1-14 届け物
「スイレン。おかえり! 初仕事、どうだった?」
ワーウィックは帰って来たスイレンに駆け寄ると、ねだるように服を引いた。
彼の可愛らしい仕草に、初めての職場で気が張っていたスイレンの緊張が、ゆっくりとほどけていくのを感じる。
鮮やかな深紅の髪を撫でると、竜であった頃の癖だろうか。ワーウィックは、嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「リカルドも、もう帰って来ているよ。さっきまでスイレンの帰りが遅いって、家中ずっとうろうろしていたんだけど……手紙が届いたから、今は部屋の中で何かしているみたい」
そう言いつつ、ワーウィックはリカルドが居るだろう二階のある天井を見上げた。
確かに予定していた帰宅時間よりも大分遅くなってしまっていたので、リカルドも心配してスイレンを待っていてくれたと思うと嬉しかった。
忙しく支度をしているテレザから、夕食が出来ているのでリカルドを呼ぶように頼まれた。
快く頷いたスイレンは、階段を上がって名前を呼びながら彼の部屋の扉を叩いた。
何故か慌てて扉を開いたリカルドは、右手に手紙を持っていた。
「ああ……スイレン。おかえり。朝に聞いていた時間より、遅くなっていたから心配していた」
慌てた自分が、手に手紙を持っていたことに気がついたのか、リカルドはそれを後ろ手に隠した。
だが、スイレンには手紙の裏にあった署名が偶然見えてしまった。パーマーとだけ、読み取れた。
クラリスが彼の婚約者について話していた会話が、頭の中をかすめる。
彼の婚約者である美女イジェマは、確か姓がパーマーではなかっただろうか。
彼と彼女とのやり取りを直接見てしまったことに痛む胸を押さえて、俯きそうな顔を上げて微笑むとスイレンはリカルドに言った。
「ただいま、帰りました。リカルド様。夕食がもう、出来ているみたいですよ」
「ああ。呼びに来てくれて、ありがとう。スイレンは先に行っていてくれ。すぐに、俺も降りるよ」
そう言ってから、扉を閉めたリカルドの後ろ姿が切なくて、どうしても悲しくて。スイレンは、階下へと向かいながら自然と出てくる涙を瞬きで散らした。
◇◆◇
「リカルド様に、届け物ですか?」
昼過ぎにやって来たブレンダンは、うんと大きく頷いた。彼の手には、大きな封筒があった。それを差し出し、スイレンに渡すと優しく微笑んだ。
「そう。お休みのところ、頼んじゃってごめんね。僕は今から哨戒の任務があって、クライヴと飛びに行かなきゃいけないんだ。けど、これを急ぎで城に居るリカルドに、渡して欲しいんだ。この腕輪を見せれば僕の身内ってことは、示せるから。門番の衛兵には、それを見せてくれ」
そう言ってから渡されたのは、前にも借りたことがある魔道具の腕輪だった。
なんでも所有者のブレンダン自身か、彼の許可を得たものにしか嵌められない魔法がかかっている腕輪で、身分証明にもなるらしい。
そう言われて彼が乗って来た馬車に乗り込むと、以前にブレンダンと凱旋式で行ったことのある城へと向かった。
この国に来てから、スイレンは馬車に乗ることにも慣れてきた。
ガヴェアで生花を売る花娘をしていた時には、徒歩で街中を歩いていた。
けれど、こうして車内には柔らかなクッションがたくさんある、いかにも貴族や裕福な人が乗るような馬車に慣れてしまうと、平民が使うような辻馬車には乗れなくなってしまうかもしれない。
(こうしたことに、慣れてしまうのは……きっと、良くないわね。私の稼ぎだけでは、こんな馬車には、とても乗れないもの)
城に到着し、門前に居た衛兵にブレンダンに言われた通りに腕輪を見せると、何かと照合させるように不思議な石を近づけて光らせた。
それを確認してから衛兵は頷き、スイレンがここに来た目的である、竜騎士のリカルドが今仕事しているという執務棟までの道を教えてくれた。
凱旋式の時のように、一般開放されていた場所とは全く様子が違う。執務棟へと繋がる通路には、城で働く文官や女官などが忙しく長い廊下を行ったり来たりしている。
スイレンは彼らの様子を見るとはなしに、美しく整えられた庭園の方向に目を向けた。
その場所には、竜騎士のみに着ることを許された黒い騎士服を身に纏う大きな身体と燃えるような赤髪のリカルドの後ろ姿があった。
目的の彼を見つけて、スイレンは慌てて外に出るために来た道を戻る。確か外に出ることの出来る扉があったはずだ。
先ほど見た庭園へ出入りが出来る辺りまで来て、リカルドの名前を呼ぼうとして、スイレンは思わず身を固まらせてしまった。
リカルドは凱旋式の時に見かけた金髪の美しい婚約者と、共に居たからだ。二人が親しげに話す様子に目を奪われ言葉を出せぬまま、スイレンは東屋の方向へと進む二人を見送った。
リカルドと婚約者の姿が見えなくなってから、胸に抱き締めていた書類袋に皺が寄りそうなくらい強い力を込めていたことに気がついて、スイレンは慌てて紙の皺を伸ばした。
一人で季節に似合わない花が咲き誇る美しい庭園に立ちながら、ひどくみじめで嫌な気分だった。
リカルドは、こうして婚約者と会っていた。二人は貴族同士で城近くに住んでいるのだから、イジェマと会うのにはここが都合良いのかもしれない。
(ああ……そうか)
スイレンは、何かすとんと胸に落ちたような気がした。
(私は、彼を好きなだけで、それだけで良いと思っていた。でも、それは彼にとって迷惑になるのかもしれない)
スイレンは何もかもを与えてくれるリカルドに対して自分は何も望んではいけないのだと、きちんと理解していた。
(いつか言ってくれた、もう少ししたら言いたいと言っていたことも、あの彼女と結婚するから……家を他に用意するから、何処かに出ていってくれとそういうことだったのかもしれない)
スイレンの頭の中には、リカルドとイジェマが二人で親し気に喋りながら歩いていく姿が焼き付いて消えなくなってしまった。
(自分が、あの彼の凛とした立ち姿の隣に立ちたいなんて、なんてバカなことを願ってしまっていたんだろう。いつから……いつから? こんなに、期待をしてしまっていたんだろう。どうして、あの人の目の奥や何気ない言葉に甘いものを探してしまったんだろう。そんなもの、きっと……あるはずがないのに)
リカルドは、優しくて誠実だ。だからこそ、彼のことを好きなスイレンにとっては残酷だった。不遇の身に同情してくれただけの彼には、何の罪もないこともわかっていた。
(こんな自分が、いつか救われるんじゃないかなんて。そんなことを夢見てしまったなんて、本当になんて……バカだったんだろう)
リカルドは、本当に優しい。けれど、スイレンは彼の傍に居て、この生活がいつか終わってしまうことを恐れていた。
そう……もし、時が来て終わってしまうのなら、自分の手で終わらせてしまいたいと思い詰めてしまうくらいには。
◇◆◇
「自分一人で住む部屋を借りたいから、私に協力してほしい?」
ある日、突然。店主である自分の部屋を訪ねて来たスイレンから理由を聞いて、ブレンダンの父親のジョルジオは彼と似た笑顔で面白そうにした。
スイレンに親身になってくれるクラリスやブレンダンを、頼ることも考えた。だが、裕福な商人で名の知れたこの人なら。貴族で自身も権力を持つリカルドから、自分の事を隠してくれるのではないかとそう考えたのだ。
「はい。あの、出来れば。デュマース家の方には、私が何処に行ったのか、わからないようにして頂きたくて……」
スイレンの言葉を聞いて、ジョルジオは座っていた椅子から立ち上がり彼女に向けて聞いた。
「……この国の英雄。竜騎士リカルド・デュマースの前から、消えたい?」
ジョルジオはやはり、スイレンが願う希望を面白そうにしていた。
スイレンは彼から、何度かこの店の内装の花を飾る以外の仕事も紹介してもらっていた。
主には貴族や裕福な商人などが開く華やかなパーティで、会場を彩る花の調達などだ。
余興で頼まれて魔法の花を出して会場の宙に無数に浮かべた時には、主催者の貴族夫人に飛び上がるほど喜んで貰い、ぜひまた来て欲しいと乞われたりもした。
そこから、スイレンを気に入った彼女からの紹介が繋がっていって、今では街で一人暮らしするには十分な金額を稼ぐことが出来ている。
だからこそ、スイレンは決断を下すことに決めた。
「はい」
(これで、もう……戻れなくなる)
退路を断ちたいという思いで逡巡しながらも頷いたスイレンは、ぐっと握った手に力を込めた。
何もかもを持っているリカルドから、逃れる方法なんていくつも思い浮かばない。
ジョルジオがもし匿うことについて難色を示せば、たった一人だとしても、この街を出立することも考えてもいた。
スイレンの使う花魔法は、思っていたよりも魔法を使う人のあまりいないヴェリエフェンディでは、お金になることを理解してしまっていた。自分一人でも、きっとどうにかなるだろうという変な自信もあった。
「……成る程。結ばれる事はないと彼を忘れるために、自分から離れて彼の前から消えることを選ぶのか。彼は、君が突然居なくなったら、悲しむと思うよ。それは、考えた?」
感情を見せないジョルジオは探るように、スイレンに問い掛けた。
リカルドに何も知らせずに去ってしまうことは、不誠実かもしれない。けれど、心配してくれる彼に、引き留められればきっと拒めない。
愛しい彼の意向を気にしてしまう、自分を理解しているからこそ選んだ方法だった。
「もうこれ以上、リカルド様の傍に居たら……望んではいけないことを、望んでしまいそうになる……だからもう……良いんです。あの方には、身分の釣り合うお似合いの美しい婚約者がいらっしゃる。彼を想う私は、これ以上彼の傍に居てはいけないと考えています」
スイレンは、息子のブレンダンと同じ濃い茶色の目をじっと見た。
ジョルジオはスイレンの中にある覚悟を推し測っているのか、この状況を楽しんでいるのか、それとも迷惑な話だと呆れているのか、どうにも読めなかった。
緊張感に思わず手が震え、じわりと背中に何かが走った気がした。
「……まあ、良い。私は、昔から可愛い女の子の味方でね。他でもない君が、そう希望しているのなら、匿うことも辞さない。だが、ただひとつだけ。約束して欲しいことがある」
「はい」
ジョルジオは生真面目に頷いたスイレンに対して、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「それでも。彼が君を見つけることが出来たら、君から今言ったその素直な気持ちを言いなさい。何かを言わなくても、自分の想いが伝わると思っているなんて、傲慢な考えだ。それが約束出来るのなら、君を匿ってあげよう……まあ……同じ街に居るというのに。もし、見つけられないなら、それだけの想いでしかないと言う事だな」
ジョルジオの言葉を聞いて、スイレンの胸はじわりと痛んだ。
(好きで、好きで、ただ好きで……だからなんだって言うんだろう。あの人にあげられるものは、この身ひとつ以外何もなかった。それだって、彼には要らないものだ。だから、傍から離れるのが、一番良い)
これはスイレン自身が望んだことで、これこそが最善の道だと思っていた。彼と自分。二人がお互いに幸せになるための、間違っていない決断だった。
(なのに、なんでこんなに胸が痛むの)




