第二十四話 飛沫と紅涙
午後。灰色の空からは白い糸が垂れるかの様に弱々しく細い雨が降り注ぐ。
灰色の雲の間から注ぐ陽光は女神が零す笑みそのままにやわらかく暖かい。
顔に降り懸かる泥や雨粒をものともせず、二つの影が疾風の様に駆けていく。
「―こんな事になるなら、こっちを優先しておくんだった…!」
「どちらを優先しようと結果は同じですよ…。急ぎましょう…」
握る杖に力が篭る。先端の装飾部に取り付けられた赤い玉は弱々しく点滅を繰り返し、目的の物が遠くにあることを示していた。
―数分前。ミケガサキ東部鉱山地帯。
前に東後輩と共に遭難した鉱脈に訪れたは良いものの、あの時確かに感知した『核』とおぼしき魔力の反応は全く感じられない。
魔力の残滓が僅かに感じ取れるが、核とはまた別のものである。
予想外の事態にすっかり困惑する僕等に、さらなる悪報が告げられた。
ぞわぞわと影がうごめき、怯えるかの様にそっとそれを耳打ちする。
「…ゼリーさんの意識が回復したらしい。でも、ファウストの妨害が入って追跡は不可能だった」
「ですが、元はと言えばゼリアを昏睡状態にさせたのは東勇者でしょう…?何故今更…」
「元々、東後輩に『核』の存在を教えたのはゼリーさんだ。つまり、二人がグルだと仮定すれば辻褄が合わないこともない。まぁ、ゼリーさんが関与してようがいまいが、今は核が優先。此処に微かに残っているのは東後輩の魔力。だとすれば、彼が何処かに移動させたか何かしたんだろう。
となれば、在りかは大分絞られてくる」
ゆっくりと振り返り、出口に向かって歩き出す。
「…行こう、ミケガサキ城に」
そんな経緯を経て、城を目指す訳だが、辺りは死に絶えた様に物音一つせず、不気味な程に静まり返っていた。
聞こえるのは、雨音と自らの足音、弾んだ息遣い。
後は吉田魔王様がパカラッポと蹄で地を蹴る音だ。
「―影の王、ヴァルベル様から報告が…。ラグドによる第二区襲来が始まった様子…。第二区の兵は岸辺太郎を除いて全滅とのこと…。恐らく、既に大多数は城に向かい、そして着く頃合いでしょうね…」
「分かった。急ごう」
速度を上げる。フレディは何度も後ろを振り向きながら溜め息を吐いた。
近道とばかりに木々を飛び移って移動する僕等の数メートル後ろと遅れなからも道なき道を駆けて来るケンタウロスの男はまるで神話の絵画から抜け出してきた様だ。
―悪魔の化身か、はたまた神の御使いか…。
筋肉質で、引き締まった肉体、その腰から下は馬の体躯となっている。
そしてその頭は磨けばさぞまばゆい光を放つと思われる真珠のような形の良い坊主頭だ。
その頭が幻想的な雰囲気をぶち壊している。
「あの人…、さっさと離れてくれませんかね…?このまま城に向かうの、気が引けるんですけど…」
「その気持ちは分からなくないけどさ…。珍しく罪悪感を感じてたり?」
「しませんよ…。ビジュアル的問題です…。だって、気持ち悪いでしょうよ…。半裸でハゲの男が手に槍を携えて雨の中を走ってるんですよ…?
見方によっては仲間だと思われても不思議ではありません…。あんな変態と同じ部類に入れられたらと思うと本当に嫌で仕方がないんです…。
何と言いますか、私達死霊って骸骨でしょう…?もし、このまま肉体を得ることになったらああなるのかと思うと複雑なんでしょうかね…」
「あぁ、成程。フレディが何でハゲを目の敵にするのか分かったよ。―同族嫌悪か」
「ぶっ殺しますよ…?」
フレディの鎌が鈍く光る。顔は笑ってても目が全然笑っていなかった。
背中をはい上がる様な悪寒を感じ、降参したといわんばかりに両手を挙げる。
「冗談だって。しかし、吉田魔王様の頭髪事情は向こうの吉田さんにも影響するのかな?」
「…それなんですけどね、多分無いでしょう。リンクが適応されている範囲はミケガサキのみです。
つまり、ミケガサキに在住しようと、あのハゲはミリュニス国民…。それはノワールも同じですから、あの二人はリンクの害が唯一及ばない立ち位置といえるでしょう…。まぁ、そう考えると、彼もつくづくセコい奴ですねぇ…。自分達だけは絶対安全圏にと、プログラムしたのでしょう…。
まぁ、どちらにせよその影響は受けませんよ…。仮にそうなら、陽一郎氏はとっくのとうに車椅子で生活してるでしょうし…」
「あぁ、それもそうか…。フレディ達、影の住民にもリンクの害が及んだりは?」
「一応、対象内に入ってますよ…。まぁ、我々は長いこと此処に居たので住民と見なされてもおかしくありませんし…」
トンッと地面に降り立ち、目の前にそびえ立つミケガサキ城を見据える。
辺りには凶弾に倒れた死体が数体見受けられるだけで誰一人いない。
「おかしいですね…。争った形跡はありませんし、第二区の応援にでも向かったのでしょうか…?」
「それでも誰かしら残して行くだろうよ。それに全滅したなら今更応援に駆け付ける意味はないし、仮に行ったとして音が聞こえないのは変だ。
…こうなってくると、やっぱり、東後輩の仕業としか思えないよ、なっ!」
素早く身を翻すと、雨粒が跳ねた。一閃の光が走り、槍の切っ先が空を切る。
それを合図とするかの様に至る所に陣が展開され、数百の兵士が姿を現した。
国、職業関係なく混合し、入り乱れ、その大半をミリュニス国民および、ミケガサキの勇者が占めている。
その中には見知った人物達の姿があった。
「カインに教官、雪ちゃんにノワールにノーイさんも…」
「厄介ですね…。ファウスト様の力はそう簡単に解けませんよ…。
―見てください…。彼等の腕等に切り傷があり、赤く輝いているでしょう…?ファウスト様の力の支配下である夢魔の刻印です…。治癒魔法で跡形もなく治してしまえば解決するんですが、彼女の力は反魔法の作用がありますから、完全に治癒するまでかなりの時間を要しますね…。第一、この数ではそれも困難でしょう…。後は彼等が自力で自我を取り戻してくれれば幸いなんですけど…」
虚ろな瞳のまま、飢えた狂犬の様にこちらの出方を窺いながらもじりじりと距離を詰めていく。
僕はフレディと背を向かい合わせ、いつでも応戦出来るよう武器を構える。
―不意に、光が降り注ぐ。杖の玉が一層赤々と輝きを増した。
「この反応は…。『核』が近くにあるのか?」
「影の王、あれを…。城の頂上です…」
フレディが指差すその先はミケガサキの国旗がはためく城の頂上。プラチニオンの紋章が描かれた旗の、その真上に乳白色の光の球体が浮かんでいる。
そしてその脇には、旗竿を支えに掴み、屋根に立つ東後輩の姿が見受けられた。
「一足遅かったですね、田中先輩」
「…東後輩」
―よく平気だな、そんな高い所。
「どうですか?頼れる仲間が敵になるというのは。辛くありません?」
声を張り上げ、東後輩は楽しげに尋ねる。
「…対して変わらないというのが本音なんだけど」
「日々、一部の味方には敵同然にイジメられてますもんね…」
こそこそと話し込む僕等の反応から無意味だと悟ったのか、はたまた僕等の後方に控える珍獣に興味を示したかは分からない。
恐らくは後者だろう。彼はおもむろに話を変えた。
「…………まぁ、良いや。ところで、先輩。後ろの変態は書のマスコットか何かですか?最近、女子に人気がある『ブサカワ』とか、『キモカワ』とかそんなやつ。
先輩の嫌がらせかしりませんけど、一体いつの間に僕の力の支配下に置いたんですか?」
「可愛さは欠片もないから、『ブサキモいい』だね。…さぁ?僕は知らないな、そんなハゲ」
確かに、身内として認めたくないなとフレディに視線で伝えると、フレディは「でしょう…?」と視線で返し、小さく頷くと同意を示す。
東後輩はふーんとどうでもよさそうに返すと話を戻した。
「先輩は『リンク』を断ち切りたいが為に、『核』が必要なんでしょう?戦争始まっちゃいましたし、正直喉から手が出るほど欲しいんじゃありませんか?…だったら、此処まで来て僕を倒さないと。ラグドも攻めて来たことですし、早くケリを着けた方が良いですよ」
「言われなくとも…。で、どうしようか?」
「催眠を掛けられている状態ですから、例えハゲになろうと戦意喪失はしませんね…。
しかし、世の中にはショック療法という医療があります…。己の頭を見たら、意識が戻ってくるかもしれません…」
フレディはバリカンを携え鬼気迫る表情でスイッチを入れる。
「いいですか、あなた方。今から(武力を行使した者は容赦なく)刈りますから、(それが嫌なら)大人しくして下さい…」
「それじゃ、『忠告』じゃなくて『予告』だろ。大事な部分を省かない、心の声じゃ届かない!そして今回は絶対に毛刈り禁止っ。潔く他の手段を講じて下さい」
「ちっ…。まぁ、良いでしょう…。仕方ありません、ショック療法を試しましょうか…」
舌打ちは聞こえなかったことにして、バリカンの他にどんなショック療法があるんだと首を傾げると、フレディはその意を汲んで説明を始める。
「催眠術というか、カウンセリングというか…。そんな感じのやつだから安心してくださいよ…。
―とりあえず、影の王…。そういう事なので、後は頼みます…」
そう言って、懐から糸でつり下げた五円玉のようなものを取り出すフレディに頷きかけ、途方もない無茶振りに慌てて手を振る。
「一人でこの数を相手にしろと!?」
先程から僕等の隙を窺っている騎士や魔族、勇者の数はざっと見積もって三桁はいく。
これがまだゾンビでないだけマシだが、生身の人間、さらには味方となれば当然殺すことは出来ない。
しかし、向こうはファウストの力の効力により僕等をやる気満々の様だ。
彼女の能力が一体どういうものか分からない以上、迂闊に遠くへ飛ばしたりしたら、はたして相手が無事で済むかどうか。
これならまだ気兼ねなく倒せるゾンビの方が手間が省けるというもの。
「魔王なんですし、それくらい頑張らなくてはタツセがありませんよ…」
「ライフがいくつあっても足りる気がしないな」
溜め息混じりにそう愚痴りながらも、とにかく行動に移さなくては何も始まらない。
戦闘体勢に入った僕を皮切りに、僕等を囲い徐々にその距離を詰めていた勇者達が動き出す。
覚悟を決めると、『魔眼』で固有結界を形成し、フレディに害が及ばない様にする。
向かって来る数百の猛者を一瞥し、杖で地を叩く。
木管に似た音が響き、杖を中心軸にして魔力の波動が水面に広がる波紋の様に辺りに行き渡った。
すると、そよ風のように微々たる魔力の波長を受けた勇者達の動きが、ぴたりと止まる。
ハーメルンの笛よろしく動きが封じられた勇者達を杖で昏倒させ、騎士には力をいくらか加減しながらも鎧の上から鳩尾目掛けてブローを食らわす。
そんなこんなで、ざっと二十人は気絶させることに成功しただろうか。
しかし蟻の様にわらわらと次から次へ向かって来る様を見れば余り効率が良い手段とは言えない様だ。
残る手は確率は低いものの、数を減らすという点においては一番の効率の良い手段である。
「―やるしかないか。フレディ、ちょっと…」
頼まれてくれないか、と声をかけようと振り向いた時、フレディ達の会話が耳に入る。
「―良いですか、この鏡をよく見てください…。此処には何が映っていますか?」
『知らない男…』
吉田魔王様は虚ろな目で自身が映っている鏡を見る。
ファウストの力の効力を知らない僕でも、これはファウストの力の及ぶところではなく、単なる現実逃避だという事が丸分かりだ。
…まぁ、そうさせたのは僕等であり、吉田魔王様のせいでもあるから微妙だが。
フレディはほくそ笑みながら、現実を見なさい…と嘲笑混じりに呟く。
そして心底楽しそうな満遍な笑みを浮かべて二の句を次ぐ。
―外道だ。とんだ外道が此処に居た…。
「良いですか、此処に映っているのは現実、そしてハゲの貴方です…」
『違う、違う…。私は、私はまだハゲ、ハゲてなどっ…』
「いえ、ハゲたのです…。貴方はハゲ…。見なさい、そこに映るハゲこそ貴方の真の姿ですよ…」
中身のない、強いて言うならただハゲを連呼し合うこの不毛な会話にどう介入して良いものかタイミングがまるで分からない。
唯一分かるのは、傷口に塩を塗りたくるが如く容赦なく吉田魔王様の真新しい心の傷をえげつなくグリグリと踏みにじっている。
それから、いつの間に結界内に招き入れ、催眠術とやらで話を聞ける状態のか知らないが、清々しい笑みを浮かべながらノワールとノーイを見た。
―フレディが微笑む時は、ろくな事がないと既に学習済みである僕にとってはこれ以上にない恐怖である。
ドSなる人の心理というものは僕には到底理解が及ばない。
ただ、彼等は人をイジメる時、このような嬉々とした笑みを浮かべることは確かだ。
「―ノワール嬢。これが貴女の父上の姿です…。何、悲しむことはありません。何れは誰も通る道なのですから…。これからも慈悲深くお父上と接してあげてくださいね…。
―ノーイ・ヌル・フランクリン。貴方も何れはこうなると思いますが、悲嘆に暮れることはありません…。敬愛する恩師が如何に惨めな姿になろうと、いつまでも変わらぬ敬意を払い続ける様は、これからも変わらないことを祈っていますよ…」
容赦なく降り懸かる精神攻撃を止めるべく、杖を魔剣に転じると結界に向けて投げた。
パンッと乾いた音を立てて結界は硝子の破片の様に断片となり空気に溶けるようにして消える。
一方、フレディは冷静に自身に向かってきた魔剣を魔鎌で弾く。
「何をするんですか…。味方に刃を投げるとは…」
「それはこっちの台詞だ!そんな一方通行なカウンセリングがあってたまるか!」
「いいじゃないですか、別に…」
悪びれもなくきっぱりと言い切るフレディに、半ばイラつきながらがむしゃらに頭を掻く。
「ああもうっ!東後輩の手口と同じだろ、それじゃ。全く、思考まで同じになるのか!?」
「しかし、敵に回ってもらっては貴方も困るでしょう…?しばらくの間は、精神的ショックで戦力にはなりそうにありませんよ…。
それで、何か用でもあるんですか…?」
「ちょっと時間稼ぎを頼みたいんだけど…。成功すればこの場は何とかなるかもしれない」
「まぁ、出来ない相談じゃありませんが、お忘れですか…?」
何を、という言葉を遮り、フレディが口を開く。
しかし、背後から聞こえたブシュッという何かが噴き出す音に掻き消されて聞き取れない。生暖かい液体が背中に降り懸かる。
早鐘を打つ心臓に加え、本能が警鐘を鳴らす。
直後、背中にもたれ掛かる様にして何かが倒れ、地面に倒れ伏した。
衣服から滴るそれは、足を伝い、足元に広がる液体の一部と還る。
息をするのさえ忘れ、茫然としていると、自然と意識が鼻に集まっていた。
―むせ返る程の血の臭い。それがありありと現状の有様を伝えている。
「どうやら、来たようですね…」
冷ややかに、そして淡々と言うフレディに、先程彼が言おうとした言葉をようやく理解した。
―お忘れですか…?ラグドの存在を。
振り向くと、爪先が何かに触れた。周りを確認するその前に、視線は自ずと下に向かう。
自らの血の海に没する、首から上のない死体がそこにはあった。如何に雨粒が混じろうとも、けしてその色が薄まることはない。
「まさか…」
上擦り、震える声で視線を上げると、ミケガサキの白銀の甲冑、勇者の戦いにそぐわないごく普通の衣服、魔族の動物の一部が混ざった肉体そのどれにも当て嵌まらない黒の鎧が視界に入る。
相当な人数を殺して来たのだろう。黒の鎧は深紅に染まっていた。
「ヒャッハー!一番乗りィ!」
ブォンッとバイクが煙をふかす。悲鳴の様な甲高い音をたて戦場を駆け、僕を倒しに向かって来る人を容赦なく跳ね飛ばし、その片手に携えられた鎌が容赦なく胴や首を狩る。
「ラグド王国騎士隊長総司令官グラン・ミカエルですか…。成程、また新しい物を開発した様ですね…」
フレディが呟くと同時に、辺りに陣が形成、展開し始める。そこから黒の鎧を纏ったラグドの騎士団が召喚された。
かつて、父である松下明真が第百十一区で対峙した何倍もの数だ。
流石のフレディも、この数には引き攣り笑いを浮かべる。
「流石にこれは…」
「―フレディ」
「何ですか…?」
そう言って、僕の顔を見たフレディは何とも言えない曖昧な表情になった。
静かにフレディは鏡を差し出す。
そこには、気が狂ったような歪な笑みを浮かべる僕が映っている。
「皆の洗脳を解く、『リンク』を断ち切る、ラグドを全滅させるだと、どれが一番早いかな」