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ある朝

作者: 宗あると

 朝。まどろみの中で、キッチンから物音がする。涼太が自分の朝食を用意している。朝食はいつもだいだい同じで、納豆ごはんと冷奴と味噌汁。冷蔵庫の開け閉めする音が多い時は、だいたい寝ぼけて醤油を2回冷蔵庫から取っている時。

 そんな涼太の日常を今は何の違和感もなく受け入れている。

 一緒に暮らしはじめて、1年近く経っている。

 お互い自分のことは自分でするから、朝食も涼太は自分の分しか用意しない。

 同棲をはじめた頃に私が涼太の分も用意すると言うと、俺の方が早起きだし、今までも自分でやってきたからと、きっぱり断られた。私が信用できないとか、そういうことではなく、どうして一緒に暮らしはじめた途端に女性が食事を用意するルールになるのかわからないと、ぼそりと言った。

 家事をすべて母親にやらせる父親を見て、子供の頃から疑問に思っていたらしい。

 自分のことは自分で。大人になって女性と付き合ったらそうすると、決めていたらしい。

 私は楽でいいやと、あっさり涼太の言い分を通した。今までの彼女にはでも、自分の分しか用意しないから冷たいとか言われたらしい。

 私には、どうでもいいことだけれど。

 私が起きるのは、涼太が朝食を済ませた後だ。朝、2人で狭いキッチンでごちゃごちゃすると涼太も私も機嫌が悪くなるので、出勤の遅い私が妥協している。それくらいはなんてことない。

 涼太はキッチンのシンクで朝食を食べる。立ったままで。ベッドの上で、その咀嚼音と味噌汁を啜る音を微かに聞きながら、再び眠気で朧気になって、私は夢と記憶と曖昧な世界へと入っていった。


 初詣。近所の大きな神社で、人混みの中を2人でゆっくり歩いていた。

 冬の澄んだ冷たい空気と、刺すような強い日差し。眩しくて、私は目を細めていた。

 神社の奥にある本殿で参拝をすませて、屋台でベビーカステラでも買おうかと話していた。

 「何をお願いした?」

 不意に涼太に聞かれて、私は、

 「んー。秘密。涼太は?」

 と聞き返した。

 涼太は真面目な顔で、LOVE&PEACE&FREEDOMと答えた。

 「横文字?」

 私が笑って言うと、涼太は真面目に、この世界にそれ以外の願いなんて必要ないから、とさらりと言い、横を歩く私の手を握って、LOVE、と言った。

 「やめてよ」

 私は照れと可笑しいのと半々で笑いながら、涼太の手を冗談っぽく払った。

 それでも涼太はしつこく、LOVE、と言って私の手を握ろうとした。私は笑いながら手を払い続けて、涼太はそんなことをされながらも幸せそうだった。


 そこでまた目が覚めた。涼太はもう仕事に行く支度をしていた。

 私はベッドからのそりと起き上がり、のろのろとキッチンへ向かった。

 シンクの中には、涼太が使った茶碗やお椀が残ったままだ。これもいつものことで、私は気分次第で朝食後に自分の分とまとめて洗うか、涼太のだけそのままにする。涼太が仕事から帰って夕食後にまとめて洗うことを私は特に気にしない。

 いってきます、と涼太が玄関から言い、私はいってらっしゃい、と答えた。

 朝の会話もしない時はしない。そんな暮らしに慣れてしまっている。

 私はトーストをトースターで焼き、カットサラダを冷蔵庫から出して小皿に盛って、インスタントのポタージュスープを作って、トレイに乗せてリビングに向かった。

 スマホを見ながら、SNSをチェックして、ニュースの記事を適当に流し読んでいく。

 朝からニュースなんて、心に毒だよ。

 涼太は私にそう言って、何度も私の習慣をやめさせようとした。

 同僚と世間話くらいするでしょ、と私が言うと、俺はそういう話には加わらないから、と言った。

 きっと職場で孤立してるんだろうなぁ、と思いながら私は何も言い返さなかった。

 涼太は涼太の、私には私の暮らし方がある。

 涼太は自分の考えを私に対しても譲れないようだったけれど、私は自分のこだわりを涼太に押し付けはしなかった。お互いにそれをしてしまうと、喧嘩にしかならない。

 私は私で、涼太の言う通りにはしないけれど。

 私がデートにブランド物の服を着て行くと、涼太は田舎の小娘が頑張ってオシャレしてるようにしか見えないから、ユニクロにすれば?と、真面目に言ってきて、私を呆れさせたこともある。

 涼太はいつもユニクロか無印の服を着ていた。ブランド物には興味がない。

 自分色に私を染めたいとかそういうわけではなく、本当に私が田舎の小娘に見えるらしい。

 自然体の方が、純には似合ってるよ。

 涼太は言ったけれど、何をもっての自然体なのかはわからない。田舎の小娘には、ユニクロがお似合いと言いたいのか?ユニクロにも田舎の小娘にも失礼だ。私は確かに、九州の田舎から出てきた小娘ではあるけれど。


 朝食後、ぼんやり宙を見つめて、物思いに耽った。

 涼太とは決定的に何か違う気がして、これ以上一緒にいるかどうか、迷っている。

 私を好きだと言ってはくれるけれど、心から愛してるという風ではない。

 告白は私からだった。涼太は気にはなっていたよ、と言ってくれた。それが好きということなんだと、私は当時喜んだけれど、今は言葉の通りなんだと思っている。

 気になっていただけ。多分、好きとか恋愛感情を抱く相手じゃない。でも恋人が欲しくて成り行きで告白されて付き合っている。

 今もきっと、それは変わらない。

 私を失っても、私が側にいても、涼太の人生はきっと何も変わらない。別れ話をしたところで、多分すぐに了承するだろうと思う。

 私はそんな人を失っても、きっと馬鹿みたいに泣きじゃくる。私はあなたが私を思う以上に何百倍もあなたを好きでと、馬鹿みたいに訴えたくなる。

 でもそれはきっと涼太には届かない。

 俺は違うから。

 きっと一言、そういうだろう。

 同じようには愛されない。

 それでも良い恋なら、私はいまこうして、先の不安に駆られたりしない。

 同じように愛して欲しい。

 それを伝えようか、迷っている。

 ずっと側にいて欲しくて、一生離れたくなくて、同じ愛を同じように噛み締めてくれる存在。

 でも、そうなって欲しいは違う気がして。

 本当はそうあって欲しいが本音で。私が気づいていないだけで、同じくらい涼太が私を想ってくれているという淡い期待を抱いていたりもする。

 でも、きっと、そうじゃない。

 私はスマホを手に持って、涼太に発信しようかと迷った。

 仕事の前の、おそらくまだ会社には着いていない。そんな時にする話じゃない。

 でもーーー。

 私は涼太に発信した。

 呼び出し音が数秒続いて、涼太が出た。

 「何?どうした?」

 声の後ろで、街の音がする。

 「あのね、今話すことじゃないとは思うんだけど」

 「じゃあ、帰ってからか、昼にできる?もう会社の前だから」

 「ああ、いや、やっぱり今がいい」

 「そうなの。じゃあ何?早く言って」

 「涼太、涼太は私のこと本当に好き?」

 「はあ?好きだよ。何?ふざけてる?」

 「真剣だよ。涼太、私のこと、本当は愛してないでしょ?」

 「え?あーーー、、、」

 涼太は思案して、言葉を止めた。

 別れを恐れているわけじゃない。どう正直に言うか、考えている。きっと。

 「結婚とかは、考えられないかな」

 涼太は少し迷った様子で言った。

 「ごめん、そこまで純が思い詰めてると思わなかった」

 「私は、一緒に、ずっと一緒にいたいと思ってるよ」

 「ああ、うん。わかった。でも、俺は違うから」

 思っていた通りの言葉が返ってきて、私は落胆した。

 「で、どうする?別れる?っていうか、今続ける?この話」

 涼太は少し急いでいるように言った。

 「簡単に、別れるとか言えるんだ」

 「正直に答えなきゃ駄目だろ。この場合は」

 「嘘くらいついてよ。俺も本気で愛してるって言ってよ」

 「なんでそんな無意味なことーーー」

 「無意味じゃない!私のこと考えて!」

 「考えてるから、正直に言ったんだよ。俺は純とは違うから。純と同じように愛せない」

 「だったら何で、あの時フラなかったのよ」

 私は鼻を啜りながら言った。別れは決定的で、もう2人に残された時間は、この会話だけしかない気がした。

 「それは、可愛いと思ったから。ごめん単純な動機で、深く考えもしなかったよ。ここまで純が愛してくるとは、思わなかった。ただ普通に付き合って、別れると思ってた」

 「じゃあ、思ってた通りなんだね。普通に付き合って、別れて。涼太の思ってた通りになったんだね。良かったね!」

 私は棘のある口調で皮肉に言い、スマホを切ろうとした。でも、何か。涼太が何か想いを翻してくれるかもしれないと淡い期待をして、切れなかった。

 「良くないよ」

 涼太は、ポツリと言った。

 「うまく言えないけど、純がそこまで想ってても、俺は変われないからさ。本当にあの時の軽率な自分をやり直したい」

 「なかったことにしたいってこと?今までの私達を」

 「そうじゃないけど、友達でいるとか、別の道もあったんじゃーーー」

 「やめて!そんなこと聞きたいんじゃない!なんで、私を愛してくれないのよ、馬鹿!!」

 私は怒鳴って、今度こそスマホを切った。

 涙が溢れて止まらなかった。

 私と涼太は決定的に最初から違っていた。

 私は最初からもう愛していて、涼太は私をただの女としか見ていなかった。

 そんなことに、今更気付いて、馬鹿みたいだった。

 私は泣きながらリビングから出て、仕事へ行く支度をはじめた。

 もう一緒には暮らせない。1人で生きていかなきゃいけない。泣いて仕事を休んでいる場合じゃない。


 朝。私は悲しみに心を引き裂かれながら、涼太に告白した時のことを思い出して、泣いている。

 ずっと、好きでした。

 涼太が微笑みを浮かべて、私を見つめていたことを、はっきりと覚えている。

 あの瞬間、私は涼太との幸せを信じて疑わなかった。

 


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