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1-8 蜜蜂

「良いか。テレザが帰ったら、誰が来てもドアを開けないこと。特にブレンダンは絶対に、駄目だ。わかったな?」


 リカルドはそう言い残すと、時間もそう残されていなかったのか。ワーウィックに飛び乗って、城へと帰ってしまった。


 みるみる高度を上げて、青い空を飛んで行く竜をほうっと息をつきながら見守る。日差しが強くて、思わず手で目に影を作った。


(きっと……あの人は、社交辞令で褒めてくれたんだとわかってるのに)


 でも、それでも、とても嬉しくて。知らず、笑みが溢れてしまう。


 本当にスイレンの気分は上がったり下がったり、まるで気まぐれな蜜蜂が飛んでいる軌跡のようだ。心の中が、忙しい。


 リカルドには、美しい婚約者が居る。それはわかっていた。でも、少しでも彼に綺麗になったと、外見を褒めてもらえるのは、とても嬉しくて。


「スイレンさん、おかえりなさい。まあまあ……まるで、貴族のお嬢様じゃないか! こっちに来て、良く見せておくれ」


 家の中で洗濯ものを畳んでいたテレザは、お洒落をしたスイレンを、手放しで褒めてくれた。


「テレザさん。ありがとうございます。忙しいところすみません。私……着替えたくて。脱ぐのを手伝って貰っても、良いですか?」


 今まで庶民用の服しか着たことのなかったスイレンには、可愛い紫の小花柄のドレスも脱ぎ方がわからない。


 快く引き受けてくれたテレザに手伝って貰いながら、昨夜リカルドが何枚か買ってくれていた内のすとんとしたワンピースに着替えた。


 髪に飾られた複雑な留め具を外して貰って、背中へと流す。やっと落ち着いた気持ちになって、スイレンは大きく息をついた。


(こんなにお洒落したことなんて、今までの人生で初めてだったから疲れちゃった。貴族のお嬢様は、これが日常なのね……)


 ドレスは可愛くて、確かにそれだけを見れば眼福なのだが。コルセットは息苦しい。


 高価な生地で作られているだけあって重いし、汚れてはいけないと思うと自然に動きには気を使う。


 安心した表情のスイレンに、テレザは鏡越しに意味ありげな笑みを見せた。


「スイレンさん。気を付けておくんだよ。こうして、一人では脱ぎ着の出来ない服を贈ると言うことは。男性側の、君の服を脱がせたいっていう隠れた意味もあるんだよ」


 ただ可愛らしいと思って着ていたドレスにそんな意味があったのかと気が付いて、鏡に映ったスイレンは見る間に真っ赤な顔になった。


 いかにも慣れていない様子を見て、テレザは微笑ましい様子で笑った。


「リカルド様には……幼い頃からの婚約者がいらっしゃる。けど、ブレンダン様は、国でも有数の人気を誇る独身男の一人だよ。浮き名は少々流してはいるが、あれくらいなら……凄くモテてている割には、少ない方だとは思うよ」


 当初彼を見た時の予想通り、女泣かせな様子のブレンダンにスイレンはやっぱりと大きく頷いた。


「あの……ガーディナー様は、有名な方なのですか?」


 あれだけの容姿を持つ竜騎士なのだがら、有名なのもわかる気がするものの。スイレンの言葉に、テレザはそうだねえと頬に手を当てながら頷いた。


「リカルド様は、確かに英雄と呼ばれる程に戦功を挙げられてはいるが……それも、あの理知的なブレンダン様が相棒である事もあってのことだと、私は聞いているよ。リカルド様は貴族だからねえ。身分もあって、名前も知られている。どうしても、目立つから。誉ある竜騎士と結婚出来るのは、この国では最高の嫁入りだよ。どんなに鍛錬を積んでも、数の限られたほんのひと握りの人間しか、竜騎士にはなれないからね。それに……」


 言葉を切ったテレザは、すっかり量が減って扱いやすくなったスイレンの栗色の髪に荒い櫛を通す。


「……それに?」


 途中で言葉を止めたテレザが不思議になってスイレンが振り返ると、テレザは笑いながら言った。


「どんなに、騎士見習いの中で勝ち残ったとしても……今。主人がいない竜に選ばれないといけないから。人格も、問われるんだよ。例えば……どんなに強くても、人を見下すような人間は、絶対に竜に選ばれない。竜は、相棒に高潔であることを望むからね」


「高潔……そう、そうですね」


 スイレンはテレザの言葉を聞いて、何度も頷いた。


 そもそもリカルドは、大怪我をしたワーウィックを救うために、自らの身を敵国に差し出した。それを高潔と言わずして、なんと言うのだろう。


「まあ、それは良い。何にしても将来有望な竜騎士と結婚できるチャンスがあったなら、何を置いても掴むべきだよ。人生の先輩として、それは忠告しておいてあげよう」


 人差し指を立てて、抑揚をつけ面白くそう言ってくれたテレザに、スイレンは声を出して笑った。



◇◆◇



 翌日、二階の自室から出て階段を降りてきたスイレンに、先に朝食を取っていたリカルドは笑って朝の挨拶をしてくれた。


(綺麗……リカルド様の髪が燃えているみたいに見える)


 リカルドの鮮やかな赤い髪が、窓から差し込む朝の光を受けてまるで燃えているように見えた。恋をしているスイレンには彼の事が特別に見えてしまうのは、仕方がない。


「おはよう。スイレン。君さえ良ければ、今日は俺の妹に紹介しようと思うんだが……体調はどうだ?」


 務めて、優しく聞いてくれる。けれど、彼の誘いにスイレンは戸惑ってしまった。


「リカルド様の、妹君ですか? その……私は知っての通り平民で。お作法も、何もわからなくて……貴族のお嬢様に挨拶する方法も、全くわからなくて……失礼を、してしまうかもしれません」


(リカルド様の家族に……嫌われたくはない。出来れば、この国での最低限の作法を学んでから……)


 学がない事を恥じるようにして、しゅんとして答えるスイレンにリカルドは微笑みながら言葉を重ねた。


「そんなことを、気にするような奴じゃない。それに、妹のクラリスはある病気で寝たきりで……今はベッドの上なんだ。きっと退屈しているから、同じ年頃の君に会えたら喜ぶだろう」


 何度も大丈夫だと重ねてそう言ってくれるので、スイレンは戸惑いながらもリカルドの言葉に頷いた。


 リカルドの本宅デュマース邸は、城近くにある貴族街にあるのだと言う。


 スイレンが道中に馬車から窓の外を覗いて見ると、ただっ広い敷地を持つお屋敷ばかりが並んでいた。ガヴェアに居た頃には近づくこともなかった、身分を持つ貴族が住む区画だ。


「クラリスは、一年前程から病を患っていてね。感染る病気ではないから、安心してくれ。ただ……この先治るかどうかは、わからないんだ」


 寂しそうに微笑んだリカルドに、スイレンは心が痛んだ。


(この人には、いつも笑顔でいてほしい。そう、出来たら……それを自分が傍で見ることが出来たら。どんなに幸せなんだろう……)


 顔を曇らせてしまったスイレンに、リカルドは慌てて言った。


「そんな顔を、しないでくれ。スイレン。クラリスに今どうこう何かがあるって言う訳じゃない。ただ、動き過ぎると呼吸が続かなくなるから、ベッドで安静にしている」


 スイレンは妹の病状を詳しく説明してくれたリカルドの言葉に、はっとして笑顔を見せた。


「はい……お会い出来るのが、楽しみです」


「ああ。あいつも、君の事を気に入ると思うよ」


 デュマース家の当主リカルドが本宅とする建物は素晴らしく大きく広かった。


 通いのメイドのテレザから、デュマース家の屋敷は伝統のある貴族の家でとても広大な敷地を持ち立派だと前情報を教えて貰ってはいたが、こうして彼と埋めがたい身分差があるという現実を目の当たりにしてしまうと、どうにも言葉も無くなってしまった。


 ここで生まれ育ったであろうリカルドにとっては当たり前のことなので、何でもない様子で屋敷へと入り、彼を待っていた執事に、いくつかの連絡事項に伝えてから、戸惑うスイレンを促して美しい螺旋階段を登った。


 リカルドに案内された彼の妹クラリスの部屋には、とても大きな窓があった。


 ベッドから満足に出られないという病床の彼女のために、せめてもの気遣いなのかもしれない。


 半身を起こしていたのは、リカルドと同じ燃えるような赤髪を持つ美しい少女だった。丁度本を読んでいたのか、膝の上に大きな本が広げられている。


「お兄様。おかえりなさい。帰って来たんだ」


 クラリスは敵国に捕らえられ、今まで命あるかもわからなかったはずの兄に会っても、平然とした表情で挨拶をした。


「敵国に捕まっていた兄に対して、随分な歓迎だな」


 どうやらリカルド本人もそう思ったらしく、苦笑しつつクラリスのベッド脇に置かれていた椅子へと腰掛けた。


「だってお兄様。どんな状況でも、絶対に死なないじゃない。戦闘が仕事の竜騎士なのよ。戦場に出るたびに、いっつも心配をしていたら私の体が持たないわ」


 クラリスは貴族らしく高価そうなフリルやリボンで、飾られた可愛らしいネグリジェを着ていた。その時、彼女は初めてリカルドの後ろに隠れるようにして、立っていたスイレンに気がついたようだ。


「あら? お兄様。やっと、可愛い恋人が出来たの?」


 クラリスの揶揄うような言葉に、こほんとリカルドはわざとらしく咳払いをした。


「誤解を呼ぶようなことを、言うな」


「別に良いじゃない。イジェマだって、同じようにやっていることでしょう。それにあの人。竜騎士なんて、泥臭くて嫌いって言って憚らないじゃない。皆、国を守るために命をかけて戦っているのよ。私はイジェマの事、好きじゃないわ」


「クラリス」


 リカルドは、強い響きの言葉で妹の言葉を遮った。


 クラリスは面白そうな表情になってから、兄のリカルドに首を傾げた。


「紹介しよう。これから、俺たちの家族になるスイレンだ。ガヴェアで捕らえられている時に、俺が何度も助けてもらった。お前も仲良くしてくれたら嬉しい」


「あのっ……スイレン・アスターと申します。クラリス様、よろしくお願いします」


 クラリスは目を見開いてから、興味深そうに拙くお辞儀をするスイレンを観察するような目で検分した。


 ふふんと何か面白そうな事を見つけたような顔になると、リカルドに当たり前のようにして言った。


「ちょっと、お兄様。私。スイレンとお話ししたいから、お兄様はお茶とケーキでも持って来てよ」


 仲の良い兄妹の、気安さからだろうか。クラリスはデュマース家の当主であるはずのリカルドに、まるで使用人のようなことをしろと言った。


「お前な……」


「良いから。せっかくこうして私に挨拶に来てくれたのに、おもてなしもしないなんて出来ないでしょう。それに……正直に言うと、お兄様邪魔なの。女の子二人の会話聞いて楽しい?」


「はー……わかったよ。ケーキと、お茶だな」


 赤い髪を掻きながら、リカルドはスイレンにすまなそうな目配せをしてからクラリスの部屋を出て行ってしまった。


「スイレンさん。こっちに来て。椅子に座って」


 命令することに慣れている人間特有の口調で、ベッドのすぐ近くにある椅子を指差しながらクラリスは言った。


 戸惑いながらも彼女の指示に従い、椅子に座ったスイレンにベッドの上を移動して近付いた。その時、クラリスからふわっとどこかで嗅いだことのある香りがした。


(何の……匂いだったかしら)


 遠い記憶に、覚えがあるような気がするのに思い出せない。思わず、考え込んでしまったスイレンに、クラリスはきっぱりとした口調で言った。


「あなた。お兄様のこと、好きなんでしょ」


 ズバリ核心を突いた言葉に、思わずこくりと喉が鳴る。


(もしかして、平民は貴族には相応しくないから。近付くなという話かしら……?)


 緊張しながらも、一度頷いたスイレンにクラリスは片手を振った。


「ちょっと、待って。私貴女が思っていることわかったわ。そう言いたい訳じゃないの。お兄様の事が、好きなんでしょ? だったら、私は協力を惜しまないわ」


 そう言ってから、茶目っ気たっぷりに片目を閉じたクラリスをスイレンは唖然とした表情で見返した。

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