1-11 誘い
スイレンがそうではないかと睨んでいた通りに、高地にあった花の効果は、早々にクラリスの身体を楽にした。
だが、帰って来たあの後に体調を崩し、ひどい風邪を引いてしまったスイレンに代わって、リカルドが正確な使い方なども含め、色々とあの花について調べてくれたようだ。
魔植物の知識のある高名な薬師に、花の蜜を薬にしてもらい、それを飲んだクラリスの体内にあった呼吸を邪魔していたものは、首尾良く枯れてしまっていた。
今日は回復したクラリスがこの前とは逆に、熱が下がってもリカルドから絶対安静を申しつけられているスイレンの部屋へとお見舞いに来てくれていた。
「……それで、その薬になる花を取りに行っていた時に何があったの。スイレン。今、お兄様にすごくぎこちないでしょう。お兄様もなんだか、初々しく遠慮しているみたいだし。私の薬を取りに行った時に、何かがあったんじゃないの」
「その……実は」
クラリスの鋭い指摘に対して、スイレンは圧倒されていた。彼女には、きっと隠し事は出来ない。
あの高地の岩場であった出来事を根掘り葉掘り聞かれ、正直にあったことを答えるスイレンの言葉を聞いて、妙ににんまりとした顔でクラリスはふふんと微笑んだ。
「そう。そうそうそう。寒い中で、上半身を裸で温めあう……ね?」
「あのっ……リカルド様は、非常事態だったからそうしてくださっただけで……」
(もしかして……何か、誤解を与えてしまったのかもしれない)
身内である兄のそんな話を聞いても、何とも微妙な気持ちだろうにクラリスは上機嫌に笑っている。本当に、この前の息を切らせていた様子が嘘みたいに元気だ。
まじまじと自分の顔を見つめているスイレンの視線に気が付いたのか。
クラリスは、立ち上がってからくるりと回った。可愛らしい紺色のスカートの裾が、ふんわりと舞った。
「ほら。見て。頑張ってくれたスイレンのおかげで、こんなにも元気よ。結構な期間、動けなかったから、まだまだ体力はないけど。あの時みたいに、ちょっと喋りすぎたからって息が切れたりしない。こうやって、体を動かしても全然平気。本当にありがとう。スイレン」
両手を組んで祈り出さんばかりのクラリスに、スイレンは両手を振った。
「ワーウィックと、リカルド様のおかげです。私はガヴェア出身なので、魔植物の対処法を知っていただけなので。あの、クラリス様を元気に出来て、本当に嬉しいです」
クラリスはスイレンの言葉を聞くと、腰に手を当てて、膨れっ面をした。
「まあ……何を言っているの。ガヴェアでも、檻の中に居たお兄様の心を救ってくれたんでしょう? 早朝に現れるスイレンだけが、心の支えだったって言っていたわよ。これは、もう結婚するしかないわね。そう思わない?」
クラリスの爆弾発言に、スイレンは目を丸くした。
(彼には……彼には、とても美しい婚約者がいるのに)
誤解をさせてしまったら申し訳ないと、スイレンは困った顔をして言った。
「それは、私が勝手にしていたことで。リカルド様は、檻の中で逃げようがなくて……それに、リカルド様には婚約者が……」
「あんな、目立ちたがり屋で潔癖症の女だいきらい」
伏せ目がちにして答えたスイレンに、クラリスは件のリカルドの婚約者イジェマを一刀両断にした。思いもよらぬ言葉にはっとして顔を上げたスイレンに、クラリスは意味ありげに笑った。
「ねえ。お兄様のこと、好きなんでしょ? 頑張ろうよ……私は、全面的に応援するからさ」
「クラリス様……でも。私、平民ですし、元々が敵国ガヴェアの人間です。この国の英雄であるリカルド様とは……」
「そんなの、別に関係ないわよ」
リカルドとは身分も違い過ぎるというスイレンの気弱な主張を、クラリスはすげなく遮った。
「だって、お兄様。絶対に、スイレンのこと気に入っているもの。亡きお父様が当主で、生きていたなら。そりゃあ、反対されたら動けなかったかもしれないけど、今のデュマース家の当主はお兄様なんだから。あの人が家長で、全権を持っているもの。他の誰が反対しても、意味はないわよ?」
「クラリス様……」
「ダメだったら、私がスイレンに相応しい男の人を見繕ってあげる。あ! でも、お兄様と仲の良いブレンダン・ガーディナーは、もちろん対象外よ? 顔と口の調子は良いかもしれないけど、あれは絶対に女の敵だからね」
綺麗な顔で眉を寄せつつ女の子なら誰しも好感を抱くだろう容姿のブレンダンをも、すっぱりと扱き下ろした。
クラリスの言葉の勢いに押されるようにして、スイレンはこくこくと頷く。
「僕が、なんだって?」
低い声のリカルドより、高めの響きの良い声がして、難しい表情をしていたクラリスは、一瞬の内に嫌な顔になった。
「ちょっと……スイレンは未婚の女の子だし、自室で寝巻き姿なのよ。親族でもない人が断りも得ずに堂々と入って来ないでちょうだい。それに、どうやって入ってきた訳? 不法侵入よ。誇りある竜騎士がそんな罪状で捕まったら、世間はなんて言うかしら」
クラリスにトゲのある声で非難されたブレンダンは、両手で抱えて持ってきた大きな紙袋をテーブルに置きながら彼らしく飄々として答えた。
「スイレンちゃんの寝巻き姿なら、もう既に見たことあるし。君も知っている通り、僕はリカルドとは付き合いが長くて仲の良い同期だ。そして、さっきメイドのテレザさんにはきちんと断って入ってきたし。何の法も犯してない」
「はー? テレザったら、何をしているのよ。絶対、一番入れちゃダメな人間でしょ」
「君は、本当に変わらないね……身体を壊して、少しはお淑やかになったかと思えば。久しぶりに会った人を、そうやって全否定するのは良くないよ……」
決めつけられたことに呆れたような表情を見せて、はーっと大きく息をついたブレンダンに、目を細めたクラリスは食ってかかった。
「良く言うわよ。持って生まれた外見で女性に好かれるからって、良い気になっているといつか痛い目に合うわよ。スイレンに手を出したら、わかっているわよね?」
脅すようにして詰め寄ったクラリスに、ブレンダンは両手を上げて降参のポーズをした。
「はいはい。クラリスが思っているような形では、僕は手を出さないよ」
「ちょっと……どう言うことよ?」
彼の言葉の意味を測りかねたのか、いぶかしむようにして首を傾げたクラリスに向けてブレンダンは笑った。
「貴族で英雄のリカルドの奥さんになることよりも、僕みたいな商家の嫁の方になる方が人生の中で感じる重圧は少ない。僕は一人っ子だし、生涯竜騎士で居るつもりはないからね。ある程度の年齢が来れば竜騎士は引退する。リカルドより、この僕と一緒に居た方が平民のスイレンちゃんには気が楽だろ?」
自分を選ぶことによる好条件を並べるブレンダンの顔を、クラリスは眉を顰めて見つめた
「……ブレンダン・ガーディナー。きっと、そう思っているだけじゃなくて、何かを企んでいるでしょう。私は、誤魔化されないわ」
彼女の言葉に何も返さずに、肩を竦めたブレンダンは、ベッドの上で二人のやりとりに唖然としていていたスイレンに向き直った。
「元気になっているみたいで、良かった。熱を出したと聞いたから、心配していたんだ。スイレンちゃん。今日はね。実はお見舞いだけじゃなくて、仕事の話もしに来たんだ。もし良かったら、僕の実家であるガーディナー商会で働かない?」
「……ちょっと、何言っているの」
いつものように軽い調子で仕事の話を口にしたブレンダンに、クラリスはより表情を険しくした。
「あ、あのっ……私、働きたいです! お願いします!」
ブレンダンの提案を聞いて、悩むこともなくすぐにそれを希望したスイレンに、クラリスはまた表情を曇らせた。
原因となったブレンダンをじろっと睨み付けてから、何かを言いたそうにしていた。
「そうだよね。そう、言ってくれると思っていた。スイレンちゃんは、確か種から花にすることも出来るんだよね? ガーディナー商会は、女性のドレスとか夜会なんかで身につける貴金属を主に扱っているんだ。そんな店だから、店内を彩る花はいくらあっても良いんだ。注文した分は、すべてこちらが買取るからさ。損をすることはない。お試しでも良いから、働いてみて」
「はい!」
思ってもいなかった嬉しい仕事の斡旋を受けて、スイレンは勢い良く大きく頷いた。
ブレンダンの隣に居るクラリスは、可愛らしい顔なのに苦虫を噛み潰したような表情になりとても不満そうだ。
兄とスイレンをくっつけようと思っている彼女の言わんとしている事は、理解しているのだが、スイレンはそれが叶わなくても、この先ずっとデュマース家で世話になるつもりはなかった。
出来るのなら、自分が唯一自在に使える花魔法を使って、ある程度のお金を稼げるようになりたいと、そう考えていたところだった。
だから、先ほどのブレンダンの言葉は、願ってもいないことだった。
「とりあえず、今は身体を良くすることを考えて。そこにある紙袋の中に、手紙と筆記用具を買ってきているから。もし、僕に連絡を取りたい時は、リカルドに手紙を渡してくれたら良い。あいつとは、どうせ嫌でも職場で会うことになるからね」
「ちょっと! お兄様を、配達人にするつもり?」
他の男への手紙を兄に運ばせるなんてと、驚いた顔をしたクラリスにブレンダンは余裕ある様子で微笑んだ。
「リカルドが断るのなら、別に良いよ。手紙を届けてくれる方法を、他に考える。クラリスも、少しは令嬢らしくして大きな声を出すのは、やめた方が良いんじゃないかな。じゃあね。スイレンちゃん。お大事に。手紙を待っているよ」
手を振って器用に片目を閉じると、ブレンダンは颯爽として扉に向かい去って行く。
「……ブレンダン・ガーディナーなんか、信用したらダメよ。きっと、何かを企んでいるんだから……」
「クラリス様。私を心配してくださって、ありがとうございます。でも……私は平民ですし、小さな頃からずっと働いていたせいか。何かをしていないと、なんだか落ち着かなくて……だから、ブレンダン様のご実家のお店で働かせていただけるかもしれないと聞いて、嬉しいんです」
瞳を輝かせて喜んでいるスイレンに、クラリスは難しい顔をした。
「とにかく……お兄様に、聞いてみましょう。きっと、お許しにはならないと思うわ」
本人が望んでいるとわかっていても、どうしても事の成り行きに納得のいかない様子のクラリスに、ベッドの上のスイレンは困った顔をして微笑んだ。




