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第二十八話 愛憎

今回、割と長めです。


「裕也ぁぁぁぁっ!!」


喉が潰れんばかりに叫び、裕也のシャツを掴むと、がくがくと揺する。


「ポケットに入れておく先輩が悪いんじゃないですか」

「他に何処に入れろと!?おまっ、手が空いてただろ!見送ってただろ!取れよ!誰のせいでこうなったと思ってるんだ!」

「大切なものは、常に心の奥底にしまえと習わなかったんですか?大体、あの展開で何で携帯拾わなきゃならないんですか。死ぬ間際の人間の携帯なんて、そんなのを気にする必要が何処にあるんです?」

「駄目だろ、奥底にしまっちゃ。…ほら、愛と憎しみは紙一重」

「それが携帯を拾うという行動にどう繋がるんですか」


いい加減埒の明かないやり取りを見兼ねたフレディが清々しいとも言える満面の笑みで携帯を差し出す。


「自分達の無能を棚に上げて責任転嫁ですか…?まさに団栗の背比べですね…。ほら、有能な部下が拾って差し上げましたよ…」

「ぎゃーーーー!」

「煩いですね…。携帯が無事だっただけマシでしょう…?」

「待受が無事じゃないんですけど!?」


手渡された携帯を開けば、待受画面にはゾンビの顔をドアップで撮った写真が映し出されていた。しかも、ご丁寧に加工され、真っ黒の背景に浮かび上がるようにして濁った白目が浮かび上がっている。

青くなりながらも高速でボタンを連打し、急いで設定を変更する僕を横目で見ながら、フレディは短く舌打ちした。


「チッ…。また初期設定のプリインストール画像ですか…?まぁ、色々弄っておきましたから、たかが待受画面を変えたくらいで満足なさらないで下さいね…」

「くっ…。現代っ子でもないくせに僕より扱えるだと?」

「気にする必要はありませんよ、貴方は原始人と同列の脳みそなのですから…」


哀れみの眼差しで語られる全くフォローになっていない戯れ言を聞き流し、設定リセットを選択すると暗証番号を入力する。

その間にフレディは裕也に話を振っていた。


「―さて、馬鹿二世」

「…………。僕は馬鹿じゃないんですけど」


『は』を思いっ切り強調させ、裕也はむっつりとしながら返す。


「本は持ってないのですか…?」


フレディの問いに、はっとして裕也を見る。好戦的な性格に加え、自慢の顔に傷を負わされたファウストの怒りは計り知れない。

この戦乱に乗じて何か仕掛けてくるだろうとは思っていたが、催眠による同士討ち程度の小細工で彼女の気が済むとは当然考えられない。

裕也は首を捻りながらしばらく思索に耽っていたが、ようやく意味を理解したらしい。怪訝な顔つきで首を振る。


「…本。あぁ、『暗然の書』のことですか?持ってませんよ」

「持ってない…?しかし、貴方は仮にも契約者でしょう…?」


フレディの問いに、裕也は不思議そうな顔をして首を傾げた。


「違いますけど」

「なっ…」


驚愕のあまり二の句が次げなくなったフレディに代わり、口早に問い質す。


「じゃあ、何で『暗然の書』…ファウストと一緒にいた?」

「向こうが勝手について来ただけですよ。一度は興味本位で『暗然の書』を借りましたが、何を書いてあるかさっぱり読めませんでした。同じミケガサキでも字は違うんですね」

「読めなかったということは、素質が無かったんですね…」

「でも、契約無しに書の者が具現出来るものなのか?」

「不可能ではありませんよ…。ただ、魔力の消費が倍掛かるというだけです…。しかし、その点を考慮してもファウスト様との戦闘においてそんな気配は微塵にもありませんでした…。十中八九、彼女は誰かと契約を結んでいます…」

「となると…」


昏睡状態に陥ったゼリア。しかし、それが自作自演のものならば。黒幕の存在を隠す為に、あたかも裕也が契約したように見せ掛けるつもりだとするなら。

ファウストの企みはさておき、ゼリアはこちらの注意を裕也に向け、見事逸らす事に成功したのだ。彼が何を企んでいるかは知らないが、それを阻止する邪魔者は誰もいない。

裏を返せば、阻止される可能性の高い野望。また、邪魔されると何か不都合が生じる程精密な企てなのか。


「…アリス、先に皆の治療を。僕等はとっとと『リンク』を断ち切ろう」


一時的な魔力の大量消費による体の火照りが嘘のように冷めていく。得体の知れない悪意に鳥肌が立った。流れ落ちる冷や汗と共に気付けばそう口走っていた。本能が早く終わらせろと警告する。


足に力を込めると跳躍。直ぐさま弾が足元を通過し、屋根瓦を穿つ。近くの屋根に飛び移り、向かい側に目を凝らす。

向かいにそびえ立つ塔の最上階の窓が開け放たれ、そこから銃口が覗いていた。どうやら今回は唯のライフル銃ではなく対戦車用ライフルを選んだ様だ。

確かに、あれなら射程や威力も充分だろう。普通のライフルより精度が高いはずだ。だが、対戦車用ライフルの重量は重く、狙撃に使用するなら三脚による固定は不可欠である。その分、本体の重量と三脚による固定で単発射撃では反動も特に問題はないらしい。


「あっ、ミカちゃんの存在すっかり忘れてた」

「流石、あの兄にこの弟ありですね…。貴方も人の事を言えた義理ではないじゃありませんか…」


呆れた様にフレディは溜め息を吐く。影から魔鎌を取り出すと構えた。

踏み込もうと彼が足を前に出した時、それを遮るように黒い塊が眼前を覆う。


『クケケケッ!此処は俺達に任せナ』

『任せな、任せな〜』

「アイゼル、ヘブライ…」


フレディはちらりとヴァルベルを見遣ると、彼女は溜め息を吐いて小さく頷く。それを見届けるとフレディはふっと息を吐き、潔く鎌を下ろす。


「分かりました…。この場は任せましたよ…。さて、お待たせしました、影の王…。参りましょうか…」


素直に頷き返し、『核』が浮かぶ城の頂上まで一気に跳躍する。

何故か裕也も後を追って来たが、妨害目的ではないようなので為すがままにさせておく。


「これが『核』…」


乳白色の光の球体は無音でそこに浮かんでいた。思ったほど大きくはない。

触って見ると生暖かく、感触はぶにぶにしている。


「よく此処まで運んで来れましたね…」

「陣で転移させたに決まってるじゃないですか」

「―で、このデータをどう送信すれば良いのやら」


キー先から送られたデータを表示し、ざっと目を通していく。表示されたデータはアルファベットや数字、記号等の羅列が延々と続いていた。


「案外、赤外線通信対応かもしれませんよ…。向こうの世界からプログラム操作出来るくらいですし…」



『接続相手が見つかりません』



「……どうする?」

「影の王…。貴方、干渉能力が使えますよね…?貴方が仲介役になれば良いんじゃありませんか」


つまり、修正データと核の双方に干渉し、橋渡ししろというのがフレディの案だ。他に方法が無い以上、やるしかない。

核に触れると目を閉じ、意識を集中させる。電流が駆け抜ける感触が体を覆い、ひたすら文字や数字の羅列が頭に浮かぶ。


―だが…。


不意に、カンッという木管を打ち鳴らしたような音が聞こえた気がした。内側から響く振動に体が震える。視界が定まらない。息も上がってきた。呼吸をするのがやけに苦しい。口の中は血の味がする。

能力を行使しながら恐る恐る目を開いた。


ぽっかりと。


くり抜かれた様に、胸の中央に穴が空いていた。


「成程…。黒魔術と来ましたか…」


フレディが忌ま忌ましげに呟く。


「あと、どれくらいで修正可能ですか…?」

「ご、ふ…ん…」


先の攻撃により肺に支障が出たようで、呼吸がままならない。絞り出した声が言葉に変化したかは不明だ。


「―この手に打って出たという事は、向こうも焦っている様子…。良いですか、影の王…。頭を吹っ飛ばされようと構いません…。例え命が果てようと、世界を救いたいのなら貴方は能力の行使を止めてはなりませんよ…。足が飛ばされても続けられる様に今からコーティングを施しますから、悪しからずっ…!」


フレディは早口で捲し立て、直ぐさま行動に移った。視界を何かが覆う。感触からして布の類か。このざらついた感触からして包帯だろう。かろうじてその隙間から核の一部分が見える。

直後、足の感覚が無くなった。数秒空けて、腕の感覚が無くなる。

どうやら、相手はこちらの様子が見えないところにいるようだ。


―残り、三分半を切った。


次に来るとすれば、恐らく狙われるのは頭だ。

その時が来ない様、ただひたすらに祈り続けた。


****


「忌ま忌ましい…」


昼間にも関わらず全てのカーテンが閉じられたほの暗い部屋。立ち並ぶ本棚の多さから此処が辛うじて書庫だというのが分かる。

机を全て隅に押しやったことにより生まれたスペースは広く、床一面、血で描かれた巨大な魔法陣が蝋燭の明かりにうっすらと暗がりに浮かび上がる。

陣の中央には曇った水晶が浮遊していた。その曇りが徐々に晴れ、澄み渡っていく様を見ながら、ゼリアはそう呟く。

手にした人形は胸に穴が空き、手が折れ曲がり、足が抜け落ち綿が覗いている。もう一方の手に握られたノミで人形の頭部に狙いを定め、振り上げた。


「―そこまでだよ」


カチャッ…と拳銃がゼリアの頭に突き付けられた。安全装置が外れる音が振動となって伝わる。蝋燭の炎が少し揺らめく。

抑揚の無い声は、怒気を隠す為か。


「…二番目か」


独白とも取れる問い掛け。しかし、それには答えず、奴は要求する。


「まずは……、そうだな。それを渡してもらおうか」

「最初からそのつもりだっただろう?どうせ誰も聞いていないんだ。躊躇する振りをする必要は無いはずだぞ?陽一郎」


振り返らずに人形を後ろに放り投げると、了承の代わりなのか知らないが、数秒間を空けた後、奴は質問を投げ掛けた。


「…僕がまだ勇者として此処に居座っていた時期、本の虫ならぬ勉強の虫、堅物なまでの君がこんな事を仕出かすなんてね。一体、どういう心境の変化かな?」


挑発的な問い掛けを鼻で笑い、一蹴する。


「これが私の…、亡き妻への愛の形だ」


暫く間が空いた。やがて沈黙は苦笑に破られる。


「随分と過激な愛情表現だね。今時、鳥でもやらないよ。…まぁ、世界に喧嘩を売りたいって君の気持ちは分からなくない。僕も一時といえど、それを考えていた時期があったからね」


物憂げに奴はそう呟く。

それから態度は打って変わり、書類でも読み上げるかの様な淡々とした口調で、事前に調べ上げたのであろうことを語る。


「―アリア・リンク。旧姓アリア・ルーク。君の妻であり、由香子さん…前女神の前の女神様でもあるね。

リンク家の子息が流行り病に倒れ、代わりに成績優秀な君が義子としてリンク家に来たんだっけ。数ヶ月後に君は日頃の功績が認められ、齢十六にして異例の参謀補佐官に就任。同じ頃、アリア・ルークは『女神』に抜擢されたんだったね」

「…何が言いたい?」


含みを持たせた言い方に顔をしかめる。多少トゲのある声で聞き返すと呆気なくかわされた。


「さぁ?単なる事実確認だよ。間違っていたら正してくれ。―そして、貴族の仕来たりに倣って十六で成人の儀を行うと共に結婚…、と。アリア元女神様はこの時、前女神にその座を継承した様だね。その後は徐々に衰弱していき、病魔に侵され、数ヶ月後に病死した」


他人の口から語られる妻の半生。それは無味乾燥したものの様に感じられた。


「…アレは、愚かな女だった」


天真爛漫。私には手に負えない女だった。長い桜色の髪に白い肌。月の様に静かでしとやか、聡明な雰囲気とは裏腹に直感的で直ぐ感情に左右される。


「…そして、そんな女に惚れた私もとんだ愚か者だ」


―ねぇ、ゼリア。未だに信じられないわ。私、『女神』に選ばれたのよ?


脳裏に浮かぶのは、嬉々とした表情で涙を拭いながら少女のように笑うその姿。だらし無く笑うその様は何とも子供っぽい。


―『魔王』とか、領土争いとか、正直よく分からないんだけどね。でも、そういうのが無くなれば皆幸せになれるでしょう?

誰しも、日々戦火に怯えることなく、恒久なる平和を重んじ、生きていくことは素晴らしいことだわ。


世の中の事を何も知らない癖に、そんな綺麗事を本気で彼女は願い、実行しようとしていた。愚かではあったが、誰よりも心優しく、慈愛に満ちた女だった。


―この世界において、主な争いの根源は『魔王』とされた。

違う世界の者が何の手順も踏まずこちらに来れば歪みが生じる。向こうの世界の者にとって、こちらの世界への移行は偶然であり、故意ではなかったらしいが、それでも彼等は召喚されるに当たって自動的にだろうが手順を踏んでいる事が分かった。

『魔王』と呼ばれる異端者は数万人に一人という確率で現れた。どんなに器用な者でも過ちを犯すように、その存在も、幾人を処置を施すにあたり、たまたまその采配が行き渡らなかった不運な者というのがこちらの見解だ。

『魔王』を野放しにすればするほどその歪みは増し、こちらの世界を苛むと言われ、史実として数多の文献に記されている。

事実、『魔王』が現れてからというものの相次ぐ作物の凶作、資源の枯渇、財政難等の問題が次々起こり、『勇者』が『魔王』を討ち取ってからというものの、それらは徐々に収まっていった。


「…アリアは『勇者』に協力を頼んだ。だがそれは『魔王』を倒すというものではなく、双方の合意に基づく平和的解消。アリアは死すべき定めにある『魔王』の歪みさえ享受する気だった」

「…しかし、史実によれば三番目の勇者は魔王を倒したはずだよ」

「そう、結論としてアリアの願いは叶わなかった。今思えば、事を起こすのが遅すぎたんだな。だが、そんなことはどうでもいい。

―陽一郎、『魔王』という存在が生み出す歪みは、確かに凶作や財政難などを引き起こしただろう。だがそれは二次災害なのだよ。

『魔王』が生み出す歪み…それは、魂の堕落だ」

「魂の、堕落…?」


私の言葉を反芻しながら奴は恐らく首を傾げた。構わず話を続ける。


「『女神』の魂は流転し、その魂に適した者に宿る。それを捜し当てるために儀式…、水面に映し出された女神の魂の宿主である少女が女神に抜擢されると一般的には言われているな。

女神の力は魂の純度に比例する。それはすなわち命の輝きだ。アリアが徐々に衰弱し、やがては病魔に蝕まれ死んだのは全て、魔王がもたらした歪みが原因。

―…アリアは、『魔王』に殺された」

「だからって此処までする必要が何処にある?理由が何であれ、平和を愛した君の妻は君のこの愚行を許すはずがない」

「確かに、これだけの理由だけなら私も事を起こさなかっただろう。だが、理由は他にもある。それこそ、根本的なものだ」


アリアを失った私はやがて参謀の地位に就いた。

最初は、彼女の願いを私が叶えるつもりでいた。ありとあらゆる文献を読みあさり、『魔王』と『勇者』、『核』と呼ばれるこの世界の形成体について様々な事を知ったな。

時として欲は身を滅ぼす。私は知りすぎたのだ。私は驚愕し、戦慄した。


「もし、『魔王』、『勇者』なる者共が幸不幸による偶然の産物だというのなら私は大人しく身を引いていただろう。

『核』から向こうの情報を得る手段を知った私は、歴代の『勇者』『魔王』の経歴を調べた。そこで知ったのだよ、この世界のシステムというものを」

「規則性でも見付けたというのかい?」

「規則性…、まぁそうとも言えるな。『勇者』ならばお前も想像がつくだろう」


「君達貴族と同じ様に、成金…というか大企業等の金持ちの息子・娘が『勇者』になってるね。三嘉ヶ崎は此処に負けず劣らずそういうのが密集してるから、割合としては珍しくないんじゃないかな」

「…貴様は何も分かっていないな。まぁいい。なら、その対極にある『魔王』がどう選別されているかも分かるだろう?」

「異端児…。厄介者とでも言いたいのかい?少々、暴論過ぎる気もするけど」

「初代魔王は親も手を焼く問題児でな。学校でも問題を起こし退学を余儀なくされてからというものの、家に引きこもり、気に入らない事があれば親に暴力を振るう暴君となった。他にも色々と問題を起こしていたようだな。

二番目は親に薬物所持、および使用の前科があり、二人の息子の内、その弟が犯罪者となった。兄である魔王の精神もいかれてきたようで、傷害事件を何度か起こしている。

―この世界は言わば、社会の不適合者をこの世界に送り込み、殺処分する為の処刑場でしかない。そんな下らないシステム、身勝手な都合で私の妻は…アリアはしななければならなかったのか!?」

「だから手始めに番狂わせというわけかい?『勇者』・『魔王』になる人物を入れ替えるなどのプログラムを改変は君の仕業だったとはね」

「プログラム、か…。私が介入する以前に、誤作動は起きていたさ。だからこそ三番目は逆だった。プログラムを立ち上げた奴は録に微調整をしないようだから私が代わりに整えてやったまでだ。

此処は元々もっと違う姿をした世界だった。お前等向こうの世界の住民が此処と向こうを『核』を用いて繋げ、此処と向こうがあたかも同じ世界であるかのように姿までも捩曲げた。

そこまでして此処を処刑場にしたいならば私がその不適合者共々を殺す執行人になってやろう。そして全てを白紙に戻し、『核』を使って再度新たな世界を構築する。今度こそ、妻の望んだ理想卿をこの手で実現させる…!」


目の前に浮かび上がる曇りが殆ど晴れた水晶。

目障りな、アリアの理想を邪魔する害虫共め…。無意識に歯を食いしばった。


「―だから、邪魔者は全て…」

「…っ!!?」


足元の陣が赤く光輝く。髪が浮かび上がり、本が宙を舞う。閉まりきった窓から入り込む風も無いのにカーテンが大きくはためいた。

部屋の異変に奴は咄嗟に引き金を絞ろうとしたが、遅い。

影が鋭利な刃物となって奴を襲い、拳銃を握っていた腕を絶ちその足を貫いた。そのまま床に打ち付ける。


「―呼び出すのが襲いですよ、ゼリア。どうせ殺すんでしょう?そうしたら彼の心臓、貰ってもよろしくて?」


闇に映える深紅のドレス。ケロイドの皮膚が目立つ顔にはルージュの口紅が差されていた。

魅惑の名を失った悪魔ファウストは頬に爪を立てて憎悪にその表情を歪ませる。


「好きにしろ」


床に転がった拳銃を拾い上げ、焦点を合わせる。


「…邪魔者は全て、私が排除する」


****


乾いた音が空気を震わす。


「今のは銃声、ですかね…?」

「じゃないですか」


投げやりな返答を溜め息で返し、懐から懐中時計を取り出すと経過時刻を確認する。あと一分半程か。


「……何と言うか、申し訳、ないな」


そう唐突に東裕也は話し始めた。訝しげに私は彼の方に視線を向ける。


「僕、いつも中途半端で、今回の事の発端も、何かもかも、そうなんです」


―様子がおかしい…。

それは誰の目から見ても明らかだ。晩秋にも関わらず彼の額からは大量の汗が流れていた。


「人の事、言えた義理じゃありませんね。せっかく、家族になれたのに」


残念ダなァ、と空を仰ぎながら東裕也は苦笑を浮かべる。


「…因果応報っテ、いうのかな、こうイうの。でも、仕方ないカ。沢山、殺しちゃったもの…。一人だけ、幸せになるナんて、都合良いか…」


これ、内緒ニしといて下さいねと震えながら人差し指を立てる。彼の全身が瘧のように震え始めた。


―恋人とか家族が被害に遭うかな。


いつかだったか影の王が言った言葉が今まさに目の前に具現しようとしている。


ファウストの契約者でない辺りから薄々は感づいていましたが、やはりでしたか…。

内心舌打ちしながら静かに鎌を構える。


「最後まで、めいワク、かけっぱなしになる…ゴメ、んナサイ…」

「謝るくらいだったら、遺言の一つや二つ残して下さいよ…。この後影の王に状況を伝えなきゃならない私の心境にもなってください…」


その言葉に東裕也は口を開き、


「ガ…ギャ&*¥%!!」


意味不明瞭な言葉を発した。奇声と言ってもいいだろう。

彼の体は風船が膨らむかのようにボコボコと筋肉が盛り上がり、あっという間に巨体と化す。胴体からは六つの手が這い出した。

最早、東裕也の姿、その面影を全く留めない異形へと彼は変異してしまった。

骨が砕ける音や肉が裂け、新たに作り変わっていく様を眺めながら宣戦布告のように一方的に語り出す。


「売女、というのは流石に失礼ですね…。遊女なら許容範囲内でしょうか…。

病等に伏した遊女の魂は結集し、一匹の女郎蜘蛛の化身となりました…。やがては人の生き肝を喰らい、悪魔との契約の末、その眷属となった…。しかし、それだけでは飽き足らず蜘蛛の化身は悪魔と契約した者の魂を喰らうようになったそうです…。

幾人の遊女の魂の結集体でしかなかった『彼女』は更なる力を手にし、ようやく個体として、女郎蜘蛛の化身ではなく魅惑の悪魔ファウストとしての確立した存在となったのでした…。

蜘蛛の子を散らすという諺がありますが、意味から察するに、蜘蛛の子というのは随分と沢山いるんですよね…。まぁ、私は詳しくないので蜘蛛の生態はさっぱりですが、貴女の子の殖やし方くらいは容易に分かります…。虫の知らせか、影の王の判断は正しかったようですね…。アリスの治癒が間に合っていなかったら、あのお仲間方も二の舞になっていた訳ですし…。

傷口から入るばい菌の原理とでも称しましょうか…。―何はともあれ、私には彼から遺言を託された身ですから、それを聞き届ける義務があります…」


睨む様に蜘蛛を見上げる。その視線の先には飛び血の付いた深紅のドレスに身を包んだファウストが扇子を片手に、優雅に微笑んでいた。


「…彼は遺言を残せたのですか?」


意外だと言わんばかりの皮肉な問い掛けに鎌を握る手に力が篭る。


「彼曰く、冥土で待ってます、だそうですよ…」


ファウストから怒気と殺気が溢れ出す。それに感化されたように巨大な蜘蛛が前脚を上げ、威嚇らしきポーズを取る。

鋭い牙が覗く口から耳をつんざく様な咆哮が上がると共に、一気に跳躍すると鎌を振りかざした。

次回、第三章終話(予定)です。

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