5-4 秘密
寝ぼけたスイレンが目を擦り、どうにかして重い瞼を開くと思っていた人と違う顔が間近にあった。
「私が……間違えたんですね。ごめんなさい」
その人を見て、昨夜何があったか、自分が何をしたかという状況を悟り、スイレンは呆然してしまった。
(……嘘でしょう。リカルド様とブレンダン様を間違えてしまうなんて……私。なんてことをしてしまったの)
しかも、自分が彼の手や腕を必死で掴んで離さなかったためか、ブレンダンは無理な体勢でスイレンの隣に横になって居た。
ふかふかの毛布はスイレンの上に掛けられていたものの、ブレンダンの上には掛かっていない。
つまり、彼には一晩中熱に浮かされ、リカルドの夢を見ていたスイレンに付き合わせてしまった。
この夜、全く眠ってない様子のブレンダンは、スイレンの謝罪の言葉を聞いて一瞬真顔になってから、いつものように優しく微笑んだ。
「それは、謝らなくて良いよ。うん……僕もごめん。けど、スイレンちゃんは本当に寒そうだったし、僕の熱で安心するのならと離れるのも気が引けて。僕も君が夢だと思っている間に帰ってしまうつもりだったんだけど、ごめん……いつの間にか、朝で起きてしまっていた」
起きる前にここを去るべきだったと悔いるようにそう言ったブレンダンから慌てて離れて、スイレンはどうしようと両手で頬を包んだ。
(嘘でしょう。どういう状況なの……信じられない。リカルド様以外の男性と、こんな風にベッドの上に居るなんて……私は、なんてことをしてしまったの)
「ごめんなさい。これは、すべて私のせいです。ブレンダン様は何も悪くないです。どうか、謝らないでください。私が何もかも悪いから……リカルド様には私からこのことは、ちゃんと説明しますから」
リカルドとブレンダンは、幼い頃から騎士学校でも一緒でとても仲が良い。
スイレンをただ心配してくれただけで何も悪くない彼には、自分たちの関係によるとばっちりがいかないようにしなければならない。
(リカルド様が昨夜のことをすべて知れば、私は仕事に行くことも禁止されてしまうかもしれないけど……それでも良いわ。二人は、何も悪くないもの)
スイレンが必死に言い募る言葉を聞き、横になっていたブレンダンはゆっくりとした動作で起き上がり、ベッドを降りると首を横に振った。
「それはいけない。あいつには、何も言わない方が良いよ。スイレンちゃん。大丈夫だよ……これは、僕たち二人だけの秘密にしよう。黙っていれば、誰も何も知らない。面倒な事になることを、わざわざ選ぶ必要はない」
「けど……それでは……」
(リカルド様に、私は嘘をついてしまう事になる。私たちはどちらにもそういう気持ちはないし、別に何かしたって訳じゃないけど……でも)
ただ背格好の似ていた自分とブレンダンを間違えたとあってもこの状況を聞けば、きっとリカルドも気分を悪くしてしまうはずだ。
「僕らは特に何をした訳でもないし……嘘も時には必要だよ。リカルドは、今は色々と抱えているからね。いつになくイライラしているし、これを教えることで、余計な気苦労をかけたくない」
「ブレンダン様……」
スイレンはリカルドを良く知る彼の言葉を聞いて、それはそうなのかもしれないと思い直した。
(そうだわ。ただでさえ、リカルド様はお姫様から私たちの仲を邪魔をされていると聞いているというのに、これを聞けば、リカルド様はもっと嫌な思いをしてしまうかもしれない。事情を説明して全部打ち明ければ、私は確かに気持ちは楽になると思うけど……)
スイレンとブレンダンの間には何の気持ちもなく、ただ体調が悪くてリカルドと間違えて縋ってしまっただけだ。
ブレンダンの言った通りに何も知らなければ、リカルドだって気分を悪くしてしまうこともないだろう。
「ねえ。スイレンちゃん。君は真面目な性格であいつを裏切りたくないし、嘘もつきたくないという気持ちもわかるよ。だが、黙っていれば何も知らずに済むことを、わざわざ教えることが……果たして、正解なんだろうか。僕には、そうは思えない」
ただこれを明かして自分の気持ちが楽になりたいのならば、そうするべきではないとブレンダンは暗に言いたいようだった。
「それは、そうです……そうです、けど」
そうだとしても、スイレンはリカルドに対し誠実で居たいと思ってしまう。
彼のことが、どうしようもないくらい本当に好きだから。
(彼には、嘘なんてつきたくない。けれど、それがリカルド様を傷つけてしまう? それは、したくない。けど、確かにそうだわ。私があの時に、我が儘を言わなければ……なにもかも、すべて避けられたことなのに)
すぐに家へと戻り、スイレンが一人で対処していたなら?
けれど、これは既に起きてしまったことだし、後悔をしたところで何も始まらない。
「あいつは早く君と婚約したくて堪らないみたいだから、いつもは冷静でいられるところが珍しく苛立っているみたいなんだ。あまり、ここでは刺激したくない……僕たちは黙っておいた方が良いと思う」
ブレンダンはスイレンとの結婚に向けて、手続きが上手く行かないと悩むリカルドの心情を思い、何も言わない方が良いと判断したようだ。
(そうよね……そうだわ。これを言えば、リカルド様が傷つくことになるもの)
「……わかりました。本当にごめんなさい。私」
「ははっ……もう良いから。スイレンちゃんはさっき自分が悪いと言ったけど、君だって何も悪くないよ。偶然が重なった。運が悪かったし、災難だったと思う。君は被害者だ」
「でも」
「もうこのことについて、僕には謝らなくて良いよ。不可抗力で、状況的にどうしようもなかったことだ。僕たちはもう、これをなかった事として忘れた方が良いと思う」
「はい……」
「昨日は色々あって疲れただろうし、医者は熱が下がっても無理はせず安静にしていた方が良いと言っていた。店には僕が言っておくから、三日ほど休んでね。ゆっくりして体調を完全に回復させるんだ。良いね?」
「はい……わかりました」
雇用主の跡継ぎ息子にそう言われてしまっては、ただの雇用人のスイレンに否やは言えない。
休むようにと指示されて素直に頷いた彼女を見て、ブレンダンは安心したのかほっと大きく息をついた。
◇◆◇
とにかく昨夜のことはなかったことにしようと話が纏まり、二人は急ぎ宿屋を出る支度を済ませ帰ることにした。
家の前には慌てた様子のテレザが居て、周囲を見渡してから何処かに行こうとしていたようだった。
きっと居ると思っていたスイレンが家の中に居ないし、帰った様子もないので心配して探してくれようとしたのだろう。
(テレザさん。良かった! 間に合ったわ)
これで昨夜のことはブレンダン以外、誰にも知られることはなくなった。スイレンは、息をついた。
「……テレザさん! おはようございます」
馬車から降りて明るく挨拶をしたスイレンを見て、メイド姿のテレザは驚いたようだ。
「スイレンさん! 今まで何処に居たんですか?」
血相を変えて駆け寄ってきたテレザはスイレンの後から降りてきたブレンダンを見て、わかりやすいくらいに顔を赤らめた。
「やあ、テレザ。おはよう。昨夜スイレンちゃんは、風邪をひいたのか具合が悪そうでね。仕事終わりに、実家に泊まって貰ったようなんだ。君が心配していると言うので、偶然帰った僕が送らせてもらった」
「おはようございます……まあ、そうなんですね! スイレンさん、大丈夫かい? 体調が悪いならすぐに寝てしまった方が良いだろうね」
にこにこしたブレンダンは僕の話に、何か問題でも? と言わんばかりに、テレザにすらすらと嘘をついた。
彼の事を熱い視線で見つめるテレザはそんな彼の言葉を特に疑うこともなく、そのまますんなりと信じたようだ。
(何もなかったことにして欲しかったんだけど、なんだか……すごく複雑。テレザさん……嘘をついてしまって、ごめんなさい)
スイレンはブレンダンの隣でぎこちなく微笑みつつ、平然として嘘をついた彼を顔を赤くして見つめるテレザに複雑な思いを抱いていた。
「さあさあ、スイレンさん。体調が悪いなら早く部屋へ戻って!」
テレザに促されるようにして、スイレンは家の方向へと進み、彼にもお礼を言わなければとブレンダンを振り返った。
「ブレンダン様。ありがとうございます……本当に、今回は感謝しています」
頭を下げたスイレンに、ブレンダンは首を横に振って微笑んだ。
「構わないよ。僕は送りに来ただけだから。それじゃ、テレザ。リカルドが帰るまで、彼女をよろしくね。スイレンちゃん。三日は休むんだよ? ……良いね?」
「は、はい!」
有無を言わさない圧を持ったブレンダンの笑顔に、スイレンは何度もこくこくと頷いた。




