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【書籍3巻発売中】ひとりぼっちの花娘は檻の中の竜騎士に恋願う【コミック4巻発売中】  作者: 待鳥園子
第五章

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5-3 温かな手

「スイレンちゃん。そのドレスは一人では脱げないよね? 誰か女性を呼ぼうか?」


 宿屋に着きすぐさま用意された部屋へ入り、ブレンダンはそう言った。


 現在スイレンが着ているドレスは、背中にリボンで編み上げられて留められて、一人ではとても脱げない。それを心配したブレンダンがそう言って、いつかテレザに言われたことをスイレンは思い出した。


(……男性から一人で脱げないドレスを贈るということは、服を脱がせたいという意味だって……いいえ。何を考えているの。彼は助けてくれた上に、濡れてしまったドレスだって、気を使って贈ってくれたのよ。ただ親切にしてくれた彼に、失礼だわ)


 ブレンダンは単に人助けをしただけだというのに、友人の恋人に対する下心だと勘違いされてはいけない。スイレンは早急に濡れてしまったドレスを脱ぎたくて、勇気を出してブレンダンに早口で言った。


「あのっ、ごめんなさい。コルセットの紐だけ外して貰ったら、私……後は自分で脱げますから」


 人を呼ぶどうこうよりそうして貰った方が早いと毛布と貸して貰ったブレンダンの上着を脱いだスイレンは、彼に背中を向けた。


「……わかった。良いよ。寒いしすぐに脱ぎたいよね。水に濡れているから、リボン自体がより締まってしまっていると思う。一度すぐ脱げるように切ってしまうけど、何も心配しなくて良いよ。君がお風呂を浴びている間に、僕が新しい服も持ってくるようにするよ」


 ブレンダンは話しながらもテキパキとスイレンのドレスのリボンを切り、脱ぎやすいようにと一旦腰の部分を力任せに開けてくれた。


 締め付けられていた圧が一気になくなり呼吸しやすくなったスイレンは、落ちそうになったドレスを慌てて胸元で両手で支え留めた。


「あ、ありがとうございます……」


 スイレンがお礼を言い終わる前に素早く動いたブレンダンは、カタンと扉を開けた音をさせて部屋を出て行った。驚いて振り向けばお風呂から出た時用のガウンも、既に用意されていた。


(ブレンダン様。私が部屋の広さに驚いている間に? 何もかも、本当にありがたいわ……)


 異性からモテる彼はこういう状況も慣れっこなのだろうとふうっと大きく息をついて、スイレンは持っていたドレスをそのままストンと落とした。


 こんなにも寒い中で体中に纏わり付いていた濡れた布を取り払ってしまうと、すっきりとした気分で自由になれた気がした。


(ドレスの作りに詳しいのだって、当然よね。実家が扱っている商品だもの……それに、彼なら脱がせることにも慣れているだろうし……って、いけない! 今はそういう事を気にしている場合でもないわよね)


 濡れてしまった下着も脱いだスイレンは、たっぷりとしたお湯が張られた浴槽へと慌てて入った。冷たく凍えた体がまるでほどけていくような感覚に、スイレンは大きく息を吐いた。


「同じ会場にブレンダン様が偶然居て、良かったわ……これだと、リカルド様とクラリス様に知られることなく、帰ることが出来るから……嬉しい」


 池に落とされてあんな悲惨な状況にあるのにも関わらず、何よりも心配したのは自分の仕事が奪われないことなのかとブレンダンは驚いているようだった。


 けれど、貴族で国の英雄のリカルドとの大きな身分差を思い知っているスイレンにとってみれば、それこそが今は大事なことだった。


 大好きなリカルドと結婚したいと思っているのは、彼が言ってくれるのと同じようにスイレンだってそうしたい。けれど、まだ多くものを手にする彼の妻になるという実感が、まるで沸かない。


 実体のないふわふわとした雲を掴むような出来事に見えて、スイレンには現実感がないのだ。そんな中でガーディナー商会を花で飾ったり、依頼を受けて夜会での演出を引き受けるようになった。貴族としての教育を受けるよりそちらの方が地に足が着いているように、自分では思えるからだ。


 花魔法しか満足に使えずリカルドの婚約もまだ確約ではないスイレンにしてみれば、未だどちらつかずな自分の身の上の話よりも、やりがいを感じ始めた仕事を大事だと思ってしまうのも無理のない話だった。


(リカルド様……早く会いたいな……早く、帰って来て欲しい。会いたい……)


 リカルドがどうしても抜けられない護衛の仕事だと家を出て、今ではもう二週間ほどになる。遠い異国の地に居るリカルドに、心細くなったスイレンは今すぐにでも会いたかった。


(会いたいな。リカルド様……早く……声も聞きたいな……すぐに)


 あの人さえ傍に居てくれたら、まるで、嵐のようにスイレンの心を揺らして些細な嫌なことなど全部吹き飛ばしてくれる。そうすれば心に残るのは、彼へと向かう愛しさだけだった。


 スイレンは彼が長期間居なくて、このところとても寂しかった。


 けれど、仕事で夢中になっていれば、目の前のことに必死になれた。これまでずっと些細な楽しみもなく働いていたスイレンには、その方が楽だった。


 離れているリカルドのことを思い出せば急に寂しく思えて、スイレンはお風呂の中で自分を両手で抱きしめるようにした。



◇◆◇




 スイレンが何か背中がぞくぞくして寒いと思い始めたのは、温められたお湯の中にいた頃からだった。


 もしかしたら、今日は特別気温が低くお湯が冷えてしまったのかもしれないと慌てて浴室から出た。


 ふわふわとした高級そうなガウンを着てベッドへと座り、寒い季節なので大きな暖炉には火が入っていた。


 だというのに、体には嫌な寒気が治まらない。


 こんな立派な宿屋にすきま風など吹くはずもないのに、何故かスイレンはガヴェアにいた頃に住んでいたあの小屋を思い出してしまった。


 たった一人、抜け出せない暮らしに悲しいとも思えていなかった。ただ自分はこのまま死んでいくのだと、諦めて切ってしまっていた。


 もう二度と、あの頃に戻りたくはなかった。


(寒い。何故かしら。もしかしたら、風邪をひいてしまったのかもしれない)


 あまり、動きたくはない。けれど、ここで泊まってしまう訳にもいかない。


 明日テレザが来たら、スイレンが家に居なくて心配することだろう。その理由を問われれば、何と説明しなければいけないかわからないからだ。


 カチャリと扉の開く音がして、ブレンダンが入って来た。


「……スイレンちゃん? 何度かノックをしたけど、気がつかなかったの?」


「ブレンダン様……そうなんですね。気がつけなくて……ごめんなさい」


 ベッドに座っていたスイレンはよろけて立ち上がり、そんな彼女を見たブレンダンは顔色を変えた。


「どうしたの? ……顔が赤い。体調が悪いの? ごめん。触るね」


 そう言って素早くスイレンの額に右手を当てたブレンダンは、血相を変えた。


「あの……どうかしました?」


 ぼんやりとして見える視界の中で、ブレンダンは辛そうに言った。


「スイレンちゃん。君は多分自分では気がついていないと思うけど、すごい熱があるよ。僕は今から、医者を呼んでくる……ああ。寒いのにあんな冷たい池に落とされてしまったら、これも当然だ……少し待ってて」


 そう言ってブレンダンは行こうとしたので、スイレンは慌てて彼の腕を取った。


「待ってください! 私、帰ります。今夜帰らないと、きっと……」


「誰かに、変に思われる? こんなに赤い顔をして、何を気にしているの。そんなことを言っている場合じゃないよ。テレザについては、任せておいてくれたら良い。僕が上手いこと言って、ちゃんと誤魔化しておくから」


「……はい」


 ブレンダンの女性の扱いの上手さを思い出し、スイレンは渋々腕から手を離し彼に任せることにした。


 リカルドの家に通いのメイドテレザは彼の同僚の中でもブレンダンが特にお気に入りの様子で、彼を目にすると嬉しそうにしているのがわかりやすいからだ。きっと、上手くやってくれるはずだ。


(テレザさんに知られないなら、きっとご令嬢たちに池に落とされたことも言われないわよね……ブレンダン様が、どうにかしてくれるはず)


 スイレンが真冬に池に落とされたことを知っているのは、当人同士とあのブレンダンだけだ。


 あの彼女たちが加害者の自分たちが「やりました」と触れ回ることもないだろうし、スイレンとブレンダンが黙っていれば誰にも知られることはない。


 そうしたらもう安心だろうと思い、スイレンはゆっくりとベッドの上に横になった。


 その時、急に体が信じられないくらい重くなり、一人ではもう動かせないくらいに重怠く感じているのに気がついてしまった。


「とにかく、君は何も心配しなくて良い。リカルドとクラリスが知らなければ、仕事を反対されるようなことにもならないから……ああ。それに、君が不安に思う気持ちもわかっているから……大丈夫だよ」


「ブレンダン様……」


 スイレンは高熱のためか、視界に映る光景が白くにごりゆらゆらと揺れていた。


 ブレンダンは横になった彼女の体に温かな毛布を被せると、医師を呼んでくるからと、先ほど言った通りに部屋を出て行ってしまった。


 高い熱のためか一旦目を閉じたら、スイレンは瞼を開くことは出来なかった。


 また、誰かが部屋へ入って来て、大きな手が頭を撫でてスイレンの名前を優しく呼んだ。


 スイレンは自分が待っていた人が、帰ってきたのだと思った。


(リカルド様……ですか? 私、会いたかったんです。どうして、傍に居てくれないの。寂しいです。私、このまま……不安なのは、嫌です。リカルド様……私たち……本当に、結婚出来るんですか……今も、すごく不安で)


 このまま一人で寒くて凍えてしまいそうで、温かで大きな手にすがりつきスイレンは懸命に訴えた。


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