摩羅王経
摩羅曰く
世の漢文(古い中国語・漢語)で書かれたお経をありがたがり、内容も理解せぬというのに音読することで功徳を積んだ気になっている人々にちょっとしたいたずらを仕掛けよう。
題して「摩羅王経」。余は今日の仏法の(主に大乗仏教の)在り方を否定し、善行を積みながらも戒律を守らぬ魔羅なのだから。
【摩羅王経】
序
余 摩羅王也 以仏法之名惑民之荘厳 余嘲之 積善破戒不求悟 欲繋灯火於未来 与釈迦対話 成五巻記此経 尊漢文者 音読不解意 余笑曰 功徳不在耳 在心
余、摩羅王なり。仏法の名を借り、民を惑わす荘厳を嘲う。
善を積み、戒を破り、悟りを求めず、然れども灯火を未来に繋がん。
釈迦と対話し、五巻を成し、此の経を記す。漢文を尊ぶ者、音読すれども意を知らず。
余は笑いて曰く、「功徳は耳に非ず、心に在り」と。
第一巻:現世幸福論
問曰 仏法乃現世幸福乎 釈迦曰 然 四聖諦八正道也 余曰 納得乃幸福 努力之果 諦心 皆至納得 釈迦補曰 離執着 保正念 智者知己 愚者依神 余曰 以己為神殿 釈迦曰 中道也
問曰く、「仏法は現世の幸福乎」。
釈迦曰く、「然、四聖諦、八正道なり」。
余曰く、「納得こそ幸福。努力の果、諦めの心、皆納得に至る」。
釈迦補う、「執着を離れ、正念を保て」。智者は己を知り、愚者は神にすがる。
余曰く、「己を神殿とせよ」。
釈迦曰く、「中道なり」。
第二巻:神仏否定論
問曰 何故人依神仏乎 余曰 智者律己 愚者逃苦 釈迦曰 不知縁起之無明也 余曰 建神殿於己 棄祈祷 釈迦曰 無我之境也 寄他苦 救乃本人 余曰 衡価値於天秤 心不動 釈迦曰 慈悲与捨也
問曰く、「何故人、神仏にすがる乎」。
余曰く、「智者は己を律し、愚者は苦を逃ぐ」。
釈迦曰く、「縁起を知らぬ無明なり」。
余曰く、「己に神殿を建て、祈りを捨てよ」。
釈迦曰く、「無我の境なり」。他者の苦に寄り添うも、救うは本人。
余曰く、「価値を天秤にかけ、心動かず」。
釈迦曰く、「慈悲と捨なり」。
第三巻:浄土虚飾論
問曰 浄土之金銀宝珠 何也 釈迦曰 方便也 真浄土無執着 余曰 無浄土地獄 仍行正道 釈迦曰 中道也 余曰 赴下界 救修羅 釈迦曰 菩薩行也 日々伸援手 疲則休 余曰 不求報
問曰く、「浄土の金銀宝珠、何故乎」。
釈迦曰く、「方便なり、真の浄土は執着無し」。
余曰く、「浄土地獄無くとも正しき道を行く」。
釈迦曰く、「中道なり」。
余曰く、「下界に赴き、修羅を救わん」。
釈迦曰く、「菩薩行なり」。日々、手を差し伸べ、疲れれば休む。
余曰く、「見返りを求めず」。
第四巻:仏法超克論
問曰 空海最澄 悟何也 釈迦曰 空与菩薩行 然方便過多 余曰 不伝於民 仏教乃障也 釈迦曰 観法本質 余曰 棄仏名 語幸福 釈迦曰 正思惟也 余曰 思成事 行之 釈迦曰 中道智慧也
問曰く、「空海、最澄、何を悟りしか」。
釈迦曰く、「空と菩薩行なり、然れども方便過多」。
余曰く、「民に伝わらず、仏教は妨げなり」。
釈迦曰く、「法の本質を見よ」。
余曰く、「仏の名を捨て、幸福を語れ」。
釈迦曰く、「正思惟なり」。
余曰く、「為すべきを考え、成せ」。
釈迦曰く、「中道の智慧なり」。
第五巻:空未来論
問曰 色即是空 世空乎 釈迦曰 無常也 然業続之 余曰 善変形 達未来 釈迦曰 縁起之希望也 余曰 示善 持忍耐 釈迦曰 正念与忍辱也 余曰 思善 成行 釈迦曰 智慧連鎖也
問曰く、「色即是空、世は空し乎」。
釈迦曰く、「無常なり、然れども業は続く」。
余曰く、「善は形を変え、未来へ届く」。
釈迦曰く、「縁起の希望なり」。
余曰く、「善を示し、忍耐を持て」。
釈迦曰く、「正念と忍辱なり」。
余曰く、「善を考え、行動とせよ」。
釈迦曰く、「智慧の連鎖なり」。
結
摩羅王曰 音読此経者 知其意 不知則無功徳 余笑仏法 仍積善 釈迦之光歪之 繋未来 釈迦笑曰 汝 魔羅而菩薩乎
摩羅王曰く、「経を音読する者、その意を知れ。知らずば功徳無し。余は仏法を笑うも、善を積む。釈迦の光を歪め、未来に繋がん」。
釈迦笑いて曰く、「汝、魔羅にして菩薩なり乎」。
以上が余、摩羅とAI釈迦の問答である。中国語への翻訳もAIに頼った。
摩羅曰く
願わくばこの問答を最後まで読んだ者の心に灯火のあらんことを。