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第八話 学園見学


曇天。気温不明。とにかく非常に寒し。現時刻は午前八時五十分を少し過ぎたところだ。

満員電車で揉みくちゃにされること五分。通勤やら通学やらで行き交う人々でごった返す改札口を半ば押し出されるように通過する。

天気もさることながら、あちらこちらに点在するオフィスビルやサラリーマンの着るスーツが街を暗色に染め上げていた。

いわゆるオフィス街というやつで、三嘉ヶ崎市の経済の中枢と言っても過言じゃないらしい。

此処から徒歩七分ほどで目的地の三咲学園に着く。同じ市内とはいえ、三嘉ヶ崎高校とは反対側に位置するのでわざわざ電車を乗り換えなければならないほどの距離だ。

岸辺の家は比較的三咲学園に近いのだが、それでも乗り換えがないというだけで電車通学を余儀なくされる。岸辺が三咲学園でなく三嘉ヶ崎高校に入学したのも、月々の定期代や学費などを踏まえた結果、距離は遠くとも出費の少ない三嘉ヶ崎高校の方が家計が助かるという涙ぐましい理由からだとか。


「こっちは随分と人が多いな…。とても同じ市内とは思えん」


白い息を吐きながら教官は興味深そうに辺りを見回した。


「まぁ、そう思うのも無理ねぇっすよ。田中達が住んでいる地域は三嘉ヶ崎の中でも割方外れの方だし。郊外ってやつ?こっちはそれなりに都心になるかな。もうちょい奥行けば大企業とか大手会社のビルがずらーっと建ち並んでるんですけど」

「三咲学園はそっちの方ではないのか?」

「残念ながら三咲学園はそっちとは別方向で。後日の楽しみってことで良いんじゃないっすか?」


人混み慣れしているのか、岸辺と教官はけろりとした顔で会話に花を咲かせながら歩を進めている。

岸辺と教官、その少し後ろを雪ちゃんが歩き、さらにそのずっと後を僕とノワールが追っていた。


「うぅ…。人酔いした…。気持ち悪い…」

「大丈夫ですか?優真様」


ノワールはわざわざ僕に歩調を合わせ、しきりに背中を摩っては体調は如何かなどと色々気にかけてくれている。

時にノーイがいないと優真様とちゃんとお喋りが出来て嬉しい限りですわと愚痴を零していた。


「何だ、この程度で酔ったのか?情けないな」


教官はといえば、昨日の落ち込み様は微塵も感じさせず、余程楽しみなのか遅れてくる僕らを何かと急かしながら道も分からないくせに躊躇いなくずんずん前へ進んで行く。


「教官こそ、よく平気でいられるね…」

「騎士を舐めるな。これくらいの人など恐れるに足らぬ。何せ、戦場はこの何百倍の数だからな」

「あぁ…。成程ね…」

「まっ、所詮人酔いだ。そのうち慣れんだろ」

「こんの薄情者ぉ…。薄情ついでに頭髪も薄くなっちまえ。バカバカバーカ、ノッポ、白髪ー…」

「うっせ、チビチビチービ。アンドバーカ」

「今はお前よりデカイよ、バーカ」

「俺、お前より頭いいからー。つぅか、雪。さっきから無言だけど大丈夫か?」


最初からそのつもりだったのだろう。ごく自然に岸辺は雪ちゃんに声を掛けた。一方、岸辺に声をかけられて雪ちゃんははっとしたように顔を上げて苦笑を浮かべる。


「な、何でもないよ。わっ私も人酔いしちゃったのかな?」


彼女にしては軽快に笑うことで、本当に何でもないとアピールしているつもりなのだろうが、かえって異常さが際立っている。

まぁ、半分は何の脈絡も無しに突然岸辺に話掛けられたことへの動揺だろう。

岸辺はふーんと訝しげに生返事をし、僕を一瞥した。その不快な視線を避けるように僕は視線を下げ首を横に振る。何やらあらぬ誤解を受けていると確信するが、それを解く隙をは与えてはくれない。

岸辺は苛立ちながら白髪を掻き乱し舌打ちすると、早口で一気にまくし立てた。


「ったく…。ノワール、先行くぞ。人酔い組は仲良く遅れて来い」

「わ、分かりましたわ。では、優真様。先に参りますわね。また後で」


岸辺に呼ばれたノワールは背筋をぴんと伸ばしながら急いでその後を追う。三人の姿はあっという間に雑踏の中に紛れて見えなくなってしまった。

半ば途方にくれながら僕は雪ちゃんを見る。雪ちゃんは相変わらず俯いたまま動かない。何だか状況が状況だけにこっちまで泣きたくなってくる。


「バカ岸辺め、僕が方向音痴なのを忘れたとは言わせないぞ」


恨みがましく呟いたところで岸辺達が戻ってくるわけもないのだが、言わずにはいられない。

その場に立ちすくむ僕らを行き交う人々は嘲笑うかのように態とらしくぶつかりながら通り過ぎて行く。

これだから人混みは嫌なんだと溜め息を吐きながら、遠慮がちに雪ちゃんの手を引いて岸辺達が向かった方へ進んだ。しかしそれにも限度がある。

十字路の交差点の信号にぶち当たったところで探索を断念し、近くのファーストフード店に入ると適当に飲み物を買う。窓辺の席に向かい会うように座って雪ちゃんへの尋問を開始した。


「吉田さんに、何か言われた?」


返事はない。

とりあえずオレンジジュースを一口飲み、一息つく。それからカツ丼でも食いな的な感じで人情溢れる笑みを浮かべるとポテトを差し出した。


「僕のこと?それとも…」


雪ちゃんは怖ず怖ずと手を伸ばし、ポテトを頬張る。小動物に餌付けしている感覚に襲われながらその様を温かい目で見守っていた。尚も言葉を続けようとする僕に雪ちゃんは物凄い勢いで首を横に振る。そしてついに意を決したのか、拳をぎゅっと握り締めながら話し出した。


「おっ、お父さんが…」


切迫した声色。今にも泣き出しそうな潤んだ瞳にはギョッとした僕の間抜け面が映っている。


「お父さんがっ…」


吉田さんに何かあったのだろうか?普段は何かと強がる雪ちゃんがこんなにも弱々しくなるなんて並大抵のことじゃ…。


「………たの」

「え?」


店内の雑音が雪ちゃんの声を掻き消す。聞き取れたのは語尾だけで、大変重要な部分を聞き逃してしまった。


「今、何て?」

「お父さんが…」


そう言って雪ちゃんはまた視線を床に落とした。まるで現実から目を背けようとするかのように。


「ハゲたの……」


……………………。


「もう私、どうしていいか分からないよ…。これからお父さんとどう接すれば良いのかな…」


…いや、何て言うのかな。寧ろ、僕がどうすればいいの?みたいな…。


「あの、うん、えーっとね…。まぁ、僕等も二十歳過ぎたわけですし、吉田さんもそういうお年頃になってもおかしくないっていうか…。自然の摂理というか、男性の大半がぶつかる壁的な…」

「そうなんだけど…。何かね、突然坊主頭になったらしくて。ストレス、なのかなぁ…?ほら、円形脱毛症?でも、広範囲過ぎるし…」


広範囲って。雨雲か何かかよ。吉田さんの髪…。


そう思いながらジュースを飲み、雪ちゃんの熱弁に耳を傾ける。一応、岸辺に近くのファーストフード店でお茶してるからと連絡を入れ、そっと溜め息を吐く。はたから見ればカップルに見えなくなくもないのだろうが、内容が折角の雰囲気をぶち壊していた。


「ツルピカじゃないの。踏み締められた芝生みたいな感じ?芝生刈り機が通ったって言えば分かりやすいかな?」


吉田さんはさぞ、驚いたことだろう。その原因の共犯者として僕はそっと心の中で詫びを入れておく。

―それにしても、多少のタイムラグがあるようだが、やはり『リンクシステム』は健在のようだ。リンクシステムを遮断しない限り、向こうで起こった物事は全てこちらに反映されてしまう。つまり、このまま野放しにすれば何れこちらの三嘉ヶ崎も崩壊の一途を辿ることとなる。それは当システムの開発者も分かっているはずだ。

僕を倒せば崩壊が止まるという隠れた設定でもあるのだろうか?はたまた、ゼリーさんのように世界崩壊が目的だったりするのだろうか。どちらにせよ、システムの停止を急いだ方がいいことは確かだ。

リンクにより人物への影響が及ぶのは数日の時間を要する。三嘉ヶ崎自体が未だ影響を受けていないのは向こうのミケガサキと完全に同じではないからだろうと勝手ながら推測する。

向こうのミケガサキにあり、こちらの三嘉ヶ崎にないもの。もしくは足りないもの。―そう、魔力である。厳密に言えば魔力同士を結合させる魔力の分子なのだが、この際どうでもいい。とにかく、それが三嘉ヶ崎には足りないのだ。故にリンクで繋がっていても同一でないから影響が及びにくい。これは偶然でなく、システム開発者が故意に仕組んだのだろう。しかし、僕等が先の戦いでその制限装置の役割を担う『核』の情報を無理に書き換え、なおかつ途中で破棄したがために恐らく機能しなくなり、しかもそもそもの核の役割を反転させたのだから、不具合が起こるのも当然である。


「まさに身から出たヘビ」

「錆だよ、優君。…何か物思いに耽っていたみたいだけど、どうかしたの?」


きょとんとした顔で尋ねてくる雪ちゃんに何でもないと曖昧な笑みを浮かべて、すっかり空になったジュースを爆音を立てて啜った。


「雪ちゃんの方こそ、もう大丈夫?」

「うん、ありがとう。ごめんね、ひたすらハゲの話で…。何か、一人で抱えるのはあまりにも負担が大きかったから…」


それに関してはもはや苦笑するしかない。ふっと肩の力を抜き、頬杖をついて雪ちゃんをまじまじと見た。

店内のクラシックだか軽ポップだがよく分からない曲が自然と耳に入ってくる。


「…………。」

「あっ、あの優君?どうした、の?」


僕の視線に耐え切れなくなったのか、雪ちゃんは耳まで赤くなりながらしどろもどろに話しかけてきた。


「いや、つくづく雪ちゃんは美人になったなぁと思って」


僕の中の雪ちゃんは、天真爛漫で、ちょっとお茶目で可憐な少女だが、今の雪ちゃんは落ち着いた雰囲気の麗しい清廉な女性そのものだ。


「優君も…」

「僕は何も変わらない。五年以上前からずっと、あのままだ」

「………っ」


雪ちゃんが何かを言おうと口を開く。


「あー!!ホントに世話が焼けるっ!皆待ってんぞ!おら、急げっ」


雪ちゃんが何かを言うより早く、岸辺の怒号が店内に響き渡った。

思わず肩をすくませる僕等をよそに岸辺は大股でズカズカとこちらに歩み寄ると力任せに二発、僕の頭に容赦ない拳骨を食らわす。


「いっ…!」

「二発で済んだことをありがたく思え。行くぞ」


そして擦れ違い様に聞こえるか聞こえないかくらいの音量でボソッと貸し一なと恩着せがましく呟かれた。


「分かってるって…。行こう、雪ちゃん」

「う、うん」


渋々承諾した割に、何一つとして理解していないが。まぁ、嘘も方便だ。何とかなるだろう…と思いたい。

結局、岸辺が何に苛立ち、僕等に要らぬ気を遣ったのか。そして雪ちゃんは何に悩み、思い詰め、そして先程何を言おうとしたのか。僕には全てがうやむやのままで、釈然としない気持ちのまま僕等は店を後にした。


****


三嘉ヶ崎高校とは比べものにならない大きさと広さを備えた校門の周りには、これまた比べものにならない桜並木…もとい今は葉の落ちた枯木が何百本と一糸乱れずに並んで僕等を見下ろしていた。

色々なものに圧倒されて言葉をなくす僕らを学園長は腕組みしながら満足そうに頷く。


「レディース・アーンド・ジェントルメェェーンっ!遅れながらに、ようこそ、諸君!我が三咲学園へ!」


学園長の大仰な動作に伴い、白衣が煽られバサリと広がる。流石はあの校長の友だけあって中々の変わり者だ。朝っぱらからこのテンションとは、低血圧の僕には些かキツイ。


「でかいな」

「巨乳ですわ…」

「E…。いや、Fはあるかな?」


ノワール達は学園長のハイなテンションよりグラマラスな体型に目がいっているようだ。…あれ?普通、逆ではないだろうか?


「男性として、あの乳はどう!?」

「ズバリ好みですの!?」「どうなんだ?」

「いや、どうって言われても…なぁ?」


女子の尋常ならぬ気迫にたじたじとなりながら岸辺は僕に助けを求めるが、僕に振られても困る。

動作の勢いでズレた銀縁の眼鏡をかけ直し、学園長はおもむろに白衣のポケットから主に数学の先生が黒板を指すのに使う銀の伸ばし棒を取り出す。先端にはお子様ランチに刺さっているような小さな旗がセロハンテープでがっちりと止められていた。


「では諸君、ついてきたまえ。これより三咲学園見学ツアーを開催する。

そうそう、紹介が遅れた。我が輩は三咲学園学園長、長嶋咲。理科の教員もやっている。此処では必ず学園長と呼んでくれたまえ。…さて、まずはこれから学園内の施設の案内をするわけだが、学園内は非常に広い。くれぐれも勝手な行動は慎んでもらおう。探すのは何かと面倒だ。分かったかな、諸君等よ」

「はーい」

「うむ。いい返事だ!では諸君!共に参ろう!ふはははははっ…!」


そう言って高らかに笑いながら疾風の如く何処かに突っ走って行った学園長の後ろ姿を僕等は成す術なく見送った。


―以来、学園長の姿を誰も見てはいない。

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