3-7 キス
「絶対に、言えないのか?」
しばらく二人で見つめ合い、ようやく口を開いたリカルドは何度目かの質問を繰り返した。
「ダメです。ごめんなさい。私からは、言えないんです」
問い掛けて来るリカルドは、スイレンが絶対に言わないとわかっているはずだ。こうして迫られたからとワーウィックとの約束を軽々しく破ってしまうような性格ではないと、彼が一番に理解しているだろう。
「じゃあ、スイレンが言うまでキスをする」
リカルドの顔が近付いて来たと思った瞬間と、彼の唇が触れ合ったのは同時だった。熱い舌はスイレンの上下の唇を割り開くようにして、我が者顔で入りこんで来た。
このところ忙しかったリカルドとの久しぶりのキスに必死で応えながら、スイレンは大した時間も置かずに、彼とこうしている事以外、もう何も考えられなくなっていた。
熱い粘膜である舌を擦り合わせ、互いの唾液を飲み合っているだけだというのに、ただそれだけなのに。どうしても、こういうことをするのは彼だけしか嫌だと思ってしまった。
いつの間にか体の向きは変えられ横に向き合って抱き竦められていて、リカルドはやっと顔を離した。荒い息をついているスイレンに対して、彼は涼しい表情をしている。
(どうして……体力差、なのかな……)
自分たちはお互いにしか、こういうことをしたことがないはずなのに。同じ回数をこなした彼だけキスが上手になっているような気がして、スイレンは少しだけ納得がいかない気持ちになった。
「言う気になった……?」
リカルドもこの行為を繰り返すだけの言葉遊びがしたいだけで、ワーウィックたちが隠している内容が本当に知りたかったという訳ではなかったらしい。
「ダメです……まっ、待ってください。リカルド様って、自分だけキスが上手になってないですか……?」
スイレンはまた唇を近付けようとしたリカルドを止めようにして、慌てて自分の両手で口を覆った。
「俺だけが、キスが上手くなった? 自分では、わからない。君も前から知っての通り、俺はスイレンだけだし。初めての時から結構数をこなしたから、多少は上手くなってもおかしくないとは思うけど……」
リカルドはここでスイレンにこうした事を言われるとは思っていなかったのか、顔を間近に近付けたままで戸惑った様子になった。
「私は。まだ呼吸もままならないのに、ずるいです……」
口に両手を置いたまま上目遣いで自分を見つめるスイレンに、リカルドはふはっと吹き出した。
「それは、ずるいって言うのか……じゃあ、練習しよう。スイレン。俺と、キスの練習」
「練習ですか? それって、どういうことするんですか?」
こうして普通にキスをするだけではダメなのかとスイレンが不思議に思うと、リカルドは彼女の肌に息の掛かりそうなくらいの近い距離で頷いた。
「うん。まあ……確かに俺も経験はあまりないんだけど、スイレンがキスを上手くなりたいのなら……協力する」
「呼吸、楽になります?」
やっと自分の口から手を離したスイレンは、すぐ傍にあった彼の大きな手に指を絡ませた。
(……手のひらの、皮膚が硬い……これが、リカルド様の頑張っていた証拠なんだよね……)
リカルドと手を繋ぐ度に、スイレンは彼がどれだけ強い思いで努力を続け、竜騎士の一人になったのかと自分は知らぬ過去の日々に、どうしても想いを馳せてしまうのだ。
この国ヴェリエフェンディの貴族は、古い歴史を持つ守護竜を戴く国の世情は安定しているため、領主同士のいざこざなども少ない。宮廷などには良くある権力争いもあるらしいが、彼の持つ爵位デュマース家は建国から王に仕える貴族で、領地は広く実りも多い。そういった理由で彼は特に何もせずとも、楽に生きられた。
それなのに、幼かった彼は国を守る竜騎士に憧れ、非常に狭き門を潜り抜け見事にその夢を叶えたのだ。
「ふっ……息をしづらかった? 気が付かなかった。ごめん」
「……なんだか、空気が足りなくなって……何も、考えられなくなるんです。リカルド様と、キスしていること以外何も考えられなくなるんです……」
スイレンがキスをしている間に自分が思っていた問題点を提示すると、リカルドはきょとんとした表情になりすぐに笑った。
「それって、キスしている時には普通の反応だとは思うけど……俺も、キスをしている間は、スイレンと同じことしか考えてないよ」
「そうなんですか?」
「うん……スイレン、手を離してくれる? このままだと、キスが出来ない」
スイレンがリカルドの右手に指を絡ませ、左手は身体の下に回り背中を押さえている。このままだと、彼が思うように動くことは難しい。
けれど、リカルドはスイレンが握る手を無理に解くこともしたくないようだ。
(リカルド様は、いつも私が何をしたいかを一番に優先してくれるけど……自分のことは良いのかな)
リカルドは出会った時からずっと変わらず優しく、自分のことよりも、スイレンの希望を大事にする。多少言葉足らずな面は相変わらずあるものの、スイレンが素直に聞けば、それも伝わっていなかったのかと反省してくれるようになった。
わかってくれているはずという勝手な思い込みと自分の言葉が足りなかったせいで、スイレンに一度家を出て行かれてしまったことが思ったより彼の心の傷になっているのかもしれない。
「キスの練習って……具体的には、どういうことをするんですか?」
「君の満足いくように、何度でもしよう。息を上手く吸えるようになるまで」
リカルドは回数を重ねる以外に何か方法はあるのかと、不思議そうにスイレンを見た。
「……色々、聞いているんじゃないですか?」
リカルドは最初スイレンとした時にも自分は体験したことこそないものの、色々と先輩なんかにそういった話は聞いていると言っていたはずだ。真面目で可愛い彼に少しだけ意地悪したくなったスイレンは、指を絡ませ繋いでいた手により力を入れた。
「うん。それは、確かに聞いてるけど。こんなに小さくてか弱いスイレンに、それをしてしまって良いのか。俺には、まだわからなくて」
照れつつリカルドが何を言わんとしているのか、理解したスイレンは顔をまた赤くした。
「私は、キスだけの話をしてるんですっ……」
「え。そうだった?」
にやっと笑って繋いでいた手に力を入れたリカルドに意地悪し返されたことを知ったスイレンは、赤い顔のままで口を尖らせた。
「リカルド様、変わりました。もっと……なんだか、慣れない様子だったのに」
「一緒の家に住んでいる君と、こうして何度もしていれば、流石に俺だって少しは慣れるよ。スイレン。ごめん……怒った?」
不安そうな表情でリカルドに問われれば、スイレンは何だって許してしまいそうになる。
(リカルド様は、ずるい……私は、彼にこう言われれば許すしかないのに)
「……キスの練習の仕方も、聞いてきてください」
「スイレンが、そう言うなら。誰に聞こうかな……キスが、上手いって言えば……」
そう言いつつ誰かの顔が思い浮かんだのか、リカルドは楽し気な表情になり喉を鳴らした。
「……なんですか?」
何か思い付いたようなリカルドに、スイレンは不思議に思い顔を向けた。
「いや。ちゃんと、君に言われた通りに聞いてみるよ……ごめん。今夜はもう眠ろう。俺、明日早いんだ。スイレンも、早くから仕事だろう?」
「……はい」
そう言ってリカルドは魔道具の部屋の灯りを消して、スイレンを抱きしめたまま、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。
「リカルド様」
そう呼び掛けても、このところの疲れが溜まっていたのか目を閉じてすぐに寝入ってしまった彼は起きない。
(寝つきが良いのは……良い事だけど。もう、リカルド様寝ちゃったんだ。忙しそうだったし疲れているものね)
先程のキスの続きがしたいと言いたくても言えなかったスイレンは、自分が行為を止めたことをわかりつつ不満な気持ちになってしまうことを抑えられなかった。
小さく溜め息をつき、もぞもぞと彼の逞しい腕の中で動いて、自分も眠りにつくために姿勢を整えた。




