は命の尊さを知り、恒久の平和を願うのだ…!けして、決して攻撃性とやらを発散させるためではないっ」
「あぁ、ごめん。そうじゃない、そういうつもりじゃなくて!配慮というか色々足りなかった!あくまでゲームの話だから!別にそういうつもりじゃなかったんだ。ミケガサキのはそういうデータを元に例に上げただけで、そういう効果も含まれているのかもねっていう推測…。とにかく、ごめんなさい…」
「一理あるだけに余計腹立たしい!良いか、優真。決めたぞ、私は!お前のその推測を必ず覆すっ」
「そんな躍起になるようなことじゃ…まぁいいや。で、覆すのは結構なことだけど、どうやって?」
「分からん!」
「さ、さいですか…。でも何事も先立つものは必要かと…。でも、本当にそうなると良いね」
「そうだな。平和が一番だ。『リンク』で繋がっているのなら、向こうもこちらのように平穏になればいい。そうしたら、皆幸せだろう」
そうだねと相槌を打って、そっぽを向く。
どちらを選んだところで、一度に多くを失うか、長きに渡り徐々に失っていくかの違いだ。
―本当に争いというものがこの世から消え去れば、人は幸せになれるだろうか?
「世の中にはね、教官」
―もし、その答えがイエスであるならば。
「血を見るのが大好きな、戦うことに無上の悦びを感じる奴もいるんだよ。……僕のようにね」
「………?何か、言ったか?」
うなじを泡立たせながら教官は僕の方を振り向いたので、僕は笑って首を横に振る。
「いや、何も」
それを否定する奴は人ではない。殺戮に飢えた化け物だ。人の皮を被った化け物だ。…それが僕だ。
「平和になるといいね」
「騎士の威信にかけてしてみせるさ」
「…温泉、楽しみだね」
「あぁ、楽しみだ」
舗装されていないものの、踏み固められた山道は通りやすかったが、如何せん人が通るためだけの道幅でしかなかったために先行していたキー先らは大分苦労して進んだらしかった。
周りに生えた植物が無残に踏み潰されていたことから強行突破を図ったことは明白である。
「あーあ…。無理して進んだだろうから、レンタカー傷だらけだろうな。修理費が掛かるの分かってるのかな?」
「後の祭りだろう。…見えてきたぞ、あれじゃないか?」
教官の視線の先に洋館らしき建物の一部が見えた。前は野球部の合宿所として使っていたというが、こうして見ると何だか凄く勿体ない気がする。立地がもっとよければ、そのままホテルなどの宿泊施設に利用出来そうなくらい立派な建物だった。
玄関口にはキー先達の乗っていたレンタカーが止まっており、皆荷物を降ろしている。やがてこちらの存在に気付いたようで、おーいなどと声を上げてはしきりに手を振っていた。
「何だか修学旅行みたいだなぁ。こうやって皆で出かけるのは初めてだから、ちょっと嬉しいかも」
「…そうか。それは良かった。何でも、『あるばむ』とやらに私達と出かけた写真を載せたいらしい。きっといい思い出になるだろうと」
「そうだね、きっと一生忘れないよ」
よくよく考えれば、卒業まで一ヶ月を切っている。確か再来週ではなかったか?来週には因縁のゲーム会社アポクリフォスへの見学もある。それに教官達の送還や、ゼリアが引き起こしているミケガサキの崩落など何一つとして解決していない。…どうやら、今まで目を背けていたものを見つめ直す時が来たようだ。これから先、色々と忙しくなるだろう。
「どうせ忙しくなるなら、今のうちのんべんだらりと過ごした方が得だよね」
「むっ…。聞き捨てならないな。お前はいつもそうだろうに」
「あはははっ。うん、そうだった」