第九話 ある男の野望 前編
「いやぁ、家内が迷惑をかけて誠に申し訳ない…」
学園長が行方知れずとなって約三時間が経過した。
ひたすらに困惑した僕等はどうするべきか悩みに悩んだ末、学園長が戻って来るのではないかという淡い期待に縋り、大人しくその場に待機していた。しかし、待てど暮らせど一向に戻って来る気配はない。
そこへ部活動のため登校してきた三咲学園の生徒に出会い、こちらが大体の事情を説明する前に訳知り顔で僕らを理事長室へと案内してくれたのだった。
理事長なる男性は突然入って来た僕等に怪訝な顔一つせず、むしろ今にも泣きそうな顔で駆け寄り、途中机の脚やごみ箱に蹴つまずいて中身をぶちまけながらも第一声にそう述べたのである。
「え、家内?」
「あはは。申し遅れました。長嶋理と申します。一応、三咲学園の理事長を任されてます」
照れ臭そうに理さんは癖のある髪を掻いた。吉田さん達とそう変わらない歳だろうに、それなりに若々しく見えるのは柔和な顔立ちだからだろうか。かろうじて無精髭が相応の歳を主張している。とにかく、全身からいい人オーラが滲み出ている半面、立ち振る舞いがたどたどしく頼りなくも感じる。
「女子って、ああいうのに母性をくすぐられるんだろうな」
「奇遇だね、僕も同じ解答に至ったよ」
「…お二人共、どうか落ち着いて下さいませ。目が据わってますわ」
腕を組み険しい表情を浮かべる僕等をノワールが焦ったように宥めにかかる。
「みさ…学園長は毎回見学者の来観を大変楽しみにしているのですが、それで肩に力が入り過ぎて毎回暴走するのが常なんです。そんなところも可愛いんですけど、置いてきぼりを食らった見学者側からすれば迷惑な話しですよね…。
寒かったでしょう?お昼はもうお済みで?」
「いいえ。それがその、朝到着して…そのまま…」
歯切れ悪く答える岸辺に、理さんの顔がさっと青ざめた。
「失礼ながら…、ご到着はいつ頃で?」
「僕と雪ちゃんが道草食ってたから何だかんだで九時半過ぎてたよね」
馬鹿っと岸辺が殴りにかかるが、既に時遅し。僕の言葉に理さんの顔色は死人さながらに青を通り越して白くなっている。
「本当に申し訳ないっ!あの、学食…あぁ、駄目だ、やってない…。購買のものですが、早急に用意しますのでっ…!狭く汚い部屋ですが、どうぞごゆるりと…。食後に見学並びに説明を始めましょう。僕が学園長に代わって説明をさせていただきますがよろしいでしょうか?」
「是非ともお願いします」
手を差し延べる岸辺に、理さんはぺこぺこと何度も謝りながら握手を交わす。
「話も纏まったところで、僕は学園長を捜しにでも行ってくるよ」
「そうか…。無理に付き合わせてすまなかったな。ありがとう」
「どう致しまして。じゃ、行ってきます」
そう言って扉に手をかける僕を岸辺が止めにかかる。
「バーカ。余計に手間が掛かるっつーの。集団行動を何と心得る」
「まぁまぁ。じゃあ、お言葉に甘えてお願いしちゃいますね。もしも迷ったら生徒達に話してくれれば此処まで案内してくれますから」
いってらっしゃ〜いと理さんに見送られながら理事長室を後にした。ふぅ…と溜め息にも似た吐息が意図したわけでもなく口から漏れる。
「さーて、学園長は何処かなぁ」
「よければ私が学園長を捜しがてら校内を案内しますよ?タマさん」
ガシャン…と銃口がこめかみに突き付けられる。静かに両手を上げると、横目で武装犯を見た。
「拒否権は?」
「存在しません」
ふふっと悪意溢れる笑みを浮かべ、カルマは銃を下ろす。一体何処で入手したかしらないが、今日は三咲学園の制服姿だった。
「どうです?似合ってますか?」
余程制服が気に入ったのだろう。嬉しそうにカルマはその場でくるりと一回転してみせた。やや茶色味の強いワイン色のスカートが風圧でふわりと広がり、細長い足が一瞬だけ露出する。長い黒髪は胸のリボンと共に風になびいた。
「似合ってる。凄く」
「そうですか。まぁ、聞くまでもなく貴方のその間抜け面が私の天女に勝るとも劣らない美貌を証明してくれていますが」
いつものように自惚れた台詞を吐きながらカルマは僕に背を向ける。
「さて、行くとしましょうか」
「…今日は、僕を殺しに来たんじゃないのか?」
「違います。それを含め、込み入った話は案内がてら進めていくとしましょう。今日はそのために来ました」
冷ややかにカルマはそう告げると早足で歩き出した。急いでその後を追う。
何処かに続く回廊に外の弱々しい日が差し、異空間のような神秘的な雰囲気を醸し出している。
妙に既視感を覚えるのは、前に正木さん達と似たような場所を歩いているからだろうか。この学園は何処かミケガサキ城を彷彿とさせる。リンクの影響か、それとも僕の願望がそうさせているのか分からないが。
不意に、パソコンを起動させた時の重低音が響き、柱境の数十センチという空間をスクリーンにいくつもの映像が映し出された。
影絵に似て人物は全て黒いが、身につけている装飾品には色がある。影絵とステンドグラスを足したような絵だ。
「これは…」
「あちら世界の歴史です。と言っても、変えられた後のですが」
「―人々が神の恩恵を忘れ、人々によって生み出された魔が世界を支配していた暗黒時代…」
ぽつりと呟くと、カルマは足を止め振り向く。
「やはり知っていましたか。なら話は早い」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。やはり知っていたかってどういうことだ?確かに、ミケガサキに伝わる古い話とは聞いているけど…」
「彼等から聞かされた訳ではないのですね?では、一体誰から?」
「きょ、教官から」
嫌な汗がどっと吹き出るのを感じながらしどろもどろに答える。身に覚えのない罪を尋問されているような何とも言えない心地だ。
カルマは一人納得したように頷き、憐れみの篭った目で僕を見つめる。先程からずっと、彼女は僕をそのように見下しているのだ。
まるでフレディに乗り移られたかのような、いつものカルマと何かが違う。
「成程、アンナ・ベルディウスですか。貴方がご存知ないのも無理はないでしょうが、そんな話は存在しないのですよ。後で向こうのお仲間に確認してご覧なさい」
「でも、吉田魔王様もこの話を知っていたから、自ら魔王を名乗るという暴挙に出たんだろう?」
そんな事を言っても彼女には分からないだろうと高を括っていたが、カルマは瞬き三度で該当箇所に行き当たったらしく、首を縦に振り肯定を示す。
「先を急ぐのも分かりますが、まずは順を追って説明しましょう。貴方には知る権利と義務がある」
カルマは僕にそう告げると再度踵を返し歩き始めた。そして教科書を朗読するように滑らかな口調で語りだす。
「―事の始まりは、人々が魔と呼ばれる存在を生み出したあの瞬間…いえ、元を辿れば人々が信仰を失ったところからでしょうか。
あれは私が生み出されるより前のことですが、ゲーム『勇者撲滅』の開発により異なる世界同士が『リンク』という呪縛で繋がり、パラレルワールドでもないに関わらず三嘉ヶ崎と同じ造りに書き換えられ、そしてその姿を維持させるべく、システムの中枢である『核』から絶えず向こうの世界の膨大な情報が送られてくるようになりました。その情報の整理やシステム管理等を任されていた私は向こうの世界の成り立ちを、そしてその内に潜むそれぞれの身勝手な野望を知ったのです」
「僕にはそれを知る権利と義務がある…?」
半信半疑にカルマが言ったことを繰り返すと、彼女は真剣な眼差しで頷く。
しかし、直ぐさま先程の闘争心に満ちた力強い瞳は不安げに揺れ、カルマは強風に煽られ今にも薙ぎ倒されそうな花のようにガタガタと震えながらも、その肩を抱き何とか堪えている。
「生みの親に反旗を翻す、その代償を考えると足が竦む思いですが…、なればこそ伝えなくてはなりません。私が傷付いたように、貴方もきっと傷付く。しかも生身である貴方の方がきっと何倍も辛い。貴方は優しい。優し過ぎる。だからこそ、道を踏み外さないでほしいのです。例え、この先私がどうなろうと…」
悲愴…いや、悲壮だ。
覚悟があるから雄々しいと思えるのか、逆なのかは不明である。ただ言えるのはカルマという肉体を有した電脳の意思は何らかの影響で徐々に人間味を帯びてきている。その事実だけだ。
「分かった。保証は出来ないけど、分かったから」
「…では話しましょう。まずは私の主の話です」
ノイズのような少し耳障りな音と共に、映像が別のものに切り替わる。カルマはその映像の前で足を止めた。そこには中年くらいの男性が愛想笑いを浮かべて立っていた。何処かの公園、もしくは自宅の庭なのか足元には青々とした芝生が茂っている。
感情の篭っていない乾いた笑みを浮かべる彼はまだ歩くのが困難になる歳に差し掛かってはいないだろうに朱色の杖を携えている。
その疑問も彼の右足を見れば解消された。何せ、彼の右足…その膝から下がなかったのだ。
「ゲーム会社『アポクリフォス』。その創設者にして現社長が彼、神崎傑なのです。三十年以上も前、主は事故で妻と息子、春先に生まれるはずの娘と自分の右足を失いました。この写真は会社創設記念、本人の希望により自宅の庭で取られた一枚です。
あの事故があってから主は変わった。最愛の家族を一度にして失ったから、当然とは思いますが…」
カルマはまた歩を進め、次の場所で足を止める。次の映像は神崎一家の家族写真だった。
屈託なく無邪気に笑う少年と、その肩に手を置いて微笑を浮かべる神崎氏、そしてその傍らに妻であろう身重の女性が微笑んでいる。これから我が身に降り懸かる災難など一ミリも思っていない頃の、幸せな写真。何処にでもいる、ごく普通のありふれた家族だ。
「この神崎氏の傍らに寄り添っている女性、カルマに似てるね」
「はい。このボディは奥様をベースに造られているので。主は亡くしたご家族を取り戻したかった。このボディもその名残です。
主は家族を、もとい死者を蘇らせようと必死でした。ありとあらゆる人体の本を読み漁り、カルト文学は勿論、黒魔術に至るまで研究なさったのです。
一方で、向こうの世界は魔が全て支配する暗黒時代が到来し、ちょうどその最盛期を過ぎた頃でした。魔はもとより人々の負の感情の集合体。破滅の力しか持たないため、一度終わらせてしまえばすることなどないのです。神は何を思ったか、そんな彼等を出会わせてしまった。
運命の悪戯か、偶然にも黒魔術によって三嘉ヶ崎に召喚された魔の者に、主は家族を生き返らせるよう嘆願します。しかし、相手は神でも悪魔でも何でもない。その願いを叶えることは出来ないと魔は答えました。その上で提案したのです」
―残念ながら、蘇生など不可能です。私は確かに悪魔の類ですがそれ程の力を持ち合わせていませんので。しかし、こうして出会ったのも何かの縁。慰め程度なら、貴方を満足させられるくらいの知恵を貸すことは出来ますが。勿論、信じるかどうかは貴方次第。何て言ったって、貴方はこれから人外と取引をするのですから。全て鵜呑みにすると痛い目に遭いますよ。
まぁ、忠告は程々にして…。上手く行けば、一人くらい魂を定着させられるかもしれません。どちらにせよ、貴方が会うことは出来ませんがね。
例えるなら、動植物の飼育と同じですよ。ただ餌を与え、外からその様を指をくわえて見守るだけ…。やりようによっては、使い道はいくらでも広がるでしょうが。損はしないと思いますよ。…それでよろしいですか?
『それでいいっ!な、何でもするから…』
―では、交渉成立です。貴方に死にかけた世界を一つくれてやりましょう。私からの要求は二つ。まず貴方はこの世界を作り直してください。
「主は彼の要求を呑みました。しかし、世界を作り直すというのは容易ではない」
「そこで、こちらの世界…というか三嘉ヶ崎を『リンク』で繋ぎ、世界を作り替えた…」
「ええ。こちらには魔術は存在しませんが、代わりに科学があります。魔術には魔法陣、もとい式が必要となりますが、パソコンのプログラムもまた似たようなものですから代用が可能でした。
そして主はミケガサキなる世界を立ち上げ、死んだ家族をその世界の住民としてプログラムしました。これが通称ダミーユーザー。三嘉ヶ崎の住民でない架空の存在住民を指します」
そこで一旦カルマは言葉を区切り、悲しそうに目を伏せ、それから神崎一家の家族写真の映像を見た。
「しかし、一を手にすれば十を欲するのが人の性というもの。『リンク』で繋がったのをいいことに、主は報復を考えるようになりました。その悪意の結晶が、ゲーム会社アポクリフォス、並びに『勇者撲滅』なのです」
シリアス長続きでほんとすいません。十一話くらいからはこれまでのを払拭するくらいボケ溢れる話にしたい…!