2 初恋(Side Ricardo)
(はー……めちゃくちゃ、可愛いなぁ)
物好きな可愛い女の子は、あれから早朝に顔を出してくれるようになった。
雨に打たれて帰ることになった、あの日。風邪でも引いていないかと、ただ心配でリカルドは心ここに在らずだった。
だが、翌朝にもまたひょこっと現れてくれて、リカルドは元気な姿を見て心から安堵した。
あまり、お喋りな方ではないのか。途切れ途切れ話すその姿が可愛く思えて、彼女の細い体を抱きしめたくて堪らなかった。
「あの……これは、南国の花であんまり手に入らない種なんです。この前、いつも仕入れをするお店の人に特別に譲って頂いて……とっても、綺麗なんですよ。あの、ぜひ見ていただきたくて……」
花籠を地面に置いてから、そう言いながら手に一粒の種を載せ、目を閉じて意識を集中させた。すると種は発芽し、みるみる内に大きな花を咲かせた。
リカルドは産まれて初めて見た不思議な魔法に目を見張り、女の子はふふっと照れたようにして笑った。
実はリカルドは彼女の手にする派手な花を、見たことがあった。
以前、南国を旅した時に群生していたのを見かけたことがあったからだ。
(一輪だけでも、こんなに嬉しそうだ……あの広い花畑を見せてあげられたら、どんなに喜んでくれるんだろう)
一瞬だけ、その光景がリカルドの頭を横切った。ワーウィックに乗って、彼女をあの南国にまで連れて行く。それは、実現しない夢だった。
(いや。俺にはもう……到底、無理な話だ。ワーウィックも……あれだけの大怪我をしていたら、当分飛ぶことが出来ないだろうし……)
祖国に保護されているはずの、自分の竜のことを思った。
竜騎士の契約を交わしているので、生きているか死んでいるかくらいは流石に離れていてもわかった。心の中が、ワーウィックと繋がっているのだ。長い距離があるため、その声は聞こえないが。
心の中でいつも騒がしい奴だったが、あの声がもう聞こえないとなると、寂しくもあった。
(今の自分の心の声を聞いたら、甘すぎて砂糖を吐くかもしれないけどな……)
リカルドの竜ワーウィックは、竜騎士団でも有名なお喋りな竜だ。イジェマの事があって、恋愛に前向きになれないリカルドをいつも叱咤激励をしていたので、気に入った女の子が出来たと知れば喜ぶだろう。
「あのっ……私。そろそろ、帰りますね。話に付き合って頂いて、ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をしてから、無表情を装うリカルドに微笑んから去って行く。
彼女の細い後ろ姿を、リカルドはじっと見つめた。
(あの可愛い女の子と、デート出来たら楽しいだろうな。俺もそう口が上手い方ではないが、きっと二人なら沈黙があったとしても、なんだって楽しいだろう。あの子は、どんな物を欲しがるかな……)
そこまで考えて、リカルドははっとして口を手で押さえた。檻の中にいる自分には、もうあの子に何も与えてあげられないことに気がついた。
もうすぐ死んでしまう人間に、そんなことを望む権利もないだろう。
二人歩く未来をあげることも、この心を返してあげることも、出来ない。
(あの子の好意に、俺の好意を返して何になる? もうすぐこの世からいなくなる人間なのに……無意味に、悲しませるだけで終わる)
リカルドは今の自分の現状を、恨めしく思った。
(あの可愛い女の子を、ただの竜騎士であった俺が見つけることが出来ていたなら)
リカルドの想いに、彼女が愛らしい薄紅色の唇で肯定の言葉をくれるなら。きっともう二度と離さない。離してくれと泣いて頼まれても、離せないだろう。そう思った。ほんの少ししか会っていないのに。
それほどまでに、心まで、囚われてしまっていた。
◇◆◇
その日は、なんだかリカルドの居る檻の前に来た時から、女の子の様子がおかしかった。
いつも、リカルドの顔を見れば微笑んで嬉しそうに、はにかむのに。
今日は切なそうな表情で、背の高いリカルドを見上げるのだ。一瞬だけ、泣きそうになったようにも見え、リカルドは眉を寄せた。
(……何か、悲しいことでも、あったのか?)
浮かない顔をした彼女がぽつりぽつりと話し出した内容は、なんでも突然縁談が纏まったのだと言う。だから、もうここには来ることが出来ないと、続けてそう言った。
リカルドは、自らの心臓が話を聞くごとに速度を上げていくのを感じた。
自分はもうこの先、死にゆく人間だ。覚悟は出来ていた、出来ていたはずだった。けれど、彼女の言葉を受け入れることを、心が拒否をしていた。
そうして思ったのだ。自分の相棒、あの赤い竜、ワーウィックさえ居れば彼女を連れ去ることも出来るのに。
(ワーウィック! くそ、なんで今いないんだ!)
心の叫びに応えるように、高く響く鳴き声が聞こえた。
(リカルドリカルドリカルド!!)
まさか返って来ると思わなかった悲痛な叫び声が心の中で聞こえて、リカルドは一瞬思考を止めた。
竜特攻の攻撃魔法を受けて、大怪我をしているはずの相棒の声がする。
(いや……切望のあまりに聞こえた幻聴かもしれない)
状況を鑑みて、冷静にリカルドはそう思った。こんな場所にワーウィックが居るなんて、有り得ないはずなのだ。だが、絶対に有り得ないことなどないと思い返す。檻の中の死にゆく男の前に、天使が現れたように。
もう一度、半信半疑で呼び掛けてみた。
(……ワーウィック?)
(リカルド、僕だよ! 君を皆と一緒に、迎えに来たんだ! イクエイアスが一緒に近くまで来てくれて、この王都を守護している魔法を弱めてくれている。でも、魔法障壁が強過ぎて、短時間しか保たない。時間が過ぎれば、僕たちだって閉じ込められてしまう。急いで逃げるよ! 今、何処にいる?)
本当に、ワーウィックの声だった。
どんな事になっているんだかリカルドには見当もつかないが、城から動かないはずの守護竜まで引き連れて、救いに来てくれたようだった。
頭の中で自分の居る位置を詳しく伝えると、それだけでもう相棒ワーウィックは理解をしたと短く返した。
もうすぐリカルドの居る場所まで、迎えに来てくれるだろう。戦闘時に竜騎士が無敵と言われる所以は、こうして竜と心の中で素早い連携を取れるという点もある。
リカルドは、自分が今ある状況を素早く計算した。
出来れば、女の子を連れて帰りたいが、ワーウィックが迎えに来るまでに激しい戦闘になる可能性もあった。
(可愛い彼女を、どんな危険な目にも合わせる訳にはいかない……)
リカルドは椅子から立ち上がって近づくと、鉄格子越しに目を合わせて彼女に名前を聞いた。
名前さえわかっていれば、後で秘密裏に彼女を迎えに来ることも出来るだろう。戦闘特化の竜騎士の癖に、諜報活動が得意なブレンダン辺りに頼めばきっと上手くやってくれるはずだ。
「スイレン・アスターです。竜騎士さま」
スイレンは、可愛らしい鈴の音のような声で言った。
(可愛い名前だ。この子に、良く似合う)
そして、出来るだけ早くここから去るように伝えた。
本当は後で迎えに来ると、もっと詳しく事情を説明しておきたかった。だが、飛行する竜の速度は神速を誇る。
ワーウィックの心の声が聞こえる範囲に居るということは、もうそう時間に猶与はない。そうこうしている内に、王都全体に警戒音が鳴り響き、慌てふためいた衛兵たちの姿も見え始めた。
「走れ!」
リカルドのその大きな声に、警戒音を聞いて呆然としていたスイレンは我に返ったように走り出した。
大型の攻撃魔法の音もする。魔法大国ガヴェアには、多くの詠唱不要の魔導兵器があるというから、それが火を吹いたのだろう。
あの女の子が、どうしても心配になった。
(遠くまで、逃げてくれよ……)
彼らのリカルドが目的であることは、ガヴェアも承知なのだろう。檻のある広場は、混乱を極めてきた。衛兵達も、殺気立っている。
(スイレンも、何かに巻き込まれて怪我なんてしなければ良いが)
心配になって辺りを見渡したリカルドの頭の中に、待ちに待っていたワーウィックの声が響いた。
(お待たせ! リカルド!)
深紅の竜ワーウィックが音を立てて、一直線に広場に降り立った。
檻の中に居る自分を見て、相棒の竜騎士をこんな酷い目に遭わされた怒りで我を忘れているようだ。いつもは冷静な判断を下す竜が、鋭い牙を剥き出し激しい威嚇音を鳴らしている。
口から激しい赤いブレスを吹き、それを見た多くの衛兵達が逃げていく。ワーウィックが軽く鉄格子を掴むと、簡単に撓む。
リカルドはその隙間から檻から出て、ワーウィックの頬に手を当てた。
(怪我は治ったんだな。心配した。良かった)
(こっちの台詞だよ! 僕の命乞いするなんて、バカな真似をして……もう良い。後にしよう。とにかく、すぐに飛び立つ。もう時間がない)
先ほどのイクエイアスの話を思い出したリカルドは頷いて、ワーウィックの背に取り付けられている鞍に飛び乗った。
ワーウィックはリカルドが乗った瞬間に、一気に飛び立った。不安定な姿勢のままで手綱を握りしめる、その時に信じられないことが起こった。
数え切れない程の無数の花が、周囲に咲いたのだ。
(もしかして、あの子が……? スイレン!)
リカルドは、咄嗟に思った。慌てて下を見下ろすと、可愛い笑顔で微笑んでいる。
それだけが、一瞬だけ見えた。脳裏に焼き付いた。ワーウィックはそのまま加速して、竜騎士の仲間が待っている上空へと辿り着いた。
(え。何あの花……リカルド、理由わかるの?)
明らかに動揺して戸惑っているワーウィックの声が、聞こえてくる。
リカルドは訳もわからぬ焦燥感に、襲われているのを感じた。
(あんな目立つことをして、大丈夫だろうか。罰せられたりしないだろうか。俺が後で迎えに来ると、ちゃんと伝えていれば……あんな無茶なことはしなかったのか)
心配だった。どうして、また迎えに来れば良いと簡単に思ったのだろう。あの時に一瞬だけ見えたあの子の顔が、最後になる可能性だってあるのに。
(ワーウィック。一回、戻れるか)
リカルドの言葉に、ワーウィックは憤慨した。
(何を言ってるの!)
せっかく命からがら助け出したところなのにと、ワーウィックは怒っている。上位竜のイクエイアスが、ガヴェアの王都の守護魔法を弱めている時間は、もういくらかも残されていなかった。
だが、リカルドはどうしても諦め切れなかった。
安全策を取るなら、一度帰って策を練り戻って来ることが良いはずだとは理解していた。だが、あの子を救いたい、連れて行きたい。その考えだけがリカルドの頭を占めて、出て行かない。
(頼む。どうしても、連れて行きたいんだ)
いつにない相棒リカルドの必死の声に、ワーウィックは瞬時に判断を下した。迷っている時間は、なかった。
一気に速度を上げて、下降を始めた。
(チャンスは、一回だよ、リカルド。いくら僕でも、魔法障壁に閉じ込められたら、もう出られない)
リカルドはワーウィックの言葉に何も返さず、意識を集中させた。
可愛いあの子の未来を手に入れる。その一瞬を、逃さないために。




