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1-15 夕焼け空

 スイレンはジョルジオから約束通りに家を準備して貰って、最後の挨拶にとリカルドの妹のクラリスが住むデュマース家の本宅へと向かっていた。


 スイレンが去ってしまう前に、彼女の決断を聞けば必ず反対するだろう彼女に、直接的な別れは言えない。


 けれど、可愛い笑顔のあの人と最後に一目会っておきたかった。


(もう……クラリス様にも、会えなくなる……そうよね。一人で去るって、そういうことなんだわ……)


 小さな窓の外には、ヴェリエフェンディの華やかな王都の様子が見える。通りには沢山の人が溢れて、スイレンの心には追い詰められるような気持ちが湧いて来た。


(出来るのなら、あの雑踏の中に紛れてしまいたい。今すぐにでも)


 今すぐ出来るのなら、そうしたかった。けれど、最後に一回だけ会っておきたいという気持ちを止められなかった。


 デュマース邸に到着すれば、甲斐甲斐しく御者が手を取って馬車を降りるのを手伝ってくれた。それは生まれ育ったガヴェアでは一度もされたことがなく、最初の内は慣れなかった。


 けれど、ヴェリエフェンディでは、女性は守るべき存在として男性から大切にされていて、こういったエスコートも、女性に対する通常のマナーのひとつなのだという。


「……あら!」


 馬車を降りたスイレンは、その高い声を聞き彼女を見て驚いた。


 先ほど到着したばかりのスイレンとは反対に、横付けされた馬車に乗車して帰るところなのだろう。


 幾度か遠目に見たことのある金髪の美しい令嬢が、やけに嬉しそうな顔をしてこちらを見つめていた。


(リカルド様の婚約者……)


 そう認識してしまえば、例えようもないくらい胸が激しくズキンと痛んだ。


 イジェマは、リカルドのれっきとした正式な婚約者なのだ。親同士が決めたというから、きっとお互いの家にとって価値のある婚約なのだろう。彼を訪ねて家を訪問していても、何ら不思議はない。


 むしろ、ここに居るのが不思議に思われるのは、平民のスイレンなのだ。


「貴女。リカルドの可愛い人でしょう。私、知っているわ」


 イジェマの言葉を聞いて、スイレンは大きく驚き目を見開いてしまった。


 彼女は、スイレンの存在を知っているのだ。


(可愛い人って、どういう事? もしかしたら、恋人だと……そういう意味?)


 突然の邂逅に混乱してしまった頭では、満足に物が考えられない。


「ほら。この書類を見て。ようやく、これでおしまいなの。私も、嬉しいわ。それでは、ごきげんよう」


 イジェマはひらひらと何枚かの書類を見せて、それでも何の反応も見せないスイレンを見て、何を思ったのか、にっこりと満足げに微笑むと紋章付きの馬車へと乗り込んで行く。


 カラカラと車輪の回る軽快な音がして、スイレンは動けずに彼女が去っていくのを呆然と見守った。


(嬉しいって、どういうこと? もしかしたら、もう結婚が決まったから、私とリカルド様の仲を精算しろって……そういうこと? だから、嬉しいのだろうか。もう、自分の邪魔者は、いなくなるから)


 イジェマの意味深な言葉の意味を考え、スイレンは両手をぎゅっと握り締めて俯いた。


(あの人は、誤解しているのね。仲も何も……私とリカルド様の間には、何もない。そう、何も)


 本当に、悲しいくらいに何も言われていない。


 一緒に住んでいて、共に居る時間が長いから、ふとした瞬間視線が絡んだりすることもあった。けれど、視線を逸らすのはいつもリカルドの方だ。


 痛む胸を押さえたスイレンは、回れ右をして馬車に乗り込んだ。


 クラリスに会わなくて良いのかと戸惑い慌てる御者に言って、竜舎の近くにある家に帰ってもらう。


 居心地の良い場所を出ていく準備と覚悟は、もう出来ていた。




◇◆◇




 ジョルジオに用意して貰った小さな家は、優しい色合いの壁紙に可愛らしい家具の、いかにも若い女の子が好みそうな物件だった。家具は備え付けだし、食器なども揃っている。


 女性向けのドレスや宝飾品を扱う店主である上に、あのブレンダンの父親なのだ。きっと女の子の好むようなものを、知り尽くしているはずに違いない。


 彼に言われた通りに、小さな鞄の中には何枚かの服と下着なんかを入れて来た。それを持って来るだけで、生活するには事足りているようだ。


(リカルド様。きっと、驚くよね。でも、もしかしたら……厄介者が何も言わずに居なくなって、清々しているかもしれないし)


 リカルドが用意してくれた自室には、置き手紙を残して来た。


 この国に連れて来て貰って、家族同然に一緒に暮らそうと言ってくれて嬉しかったこと。何も言わずに去ることになって、本当に申し訳ないこと。


 そして、出来れば自分の事は探さないで欲しいこと。


(リカルド様は、優しい人だから、きっと心配してくれているかな……)


 なんたって彼は、檻の中で辛い境遇にあった自分を少し慰めてくれたからと言って、恩返しに家族扱いをしてくれるような優しい人だ。


(だから、好きになったんだもんね……)


 そう思ってから、スイレンは首を振った。


(いけない。何を考えていたんだろう。リカルド様は、美しい婚約者と結婚して英雄と呼ばれる竜騎士としての人生を、何の汚点もなく歩んでいくのよ。そして、彼の人生の中には、私は必要ない)


 ぼんやりとリカルドの事を思いながら持って来た身の回りの物を整理していたら、そろそろ日が暮れる時間になってきたようだった。


 窓から入る日光が減り、部屋の中が薄暗い。


 そろそろ食料の買い出しにも行かなきゃと気がついて、スイレンは慌てて財布とジョルジオに渡されたばかりの鍵を持って、扉の外へと飛び出した。


 市場に程近いため、買い物にも便利なその家から白い石畳の坂を駆け上がると、時計台のある広場に出る。


 夕焼けの薄紅色の光が、白い街に溶け込んで美しかった。


 そして、スイレンは周りを見渡して奇妙なことに気がついた。街の人々は立ち止まり、口々に何か言いながら、空を眺めているのだ。


「凄い数の竜だ。こんなに多くの竜が街を飛んでいるのを見るのは、初めてだ」


「確か。街の上を低い高度で飛ぶのは、禁止されているんじゃないのか。しかも、皆。揃って……何かを、探しているのか?」


 その時に初めて、空を見上げると夕焼けが美しい空に無数の竜の黒い影があった。


 建物の屋根スレスレの高度を彼らは飛行しているせいか、その大きな身体にある鱗もしっかりと肉眼で見えた。


 スイレンは、信じられない光景を見て、思わず口を大きく開けてぽかんとしてしまった。


 夕焼け空に、竜が舞う。昔、寝物語に聞いたお伽噺の世界のように。


 何故か、その時。スイレンから程近い空を飛んでいた竜の大きな目と視線が合ったような気がした。


 最初キュウーと間延びした高い鳴き声がして、一斉に周囲に居た竜が鳴き声を上げた。


 そうして、瞬く間にスイレンの元へと近づいてくる深紅の大きな影。


(ワーウィック?)


 スイレンが呆気に取られている間に、赤い竜が真っ直ぐにこちらの方向へ迫ってくる。竜が自分の元へと迫り来る光景を、魅入られたように見つめてしまう。


「……スイレン!」


 上空から大きな声が響いて、ダンっと大きな音をさせ、黒い騎士服を来たリカルドが石畳の上に降り立った。


「リカルド、様? なんで……どうして……」


 あまりに思いもよらなかった事態に戸惑うスイレンに近付き、リカルドはもう逃さないと言わんばかりに、その太い腕の中にぎゅっと力を込めて彼女を抱いた。


「どうして、じゃない。スイレンを探していた。竜騎士であることの、職権を濫用した。今日、非番だった皆に頭を下げて、上空から君を探してもらっていたんだ……スイレン以上に俺には大事なものがないんだ。そんな人が姿を消したと知って。どうして、そのまま探さずにいられる?」


「あ……あの、リカルド様、いたい」


 探していたスイレンを見つけて、あまりに感極まったせいか。リカルドはぎゅっと力を込めていたため、鍛えられた腕の中で押し潰されそうになった。スイレンが抗議すれば、やっと力を緩めてくれた。


 小さく咳をしたスイレンを愛しげに見やって、彼はその頬にキスをした。


「待たせて、悪かった。ようやくイジェマと婚約を解消することが出来たんだ。だから、今日。やっと、君に告白するつもりだった。いなくなっていて……本当に、焦ったよ。好きだ。スイレン。君がいないと、もう生きていけない。あの檻の中に閉じ込められていた時から、ずっとスイレンが好きだったんだ。これからも、傍にいて欲しい」


 リカルドの言葉を信じられない思いで聞きながら、スイレンは勝手に涙が流れ落ちるのを感じた。


(これが夢なら、ずっとずっと醒めないで欲しい。これからもう一生。ずっと、眠り続けたって、構わない)


 何も言えないスイレンの濡れた頬から指で涙を拭うと、彼は優しく微笑んでいた。


「リカルド様。あの、私も……私も、ずっと好きです。あなたを一目見た時から、私に出来ることなら。何でも。してあげたくて……あなたの役には立たないかもしれないけど、傍に居させてください」


 スイレンは、ずっとずっと心の中で言ってはいけないと、自分で留めていた言葉を言った。リカルドは、今度は力を加減しながら彼女の身体を抱きしめた。


「役になんか、立たなくても良いんだ。スイレンが傍に居るだけで、それで良い。今まで何も言わなくて……悪かった。俺が君を好きなことは、もう理解してくれていると思っていたんだ。それにイジェマと婚約を解消しないと、君には手を出せないし。あんまりにも一緒に住んでいる君が可愛くて。我慢するのも限界だった……もう、どこにも行かないでくれ」


 そう言ってリカルドはスイレンを横抱きにすると、すぐ近くで竜の姿で静かに二人を待っていたワーウィックに飛び乗った。


 一気に上空まで上昇すると、近くに集まっていた竜騎士たちが一斉に口笛を吹く。


「ブレンダン。今夜は、全員に酒を奢って来てくれ。金はいくらでも出す」


 リカルドがそう言えば、空の上で歓声が挙がり拍手が鳴った。


 青い竜に騎乗したまま近くに居たブレンダンは、不満そうに鼻を鳴らす。四方竜に囲まれていて、彼らはスイレンのことを興味深そう見ていた。


 スイレンは改めて彼らを見て、これだけの人達がずっと自分を探していてくれたんだと思うと申し訳なった。


 薄紅色の空がやがて薄紫になって、赤い日が落ちていくのを見ながらリカルドが言った。


「帰ろう。スイレン。今日から、ずっと一緒だ」


 そう言ってくれるリカルドの傍にこれからも居られるなら、何でも出来るとそう思ってしまった。


 ずっとずっと夢見ていた茶色の目を持つリカルドの腕の中、スイレンは目を閉じて彼の胸に頭を寄せた。

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