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1-3 飛び立つ

 しんとしたまだ薄暗い早朝の冷たい空気の中、スイレンはやはり檻がある広場へと急いでいた。


 聞こえて来る街の噂話に耳を澄ませれば、リカルドはこの国に来て舌を噛み切って自殺することも衛兵の命令に逆らうことも許されない特殊な魔法がかけられているらしい。


 だから、食事を絶って自らを死に追いやることも出来ないと聞いた。


 それは、的外れな心配なのかもしれない。


 敵地に居る彼が命を繋ぐために無理矢理にだとしても、きちんとした三食の食事は取っているのだと思うと、スイレンは安心してほっと息をついた。


 檻の中のリカルドは、スイレンが来るようになった最初の頃こそ、少しだけ周囲を警戒していたようだった。


 あまり話すことが上手いとは言えないスイレンは、前の日あったことや深刻に聞こえない程度の自分の身の上話などを勝手に話した。


 そうして挨拶をして勝手に帰っていくスイレンのことは、リカルドはもう気にしないことに決めてしまったらしい。

 

 そんなリカルドにここに来ることを嫌がられていない思えば、スイレンの心はどうしても彼に会いたいという気持ちを抑えられなかった。


 身体を洗うことも許されていない彼に苦手な浄化魔法をかけようと懸命に自分へと手を伸ばすスイレンを見かねてか、リカルド自身が手に触れない程度の距離に近づいてきてくれたりもする。


 スイレンが掛ける浄化魔法では、汚れ切ってしまった黒い騎士服を綺麗にすることは出来ない。


 だが、下着だけでも清潔にすることは出来ているだろうか。それは自分には確かめることは出来ないけどと思ってから、スイレンは何を考えているのだと赤面した。


 彼と会うことが日常になって来たある日、スイレンは思い付きで勇気を出して歌を歌った。


 ガヴェア王都名物である花娘達は、年に一度の大祭の時に歌を歌いながら生花を売る。その時に、歌っている歌のひとつだ。


 リカルドはスイレンの歌に耳を澄ませるように目を閉じて、歌い終わると音を立てない拍手をしてくれた。


 歌が聞こえてしまったのか。「誰だ?!」という近くに居たらしい衛兵の誰何の声が聞こえ、スイレンは慌ててまた走って逃げた。



◇◆◇



 その日の仕事終わり、帰宅したスイレンはいつものように、叔母のマーサに売り上げを渡すために母屋の戸を叩いた。


 扉を開いたマーサは、何故か上機嫌でにやにやと帰って来たばかりのスイレンを見た。


 彼女の意図が読めずに、訳もわからずに眉を寄せてしまう。


 これまでの経験からマーサがこうして上機嫌な時は、スイレンにとって悪い知らせがある時が多いからだ。


 そして、その予感は的中することになる。


「スイレン。やっと、帰って来たのかい。お前に、良い縁談が纏まったんだよ。王都にある酒屋の大旦那から、お前を後妻にしたいという申し入れがあった。明日には向こうの店へ行儀見習いに入ってもらうから、今夜は用意をしておくんだよ」


 スイレンは、思ってもみなかったマーサの通告に驚き、ひゅっと喉を鳴らした。


 いつかは厄介払いにどこだかに嫁がされると、これまでに散々聞かされてきた。


(まさか。こんな時に、縁談が纏まってしまうなんて)


 例えお金もなく貧しくても、ガヴェア王都で名物の花娘であったという経歴は、どこかに嫁入りするにはとても有利だ。


 マーサの上機嫌な様子からして、スイレンの嫁入りの条件で先方からかなりのお金を積まれたのではないだろうか。


「あのっ……その店の場所は、場所はどこですか」


 そして、無情にも告げられた場所は、同じ王都にあるとは言え、この家からは反対側に位置している。


 その店から徒歩で来ることを考えるのなら、行儀見習いになるスイレンが人がいない早朝にリカルドに会うことは、もう出来まい。


 マーサに明日出立の時に着る服を乱暴に渡されて、それを手に小屋に戻ったスイレンは静かに泣いた。


 もう、あの強い瞳を持つ竜騎士には会うことは出来ない。


 リカルドとは思いが通じ合った恋人でも、なんでもない。けれど、会える事が生活の中になくてはならない程に、彼をすっかり好きになっていてしまっている自分に気がついた。


 檻の中のあの人に攫って欲しいなんて、大それた願いだけが心の中に浮かんできて、必死で儚い希望を打ち消しながらも、眠れない夜を過ごした。



◇◆◇



 檻の中のリカルドはもう目覚めていて、いつも通り強い光を秘めた目でスイレンを見つめた。


 彼の綺麗な茶色の目に自分が映るのはもうこれで最後だと、そう思った。


 昨夜流し過ぎて枯れてしまったと思っていた涙が、また目の端から思わず流れ出しそうになって、必死に堪えた。


「あのっ……私、もうここには来れなくなっちゃうんです……急に、縁談がまとまって……その家からは、この広場までかなりの距離があるので。私は、もうここには来れないことになりました」


 リカルドは表情を変えることなく、スイレンの言葉を聞いていた。


 それは、当然だ。彼はスイレンに会いたいという理由で、ここに居る訳ではない。


 自力では逃れられない檻の中、どうしようもなく檻の中に留まっているに過ぎない。


 それを改めて感じて、スイレンはどうしようもなく切なくなり肩を落とした。


 きっと彼はスイレンが来ても来なくても、何とも思わないんだろう。


 すこしでも寂しいと思ってくれたらと願う気持ちがどうしても、消せない。


 遠くから、高く響く獣の鳴き声が聞こえた。


 その瞬間、リカルドは唐突に立ち上がり、スイレンの目の前に近づき、屈んで目の高さを合わせると耳触りの良い低くて掠れた声で言った。


「……名前は」


 スイレンは驚いて、リカルドの顔を見た。


 まさか彼がこうして声を出すなんて、かけらも思わなかったからだ。


 スイレンが彼に会いに通って来ている二週間の間、リカルドは一度として声を出さなかった。


 もう一度繰り返すように質問を繰り返した彼の声に、我に返りスイレンは答える。


「スイレン・アスターです。竜騎士さま」


 リカルドはスイレンの応えを聞いて、口の中でその名前を繰り返すと大きく頷いた。


 そして、遠くの空に視線を移し、目を細めて呟いた。


「ここは、危険だ。早く逃げた方が良い」


(……危険?)


 スイレンは、彼の言葉に思わず首を傾げた。


 突如。王都全体に、警戒音が響き渡る。先の激しい大戦時にも、この王都にまで敵勢は攻めて来なかった。


 王都で生まれ育ったスイレンも、警戒音を聞くことはこれが初めてだ。衛兵達が異変を察して、広場へと集まって来る。


 何かが起こっている事を察して、スイレンは彼が視線を向けている方向を追うように見上げた。


 薄闇に浮かび上がる何騎もの、竜の群れ。


 無敵の竜騎士団が堅固な守備を誇るガヴェアの王都にまで、たった一人囚われた仲間を救いにやって来たのだ。


「走れ!」


 リカルドの大きな声で我に返ったスイレンは、いつもの大通りに向けて慌てて走り出した。


 背後から、大型の攻撃魔法のつんざくような激しい音が幾度も聞こえて来る。


 数え切れないほどの、大きな竜を迎撃しているのだ。


 どんどんと、腹に響く重い音がした。


 もし、リカルドがどうにかなってしまったらと思うと、どうしても遠くに向かって走ることも出来ずにスレインは立ち尽くした。


 かといって、衛兵が集まり出した広場に戻ることも出来ない。


 スイレンは意を決して、近くにあった長い階段を登り切ると近くの高台に出た。


 竜騎士たちが救いに来たリカルドの居る広場の様子を、その場所から見つめることにした。


 上空から一頭の深紅の竜が真っ直ぐに彼の居る檻の近くに降り立つと、激しい威嚇音を出しながら、近くに居た何人もの衛兵たちを凶暴な口から噴き出す火炎で薙ぎ払う。


 深紅の竜が、リカルドが入っている檻の鉄格子を器用に前足で掴むと、驚くほど簡単に太い鉄の棒が撓んだ。


 鉄格子の隙間からサッと檻を出たリカルドは、労うように赤竜の頬に手を当てると、数秒かからない内にその竜に騎乗した。


 竜は特に準備動作することなく、大きな羽根を広げ、空へと向かって飛び立った。


(彼が、行ってしまう!)


 強い焦燥を咄嗟に感じたスイレンは、せめてもと思い自分の魔力を全部使って数え切れない程の魔法の花を飛び立って行くリカルドの周辺に咲かせた。


 リカルドの驚く顔がこちらを見て、それに気がついたスイレンは精一杯の笑顔で微笑んだ。


 せめて、去ってしまうあの人の思い出にある自分は笑顔で残りたかった。


 空でリカルドを待っていた竜騎士達は、彼と一緒に攻撃魔法の届かない高さへと上昇していく。


 スイレンは、自然と涙が頬にこぼれてきたのを感じた。


(もうこれで二度と会うことも、ない)


 儚い恋の終わりを悟りスイレンは袖で涙を拭うと、自らの決められた運命へと戻るために心の準備をする。


 あの人が、この国から逃げ出してどこかで生きている。


 そう思えば、これからの辛いこともきっと乗り越えていけるような気がするのだ。



 深呼吸をして、もう一度空を見上げたスイレンに信じられないことが起きた。


 上空から一匹の竜が、信じられない速さで直滑降で降りてくるのだ。


 そして、気がついた時には太い腕に抱かれ、既に高い空の上に居た。


 この身に起きたことと言えど、どうにも頭には理解が追いつかなくて、眼下でどんどん小さくなって行く王都を何も言わずに見つめた。


 自分の決められていた運命が音を立てて変わっていくのを、スイレンは喋ることもままならぬほどの強い風に吹かれながら、感じていた。


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