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ヒロインなんて羨ましくないんだからね!

作者: 七紫

 前世の記憶が蘇ったのは、五歳の時だった。

 目が覚めて、まさかと思いつつベッド横の鏡を確認すると、映っていたのは、猫のように大きな瞳をつり上げた少女。 その瞳は新緑のようにきらきらと輝くエメラルドグリーンで、唇は真っ赤なサクランボのよう。緩くカーブした真っ赤なガーネットの髪をなびかせたその姿は、可愛らしくも毒を持つ、一輪の薔薇のようだった。


 誰がどう見ても、ここが前世でプレイした乙女ゲームの世界であり、自分が断罪される運命にある悪役令嬢だと理解した。


 その瞬間、脳裏をよぎったのは恐怖でも懺悔でもない。


(……これ、勝ち組確定ね!)


 私は形の良い唇とニヤリと吊り上げる。


 だってお約束じゃない?

 最近のWeb小説のトレンド的に考えて、こういう場合のヒロインというものは相場が決まっている。

 性格の悪い転生者か、ゲーム知識に溺れて現実が見えていない痛い子か、あるいは違法な魅了魔法の使い手か。…十中八九、ろくな相手ではないはず。

 

 ということは、だ。

 私が常識的で有能な悪役令嬢として振る舞い、ヒロインの化けの皮を剥がせばどうなるか。

 

(イケメンたちは全員私にメロメロ!悪役令嬢なのに愛され乗っ取りルート突入確定!ヒャッハー!!)


 なんて美味しいシチュエーション!

 込み上げるゲスい笑いが止まらない。


 善は急げだ。私はこの野望を誰かに宣言したくてたまらなくなり、廊下を全速力で駆けた。


     ◇


「聞いて!私、前世の記憶があるの!」


 私は一直線に兄の部屋に飛び込み、そこに遊びに来ていた兄の親友であり私の幼馴染でもある”彼”の鼻先で、私は高らかに宣言してやった。


「ヒロインなんてどうせ腹黒か魅了持ちよ!だから私が前世チートを使って攻略対象たちのトラウマを全部へし折って、将来はイケメンを侍らせて逆ハーレムを作るわ!」


 なぜ彼に言ったのかって?

 だって彼は、ゲーム内では名前すら出ないモブであり、攻略対象外だったから。

 彼なら私の野望を邪魔しないし、物語に関わらない壁のようなものだと思って安心しきっていたのだ。


 しかし幼馴染の彼は性格の悪い冷めた子供で、読みかけの本から視線も外さず、鼻で笑ってこう言った。


「へえ、すごいな。まあ、鼻水拭いてから言えよ。」

「むきーっ!見てなさいよ、絶対実現してみせるんだから!」


 ……まさかあの時の宣言が、私の人生最大の黒歴史として、彼に握られ続けることになろうとは。


     ◇


 それから1年後。無事にどこに出しても恥ずかしくない完璧な公爵令嬢として成長した私は、ルート通り王太子の婚約者という立場を手に入れた。


 だけど乙女ゲームはここからが本番だ。

 私は前世の知識をフル活用し、攻略対象たちが抱える心の闇を、光の速さで解決していく。名付けて「トラウマ解決RTA」――リアルタイムアタックの開幕である。


 まずは、身近な実の兄。

 原作では、兄の大切な日に私のわがままで母を連れ出し、事故死させてしまうことで兄弟仲が最悪になる。

 だから私は常にいい子でブラコンを演じた。運命の日も母を家に足止めすれば、母は死なないし、兄の好感度も爆上がりで実家の地盤は盤石になるはず!

「お兄様大好き!今日はお兄様のためにお母様とクッキーを焼きました!」

 結果、兄は私が思っていた以上の重度のシスコンになった。

 まあ、愛されているからヨシ!


 次に、従者。

 孤児院で無理やり暗殺術を仕込まれ、私に引き取られてからもいじめられて心を閉ざしている彼。

 私はお父様に無理を言って彼をすぐに雇用した。もちろん下心満載で。「貴方は使用人である前に対等な人間よ。私の大切な家族だわ。」と人間扱いも忘れない。NO奴隷。

 結果、従者は私以外の一切を排除する忠誠心MAXの狂犬と化した。

 …ちょっと目が怖いけど、慕ってくれているからヨシ!


 それから、教師役の宮廷魔導師。

 原作では研究費の借金と、病気の妹を亡くした絶望で歪む予定。

 だから私は才能が開花する前にパトロンになり、お小遣いで借金を肩代わりするだけでなく妹に特効薬のヒントを与えて救った。

 結果、宮廷魔導師は私を神、または最高出資者として「貴女は女神だ!いや、私の研究のミューズだ!」と崇めるようになった。

 ……逆ハー要員としては微妙な反応だけど、ヨシ!


 そして、王太子の側近騎士。

 偉大な騎士団長の父と比較され、家族間のすれ違いもあって粗暴で暴力的になる側近騎士。

 私は現代知識で「効率的な筋トレ」と「剣術理論」を伝授し、父や兄との和解もセッティングした。おかげて家族仲が良好になっただけでなく、実力もめきめきと上がったようだ。

 結果、「見てくださいこの筋肉!貴女の指導のおかげです!」と彼は覚醒した。

 ………会うたびに筋肉ポージングを見せてくる関係になったけれど…ヨシ?


 最後に、本命の王太子殿下。

 わがままな婚約者と、王太子としての重責に押しつぶされる彼。

 私は死ぬ気で勉強し、対等に政治を議論する一方で、たまにお忍びで城下町へ連れ出しては、庶民のジャンクフードを食べさせてストレスを発散させた。


「君はすごいな。君のおかげで支持率が上がったよ。あ、この法案の修正なんだけど……。」


 王太子の表情は生き生き輝き、率先して私の手を取って、様々な視察や授業を共にする仲になった。まさに完璧な信頼関係だ。


 しかし私は手を抜かない。

 ここで、悪役令嬢として転生した際のお約束であり、王太子への誠意を示すための、あのセリフを切り出した。


「殿下。いつか、本当に心から愛する女性と出会ったら、まずは私にご相談ください。その心が本当なら、私は潔く身を引きますわ。」


 殿下はきょとんとした後、困ったように苦笑した。


「……そんなことはありえないだろうけど。わかった。覚えておこう。」


 お決まりの返事いただきましたー!


 うん、完璧だ。

 これで私の逆ハーレム計画は盤石なはず。……だよね?


     ◇


 そんなある日の午後。

 私は自室のソファで、令嬢らしからぬ格好でぐったりと伸びていた。

 鏡を見る気力すらない。さすがに攻略対象5人の同時進行はキツイ。


 でも私は頑張った。ゲームが開始する運命の日まであと少し。

 そう、もうすぐ私は16歳となり、王立学園への入学が迫っているのだ。


「……でもあれ?なんかストーリーは変わって仲良くはなってるけど、よくあるような難聴スルーしてあげないといけないような呟きとか、熱のこもった視線を貰えるわけじゃないなー?」


 天井を見上げながら、私は指折り数えて確認する。


「兄は普通に優しいし、従者はよい主従関係。王太子や側近騎士とは信頼関係はある。宮廷魔導師は、普通にパトロンとして慕われている…はず……あるぇ?」


 冷や汗が流れる。

 兄からの愛は「家族愛」。従者からの愛は「忠誠」。騎士からの愛は「筋肉愛」。教師からの愛は「信仰」。そして王子からの愛は「パートナーとしての信頼」。

 ……どこにも「恋愛感情」がない気がするのだ。


「ま、まぁ、普通は常識的に考えると王子の婚約者だから、そんな感情持ちにくいのは仕方ないかー!」


 そう無理やり納得して、現実に思考を切り替える。


「やっぱりそんな簡単にハーレムなんて作れないわよねー。」


 ひときわ大きなため息をついた、その時だった。


「……ひどい顔だな。完璧な公爵令嬢の名が台無しだぞ。」


 ノックもなしに部屋に入ってきたのは、例の”彼”――兄の親友であり、私の黒歴史を知る幼馴染だった。

 

 彼はあの五歳の時の「逆ハー宣言」を聞いて以来、事あるごとに私をからかってくる天敵だ。

 顔を合わせれば「よお、未来のハーレム王」「今日はイケメン狩りか?」とニヤニヤ弄ってくるし、私が令嬢として猫を被っていても、彼だけは後ろで吹き出してくる。


 けれど悔しいことに、彼は私の参謀役――もとい、優秀な共犯者でもあった。


「おい、騎士団長の息子を落とすなら、理論的な筋肉の話題より、実際にプロテインの配合を変えてやれ。」

「隣国で採決された新しい法案はこの国でも話題になりそうだ。これ読んで王太子にも回せば恩を売れるぞ。」


 そんな風に、私が攻略に行き詰まると絶妙な助言をくれ、時には面倒な根回しまで手伝ってくれる。

 私の馬鹿げた野望を笑いながらも、結局は手を貸してくれる、頼れる「悪友」。それが彼なのだ。


 彼は慣れた手つきで、勝手にワゴンから紅茶を淹れ始める。


「なによ、勝手に入ってこないでよ。」

「お前の兄貴が心配してたぞ。『妹が最近、死んだ魚のような目をしている』ってな。」

「失礼しちゃうわね。……あ、お砂糖二つ入れて。」


 彼は呆れたように笑いながらも、私の好みの甘さにした紅茶と、隠し持っていたクッキーを差し出してくれた。

 私はそれをひったくるように受け取り、齧り付く。


「…お前、ハーレムは順調か?どう見ても『王宮の便利屋』だが。」

「うるさいわね!外堀を埋めている最中なのよ!……たぶん。」


 語尾が弱くなる私を、彼はからかうでもなく、ただ静かに見下ろした。

 そして、ポンと頭に手を置く。


「……まあ、ほどほどにな。」


 その言葉と共に、くしゃりと髪を乱される。

 まったく、レディに対する扱いじゃないわね。


 けれど、常に頭の中で損得勘定ばかりしている私には、この飾らない雑さが丁度いい息抜きになる。

 下心も演技もいらない。たまにはこういう、何も考えずにダラけられる時間も必要よね。


     ◇


 そしてついに彼女が現れた。男爵令嬢の「ヒロイン」だ。


 現れたヒロインは、まるで砂糖菓子で作られたお姫様のよう。

 ふわふわと波打つ淡いピンクブロンドの髪に、困ったように少し下がった大きな垂れ目。その瞳は澄んだ空のような青色で、小柄で華奢な体つきは、絵本からそのまま出てきたヒロインそのもので、誰もが思わず手を差し伸べたくなるような庇護欲をそそるものだ。


 私はすぐさま接触を図った。ちょっと意地悪な質問をしてカマをかけ、化けの皮を剥いでやろうと思ったのだ。

 しかし。一瞬で悟る。


――絶 対 勝 て な い。


 なにあれ、めっちゃ見ちゃうキレイ可愛い良い匂い、好き。

 優しい雰囲気で、心地よい声なのに、芯はしっかりしてて、でもちょっとうっかりさんで、好き。

 こんな令嬢の皮をかぶったゲスな私にも優しく接してくれるの女神かよ、好き。


 彼女は、私の知るようなドジっ子ヒロインでもなければ、転生者の悪女でもなかった。

 聡明で、慈愛に満ち、誰にでも平等に接する「本物の聖女」のような、正にヒロインだったのだ。


 私がカマをかけても、嫌味一つ言わず、ニコニコと真摯に返してくる。こっちの心が痛くなるだけで、私はすぐに白旗を上げた。ごめんなさい。

 ヒロインは超常識人で、私の婚約者である王太子や、側近たちに対し、決して不必要に近づこうとはしなかった。元平民の男爵令嬢としての身の程をわきまえ、一線を引いている。


「……なによ、ぐうの音も出ないほど良い子じゃない。」


 これなら私の将来も安泰だわ、と胸を撫で下ろしたのも束の間。


 運命というのは、残酷なものだった。


 彼女が望まなくても、偶然に偶然が重なった。

 成績がトップレベルのヒロインは、当たり前のように生徒会に選ばれ、全員を面識を得たあと、次々とイベントを起こしていく。

 たまたま落とした書類を拾ったり、偶然雨宿りで一緒になったり、気づいてしまった怪我の手当てをしたり。そんな些細な、しかし決定的な交流を重ねるうちに――男どもは、あっさり、すっかり、簡単に全員が恋に落ちてしまったのだ。


 あろうことか、私の婚約者である殿下でさえ、自分から彼女に近づいていく。

 学園の仕事の合間に彼女が現れると、パァッと花が咲いたような笑顔になる。私には見せたことのない、心からの笑顔を。


 殿下はそんな顔をしている自覚はあるのだろうか?


「……こりゃあかん。そりゃあヒロインに何の問題も無くても、悪役令嬢も嫉妬に狂っちゃうわ。」


 自分が「努力」と「計算」と「下心」で作り上げたかった理想の逆ハーレム。

 それが今、彼女の周りで、自然発生している。私は心のハンカチをギリギリと噛み締めた。くやしい…!


 ヒロインをいじめる?

 まさか。彼女は何も悪くない。悪いのは、ふらついている男どもだ。


「殿下!鼻の下が伸びていますわよ!」

「お兄様、公務中にデレデレしないでください!」


 私は彼らに苦言を呈して回った。でも、彼らは「あはは、ごめんごめん。」と笑うだけで、結局は熱っぽい視線でヒロインを追っている。

 唯一の救いは、変わらずヒロインがちゃんと一線を引いていること。それだけ。


 でもずっとみんなを、そしてヒロインを見てきたからわかる。

 彼女もいつの間にか王太子を見ていることがあることを。


 ……ああ、惨めだ。

 私は完全に、彼らの恋路を邪魔する口うるさいお母さんポジションになってしまっていた。


     ◇


 全てに気づいた私はその足で、なりふり構わず廊下を駆け抜けた。

 ドレスの裾をたくし上げ、すれ違う使用人たちがギョッとするのもお構いなし。公爵令嬢としての品位なんて、今の私には不要だ。


 そのまま目指すは、通いなれた幼馴染の彼の屋敷。顔パスで中に入り込み、彼がいるはずの書斎の前までたどり着く。

 ノック?そんな殊勝なものは必要ないわ!


 バン! と勢いよく重厚な扉を両開きに開け放ち、私は息を切らして大声で叫んだ。


「やめやめー!私、もう王妃も逆ハーも全部辞める!あんな『運命の強制力』に勝てる人類なんていません!」


 机の向こうで、幼馴染が書類からゆっくりと顔を上げた。

 いきなり怒鳴り込んできた私を見ても、彼に驚く様子は微塵もない。むしろ、ニヤリと意地悪く口角を吊り上げる。


「……やっと目が覚めたか。遅いくらいだ」

「悔しいけどその通りよ!私のトラウマ解決RTAなんて、あのヒロイン補正という名の『運命』の前じゃ児戯に等しかったわ!だから婚約破棄…?解消の手続きお願い!秒で!」

「ああ、任せろ。この時を待っていた」


 彼は迷いなく立ち上がると、厳重に鍵のかかった棚を開錠し、一冊の分厚いファイルを取り出した。

 そしてそれを――ズシン、と重々しい音を立てて机に置く。まるで、辞書か凶器かという厚みだ。


「お前がいつか心折れて泣きついてくると思って、三年前から完璧な書類を準備してある。思ったより頑張ったな。」

「……用意周到すぎて怖いのよ、あんた!」


 恐る恐る中身を確認すると、そこには「発展的婚約解消届」「今後の公務分担案」「貴族院への根回しリスト」……さらには、私が路頭に迷わないための「老後の優雅な隠居計画」までもが、完璧に網羅されていた。

 日付欄以外、すべて記入済みなのに、内容はちゃっかり最新版だ。


「…あんた、私のストーカーなの?」

「保護者だ。感謝しろ」


     ◇


 準備は万端。

 私たちは王太子とヒロインを、王宮の奥まった応接室へと呼び出した。本当は私一人でもよかったのだけど、「ここまでお膳立てしてやったのに一番面白そうな部分を見るなと?」と脅され、仕方なく幼馴染もつれている。


 部屋には重苦しい緊張が漂い、殿下は気まずそうに視線を彷徨わせ、隣に座るヒロインは「私のせいで……」と今にも泣き出しそうな顔で小さくなっている。

 完全に、私がこれから二人を断罪する空気だ。


 だからこそ、私は満面の笑みを浮かべ、その空気をぶち壊すように高らかに宣言した。


「殿下!単刀直入に言います。――私との婚約を、今ここで解消してください!」

「…は?」「…え!?」


 殿下とヒロインが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で目を丸くする。

 二人が言葉を失っている間に、すかさず幼馴染が一歩前に出た。その手には、あの凶器のような厚みのファイルを携えている。


「こちらが正式な婚約解消届と、それに伴う両家の合意書、および今後の友好条約案です。殿下にとっても、国にとっても、そして彼女にとっても、一切の損がない内容になっております。」

「まさか!」


 ダンッ、と重々しい音を立てて書類がテーブルに置かれる。

 殿下は慌てて書類を手に取り、目を通し始めた。最初は疑るような目だったが、ページを捲るごとにその目は驚愕に見開かれていく。


「…すごい。婚約解消の書類はもちろん。貴族院への根回しから、国民への発表原稿、さらには解消後のメリットについてまで…全てが完璧に網羅されている。」

「ええ。三年前から練りに練ったプランですから、隙はありませんわ。」


 私が胸を張ると、ヒロインがおずおずと口を開いた。


「で、でも……!貴女のお立場が……!」

「いいえ、気にしないで!むしろ感謝しているくらいよ!」


 私は彼女の手を取り、力強く握りしめた。


「私は殿下の『戦友』でありたいけれど、『王妃』の座は貴女こそがふさわしい。…自信を持って。貴女は誰よりも王妃の器を持っているわ。」

「っ……はい…!」


 彼女の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。ああもう、泣き顔まで可愛いなんて反則じゃない?


 殿下は書類から顔を上げると、私の晴れやかな顔を見て、ふっと長く肩の力を抜いた。

 その顔からは、長年背負っていた重圧がきれいさっぱりなくなっている。


「……敵わないな。君の潔さと、有能さには。」

「ええ。いつか言いましたよね。『本当に心から愛する女性と出会ったら身を引く』と。」


 私はニッコリと笑って、かつて殿下に告げた言葉を回収した。

 殿下は立ち上がり、隣で泣いているヒロインの肩を抱き寄せると、私に向かって深く、深く頭を下げた。


「ありがとう。…約束を守ってくれて。」


 そこには、ドロドロとした愛憎も、湿っぽい未練も一切ない。

 あるのは、雨上がりの空のような爽快感だけだ。


 こうして、私の王妃への道と、長年夢見た逆ハーレム計画は、これ以上ないほどきれいさっぱりと幕を閉じたのだ。


     ◇


「あースッキリした! これで晴れて自由の身よ!」


 無事婚約解消が成立し、私たちは二人で王宮の長い廊下を歩いていた。

 カツン、カツンと響くヒールの音さえ軽やかだ。まるで背中に羽が生えたかのように、体が軽い。


「さて、次の婚約者を探さないとね。」

「…あ?」


 私は気分よく次のステップのための人生設計を立て始める。


「誰かいい人いないかな?田舎の伯父様に相談して、今度こそ理想のスローライフを送れそうな相手を…」

「……おい、お前な。」


 私の独り言を遮るように、彼が呆れを含んだ深いため息をついた。

 人が気持ちよく計画を立てているのに、台無しにするような態度に思わずむっと着て振り返ると、幼馴染は先ほど殿下たちを黙らせたあの凶器のようなファイルを開き、最後の一枚をペラリとめくる。


「え?」


 そこに記されていたのは、見慣れた私の名前と、幼馴染の名前が記入された「婚姻届」。

 しかも証人欄には、見覚えのある父と兄の筆跡で、力強くサインが記入されている。…なにこれ。


「…は?なにこれ?」

「お前の親父さんと兄貴には、お前が五歳の時に許可をもらってあるんだよ。『あいつが夢に破れたら、俺が責任を持って回収します』とな。」

「ご、五歳って…あの黒歴史語った直後!?」

「ああ。お前の痛い妄想も、寝言も、全部知ってて受け止められる物好きは、世界広しといえども俺くらいだろ。」


 彼はファイルを閉じると、観念しろと言わんばかりに、私の手をぎゅっと握った。

 その手は、ゴツゴツとしていて、大きくて。

 そして何より、今の私には一番安心できる温度を持っていた。


「……だから、俺一人で我慢しろ。」


 不器用な言葉。けれど、その瞳は真剣で。

 私は顔が熱くなるのを感じながら、握られた手をギュッと握り返した。


「……っ、く、悔しいけど正論……!」


     ◇


 それから、数年後。

 今日は、新国王となった殿下と、王妃となったヒロインの盛大な結婚パレードの日だ。王都は朝からお祭り騒ぎで、地鳴りのような歓声がここまで響いてくる。


 私たちは喧騒の中心から離れた屋敷のテラスで、ワイン片手にその様子を見守っていた。


 パレードの中心は大量の花吹雪の中、幸せそうに手を振る殿下とヒロインの二人。

 その周りは、私がかつて下心満載でトラウマを解決した、兄、騎士、教師、従者が勢揃いし、二人をガッチリとガードしている。

 まさに私が夢見ていた「逆ハーレム」の完成形。キラキラしすぎて直視できないほどの輝きだ。


「見ろよ。あっちが、お前が幼い頃から必死に作ろうとしていた『理想郷』だぞ。」


 隣で、彼がグラスを揺らしながら、意地悪くニヤリと笑った。


「……やっぱり、羨ましいか?」


 私は、行儀悪くソファに足を投げ出し、スナック菓子を口に放り込む。

 そして、完璧すぎる世界を見つめ、肩をすくめて苦笑した。


「まさか!だって見てよ、あの笑顔。……殿下の激務を支えて、騎士の筋肉話もニコニコ聞いて、お兄様の重い愛も全部受け止めて。従者や教師もあっち行っちゃったし。あれだけの情熱を一身に背負い続けてあんなに幸せそうに笑うなんて、並大抵の精神力じゃできないわ。」


 私はほう、と感嘆のため息をついた。

 ゲームなら「攻略してハッピーエンド」で終わりだ。けれど、現実の生活は続いていく。


「私だったら三日でキャパオーバーで逃げ出してる。あれはもう、彼女だけの才能よ。…私には、あんなふうに完璧にはなれないし、向いていなかったんだわ。」


 あの中で微笑み続けている彼女は、本当にすごい。

 負け惜しみではなく、私は心からそう思った。私には私の、彼女には彼女の、輝ける場所があったのだ。


 私は、隣にいる彼の腕に、ギュッとしがみつく。


「私はこうして、あんたの前でだけは見栄も意地も張らずに、ダメな自分をさらけ出して生きていく。…私には、このくらいの温度感が一番幸せなの。」


 彼は目を丸くし、それから優しく吹き出した。

 ククク、と喉を鳴らして笑う彼につられて、私も笑う。


「…違いねえ。お前の面倒くさい黒歴史までケアできるのは、世界で俺くらいだしな。」

「ちょっと、言い方!」


 私たちは顔を見合わせて笑い、パレードの喧騒をBGMに、カチンとグラスを合わせた。遠くの歓声よりも、近くの体温が今は一番心地よい。


 あちらは『王道キラキラ・シンデレラストーリー』。

 こちらは『悪友と送る・気ままなラブコメディ』。


 ジャンルが違うだけの、どっちも最高のハッピーエンドだわ。

 だから胸を張って言える。


「ヒロインなんて羨ましくないんだからね!」

王道テンプレをちょっと崩すのって面白いですよね。

皆さまよいお年を。

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