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第二十三話 紅ノ雨


―ミケガサキ第二区。


岸辺太郎はうっすらと目を開け、天を仰ぐ。


「雨かよ…」


頬へと降り注ぐ雫を拭い、軽く伸びる。同じ姿勢で長時間いた為か、ポキポキと小気味よく骨が鳴った。


霙は小雨へと転じ、視界を悪くする。その上、霧まで出かかっているのだから、狙撃には最悪の条件が全て揃った天候だ。

時計に目をやれば、早朝五時を回っていた。徹夜で思考が鈍る上に肌寒いこの気候は体力を容赦なく奪う。

緊張で眠気が訪れなかったにせよ、その尖った神経が緩和されつつある今の時間が最も油断を生みやすい。


もそもそと支給された毛布を剥ぐ。あまりの寒さにぶるり身を震わせながら、銃を抱く手に力を込めた。

都会ではあまり意味をなさないのではと疑問視しながらも着た新品の迷彩服は雨に濡れて、現在拠点としているくすんだ灰色のビルと同じ感じの渋い色になっていく。


射撃兵は一般参加を含めて総勢二十数名。

一班から十班までの、一班二、三人という小規模部隊だ。

各班東西南北に散らばり、一軒ずつ見晴らしの良い射撃に向いた建物を拠点に戦いに備えるという。

ミケガサキは元より狙撃に力を入れていない様で、実技テストにより振り分けられた即席にも等しいこの部隊は、ピンからキリまでと表現して何ら差し支えない腕前の者達が平等に振り分けられている。

―いざ戦闘となれば、数や相手にも寄るが、援軍は必須になるだろう。そうなれば全軍は一時後退、狙撃兵がそれを支援する為に奮闘する。

…正直、場を繋ぐ為の捨て駒としか思えない。


狙撃兵の中には岸辺の様な一般参加、並びに魔術を使えない者もいる。

各班には必ず一名ミケガサキ王国の数少ない狙撃兵が加わってはいるが、後は趣味などで銃器を扱っている様な素人にちょっと毛が生えたような奴らだ。

かく言う岸辺も、勿論その一人である。

銃器の扱いが多少マシというだけで、射撃の練習など満足にさせてもらっていない。


岸辺は仏頂面で毛布を丁寧に畳み、屋上の隅に置いておく。


「おー、早いな。…もう一人は?」


背中越しに掛けられた声に振り向けば、ミケガサキ王国狙撃兵にして第七班班長ナギ・ソーシングが持っていた缶を投げて寄越した。


「…っと。ありがとうございます。いえ、見てないっすよ。まだ仮眠室じゃないっすか?」


何とかキャッチに成功し、缶の熱さに悪戦苦闘しながらも礼を述べる。くれた本人の前で流石に飲まずじまいというのは気が引けたので、プルタブを引き、一口啜った。

コーヒー独特の香りと苦味が口の中に広がる。

雨で体温を奪われつつある今に、この差し入れはありがたい。


「そうか。まぁ、俺達は後援だし、連絡が入るまでは一応待機みたいなもんだからな。でも、だからといって気は抜くなよ。戦場では何が起きても不思議じゃないんだ」

「…先輩は、戦闘経験がお有りですよね。何でミケガサキは狙撃兵が少ないんですか?」

「あぁ、それな。第一に、魔具や魔武器、魔術の発展が大きいかな。そりゃ、銃器も魔弾仕様で、弾に掛かる費用コストが減ったが、なんつーか、威力に欠けるんだよな、やっぱり。防御壁で簡単に防げるし、急所を狙わない限り、死なないし。

…戦争じゃ、最も優先されるのは『人命』だろ?勝敗なんて付属品だよ」


そう皮肉を込めてナギは笑う。


―戦争の勝敗は人命で決まる。


それは確かな事だと岸辺は頷いて同意を示す。

人命によって成り立った事なのだから、それにケリを着けるのも人の命なのだ。


「…連絡、何かありましたか?」

「残念ながら何処からも何もない。何か、こうも何も無いと返って不安だよな。開戦なんてタチの悪い夢でしたで片付けられたらどんなに楽か。でも虫の知らせっていうか、何か胸がざわつく。嵐の前の静けさって感じだ。ラグドが出て来ないってだけでも十分不吉だが…」


岸辺はナギの言葉に何らかの違和感を感じたが、すぐさま相槌を打つ。


「そうっすね。今のところ城の襲撃だけで済んでますし」

「まっ、今回は城が勝敗の鍵なんだし、城に襲撃されちゃあマズいんだが、どうにかなったみたいだし」

「あれ、こっちに詳細って回って来ないんっすか?」

「おうよ。所詮は狙撃兵だからなぁ。此処ではそういう扱い、珍しくねぇぜ。

…んじゃ、俺はもう一人起こして来るから、それまで引き続き見張りを頼む」


分かりました、と返答してから銃を構え直し、柵の間から銃口を覗かせる。

取り付けたスコープから辺りの様子を窺うが、やはり霧が災いして何も見えやしない。

溜め息と共に、これまた支給品である斜め掛けのウエストバッグを漁り、乾パンの入った缶を取り出すと、蓋を開けて無造作に手を突っ込み、そのまま頬張る。ボリボリと咀嚼音を響かせ一気に飲み込む。続けざまにコーヒーを飲み干し、胃袋を満たした。


岸辺は再度スコープを覗きながら先程の感じた違和感について考える。


―俺は一体何に違和感を感じた?


ラグドの不戦?


―いや、そんなのは向こうの勝手だ。違和感の正体はこれじゃない。


街は波打った様に静まり返り、雨音だけが響く。

中々浮かび上がらない違和感の正体に半ばイラつきながらも思考を巡らす。


連絡の皆無。


―ナギ先輩は狙撃部隊に知らせが回って来ないのはよくある事と言っていた。ならば…いや、百歩譲って、いくら城への襲撃が止んだという連絡が来なかったとしよう。

しかしそれはこちらからでも視認出来る。つまり、向こうもそれが分かっているから連絡を省いているとする。

それを考慮しても、今だに連絡が来ないのはいくら何でもおかしい。

例え前線部隊から連絡が無くとも、東西南北に別れて張り込んでいる班からは見張り状況を踏まえて一報があっても良いはずだ。


嫌な汗が流れる。

この奇妙な静けさが返って不安を掻き立てた。

忙しなくスコープで辺りの様子を窺う。

相変わらず霧に紛れて何も確認出来ない。スコープから目を離し、柵から身を乗り出して、無駄だと分かっていても辺りに目を凝らしてみる。

その動作を何度も繰り返し忙しなく動いてはぶつぶつと呟く。


「連絡さえ出来れば…」


ナギ先輩の言う通り、これが悪夢だったらどんなに楽か。

…いや、悪夢であってほしい。先輩に頼んで、他の班に連絡を取ってもらえば、こんな疑惑は瞬時に氷解する。

岸辺太郎の馬鹿な憶測だったと、それで済むのだ。

ようやく連絡手段を思い付き、焦燥感に駆られながらバッグを漁ると、トランシーバーを探り当てる。

岸辺のような魔術が使えない人用で、一応全員に支給されてはいるが、各班内の隊長にしか連絡が取り合えないのが難点だ。「くそっ…!繋がれよっ!」


ガー…という機械音がひたすら鳴り響く。

ナギが屋上を後にしたのが今から十分前なのだから、そろそろ戻って来ても良い頃合いだ。


―遅い。いくら何でも遅すぎる。


焦りや不安は募るばかり。

岸辺はトランシーバーを床に叩き付けると直ぐさま銃を構える。


嫌な妄想ばかりが頭を過ぎる。頭を振ってそれを隅に追いやるが、銃口は自然と屋上と屋内を仕切るドアに向けられていた。


―ラグドは。ラグドはこんな獲物を狙う狼の様な回りくどいやり方を好むのだろうか。

いや、まだラグドが襲撃したとは限らない。単に同じ班員の、見るからに気弱そうな男が寝坊していて、きっとナギ先輩は起こすのに手間取っているだけだ。


しかし、岸辺でさえこの状況の中では睡魔など訪れなかった。いくら横になろうと、目を閉じて過ごすだけで終わり、今の今まで一睡もしていない。


―だからと言って、皆同じとは限らねぇだろ!


なら何故、トランシーバーにナギは気付かないのか。班長はいつ班員から連絡が来てもいいよう、隊服の左胸部分にはトランシーバーが設置されている。

気付かない訳がないのだ。

いよいよ言い訳が出来なくなった。寒さより恐怖で歯の根が合わない。


ギイィィィ…。


錆び付いたドアが悲鳴を上げながら開く。


そこには、ナギが立っていた。俯いたままの姿勢で腕はだらりと下がっている。


――が…。


「う、うわぁぁぁぁ!!!」


岸辺は悲鳴を上げながら引き金を絞り、容赦無く撃った。打ち続けた。

ナギの迷彩服はたちまち深紅に染まり、弾痕が刻まれていく。


カシッ、カシッ…。

銃に込められた魔力が底を尽きたらしい。弾切れの空しい音が響いた。

この銃も魔術が使えない人用のもので、水鉄砲と同じ原理で弾が発射される。

つまり、再度弾を撃ち出すには、魔力を供給しないといけない。

勿論、それ用の魔力が込められた缶は支給されているが、この状況において、のこのこと魔力を詰め替える様な馬鹿はいないだろう。


どさりとナギの体が傾ぎ、地面に倒れる。

開かれたドア、その先の暗闇には誰もいない。

だが、岸辺は腰に下げたホルダーから素早く拳銃を抜き放ち、一発撃った。

あたかも、そこに目に見えぬ人が隠れ潜んでいるとでもいう様に。


大して動いていないというのに息は上がっていた。肩を大きく上下させながらようやく岸辺は銃を下ろす。

何もがむしゃらに撃った訳ではない。

恐らく、ドアが開いた時点でナギは既に死んでいたと岸辺は確信する。

何故なら、彼はドアノブを掴んでいなかったのだ。

普通、ドアを開く時、ドアノブを掴んで捻り、押すか引く。

つまり、ドアが開いた時点で既にドアノブを掴んでいなければおかしいのだ。

岸辺の様に最初はドアノブを捻り、後は蹴り開ける輩もいるが、それにしても片足が前に出ていないのは不自然である。


「はぁっ、はあっ…」


となれば、ドアを開けたのは敵兵になる。

前に出て来たゾンビよろしく、ナギがそうなった可能性も捨て切れないが、銃で撃っても無反応なところを見るとそういう訳でもないらしい。


「いないのかよ。何処だ、一体、何処に…」

「―さっきから、後ろにいるじゃん」


心臓をわし掴みにされたような恐怖に、悲鳴さえ満足に上げれない。出るのはひゅっという情けない吐息のみ。

ザクッと肉を貫く音と感触が伝わる。見れば、太股を剣が貫いていた。


「あ、あぁぁぁ…」


情けない声が喉から絞り出される。

持っていた銃をがむしゃらに撃ちまくると、突き刺さったままの剣を力任せに抜いた。

震えたままの足はろくに力が入らず、一二歩歩いてはすぐによろけて倒れる。それでも四つん這いになりながら出口に向かう。


―ヤバい死ぬ。絶対死ぬ。死、死死死死死死死死。


『俺は臆病だからよ、身の危険を感じたら即座に逃げちまうから、多分大丈夫だ』


走馬灯の様に浮かび上がる根も葉も無い確信が、空しく崩れ落ちていく。


背後から死の足音が近付いてくる。


―やべぇ、逃げきれねぇ。

岸辺の脳裏にふわりと笑う吉田雪の顔が浮かんだ。


「死にたくねぇッ…!」

「でも死ぬんだよ」


上から降って来る冷やかな声。振り向く間もなく、ゴリッと傷口を思いっ切り踏まれた。


「い゛っ…」


銃口が突き付けられる。

金属の硬さが地肌から伝わってきた。

岸辺が前へと伸ばした手には、ナギの赤い血溜まりにしか届かない。


―誰か。神様でも、何でも良いから。


「助けッ…!!」

「―バイバイ」


ブシャ…。


トマトが潰れた様な、奇妙な音。小雨より鮮明に降り注ぐそれは赤く。

噎せ返りそうな血の臭いが現状の有様を伝えていた。


「はぁ〜い。久しぶりね、坊や」


岸辺太郎を助けたのは神でも何でもなく、堕ちた妖艶なる吸血鬼だった。


「ヴァ、ルベル…?」

「そ〜よ。間一髪だったわね」


ヴァルベルは敵兵の影から飛び出し、デフォルメされた蝙蝠の姿を象った傘を差しながら、チシャ猫の様に微笑む。

長い銀髪に、血の気のない青白い肌。それを隠すかの様な奇抜な化粧メイクをしても、けして彼女の品を損ねていない。


こうして岸辺がヴァルベルと会うのも、五カ国領土侵略の時以来だ。

短い様な、長い様な不思議な感じである。


「…田中は?一緒じゃないのか?」

「残念ながら、違うのよ。本当は一緒のハズだったんだけどね。ちょ〜と予想外の事態が起きちゃってて。

―私達は、坊や達の身の安全のサポートって感じかしら。今回ばかりはもう間に合わないかと流石に焦ったわ〜」


全くそう感じさせない口調でヴァルベルは溜め息を吐く。


「影から出るだけなんだから簡単だろ?前だって直ぐに出て来たじゃねぇか」

「あのねぇ、場所と人じゃ訳が違うのよ。場所はずっと固定したままでしょ?人と違って移動したりしないじゃない。

無数にも等しい影の中から特定の場所に出るのも一苦労なのに、特定の人の影なんて…。まぁ、今回の場合敵の影だったけど、結果オーライよね。―アリス、手当てお願い」

「っこんなの…!」


屁でもねぇ、と快活に笑い飛ばしたかったが、緊張が解れたせいか、安堵と共に痛みが襲って来る。

歯を食いしばり激痛に堪える岸辺をヴァルベルはやれやれという風に傍らにしゃがみ込み、岸辺の額に浮かんだ脂汗をハンカチで拭ってやった。

それから、後ろを振り向いて後は頼んだわと声を掛ける。

いつの間にか彼女の服の裾を掴みながら後ろに隠れていた少女がおっかなびっくりに顔を覗かせた。

短く切り揃えられた細い黒髪に、くりくりとした大きな瞳。将来は絶世の美人なりそうな齢六歳くらいの少女だ。


そのまま体をくの字に曲げてどちらともつかない血溜まりに浸かりながら呻く岸辺の許に駆け寄ると、傷口に手をかざす。

その手から白い光が浮かび上がったかと思うと、傷口を照らすように輝きを増していく。


ヴァルベルはそんな少女アリスの頭を優しく撫でながら岸辺に紹介する。


「我等が唯一の治癒専門。堕天使のアリスよ」

「よろしく、お願いしますの…」


気弱そうなか細い声。

岸辺は徐々に緩和していく痛みに表情を緩めながら、何とか礼を述べる。


「アリス、ありがとな…。岸辺、太郎だ…。よろしく頼む…」


自分の視界が徐々に狭まり、意識が遠退いていくのを岸辺は感じていた。

それでも頑なに意識を手放そうとしない岸辺に、ヴァルベルは溜め息を吐く。


「…馬鹿ね、主様なら心配いらないわ。坊やなんかより断然強いわよ。

先ずは他者の心配より、自分の心配なさいな。そのままで来られても、主様は喜ばないわよ」

「…だな」

「私達がついてるんだから坊やの身の安全は保証されたも同然ね。起きたらちゃんと主様の所にも案内するから、今は…」

「ヴァルベル…、いくつか頼んで良いか…?先輩と、多分中にもう一人いると思うんだ…。埋葬は出来ねぇがよ、安全な場所に安置してほしい…。あと、まだ生き残ってる奴がいるかも。だから、助けて、やってくれ…」


うわ言の様にそれだけ言い切ると、岸辺は意識を手放した。

ヴァルベルは再度溜め息を吐くと、ど〜したものかしらと呟く。


「死体の安置くらい造作もないのよ。問題は、その後ね〜。―ごめんなさい、坊や。やっぱり、来るのが遅すぎたわね」


そう言うと同時に、ヴァルベルの頭上、三人を囲う様に八人のラグド兵が姿を現す。その黒い甲冑には、ラグドの国鳥である黒鷲の紋章が刻まれていた。


「第二区に配置された部隊は坊やを除いて全滅しちゃったわ。私達もだけど、まさか、あのラグドが『姿眩ましの陣』で姿を消して来るとは予想だにしてなかったのよね〜。

…だからまぁ、敵討ちくらいはやっておくわ」


ヴァルベルの紫のマニュキュアが塗られた爪が長く鋭く伸びる。

その細長い指の間から覗く卑下た笑みを浮かべる八人の兵士を見据えて、傘を高く放り投げた。

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