5 夢(Side Ricardo)
(イクエイアス。お願いだよ)
何度も繰り返されたワーウィックのおねだりに、この国を守護するという契約を初代王と交わしている白い上位竜は、困惑しているようだった。
ワーウィックの隣で彼を見上げているリカルドは、この状況に何も言えなかった。
確かに自分の竜ワーウィックが、先の大戦でどれだけの目覚ましい活躍をしたというのは相棒のリカルドが一番に理解しているからだ。
戦勝の記念に褒美をというイクエイアスの申し出も(思いついたらね)と、濁していた赤い竜が願ったのは、人化の魔法を使えるようになることだった。
(ワーウィック……そうは言っても、あれは体に負担がかかってしまう。いくら能力も高く優秀だとは言え、成竜になったばかりのお前にはまだ早い。使いこなせないだろう)
イクエイアスは、ワーウィックに人化の魔法を授けることに難色を示していた。
(そのまま……断ってくれないかな)
リカルドは神妙な顔を崩さないままに、内心そう思っていた。
甘え上手なワーウィックのことだ。人化出来るようになれば、お気に入りのスイレンの傍に入り浸るのは目に見えていた。
これからスイレンとの時間を大切にしたいと考えているリカルドには、邪魔以外何物でもない。
(僕は、使いこなせるよ。イクエイアス! お願いだから、人化したいんだ!)
繰り返される真っ直ぐなお願いに、ついにイクエイアスは折れた。どんな説得を試みても、諦めないワーウィックに根負けしたとも言う。
何度か人化の魔法を練習していると、もう日は暮れていた。
今日はスイレンに早く戻ると言っていたので、途中で先に帰って良いかリカルドが聞くと、(スイレンを驚かせたいからだめ)と、良くわからない理由で引き留められた。
大きく溜め息をついたところで、時計の針は止まってくれない。高山に行った日から、体調を崩しているスイレンのことが心配だった。
帰宅するとまだベッドに横になっていたスイレンと会うなり、彼女に抱き着いたワーウィックを引き剥がし、人化出来るようになった経緯を説明した。
スイレンは、人化した男の子ワーウィックを見て目を輝かせて喜んだ。
その姿を見て、リカルドは微妙な気持ちになってしまう。
救いなのはワーウィックの姿が、幼い少年だということだろうか。これで自分と同じ年頃だったりすれば、色々と耐えられそうにない。
視覚的にも、それに気持ちの面でも。
「……ブレンダンの実家で、働く?」
夕食時にスイレンの言葉を聞いて、思わず眉を顰めてしまったのをリカルドは自分でも感じた。
スイレンはそんな表情を見て、緊張している様子だ。心配だからと働くことを反対をすれば、ワーウィックに完璧な反論をされて、頭に血が上り思わず自分の部屋に戻って来てしまった。
だが、なんであんな事を言ってしまったのかという後悔だけが、リカルドの頭の中をぐるぐると回っていた。優しく真面目なスイレンだって、金さえ出せば何でも許されると思っていたリカルドの浅はかな思い込みに、呆れてしまったかもしれない。
リカルドの部屋にまで来て話の続きをしてくれたスイレンは、リカルドが思っていたより働きたいという気持ちは純粋で、そして真っ直ぐで誠実だった。
頭ごなしに反対をしてしまったリカルドを責めるでもなく、自分がどうしたいかをきちんと説明し、それでいてちゃんとリカルド側の意見を聞いてくれる姿勢を見せてくれた。
(こんなに良い子に……俺は、なんてことを言ってしまったんだ)
あまりに健気なスイレンに、ガツンと頭を叩かれた思いだった。自分を信頼して、じっと見上げてくれる若草色の瞳に応えたかった。
「スイレン……もう少し、もう少しだけ待ってほしい。そうしたら、君に言いたいことがある」
リカルドはその言葉を絞り出すだけで、精一杯だった。
幼い頃から決められた婚約者もいて、十代はひたすら竜騎士になるために鍛錬をしてきた。そして竜騎士になり、以来ずっと多忙だったリカルドは恋愛ごとに対してはめっきり疎い。
好意的な想いを向けたリカルドにこう言われたことで、今の状態では何の約束もあげることの出来ないスイレンがどう思うか。どう行動するかなんて、考えられなかった。
ただただ、リカルドは自分の元から、今にも飛び立ってしまいそうな彼女を繋ぎ止めるものを必死で探した結果、出てきた言葉がこれしかなかった。
◇◆◇
やっと、待ち構えていた手紙が来た。
イジェマの父親のパーマー家の当主から、ある程度の条件を提示されてはいるが、やっと二人の婚約解消に前向きな返事を貰えたのだ。
リカルドは喜びに飛び上がりそうな気持ちを抑えながら感動していると、自室の扉を叩く音に気がついて顔を出したスイレンに夕食に呼ばれた。
それに頷いてから夕食を取る前に了承の返事だけでも書いてしまおうと、リカルドは机へと向かった。
待ちに待った、イジェマとの婚約解消の時まで、もうすぐだった。これさえ終わってしまえば、何の気兼ねなくスイレンに想いを告げることが出来る。
そう思って、リカルドの心は浮き立っていた。
「あら。今日は、随分上機嫌じゃない。私の前で、リカルドがそんな表情をしているのを見るのは、初めてだわ」
仕事の合間に城の庭園で待ち合わせて、イジェマと婚約解消のための相談をする。
イジェマはリカルドとの婚約解消後、恋人であるジャック・ロイドと結婚するからと父親を説得して、それも上手く行っているようだ。
婚約中に恋人を持つことは、この国の貴族には良くあることとは言え、デュマース家とロイド家は貴族としての格も歴史もそう変わらない。
貴族としての打算もあるだろうが、父親としては愛する娘が好きな相手と結ばれることを選んだのかもしれない。
「……俺が、随分な人でなしに聞こえるようなこと言わないでくれよ」
まかり間違って、スイレンに伝わったらどうしてくれるんだと思った。
婚約者のイジェマに会う時に、人目があるこの庭園を選んだのも密室で何をしているんだという妙な誤解をされたくなかったからだ。
イジェマはリカルドの反応を見て面白そうに扇の下で笑うと、宝石のように美しいと例えられる青い瞳でリカルドを見上げた。
「幼い頃から、ずっと。私に会う時は、ずっと仏頂面だったじゃない。でも、そうね、貴方にも、かわいい人が現れて。私は本当に良かったと思っているわ。心からね」
「それはどうも」
言葉の割には心が篭っていなさそうなイジェマの発言にすげなく頷くと、リカルドはふっと辺りを見た。
何故か。花の良い匂いがして、家に居るはずのスイレンが近くに居たような、そんな気がしたからだ。
辺りには庭師が丹精込めた花々が咲き誇り、強い風が舞った。これだけ沢山の花が咲いていれば、スイレンが纏っているのに近い良い匂いのする花もあるのかもしれない。
リカルドは気のせいかと思い直し、婚約解消に向けての計画をイジェマと話し合った。
◇◆◇
リカルドは、夢にまで見た書類に直筆で名前を書いた。婚約解消の届け出を少しでも早く出したいからと、本邸にまで呼び出していたイジェマの名前を書かれた時には、万感の思いだった。
「この書類。私が帰りに貴族院に提出しておいてあげましょうか?」
さっぱりとしたイジェマがそう言ってくれたので、リカルドは彼女の言葉に頷いた。
彼女は、もうこれで私には用ないわよね、と言って足早に去って行った。
婚約解消の書類は、薄っぺらな紙一枚だ。だがその書類に辿り着くまでの困難を考えたら、胸に来るものがあった。
パーマー家に支払った婚約解消の代償は、それなりに多額ではあったが、別に家が傾くほどの額でもない。竜騎士の俸給は莫大だし、デュマース家の領地だって潤っている。その後の事を思えば、何も惜しくはなかった。
それもこれも。全てはあのスイレンに、今まで言えなかった思いを告白するためだ。
檻の中で会って以来、リカルドの心はずっとスイレンに囚われているままだ。
彼女の持つ愛らしい姿もそうだが、穏やかな性格や、それなのに自分の芯をきちんと持っているところ。ひとつひとつ彼女を知れば知るほど、リカルドはより魅了されていってしまった。
このところ、何故かスイレンは憂い顔が多くなり、妙に頼りなげに見えて変な色気も感じさせるようになってきた。
もしかしたら、現在働いている先で、他の誰かに目をつけられているのかもしれないと思うとリカルドは気が気ではなかった。
けれど、やっと名実共にスイレンをリカルドのものにすることが出来る。
やたらと女の子に好かれるブレンダンと、接触が増えているのが気になってはいた。
最近のブレンダンは、あんなに嬉しそうにしていた女の子の誘いに乗らなくなってしまっているようだ。もしかしたら、ブレンダンもスイレンに本気なのかもしれないと思うと気が急いた。
今日は、テレザに朝頼んでスイレンの好きだと言っていた煮込み料理を作ってくれているはずだった。
想いを告げる前に、少しでも彼女の気持ちを上向きにして置きたい。
リカルドは家に帰る前に、花屋に行って花も買って帰ろうと思った。
(いや……良く考えたら、スイレンは自分でいつでも好きな花を出せるのだから、花は要らないよな……いやでも、告白もまだなのにアクセサリーは重くないだろう)
そんなことを考えながら、帰りの馬車の中可愛い彼女との未来を夢見ていた。




