1-13 初仕事
コンコン。
緊張しつつ、スイレンはリカルドの部屋の扉を叩いた。彼は少し時間を空けてから、ゆっくりと開けてくれた。
「……スイレン。どうした?」
先程とは違い、彼も時間を置いて落ち着いたのか。高い背を屈めてスイレンに目線を合わせて、優しく問いかけてくれた。
スイレンは彼の茶色の目と目が合うだけで、やはりドキドキと胸が大きく高鳴った。
彼の目は、本当にスイレンを落ち着かなくさせる。なんにもしなくても言わなくても。彼のその目が、心の内を問いかけてくるような錯覚がするのだ。
「あのっ……私。別にこの家に居るのが、嫌な訳じゃないんです。でも、今までずっと働いて来たから。家で何もしないのは、どうにも落ち着かなくて。私には花魔法しか満足に使えないんですけど、それが活かせるお仕事を、どうしても逃したくなくて……」
自分がどうして働きたいと思ったのかを、つっかえつっかえしながらも懸命に話すスイレンの顔を見ながらリカルドは手招きをして、彼女を自室の中に入れた。
家長のリカルドの部屋は、この家で一番良い部屋だから、隣のスイレンの部屋より広い。家具は殆どが紺で、ところどころ白色が効果的に使われている趣味の良い部屋だった。
彼はスイレンを部屋の中央にあったソファへと座らせると、自分はその前方にある大きなベッドに腰掛けた。
「……さっきは、すまなかった。俺には、女性を働かせるという考えが、あまり身近にないんだ。だから、君を働かせるというのが……どうしても自分の中で抵抗があって……君の話をちゃんと聞くこともなく、頭ごなしに反対してすまなかった」
そうしてリカルドは目を合わせて真剣に言ってくれるので、スイレンは緩く首を横に振った。
(リカルド様は、貴族。自分のように生きるために、毎日働かなければ生きていけないような環境に育ったわけじゃない……それでもこうして、ちゃんと悪かったと謝ってくれて、自分の思いをわかってくれようとしている)
それだけでもう、すべてを許してしまえる。
リカルドは何も言わずにただ微笑むスイレンを見て、何故か苦しそうな顔をして片手を口に当てた。
「スイレン……もう少し、もう少しだけ待ってほしい。そうしたら、君に言いたいことがある」
リカルドの言葉を聞いた途端に胸が苦しくなり、どうしても期待をしてしまう心を止められなかった。
彼のことが本当に心から好きで、他には何も目に入らなくなってしまう。ただただ好きで、勘違いかもしれないと思っても。それでもどうしても、もしかしてが捨てられなくなってきて。
(彼は私を天国に行かせることも、地獄に落とすことも……その眼差しや言葉ひとつで出来る)
◇◆◇
「いらっしゃい。スイレンちゃん。初出勤日だし、緊張するだろう。今日僕は丁度休みだから、付き合うよ」
何度かの彼との手紙のやりとりの内に打ち合わせていた通りに、ブレンダンは店先にまでスイレンを迎えに出てきてくれた。
今日は竜の姿での仕事がないと言って人型になっていたワーウィックもスイレンの行く先に付いて来たがったが、仕事場にまで着いていくのはルール違反だとリカルドに諭されて、不満を言いつつも家で留守番をすることになった。
ブレンダンの実家であるガーディナー商会は、主に貴族や裕福な平民の女性を相手にしたオーダーメイドのドレスや宝飾品を専門に扱っている店のようだ。
瀟洒な造りの店構えはとにかく美しく、目の肥えた女性も好みそう。その街自体が大きな美術品だと例えられるガヴェアの王都で生まれ育ったスイレンも、初見で思わず溜め息をついてしまう程だった。
雇用主であるブレンダンの父親だと名乗る店主ジョルジオにも挨拶をしたが、一目見ただけでさぞこれまで女泣かせだっただろうと、わかってしまう初老の男性だった。ブレンダンは、きっとこの父親に良く似たのだろう。
「花の種は、各種取り揃えてみたんだ。この専用の棚を用意して、置いてある。毎朝、その日のスイレンちゃんの気分で飾る用の花束を作ってくれ。とりあえず、今必要な花の数はここのメモに書いてあるから。最初だから、数が多い。一通り準備出来るまで、時間はいくらでもかけてもらっても構わない」
スイレンは、ブレンダンに渡された何枚かのメモを確認した。
ガーディナー商会の広い店内は、至る所に花瓶が備え付けられている。花魔法は花を種から成長させるのは、魔力はあまり使わなくて良い。だが、どうしても開花までに時間がかかってしまう。
それに配置良く花を飾って、花瓶のある場所まで運んでを繰り返す事になるのを考えれば、これだけの多くの数を、すべて飾って一人でやることを考えれば、数日は掛かってしまうのかもしれない。
「はい。ありがとうございます。これだけの数を一気にだと、時間は掛かると思います。あの……えっと、何色の花を多めにとかはありますか?」
「うん。ゆっくりと揃えてくれれば、大丈夫だよ。そうだね、今の流行りのドレスの色は濃紺だから、メインには青い花なんかはどう? それで、青に合う色の花で取り巻いて」
ブレンダンと相談しながら、スイレンはとりあえず選んだ種でいくつかの花を咲かせてみた。
色取り取りの花が一斉に咲いていく様子を見れば、すぐ傍に居たブレンダンや新人の様子を見に来ていた店員達が揃って歓声をあげた。
ひとつだけ花束を作り用意されていた紐でくるくると巻くと、その場に居た全員に拍手された。
(こんなの初めて……嬉しいけど。ちょっとだけ、恥ずかしい)
皆の反応に照れたスイレンが小さくお辞儀をすると、後ろの方からコホンと咳払いが聞こえて、店主ジョルジオの登場を見た店員たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。
「やあ。これは息子から聞いて想像していたよりも、何倍も素晴らしい。これは花魔法、だったね? 使える人が少ない古い魔法のひとつだと、昔聞いたことがある。まさか、こんな風にして見られるとはね」
スイレンの花魔法を見て感心して頷くジョルジオに、ブレンダンは嫌な表情を浮かべた。
「父さんは、もう奥から出てこないでって言っただろう。新人なんだから。スイレンちゃんが緊張する」
ブレンダンが、驚いて固まってしまっているスイレンを庇うように身を乗り出した。彼に良く似た顔を持つジョルジオは、そんな様子を見てくくっと喉を低く鳴らして笑った。
「それは、面白いことを言う。お前が自分の嫁候補だと言って、こうして店にまで連れて来たんだろう。それなのに、会話すらさせてもらえないのか」
「父さん!」
スイレンは、ジョルジオの明け透けな言葉に戸惑いブレンダンを見上げた。
いつも飄々としている彼には珍しく、横顔を赤くしている。それだけで、ブレンダンがスイレンに向けている好意が、どれだけのものか理解してしまった。
(ああ……私も、リカルド様の前では、こんな風に見えるのかしら)
そんな場違いなことを思いながら、斜め前に居るブレンダンを見ているスイレンに、ジョルジオが首を傾げながら話しかけてきた。
「スイレンさんは、この花魔法を使って何か仕事をしたいと聞いているが、私にはいくつかこの魔法を商売に活かす考えがある。後で話すから、もし良かったら聞いてくれるかい?」
スイレンは、彼の言葉を聞いて目を輝かせた。
これまでの事を思えばガヴェアに帰り、王都で花娘をすることは難しいだろう。この国で自分の花魔法を使って、お金を稼ぐ事が出来るかもしれない。
(リカルド様の手を煩わせることがなく、自分で生活をしていけるかも……)
「……はい! ぜひ! ありがとうございます。」
家を繋ぐ立場を持つ貴族である彼は、あの美しい婚約者といずれ結婚してしまうだろう。その時に、家の中に居て邪魔者だと思われるのは、どうしても嫌だった。
生活していくお金さえ自分で稼ぐ事が出来れば、何処か家を借りる時はクラリスやブレンダンに相談したら良い。
「父さん。余計なこと言うなよ」
「余計なことかそうでないかは、お前が決めることじゃないだろう。彼女には素晴らしい才能がある。そして、自分もそれを活かしたいと考えているのなら、これからいくらでも選べる道がある。その中でお前と結婚するかも、彼女が決めることだ」
「働くのなら、この店で良いじゃないか。十分に稼ぐことが、出来る」
不満げに顔を顰めた息子に、ジョルジオは鼻を鳴らした。
「昔からお前のダメなところは、そういう所だ。頭を使って、感情で動こうとしない。外堀を埋めて安心するつもりなら、大きな間違いだぞ。誰かに好かれたいのなら、小手先ではなく、全力でぶつかれ。傷つきたくないと小賢しく逃げてばかりだと、何も得ることが出来ない。図体ばかりが大きくなって、馬鹿息子が」
目を細めた父親の言葉に、二の句を継げなくなったブレンダンは、悔しそうにギリッと奥歯を鳴らした。
ジョルジオはスイレンに、仕事終わりの時間になったら自分の書斎に寄るように言い残して去って行った。
スイレンが心配そうに、強張った表情のままのブレンダンを見上げると彼はふうっと大きく息をついて、苦笑いをした。
「ごめん。スイレンちゃん。父さんには、僕がいつまでも五歳の子どもに見えるんだ。みっともないところを、見せた。さあ仕事の続き、しよっか?」
彼の言葉に一度頷いてから、スイレンはもう一度青い花の種に手を伸ばした。




