4-4 餌
二人が別荘のすぐ前にある砂浜に出て来た後、自分の水着に着替えて半裸になっていたリカルドは、海に着くまでにまた面白がって揶揄って来たエディとじゃれ合うようにして、砂浜を走りそのまま海に入って行ってしまった。
「ナイジェル様。こんにちは。暑いですね……」
残されてしまったスイレンは、日陰を作るための大きな布で出来た傘を一人で広げていたナイジェルに近付いて挨拶をした。
「スイレンさんは、こうやって海で泳いだことあるの?」
「いいえ。私は海のないガヴェアで生まれ育ったし王都からも出たことがなかったんです……なので、この年齢になって、初めて海も見たくらいなんです」
気が利く性格のような彼は、影になった場所にあらかじめ持って来ていた小さな椅子を出してくれた。会釈をしつつ座れば、ナイジェルは微笑んで海の方向を見た。
「……そうか。確かにガヴェアは、地理的に海に接していなくて内陸だよね。ガヴェアの人って、魚はどうやって食べてるの?」
海がないのに海産物はどうやって食べているのだろうかと、ナイジェルは不思議に思ったようだった。
「釣り上げられた時に鮮度を損なわない保存の魔法がかけられているので、そうしたお魚は市場で普通に売られていますよ」
とは言っても、輸送費などでそれなりの値段のする魚は、幼い頃保護者を亡くし叔母から冷遇されていたスイレンの口に入ることはほぼなかった。
ただ、そうした大きな市場には花の種を購入しに、スイレンは定期的に通っていたのだ。
「へー! 流石、魔法大国ガヴェアだ。ヴェリエフェンディでは、便利な魔道具ばっかり進化していってるから。そんな魔法が今も使えたら、きっと便利だろうなあ……魔法を使うには適性もあるし、魔力も高める必要もある。俺たちも魔法については一応騎士学校時代に専門の訓練は受けたけど、使えるのは特性の合うものを少しくらいなんだ。スイレンさんの花魔法も、凄く綺麗だと聞いてるよ。また機会があれば、見せて」
「ええ。もちろんです」
ふふっと嬉しそうに微笑んだスイレンは、ナイジェルのすぐ目の前に彼の竜パトリックの鱗と同じ水色の花を咲かせた。ポンポンと次々に周囲に花開く光景を見て、ナイジェルはほうっと息をついた。
「わ! す……すごい。これか……話には聞いていたけど、本当に綺麗だ……ん?」
産まれて初めて目にした花魔法に感動した様子のナイジェルは唐突に何かに気が付いて、海へと目を向けた。
海に仰向けに浮かんでいるエディの近くに、何か大きな魚のようなものが迫っていくのが見えて、もしかしたらあれはとても危険な魔物なのではないかと、スイレンは思わず悲鳴を上げそうになった。
一瞬の内に、海面から大きな黒い魚を咥えた水竜が頭を出して、彼が契約している竜騎士のナイジェルにパッと視線を向けた。
「はは……おお。良くやったな。あれ、美味しいって噂の希少な巨大魚なんですよ。パトリックは、こっちまで追い込んで、エディを餌にしてやったって言ってる」
「まあ……ふふっ」
パトリックは一度海の中へと深く潜ってから、勢いを付けて海面を突き刺すようにして空へと飛んだ。そして、一度砂浜に巨大魚を置きに来ると、すぐにまた海へと戻って行ってしまった。
「俺のパトリックは水竜で、自分の持つ属性に合う水中の方が動きが早いんです。水の中を魚のように移動出来る分、空を飛行するのは、少し苦手ではあるんですけど」
黒い巨大魚をまるで戦利品のようにして自分の前に置かれたナイジェルは、困ったように垂れた目尻をより下に下げるようにして笑った。
(そういえば、今日ここまでに来た時に高速飛行を終えるのもパトリックが一番遅かった。あれはそういう、訳だったんだ)
スイレンがこの前にパトリックに乗せて貰った時にも、ワーウィックに乗り慣れているスイレンもあまり気にはならない程度の速度ではだった。けれど、そういった移動速度が物を言う高速移動ではどうしても差が産まれてしまうものなのかもしれない。
「あのっ……すみません。先にお礼を言わなければならなかったんですが、私。パトリックに、この前に助けて貰ったんです。本当にありがとうございました」
頭を下げたスイレンに、巨大魚を点検していたナイジェルは顔をだけ振り返って微笑んだ。
「いや。あいつは俺の所有物ではないので、俺にそういう礼は要りませんよ。パトリックが、自分と仲の良いワーウィックの頼みを聞いただけですし。あの時はリカルド達は急ぎの出撃だったので、大変でしたね」
スイレンがパトリックに助けて貰った状況は詳しく聞いていない様子のナイジェルは、巨大魚の方へとまた目を向けてそう言った。
(あ。パトリックは、ナイジェルに何も言ってないんだ。ライデン様の姿を、見ているのに)
迎えが来るまではとパトリックが来るまで、一緒に居てくれたライデンヴァーガルは人型であったものの彼の正体はきっとパトリックにはわかっていたはずだ。けれど、心の通じ合うナイジェルにはその事をまだ言っていないらしい。
「……ええ。ようやく、落ち着いたみたいで、本当に良かったです」
リカルドによると、いよいよ開戦したかと思われた戦争は、なんと一日にして終結してしまった。
歴史的にも初めてのことで、ある程度の時間拘束されると思っていたので、正式な報告を受けた後も罠だったのではないかと疑っていたらしい。
スイレンはナイジェルにどこまで言って良いものか迷いつつ、リカルドも何も言っていないなら何も言わない方が良いだろうと判断し無難に返事をした。
「隣国のイルドギァはかなり昔から同盟国なんで、救援を求められれば俺たちも出ない訳には、いかなくて……けど、逆にこちらが危険な時も来てくれるんで、それは凄く……心強いですけどね」
「……あの、ナイジェル様。何か、手を振ってますけど」
二人が話している間にいつの間にか大きく移動していたリカルドとエディは、何かを伝えたいとばかりに大きく両手を手を振っている。
スイレンに指差される前に、ナイジェルには彼の竜が何かを伝えているのか。どこか空を見るようにしている彼は、すっくと立ち上がった。
「……なんか、この島の中に続く洞窟の入り口を、見つけたらしいです。今から夕食の時間まで、ちょっと入って冒険して来るからって……あいつら」
ナイジェルは、呆れたようにして大きく息をついた。
リカルドとエディと竜と竜、そして、ナイジェルが心の中で伝言ゲームをしたらしい。
確かにこうして離れたところでもすぐに意志を伝え合うことが出来るというのは、彼らの職務上も便利そうだ。
「ふふ。リカルド様。楽しそう。なんだか、皆さんの前ではリカルド様が途端に子どもに戻りますね」
エディに続いて大きく張り出した岩の向こう側に消えていくリカルドは、いつも彼では見たことがないくらいにはしゃいだ様子だった。
「……逆に俺はスイレンさんの前での、あいつを見てみたいです。知っているとは思いますけど、貴女がリカルドの最初の恋人なんで、俺たちもずっと揶揄えるの楽しみにしていたんですよね」
「けど、イジェマ様が……」
リカルドには幼い頃から婚約者が居たはずだと、スイレンが首を傾げればナイジェルは首を振った。
「ああ。まあ……確かに、本当に綺麗な女性でしたけどね。俺も一度だけ、必要があって話したんですけど。すごく拘りが強そうな人な上に気の強さもあるみたいで、彼女とリカルドは合わなそうな人だなと思いました。けど、スイレンさんとはすごく相性が良さそうで、俺も安心しました。あいつは、凄く優しいけど不器用だから。貴女のような芯の強い人の方が、多分良いと思います」
ナイジェルは海の方向を見て、そう言った。すぐに巨大魚のことを自分の竜から聞いたらしいレオが現れたので、二人で担ぎ上げると別荘まで運び込んでいた。




