第五話 担任の憔悴
菜月の家を訪ねた日の翌日、
凜子たちはさっそく担任の青木先生に報告していた。
「ちゃんと行ってきました」
「菜月のお母さんに嫌なこと言われたんですけど」
先生は、まだ二十代半ばの若い女性だった。
担任を受け持つのは今回が初めてだと、最初の自己紹介で言っていた。
そのせいか、どこか頼りなげで、凜子たちの勢いに押されることが多かった。
凜子は、その日もいつになく早口だった。
「“大きいのだから”って言われたんです。なんか……嫌味な感じでした」
由加と雅美が頷く。
三人の表情には、妙な正義感のようなものが宿っていた。
「菜月のお母さんに、謝ってもらうべきじゃないですか?」
青木先生は目を瞬かせた。
困惑と戸惑いが混ざった表情のまま、しばらく黙り込んでしまう。
何かを言おうと開いた口が閉じられる。
それを二度、三度と繰り返したあと、凜子たちの勢いに押されるように小さくうなずいた。
「……わかりました。私から話してみます」
絞り出すようなその声は、どこかかすれて聞こえた。
その後、先生と菜月の母のあいだでどんなやり取りがあったのか、私たちは知らない。
ただ、菜月の母が娘のために、きっと何かを飲み込んだのだろうということだけは想像できた。
そして先生もまた、登校できない菜月にさらに負担をかけてしまったことに、申し訳なさを感じていたに違いない。
◇
数日後の昼休み、教室の空気が妙にざわついていた。
凜子と雅美が、机を囲んで声を上げていたのだ。
「やっぱり言ってよかったよね」
「大人にだって、ちゃんと謝らせるべきだよ」
彼女たちは、どこか誇らしげだった。
自分たちは間違っていない、と言い聞かせるように。
由加は笑わなかった。
机の上を見つめたまま、無言でペンを回していた。
それでも、凜子たちに逆らうことはできなかった。
同調しなければ、次に自分が何を言われるか分からない――
そんな怯えが、教室全体に薄く漂っていた。
◇
その日の放課後、再び菜月の家へ行くことになった。
凜子、由加、雅美――そして、やはり私も。
「前にも一緒にいたんだから、今回も来なよ」
凜子はそう言った。
断る理由など、最初から許されていないような口ぶりだった。
菜月の家の扉が開くと、前回と同じように菜月の母が現れた。
その顔には、かすかな疲れが見えた。
居間に通されると、冷たい麦茶が出された。
けれど、誰も口をつけようとしなかった。
凜子はすぐに切り出した。
「前に“大きいのだから”って言いましたよね。あれ、すごく嫌でした」
「とても傷つきました。ちゃんと謝って欲しいです」
その口調には怒りと、自分でも抑えきれない苛立ちが混ざっていた。
菜月の母は疲れたように小さく息をつき、頭を下げた。
「……傷つけるつもりはなかったの。ごめんなさいね」
その声は静かで、どこか苦しげだった。
きっと、娘の前で謝ることが、どれほどつらかったか。
前回は姿を見せなかった菜月が、この日は部屋の奥から出てきていた。
母が頭を下げる光景を、ただ黙って見つめていた。
その表情に、感情の色はほとんどなかった。
私はその場にいるのが、つらかった。
もし私が菜月の立場なら――そう思うと、胸の奥がざわざわして落ち着かなかった。
凜子と雅美は、満足げに頷き合っていた。
自分たちは正しいことをしたのだと信じて。
けれど、私にはその光景がどうしても正しいとは思えなかった。
人を傷つけておいて、その痛みに気づかないまま誇らしげに笑う――
それを「正義」と呼ぶのだとしたら、あまりにも残酷だと思った。
それでも心のどこかで、私は思ってしまった。
――自分じゃなくてよかった、と。
人間は、おそろしいほどに自分勝手だ。
そのことを、あの日ほど強く感じたことはなかった。
◇
後日、凜子たちは再び青木先生のもとへ行き、
菜月の母から謝罪を受けたことを誇らしげに報告した。
先生は机に手を置いたまま、しばらく黙っていた。
やがて顔を上げて、静かに言った。
「そう……よかったわね。これでもう気持ちの整理はついたかしら」
その静かな笑みは、笑顔には見えなかった。
ひどく疲れた表情だった。
その顔を、私はいまでもはっきりと覚えている。




