5-1 仮面舞踏会
高い天井付近に吊られ揺れる木籠の中から、光る花びらがはらはらとこぼれ落ちる。
普段とは違う上へと向けられたいくつもの照明が、暗い闇をゆっくりと落ちていく赤い雨のような光景を照らした。
(なんて綺麗なの……準備は大変だったけど、上手くいって良かったわ)
スイレンの使う花魔法で形作った花は具現化した後、時間が経てば消えてしまう。逆に言うとそれまではしっかりとした形を保っているために、暗闇の中でキラキラと輝く魔法の粉を塗り付ける事が出来た。
いくつも天井に吊るされた花びらで満たされた大きな籠は、紐を括り付けられて、下から引っ張る一定の速度で揺らされていた。
招待客全員が各々自分の好きな仮面を被る仮面舞踏会という妖しい舞台の中で、赤く輝く花びらが落ちるさまは、とても美しく幻想的だった。
スイレンが仮面舞踏会ならばとこの演出を提案した時には、今夜の主催者は当初渋っていた様子だった。だが、この光景を見れば、きっと満足してもらえるはずだ。
こうした夜会での演出を花魔法を使う仕事として紹介制で引き受けるようになってから、まだ間もない。
ガーディナー商会での仕事なども合わせ、もしかしたら自分が使う花魔法には、今までに自分が思っていた以上の可能性があるのではないかと、スイレンは思うようになっていた。
今夜も招待客の中で自然と馴染む事が出来るように、スイレン自身も蝶の仮面を付けていた。
仮面舞踏会は身分関係なく楽しむ事が出来る夜会で、もし相手が知り合いだとわかっても、知らない振りをするのがこの場での暗黙の了解だそうだ。
お互いに旧知の仲であったとしても、初対面の振りをして話すらしい。そういった言葉遊びを楽しむために、こうしていつもの自分ではなく違う人物なのだと仮面を被るのだ。
それを知らず知り合いの名前を呼びかけた者は、貴族の常識を知らぬ無作法者として、次の日には噂になってしまうはずだ。
もし、デュマース家の当主リカルドと結婚することになれば、妻としてスイレンも彼の同伴者となり夜会へと出席せねばならないだろう。
スイレンはリカルドと結婚したいと考えているし、彼の妹クラリスは生粋の貴族令嬢で、抜け目なくとても頼りになる存在で何かあったとしても助けてくれるだろう。
たとえ、そうだと理解していたとしても、事細かなルールが明確に決められているこうした場所で、今まで生花を売る以外に何も出来なかった自分は上手くやっていけるのだろうかと、時折不安になることはある。
「あ」
思わずスイレンは良く知る人の名前を呼びかけそうになって、慌てて両手を口に置いた。
(いけない。ここは仮面舞踏会だというのに、彼の名前を呼びそうになった……あれは、ブレンダン様? 彼も仮面舞踏会に出席していたのね)
リカルドの同僚ブレンダンに良く似た男性は、すぐ前に居たスイレンの呟きに気が付いたのか、彼女を軽く一瞥すると何も言わずに去って行った。
黒い仮面を付けた彼の顔は、今は茶色い目だけしか見えない。暗い会場では茶色の髪はより暗く見えたが、背が高くすらりとした後ろ姿は、おそらくブレンダン本人で間違えていない。
(……誰かをエスコートして、会場入りしたのかしら? それにしても、お相手が近くに見えなかったようだけど)
スイレンは彼女の仕事ぶりを気に入り、知り合いの顧客を紹介してくれる貴婦人からは、今夜の依頼は高い身分を持つ貴族の邸なので仮面舞踏会と言えど貴族以外は入り込む隙はないからと聞いていた。
だから、スイレンは本来なら居るはずがない彼の姿を見て驚いてしまっただけだ。
こうした仮面舞踏会は常なら生まれ持った身分関係なく参加出来ると聞いているし、有名人の彼も誰かの紹介で会場に入る事が出来たのかもしれない。
ブレンダンはリカルドの同僚で同期で、彼ら二人が仲が良いためにスイレンも良く会う人だ。
リカルドの騎士学校からの同期数人は、とても仲が良い。けれど、以前ブレンダンから真剣な告白を受けたために、スイレンは彼にだけは特別な思いを抱くようになっていた。
ブレンダンはスイレンに振られてから、特に落ち込んだ様子も見せないし、何事もなかったかのような態度を崩さない。
彼は異性から良く好かれるので、今ではもう違う女性が居るのかもしれない。スイレンはそれを寂しいと思ってしまう気持ちも、否定しきれずに心のどこかにはあった。ブレンダンは、魅力的な男性だったから。
とはいえ、現在の彼の詳しい女性関係などはスイレンも知るはずもない。
スイレンは彼の実家のガーディナー商会で雇われ働いているので、彼が帰ってきた時に少し話す程度だった。ブレンダンもわざわざそんな複雑な関係性のあるスイレンに、何かあったと言う必要もないだろう。
スイレンにはリカルドという唯一の人が居るけれど、ブレンダンには幸せになって欲しいと思う。彼ほどの人から恋愛感情で好きだと言ってもらえて嬉しかったし、素直に人として彼が好きだからだ。
それにしても、全員が仮面を被り誰が誰かもわからない状態だと言うのに、ただ歩いている背中だけでも目を引く人だった。
もう見えなくなってしまっているというのに、彼が進んだ方向をぼんやりと見つめていると、スイレンを呼びに来たこの邸の下男から声を掛けられた。
「……スイレンさん。主人がお呼びです」
「あっ……はい! すぐに行きます」
驚いた声に目立ってしまったかと慌てて見回したが、周囲は仮面舞踏会で特に気にする様子もない。スイレンはほっと息をついて彼の後を着いて行った。
今はもう寒い季節で、腕のないドレス姿では寒かった。とは言え、今夜の依頼主がそこに居てスイレンを呼んでいるとなれば彼女は行くしかない。
美しく整えられた庭は広く、東屋の見えるあたりには中の島へと橋のかかる大きな池もあるようだ。
下男から目配せをされた場所には、数人の貴族令嬢たちが待ち構えて、やって来たスイレンを一斉に睨み付けた。全員が仮面を付け、顔を判別出来なかった。
「え……あの?」
スイレンを連れて来た下男は彼女たちの前に一礼をすると、そそくさと去って行った。まるで、自分だけは巻き込まれたくないと言わんばかりに。
「まあ! これが、リカルド様の恋人なの……? 全然っ、大した事ないわ。あのイジェマ様なら、確かにお似合いだったと思うけど……とても嫌な女だったけど」
「本当ね。少々外見が可愛いからと、この平民にリカルド様はきっと騙されているんだわ。そこの貴女、お金はいくら必要なの? 彼から騙し取ろうとしている金額を言えば、私が十分に用意してあげましょう」
「まっ……待ってください。私はお金なんて……」
何か誤解している様子のスイレンは慌ててそう言ったが、彼女たちは口汚く罵るばかりで、何をどう言おうと聞いてくれそうもない。
(どういうことなの……? もしかして、彼女たちはリカルド様を好きだから、私の事が嫌いなのかしら?)
この場所には、仕事の話で来ているはずと困惑したスイレンは黙り込み俯いた。何も言わぬ彼女を見た令嬢の一人は面白くなかったのか、腕を引っ張りあろうことか池の中へと彼女を押した。
冷たい水に落ち派手な水音がして浅い池の中で座り込んだスイレンが呆然としていると、彼女たちは軽やかな笑い声で楽しそうに笑った。
「ふふふ! これは身の程知らずの平民には、お似合いの姿ね。汚らしいどぶ鼠のよう。傑作だわ。カトリーヌ様にもぜひお見せしたかったくらい」
「そうねえ。絵を描かせても良かったわ。あの方にきっと喜んでいただけるでしょう」
「……そこの者。今夜はご苦労だったわ。これが謝礼よ」
今夜仕事だと理由を付け、スイレンを呼び出したらしいこの邸の令嬢が素っ気なく言うと、何枚かの金貨をそのまま地面に投げつけて、笑いさざめく令嬢たちは去って行った。
(ああ……お姫様の……そうなのね)
リカルドは今、この国には居ない。彼のことを好きだと公言している世継ぎのお姫様が、彼でないとと護衛に指名したらしいと聞いた。
リカルドも彼の妹クラリスも、お金の心配など要らないからスイレンが働く必要はないと常々言っていた。だと言うのに、自分で働きたいと仕事を強行したのはスイレンだ。
長年住んでいた叔母の家では、スイレンは必要とされたことなどなく、邪魔者だった。
だから、仕事を通じて自分が認めて貰えるのが本当に嬉しかった。一度認めてもらえたら、もっともっととやり甲斐を求めてしまった。
彼ら二人はスイレンがこうなってしまう事を、心配していたのかもしれない。スイレンの弱い立場では、貴族令嬢に逆らえるはずもない。
(どうしよう……けど、もしリカルド様やクラリス様に知られれば、もう外でお仕事をさせてもらえないかもしれない)
こんな格好のままでリカルドと住む家へ戻れば、知られてしまうかもしれない。
遅い時間で通いのテレザは居なくても、周囲には多くの知り合いが住んでいるので、こんな情けない姿を見られてしまうかもしれない。
ガーディナー商会で貸してもらえた可愛いドレスもびしょ濡れで、何かを説明しなければならないが、これをどう言って説明して良いのかわからない。
彼女たちに罵られ池に落とされたことよりも、これでもう自分の仕事が出来なくなるかもしれないと思うと、スイレンはひどく悲しくなり涙が出てきてしまった。
(どうしよう……このままだと、家に帰れない……どうしたら)
冷たい池の中で動けずに顔を覆い蹲って泣いていたら、力強い腕がスイレンの体を抱き上げた。




