2-5 守護竜
スイレンはイクエイアスが棲むという城の地下に行くというと、城に入ってから長い螺旋階段を降りて行くような道程を想像していた。
急ぎ外に出て竜化したクライヴに乗って、城の近くにある大きな人工的な穴へと一気に吸い込まれるようにして飛行したまま潜り込んで行く。
長い長い大きな回廊を抜け、突然煌々とした灯りがある大きな広間に着いた。
その場所にはクライヴやワーウィックなどの竜騎士の竜たちより、三倍ほど大きな体長を持つ白い竜が居た。
そして、明らかに彼等よりも上位種であると、その姿を一目見てわかった。神々しいほどに白く光り輝き、その光はどこか温かく柔らかな春の陽光を思わせた。
(クライヴか。お前が来たということは、リカルドとワーウィックのことだな。先ほど、報告を受けたばかりだ)
大きな顔に難しい表情を浮かべているように見えるイクエイアスの前へとクライヴは降り立つと、いきなりスイレンの頭の中でくぐもった低い声がした。
クライヴはイクエイアスに向かって、器用に竜の姿でお辞儀をすると彼に向かって心の中で何かを話しているのか、じっと目を逸らさない。
流石上位竜と言うべきか。イクエイアスは、竜の姿でも先ほどスイレンが聞こえたように人間と心の中で直接話すことが出来るらしい。
(それは、難しい……エグゼナガルとの不可侵の条約を破ることは、出来ない)
彼らの救出に難色を示したイクエイアスのその言葉を聞いて、スイレンは思わず悲鳴のような声を出した。
「イクエイアス様っ! お願いします。リカルド様とワーウィックを、見捨てないでください。お願いします」
涙を流しながら、自らに跪くスイレンの姿の方向を見ると、彼女の存在に今気がついたようにクライヴに目配せをした。
(この子は? ……ああ、リカルドの恋人か。あいつも、隅に置けない。そうだな……エグゼナガル自身が、あの山にある結界さえ解いてくれたのなら。何とか、出来るんだが……それは、エグゼナガルに会って直接交渉するしかないだろうな)
厳しい竜の顔で、より困ったような表情をするイクエイアスにスイレンに語り掛けるようにして言った。
「それしか、方法はないんですね?」
彼の言葉を確かめるように聞いたスイレンに、落ち着いてと言わんばかりに顔を寄せたクライヴはキュルっと可愛らしく鳴いた。まるで、スイレンの心中を宥めるかのような仕草に、スイレンは息をついてゆっくりとその大きな顔を撫でた。
(結界さえ、何とかしてくれたなら、必ず救いに行くと約束しよう……だが、良いか。エグゼナガルは、我と対になる存在だ。もし怒らせたならば、この国周辺が何もない更地になるぞ)
脅すようにしてイクエイアスは言うと、クライヴに何か魔法をかけた。クライヴはくすぐったそうに、白い光の中で身動きをした。
「なるべく。そうならないようにします。必ずとは、言えませんが」
スイレンは頷いて、ぎこちなくイクエイアスへと正式な礼を済ませると、こうしては居られないとばかりに隣に居たクライヴの背に乗った。
◇◆◇
「……スイレン。これからは、本当に危険だ。命に関わるから。必ず僕の指示を聞くと、約束して欲しい」
結構な距離を飛行して舞い降りた鬱蒼とした森の中。目的地である魔の山の麓で人化を済ませると、いつもの無表情でクライヴは言った。
スイレンはクライヴの言葉に、静かに頷く。
指示を聞くも何も。これから何処に行って良いのかも、スイレンにはわからない。クライヴが言う事を聞いて動くしかない。
もしかしたら、窮地にあるリカルド達の命が繋がるかもしれない。この賭けには、何がどうあったとしても必ず勝ちたかった。
それに、少し落ち着いて考えてみれば、クライヴには大怪我をしている相棒ブレンダンのことが気になって仕方ないだろう。
それなのに、スイレンの願いを聞いて、ここまで連れて来てくれた。
自分が気に入っているから、スイレンのことを放って置けないという理由だとしても、自分の気持ちよりスイレンの事を優先してくれたのだ。
滅多なことで、してくれる事ではないとわかっていた。
「クライヴ……ありがとう。本当に、ありがとう。いつかきっと。このお礼はするから……」
少年の小さな手を取って、真剣な目でそう言ったスイレンに、少し照れたようにしてクライヴは頷いた。
「ブレンダンが……君のことは、必ず守り切れと言っていた。あいつは、本当に君のことが好きだから。君の希望を、聞いてあげて欲しいと」
「……ブレンダン様が……」
クライヴとブレンダンは、契約で繋がっているから、距離があっても会話が出来るのかもしれない。
ブレンダンのお陰だったことを知り言葉を失ってしまったスイレンに、クライヴは人差し指で暗い森の中を指し示した。
「行こう。エグゼナガルは、魔の山にある洞窟に棲んでいると言われている。人化しているからなんだか感覚が鈍くて……竜の時に、強い力を感じていた方向しかわからない。けど……ここからはそんなに遠くない。急ぐよ」
人化していても夜目の利くらしいクライヴは、見えない足元を恐る恐る進むスイレンの手を引いて先へと進んだ。
今夜は月明かりも明るく、満天の星の光もあった。
(まだ、うっすらと周囲が見えるから進める……)
けれど、これがもし完全な闇夜だったとしたら難しいだろう。
背丈が低い彼は、スイレンが足を取られそうになる度に、支えてくれ励ましてくれた。
そろそろ疲労に両足が悲鳴を上げてきた頃、クライヴがスイレンを素早く大きな木の幹の影に隠すようにして身を寄せた。
「……スイレン。悪い予感は、当たったみたい。すぐそこに、ガヴェアの魔法使いの一団が居る。微かに、ワーウィックの気配も感じるから。この連中に捕らえられていることは、ほぼ間違いないと思う」
スイレンは、クライヴの小さな手をぎゅっと握りしめた。
無表情に近いその顔が間近で眉を顰め、首をゆっくりと横に振った。人型になっても感覚が敏感な彼には、何か感じるものがあったのかもしれない。
「先を、急ごう……君には、あまり見せたくはない」
「クライヴ、お願い。リカルド様とワーウィックが居るなら、その姿だけでも確かめたいの……私。二人を助けるまで、絶対に倒れたりしないわ。本当よ。お願い」
背の低い彼と目線を合わせて、覚悟を持って言葉を選んだスイレンにクライヴは溜め息をついた。
「スイレンが言っても聞かないことは、良くわかっているよ。高台に登って遠くからなら」
そう言って、クライヴは頷いた。
焚き火を囲い黒い揃いのローブを身に付けたガヴェアの魔法使い達が、騒ぎながら酒を酌み交わしている。
スイレンはその光景を見て、口を押さえて今にも口を突いて出て来そうな悲鳴を堪えた。
ワーウィックの両翼の翼膜は、長い槍のようなもので貫かれていた。何かの魔法を使われているのか、ただ気を失っているのか、ぐったりと横になったまま微動だにしない。
そして、奥に居たリカルドは、大きな木の枝に両腕を太いロープで縛られて吊るされ、そして上半身裸で血塗れだった。
その上の彼の鮮やかな赤い髪。顔は伏せているので、遠目では彼が生きているのか、死んでいるのかすらも、知ることは叶わない。
スイレンは両足からがくがくと大きな震えが走り、体を支えていられなくなった。
クライヴはその様子を予想していたのかのように、スイレンの体をすくうようにして下から抱きしめた。
「ほら。だから、言っただろう?」
静かに言った彼に頷いて、スイレンは今にも零れそうになる涙を堪えた。
(ここで、私が悲しんで泣いたからって……どうなるって言うの。今すぐ、リカルド様とワーウィックを、助けなければ。ここで、めそめそ泣いている時間が惜しい。この状況で行動するのなら、一秒でも早く動いた方が良いはず)
「……ありがとう。クライヴ。私。絶対に、二人を助ける。絶対助けるから」
スイレンはそう言ってから、もう一度だけリカルドの姿を見ようと視線を巡らせた。
そして、思いも寄らない人物を目にして愕然とした。
「そんな……あれは……?」
酒を酌み交わし大声で騒いでいる人たちの中には、イジェマの元恋人であるジャック・ロイドの姿があった。ガヴェアの指揮官らしき人と、談笑しながら血塗れのリカルドに冷たい視線を向けている。嘲るような仕草には、とても彼等の解放の交渉をしているように見えない。
「……スイレン?」
再三のクライヴの呼びかけにも応じることも出来ずに、スイレンは呆然とその様子を見つめてしまう。
そして、頭の中で何かがカチッと嵌る音を聞いた。
ジャックは、リカルドのことを酷く嫌っていた。彼はいわゆるエリートと呼ばれる近衛騎士だ。
ともすれば、城で機密文書にも触ることも可能ははずだ。リカルド達の竜騎士団の魔物退治の出征計画なども、知っていたのではないだろうか。
(もしかしたら、イジェマ様のことだって? あの時……リカルド様と婚約解消したと告げたら、彼女にすぐに別れようと言ったと聞いた。リカルド様の婚約者だった彼女を利用して、彼を貶めたかっただけ? だから、私にも声を掛けて……)
すべての謎が解けたように思えて、スイレンの背中に冷たいものが走っていった。
ジャックがリカルドに向ける恐ろしい程の暗い執着と、底知れぬ憎しみを感じ取ったから。




