4-9 宝石の正体
とにかく風が吹いて来る方向に向かって歩いてみようとスイレンに言ったリカルドは、手を繋いで歩幅を合わせてくれた。彼がいつも歩いている速度からすると、じれったいくらいなのに。
「リカルド様、さっきのこと気にしてます? 大丈夫ですよ。そんなに、ゆっくりした速度でなくても」
ふふっと微笑んだスイレンが背の高い彼を見上げれば、視線を合わせたリカルドはなんとも言えない顔になった。
「……今思うと、こうしたことに全く気が利かなかった自分が本当に嫌だ。イジェマも、敢えて言わなかっただけで。俺のこういうところが、嫌だったのかもしれないな」
長年一緒に居たもののあまり仲が良かったとは言えない元婚約者の名前を出して、リカルドは悔いるようにそう言った。心細そうに見える彼の手を、スイレンはぎゅっと握りしめた。
「あの、リカルド様とイジェマ様が上手く行かなかったのは、単に二人の相性の問題だと思います。イジェマ様は求めるものがはっきりしている女性なので、自分が何も言わずとも汲み取ってくれる男性の方が合っていたのかもしれません。けど、私はそういうリカルド様だったことを、喜んでしまっているんです」
「……スイレンが? どうしてだ?」
リカルドはスイレンが自分が今まで気が利かったかったという事実を喜んでしまったと言ったことを、心底不思議そうにしてした。
(リカルド様は、別に鈍感だという訳でもなんでもない。きっと、幼い頃からイジェマ様と未来に結婚するって、そう定められていたから。そんな自分が、彼女以外に目を向けることはいけないと思って振る舞いを律して来たんだ。けれど、彼女と恋愛するには、相性が合わなかった。でも……)
「リカルド様って……これまで恋愛したことのない、初心者なんだと思います。私も貴方のことを初めて好きになったから。同じなんです。だから、考えていることがなんとなくわかるんです。好きだからこそ、何でもないことに、なんだかもやもやしてしまったり……仕方ないとわかっていても他の異性には、近寄って欲しくなかったり。けど、相手の自由を縛りたくはなかったり……?」
人生初めての経験に戸惑っているリカルドに、スイレンは自分もそういう悩みを抱えていると伝えたかった。
例え永遠の愛を誓い合っていたとしても、その相手は個々に考えを持つ人間だ。愛するからこそ、自由で居て欲しい。自分が好きだったらこうしろと、何か行動を縛ってしまうことはしたくない。
リカルドはこれまでにも、いくつかの小さな不満を感じつつも、何も言わなかったのは自分の主張が悪い考えなのだと思い込んでいたからだ。嫉妬をして自分勝手な考えを、何も悪くないスイレンにぶつけたくはなかったのだろう。
(真面目……なんだよね。リカルド様って)
彼の姿を見て一目惚れしてしまったスイレンは、彼の持つ整った容姿だけではなくてリカルドのことを、知れば知る程好きになってしまった。
ひどく印象的な真っ直ぐな眼差しも、リカルドが真面目でこれまでに自身に後ろ暗いところを持っていないからこそ持ち得るものだった。
「うん。そうだよ……スイレンの言う通りだ。俺も、きっとそうだと思う。ブレンダンは正々堂々と告白して、君にはっきりと振られている。そのことは、確かに理解している。だけど、心の中がもやもやするのは、理屈じゃないんだ。あいつは、何も悪くない。今回の旅行だって、来たくなかったかもしれないけど、俺たちの気持ちを考えてなんでもない振りをして来てくれたのかもしれない。優しいことは、誰より知っている。でも、スイレンは、俺の恋人だから……誰にも触らせたくないと、そう思ってしまったんだ」
信頼しているブレンダンにスイレンがそうしてしまった行動もただの勘違いで何もないと理解してはいても、不満に思ってしまう自分自身にようやく折り合いがついたのか。リカルドは、大きく溜め息をついた。
「リカルド様って、本当に真面目なんですね」
くすくすと笑ったスイレンに、リカルドは面白くない表情になった。
「いけないか。産まれ持った元々の性格は、変えようがない。それに、嫉妬の気持ちは抑えようがないよ。俺は、スイレンが好きなんだ」
真正面から彼にこうして言って貰っても、スイレンはどこかまだ信じられない。彼と居るだけでふわふわとした夢の中の空間に、居るようなのだ。
(リカルド様が、私のこと好きって言ってる……今もなんだか、不思議)
あまりに非現実過ぎて自分ではない誰かのことを言っているような俯瞰した自分と、走り出して逃げたくなるくらいに恥ずかしくて堪らないけど、逃げたくないという相反した考えを持つ自分がいた。
スイレンの心の中で、いろんな想いが色を変えて交じり合い鬩ぎ合うのだ。
「……夢みたい」
ぽつりと呟いたスイレンに、リカルドは良くわからないと首を傾げて笑った。
「なんでそうなるんだ。俺がヴェリエフェンディに連れて来て、もう数か月経った。もし、そうだとしたら余りに長過ぎる夢だよ。スイレン」
(リカルド様は……自分のことだから当たり前だけど、自分が持っているものが周囲から見れば、何もかもが凄くて。常人が早々に持てるものではないということを、それ程意識していないのかもしれない。けど、彼くらい何もかもを持っていて……それでも、まだ何か……不安に思ったりすることが、私には信じられない)
「恋に落ちた人は……もしかしたら、全員が。そういうやるせない想いを、持て余しているのかもしれないですね」
誰からも、求められるようなものを持っている人。世界一の大富豪も、大国の王様も。彼らだって本気の恋に落ちた時には、スイレンと同じような切ない想いを持て余しているのかと思えば、どこか気持ちが楽になるような気がした。
「……自分以外の心は誰にも、縛ることは出来ない。スイレンの心は、スイレンのものだから。俺はこれから先も傍に居てくれたら良いと、自分が死んでしまうまで願い続けるしかないんだと思うよ」
手を握ったまま歩くリカルドは前を見て、どこか遠い目をしてそう言った。
◇◆◇
二人が長い洞窟の道を行き止まりまで歩いた時、海側へと続く風穴が上方に見えたものの、それを通り抜けることは無理そうだった。
そして、リカルドは海へと続く水場の底に、光苔の青い光に反射し煌めいている無数の石に目を留めた。
「……凄い……人魚の泪だ……こんなに沢山あるのは、俺も初めて見た……」
底一杯に広がる石は、明らかに普通の石とは違った。職人に研磨され加工もされていないのに、既にキラキラとして美しい。
「人魚の泪……ですか?」
不思議そうに言ったスイレンに、リカルドはその石の謂れについて教えてくれた。
「南の海に住む人魚の零す泪は、とても美しい結晶になるんだ。希少価値が高く、高額で取引されている。けど、ここは彼らの生息地とは、だいぶ離れたところになるから……もしかしたら、一人の人魚が何かあって、ここまで流されてしまったのかもしれないな」
膝をついて宝石を手にしたリカルドは難しい表情であるはずのないものが、この島にあった経緯を推理した。
(故郷から、流されて……泪を流した。こんなに沢山の数……たった一人で。どんなに辛かったんだろう)
とても数え切れない程の人魚の泪の結晶を見て、スイレンは顔を曇らせた。同胞が誰も居ない場所に流された人魚よりも、まだ数か月前のスイレンの方がマシな境遇だったのかもしれない。
けれど、スイレンは自分が孤独だった時の辛さを思えば、この泪の結晶がどれだけ高価な宝石だろうと、それで得をしようとはどうしても思えなかった。
「あの……今回の宝探しの目的は、きっとこれを見つけたら終わり……ですよね。けど、私は……誰かの悲しみを……宝だと言ってお金に換えるなんて、したくないです」
「スイレン?」
手に結晶を載せて観察していたリカルドは驚いた顔をして、スイレンを振り返った。
「ガヴェアの王都に住んでいた時、あの街には数多くの人が居たのに……私は、両親が亡くなってからずっと孤独でした。リカルド様に会えてなかったら、今もきっとそうだったと思います。だから、誰かが一人で居る事が辛くて流した泪を、お金に換えたくはないんです」
手に持っていた結晶を水の中へ戻してリカルドは立ち上がり、美しい光景の正体を知り立ち尽くしていたスイレンの肩を抱いた。
「……わかったよ。ごめん。俺が、誰かの泪がお金になると言ったから。無神経だった。スイレンが嫌だと思ったら、すぐにそう言って欲しい。俺と君は、育った環境がまるで違う。何を見てどう思うか、それぞれ違うんだ。けど、俺はスイレンの考えを理解したい。すぐには、無理かもしれないけど……これから。誰よりも、わかりあいたいんだ」




